イスタンブール。
西から来た旅人がイスラムという異質な文化と出会う最初の街。
そして、東から来た旅人がそれまでの都市では感じられなかったヨーロッパの空気を初めて味わうことになる街……。
イスタンブールはヨーロッパとアジアの接点、キリスト教文明とイスラム文明との接点にあるこの世に二つとない魅力的な街なのです。
古代、ギリシャ人により植民市として建設されたこの街は当初、ビザンティオンと呼ばれていました。
330年、ローマ帝国皇帝コンスタンティヌスは首都をローマからこの地に移し、自らの名を取ってコンスタンティノープルと名付けました。以後、この町では一千年に及ぶビザンツ帝国(東ローマ帝国)の支配が続くことになります。
1453年、メフメット2世率いるオスマントルコがこの町を征服、町はイスタンブールと改称されました。
オスマン朝の支配の下、イスタンブールは世界最大の都市の一つとして繁栄の絶頂を極めます。
その後、オスマン帝国の崩壊、2度の大戦を経たこの街は、国父ケマル・アタテュルクの政教分離、近代化政策により、イスラムの香りを色濃く残しつつも、ヨーロッパ的な自由を感じさせるというコスモポリタンな都市へと変貌を遂げたのです。
ビザンツ帝国とオスマントルコ、キリスト教とイスラム、東洋と西洋……。
歴史と空間を越えたそれぞれの文明の色が、このボスポラス海峡で複雑に混ざり合っている町、イスタンブール。
ユーラシアの真珠のような町です。
イスタンブールは3つの地域からなります。
旧市街、新市街、そして、アジアサイドです。
オスマン帝国の宮廷であるトプカプ宮殿や、ビザンチン帝国時代に作られた大聖堂「アヤ・ソフィア」など歴史的建造物が建ち並ぶ旧市街。
金角湾を挟んだ対岸。高級ホテルや官公庁、お洒落なショッピングエリアのある新市街。
旧市街と新市街は合わせてヨーロッパサイドと呼ばれています。
そのヨーロッパサイドからボスポラス海峡を隔てた対岸がアジアサイドです。
アジアサイドはヨーロッパサイドに比べると新しいようで、歴史的な建造物はあまりありません。
アジアサイドは、イスタンブールに生活する人々の居住エリアなのだそうです。
舟からアジアサイドを眺めると、臙脂色の屋根を持った家がびっしりと建ち並んでいるのが見えます。
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http://blogs.yahoo.co.jp/samberasam51/39631838.html