唐仁古墳群
唐仁古墳群東串良町 | ||||||||||
唐仁古墳群は肝属川河口上流約1キロメートルの東串良町唐仁地区に位置する。大塚古墳(一号墳)を中心とした前方後円墳と円墳合計約140余基の古墳群で、1934年(昭和9年)1月22日、国の史跡名勝天然記念物の指定をうける。古墳群の中心に位置する大塚古墳は県内で最大級の前方後円墳で、直径185m、高さ11m前後ある。周囲には周溝が廻らせてあり、後円部頂上を削平して大塚神社が鎮座する。 神殿と拝殿の渡り廊下の下には5枚中4枚目の竪穴石室の石蓋が露出し、石室内は中が朱塗りされている。石室内には舟型石棺がおかれ,石棺に接して横矧板鋲留式の短甲が副葬されていたことから5世紀後半に造営されたと予想される。 唐仁古墳群はこの大塚古墳を中心に放射状に延び、その分布は唐仁、大塚、大塚原、新川西などに及んでいる。 | ||||||||||
最終探訪日 2009・2・9 | ||||||||||
国指定の唐仁古墳群は肝属川河口上流約1kmの唐仁地区に位置する。肝属平野を見下ろす国見山から写す。 | ||||||||||
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「史跡唐仁古墳群第61号」の古墳 | ||||||||||
唐仁古墳群は大塚古墳を中心に放射状に延び、その分布は唐仁、大塚、大塚原、新川西などに及ぶ。 | ||||||||||
大塚神社と郷土研修館 | ||||||||||
大塚古墳入り口には大塚神社鳥居・大塚古墳群案内石碑・郷土研修館等が並ぶ | ||||||||||
大塚神社は島津忠久入国の際、先見を命ぜられた本田次郎貞親が島津家の守護神として建久2年(1191年)頃創建したものと言われている。 | ||||||||||
郷土研修館 館内の資料展示室には土器類等の古墳出土品・昔の道具資料・町内の文化財資料・大塚神社に関する資料等が展示してある。 | ||||||||||
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概要
東串良町の大塚原、新川西、大塚、唐仁地区に140基以上の古墳が点在する鹿児島県最大の古墳群で、宮崎県の西都原古墳群、肝付町の塚崎古墳群、大崎町の横瀬古墳と関連のある物と考えられているが、被葬者などの詳細は不明である。
最大の古墳は1号墳(通称「大塚古墳」)で、長径185メートル、高さ10.9メートル。墳丘部の土はめくれており、竪穴式石室が露出しており、現在この古墳をご神体とした大塚神社が鎮座している。
1934年に国の史跡となった。
関連項目
外部リンク
【唐仁古墳群】 観光マップ (とうじんこふんぐん) | |
わが東串良町は古墳の町と呼ばれるほど古墳が多い。古墳群は前方後円墳と円墳合計約140基となっており、代表的なものに大塚古墳(1号墳)、役所塚(100号墳)、向塚(33号墳)等がある。 古墳が造られるようになったのはおよそ3世紀半ば頃といわれているが、大塚古墳(1号墳)は、その石室内に、5世紀時代に盛んに造られた横矧板鋲留式の短甲が副葬されていたこと等から、その頃に造営されたものであろう。 |
肝属川の河口に近い微高地にある132基の古墳群で前方後円墳が4 基あります。県内最大の古墳群です。中心となる1号墳は大塚古墳と呼ばれ、墳長140m、濠まで含めて185m、高さ11mと県内で最大、九州内でも3番目の大きさです。後円部にある竪穴式石室は中が朱塗りで、舟型石棺が置かれていました。また、短甲と呼ばれる鎧(よろい)も副葬されていました。
[昭和8(1934)年、国指定史跡]
- 場所
東串良町の南部にある標高5~7mの砂丘上に立地します。 - 資料展示
東串良町郷土資料館 - 問い合わせ先
東串良町社会教育課(電話:0994-63-3131)
薩摩の国指定史跡
- 史跡
- 佐多旧薬園(さたきゅうやくえん)〔肝属郡南大隅町〕1932年(昭和7年)10月19日
- 高山城跡(こうやまじょうあと)〔肝属郡肝付町〕1945年(昭和20年)2月22日
- 塚崎古墳群(つかさきこふんぐん)〔肝属郡肝付町〕1945年(昭和20年)2月22日
- 唐仁古墳群(とうじんこふんぐん)〔肝属郡東串良町〕1934年(昭和9年)1月22日
- 横瀬古墳(よこせこふん)〔曽於郡大崎町〕1943年(昭和18年)9月8日
- 志布志城跡(しぶしじょうあと)〔志布志市〕2005年(平成17年)7月14日
- 上野原遺跡(うえのはらいせき)〔霧島市〕1999年(平成11年)1月14日
- 大隅国分寺跡附宮田ヶ岡瓦窯跡(おおすみこくぶんじあとつけたりみやたがおかかわらかまあと)〔霧島市国分中央 〕1921年(大正10年)3月3日
- 隼人塚(はやとづか)〔霧島市〕1921年(大正10年)3月3日
- 南浦文之墓(なんぼぶんしのはか)〔姶良市〕1936年(昭和11年)9月3日
- 大口筋(おおくちすじ)〔鹿児島市、姶良市〕2006年(平成18年)7月28日
愛甲喜春の墓〔志布志市 志布志町 志布志〕1961年8月16日指定
宝満寺跡〔志布志 市志布志町 帖〕1967年3月31日指定 竜門司焼古窯〔姶良市加治木町小山田〕1967年3月31日指定
根占町川南宇都の板碑〔肝属郡南大隅町川南諏訪上〕1971年5月31日指定
「大隅半島いにしえの古墳マップ」
「クニ」が登場した古墳時代。
大雨で川が氾濫する度に、上流から肥えた土砂が運ばれた下流一帯は、米作りに適していました。その為、人が多く集まり、古墳時代には、いくつもの「クニ」が生まれました。クニの支配者たちは、自分の力を示すかのように、次々と「古墳」と呼ばれる墓を造りました。その中には、九州でも1,2を競う巨大なものがあります。
流域にある代表的な古墳
唐仁古墳群(東串良町)
唐仁古墳群(東串良町)
全長185メートルは、九州で最大級
前方後円墳4基と円墳140基が集合してある大きな古墳群。その中で、「大塚古墳」は、全長185メートル、高さは約11メートルもあります。
塚崎古墳群(肝付町・旧高山町)
塚崎古墳群(肝付町・旧高山町)
大和朝廷との交流を示す多くの「高塚古墳」
多くが、前方後円墳や円墳といった近畿地方でよく見られる「高塚古墳」と呼ばれる造り方の古墳で大和朝廷と深い交流があったことを表しています。
主な古墳の位置
『東串良町』の神社(7件)
- 大塚神社 オオツカジンジャ
- 肝属郡東串良町新川西5095
- 例祭日:十月二十八日 旧社格:村社 摂末社:2 [詳細を見る]
- 大山津見神社 オオヤマツミジンジャ
- 肝属郡東串良町池之原81
- 例祭日:十一月第二申日 旧社格:無格社 [詳細を見る]
- 熊野神社 クマノジンジャ
- 肝属郡東串良町川東3489
- 例祭日:六月十五日 旧社格:無格社 [詳細を見る]
- 戸柱神社 トバシラジンジャ
- 肝属郡東串良町川東4027
- 例祭日:四月二十日 旧社格:無格社 [詳細を見る]
- 八幡神社 ハチマンジンジャ
- 肝属郡東串良町川東1535
- 例祭日:旧十月十五日 旧社格:無格社 [詳細を見る]
- 廣田神社 ヒロタジンジャ 肝属郡東串良町池之原2862
- 例祭日:十一月二十五日 旧社格:村社 神紋:三つ巴 [詳細を見る]
- 宮貫神社 ミヤヌキジンジャ
- 肝属郡東串良町宮下2261-イ
- 例祭日:十月二十三日 旧社格:村社 [詳細を見る]