塚崎古墳群
現在確認されている古墳は
- 前方後円墳4基
- 円墳39基
- 地下式横穴墓19基
である。
最大の古墳は40号墳で直径50メートル、高さ5メートルである。
古墳群内には「肝付町立歴史民俗資料館」があり、古墳からの出土物が展示されている。
肝付町立歴史民俗資料館
1階:古民具等
2階:塚崎古墳群からの出土遺物を中心とした考古資料の展示
軽石製の組み合わせ式石棺
歴史民俗資料館外観
肝付町の古民具(1階)
塚崎古墳群からの出土遺物等(2階)
施設の概要
国指定文化財の塚崎古墳群からの出土遺物や古民具等を展示している、肝付町の歴史・民俗に触れることのできる資料館です。1階:古民具等
2階:塚崎古墳群からの出土遺物を中心とした考古資料の展示
開館時間
午前9時00分から午後4時30分まで休館日
毎週月曜日、祝祭日、12月28日から1月4日アクセス
肝付町立歴史民俗資料館へのアクセスはこちらをご覧ください。古墳群のある塚崎地区の一角にあるのが、この資料館です。国の文化財に指定されている古墳群から出土した遺物や古民具などが展示してあり、肝付町の歴史や民俗を知るには最適の場所です。
ちなみに、1階部分が古民具等の展示、2階部分が塚崎古墳群から出土した遺物を中心とした考古資料の展示となっています。
ちなみに、1階部分が古民具等の展示、2階部分が塚崎古墳群から出土した遺物を中心とした考古資料の展示となっています。
「大隅半島いにしえの古墳マップ」
『肝付町』の神社(23件)
- 天之石戸別神社 アメノイワトワケジンジャ
- 肝属郡肝付町後田1262
- 例祭日:十一月十八日に近い日曜
- 通称:戸神さあ(トカンサア)
- 旧社格:無格社 [この神社の詳細を見る]
- 神社名:伊勢神社 イセジンジャ 肝属郡肝付町野崎675
- 例祭日:七月二十五日 十二月五日 旧社格:村社 [詳細を見る]
- 稲荷神社 イナリジンジャ
- 肝属郡肝付町富山1511
- 例祭日:十二月十一日 旧社格:無格社 [詳細を見る]
- 神社名:大塚神社 オオツカジンジャ 肝属郡肝付町野崎2238
- 例祭日:旧十一月八日 旧社格:無格社 [詳細を見る]
- 川上神社 カワカミジンジャ
- 肝属郡肝付町後田6339-ロ
- 例祭日:三月九日 十二月九日 旧社格:村社 [詳細を見る]
- 熊野神社 クマノジンジャ 肝属群肝付町前田55-1
- 例祭日:旧十一月第一日曜 旧社格:無格社 [詳細を見る]
- 熊野神社 クマノジンジャ
- 肝属郡肝付町北方1820
- 例祭日:二月十五日 旧社格:村社 [詳細を見る]
- 高山護国神社 コウヤマゴコクジンジャ
- 肝属郡肝付町新富4593-1
- 例祭日:三月吉日 旧社格:村社 [詳細を見る]
- 御社神社 ゴシャジンジャ
- 肝属郡肝付町新富5573
- 例祭日:八月十五日 旧社格:無格社 [この神社の詳細を見る]
- 桜迫神社 サクラザコジンジャ
- 肝属郡肝付町宮下1647
- 例祭日:十月十九日 旧社格:村社 [詳細を見る]
- 四十九所神社 シジュウクショジンジャ
- 肝属郡肝付町新富5580
- 例祭日:十月十八・十九日 旧社格:県社 社宝:唐草八稜鏡(唐代・町資料館に展示)
御祭神
- 豊宇氣毘賣神(トヨウケビメノカミ)
- 天照大御神(アマテラスオオミカミ)
- 瓊々杵尊(ニニギノミコト)
- 大直日神(オオナオビノカミ)
- 天兒屋根命(アメノコヤネノミコト)
- 天太玉命(アメノフトダマノミコト)
- 天鈿女命(アメノウズメノミコト)
- 石凝度賣命(イシコリドメノミコト)
- 玉祠命(タマホコラノミコト)
- 天香語山命(アメノカゴヤマノミコト)
- 天櫛主命(アメノクシヌシノミコト)
- 天道根命(アメノミチネノミコト)
- 天神玉命(アメノカミタマノミコトム)
- 天椹野命(アメノクヌノミコト)
- 天糖戸命(アマノヌカドノミコト)
- 天明玉命(アマノアカルタマノミコト)
- 天村雲命(アメノムラクモノミコト)
- 天背男命(アメノセオノミコト)
- 天御陰命(アメノミカゲノミコト)
- 天造日女命(アメノミヤツコヒメノミコト)
- 天世手命(アメノヨテノミコト)
- 天背手女命(アメノサデメノミコト)
- 天玉節彦命(アメノタマクシヒコノミコト)
- 天津湯彦命(アメノユツヒコノミコト)
- 天神魂命(アマノカンタマノミコト)
- 天三降魂命(アメミクダリタマノミコト)
- 天日神命(アメノヒミタマノミコト)
- 天乳日命(アメノチヒノミコト)
- 天八坂彦命(アメノヤサカヒコノミコト)
- 天活玉命(アメノイクタマノミコト)
- 天小彦根命(アメノコヒコネノミコト)
- 天事湯彦命(アメノコトユヒコノミコト)
- 天表春命(アメノウワハルノミコト)
- 天下春命(アメノシタハルノミコト)
- 天月神命(アメノツキガミノミコト)
- 天井佐布留視命(アメノイサフルタマノミコト)
- 天伊波志尓保命(アメノイハシニホノミコト)
- 天麻根根命(アマツラネネノミコト)
- 鹿島大神(カシノオオカミ)
- 國常立尊(クニノトコタチノミコト)
- 國狭槌尊(クニノサズチノミコト)
- 豊斟淳尊(トヨクムヌノミコト)
- 埿者尊(ウヒヂニノミコト)
- 沙土煮尊(スヒヂノニノミコト)
- 大戸道尊(オオトジノミコト)
- 大戸邊尊(オオトマベノミコト)
- 面足尊(オモタルノミコト)
- 伊佐邪那岐伊佐邪那美尊(イザナギイザナミノミコト)
- 惶根尊(カシコネノミコト)
神事・芸能
十月第三日曜~流鏑馬(県無形文化財) 約八百五十年前に始まるといわれ、例祭に行われていたが、現在は町・商工会主催の中心行事として実施されている。
薄化粧をし、綾藺笠を被り、紫の袴、直垂をまとった射手が、鹿皮のムカバキをつけた馬に乗り、参道の宮之馬場の三つの的に、計九本の矢を放ち、的中の本数で五穀豊穣、悪疫退散を占う。射手と馬は、二日前、柏原海岸で塩掛けを行い身を清める。
由緒
天神七代地神五代五部之神三十二神、豊宇氣毘賣大神、天照大神たちを合わせて四十九柱を祀る。円融天皇の御宇永観二年七月十六日、肝付氏の祖大伴大監兼行が下向の折り、伊勢の両宮を勧請して創建したと伝える。
弘安六年肝付兼石の神文に「四十九所大明神の鎮守」とあり、肝付氏の守護神としてその隆盛とともに栄えた。以来、大隅一円の宗社として崇敬されている。慶応四年高山神社に、明治四年豊受神社に改称され、昭和八年四十九所神社に再び改められた。同三年十一月九日県社に列せられた。
アクセスマップ
- 菅原神社 スガワラジンジャ
- 肝属郡肝付町前田1302
- 例祭日:七月二十五日 旧社格:無格社 [詳細を見る]
- 住吉神社 スミヨシジンジャ
- 肝属郡肝付町波見3033
- 例祭日:七月六日 十一月十七日 旧社格:村社 [詳細を見る]
- 高屋神社 タカヤジンジャ
- 肝属郡肝付町北方1500
- 例祭日:十月九日 旧社格:郷社 摂末社:2 [詳細を見る]
- 竹田神社 タケダジンジャ
- 肝属郡肝付町前田3632
- 例祭日:十月二十五日 旧社格:村社 [詳細を見る]
- 戸柱神社 トバシラジンジャ
- 肝属郡肝付町波見1580
- 例祭日:七月三十一日 旧社格:無格社 [詳細を見る]
- 西宮神社 ニシノミヤジンジャ
- 肝属郡肝付町前田3608-1
- 例祭日:十月二十一日 旧社格:村社 [この神社の詳細を見る]
- 八幡神社 ハチマンジンジャ
- 肝属郡肝付町新富5535
- 例祭日:十月二十五日 旧社格:村社 [この神社の詳細を見る]
- 平田神社 ヒラタジンジャ
- 肝属郡肝付町岸良650
- 例祭日:八月十五日 旧社格:村社 [この神社の詳細を見る]
- 南方神社 ミナミカタジンジャ
- 肝属郡肝付町前田702-1
- 例祭日:七月二十八日 旧社格:無格社 [この神社の詳細を見る]
- 八坂神社 ヤサカジンジャ
- 肝属郡肝付町新富306-7
- 例祭日:旧七月二十九日 旧社格:無格社
- 八坂神社
- ヤサカジンジャ
- 肝属郡肝付町新富2799
- 例祭日:六月十五日 旧社格:無格社
- 八坂神社 ヤサカジンジャ
- 肝属郡肝付町南方87
- 例祭日:七月十五日 旧社格:村社
鹿屋市吾平町にある吾平山上陵
参道入口から全国でも珍しい岩屋の陵までの動画です
初代天皇神武天皇の御父君、御母君の御陵ともいわれています
参道入口から全国でも珍しい岩屋の陵までの動画です
初代天皇神武天皇の御父君、御母君の御陵ともいわれています
世界とつながっていた肝属川
15世紀頃の海外貿易の主なルート
昭和39年、中流の鹿屋市田崎地区で、2万5千枚もの古銭が発見されました。そのほとんどが中国のお金で、肝属川を利用して海運業を営んでいた商人達が、海外の国と商いをしていた事がうかがえます。彼らが東シナ海や朝鮮半島周辺の海を舞台に活発な活動を繰り広げた13世紀から16世紀にかけての約300年間、肝属川河口の港は、海外に開かれた港として賑わいました。
明や琉球など特産物が、河口の港へ
出土した古銭
貿易の相手となった明(今の中国)や琉球(今の沖縄)、呂栄(今のフィリピン)などから陶器、織物、銅銭などが輸入されました。いずれも貴重品扱いで、多くの品物が波見や柏原の港にいったん集められた後、大阪や京都へと持ち込まれて行ったのです。
波見や柏原は、貿易港として発展。
江戸時代になり、外国との貿易は禁止されます。しかし、波見や柏原の港から活気が無くなることはありませんでした。多くの借金に苦しむ薩摩藩は、幕府に黙って中国大陸や琉球との貿易を地元の商人達に奨励し、莫大な利益を手に入れようとします。一方、御用商人として藩の保護を受けるようになった商人達は、国内での交易にも力を入れ、河口は、鹿児島最大の貿易港として多くの産物が集まることになります。
全国に名を知られた河口の大商人
重氏一族の墓
「有明湾の汐は干っても、カネタの金は減らぬ」- 地元の柏原、唐仁の人達にこう噂されるほどの大金持ちとして有名だったのは柏原港で海運業を営んでいた田辺氏。また、波見の港には江戸時代後期「全国長者番付」の江戸、大阪、京都を除く地方の部で2番目にランクされた重氏がおり、河口の港町は、九州を代表する商人達の活動の場となっていました。
※カネタとは田辺家の屋号のこと。