歴史のあけぼの
川は地域と地域を結び、色々な文化を運びます。南九州を代表する大きな川の一つ・肝属川でも2000年以上も前から、人々は色々な地域と交流していました。
弥生時代、上流では、鉄器をつくる技術が北部九州から入り、下流の水田地帯では、古墳時代になると「クニ」がいくつも生まれ、多くの人が米作りを通してより豊かな暮らしを始めます。当時の肝属川流域は、南九州で最も開けた地域の一つでした。
弥生時代から大きな集落が。
発掘中の王子遺跡
王子遺跡
鹿屋市にある遺跡の一つに「王子遺跡」があります。今から約2000年前頃の弥生時代の人達が生活した集落跡で、中には、住居跡が41基もあり、その広さは南九州でも有数です。出土品には北部九州など幅広い地域との交流を表すようなものもあり、積極的に各地の進んだ文化を取り入れていたことが分かります。
倉庫には、最新の建築方法を使っていた
一番手前で屋根を支えている柱が
「棟持柱(むねもちばしら)」
「棟持柱(むねもちばしら)」
進んだ文化があったことを示すのが、高床式倉庫の建て方です。「神明造り」と呼ばれるもので、家の造り方としては、当時の日本では、最も進んだものでした。
「神明造り」って何?
屋根のいちばん高い所(棟=むね)にある柱の両端を支える「棟持柱(むねもちばしら)」があるのが、大きな特徴です。
文化の高さを示す出土品
鉄宰(てっさい)
鉄宰(てっさい)
鉄器を作るときに出る鉄屑の固まりのこと。日本でいち早く鉄器文化を取り入れていた北部九州の国々と交流があったことが分かります。