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[転載]<転載>視点・論点 「古事記編さん1300年を迎えて」

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立正大学教授 三浦佑之
 
 今年は『古事記』が編纂されて1300年にあたるというので、新聞や雑誌はさまざまな特集を組み、書店には『古事記』に関する本がたくさん並んでいます。
7月21日からは、「神話博しまね」というイベントが出雲市を中心に開催されますし、『古事記』にゆかりのある宮崎県、奈良県などでも、さまざまな催しがあるようです。
 また、来年のことになりますが、5月には60年に一度の出雲大社の遷宮があり、秋には、伊勢神宮で20年に一度の式年遷宮がとり行われます。『古事記』への関心は、しばらく続くのではないかと思われます。


 さて、編纂1300年を向かえた『古事記』ですが、天武天皇の時代になって企画されたと「序文」には書かれています。
壬申の乱を経て皇位に就いた天武天皇は、国家の根幹として、自分が正しいと考えた神話や歴史を、稗田阿礼という側近に覚えさせました。
しかし書物にならないままに時代は移り、30年ほど経った711年9月のこと、稗田阿礼が暗唱する、天武天皇が直々に教えた正しい伝えを書物にしなさいと、元明天皇がお命じになった。それで、わたくし太朝臣安万侶は、たいそう苦労してようやく完成させました、と『古事記』序文には書かれています。和銅5年、712年正月28日のことです。

 ただし、この序文については江戸時代以来さまざまな議論があり、序文はあやしいとか、『古事記』そのものが後世の書物ではないかといった意見もありました。
現在では、序文に書かれている通りに理解していいのではないかという意見が有力ですが、712 年に撰録されたとみなす唯一の根拠、『古事記』序文を、そのまま信じていいかどうか、私は疑問に思っています。
 序文は9世紀初めに、『古事記』という書物を権威付けるために加えられたのではないかと考えるからです。しかし、3巻から成る『古事記』の本文はたいそう古く、712年より前に書かれたと私は考えます。

 こうした成立に関する議論はやっかいなので深入りしませんが、いずれにしても、『古事記』が現存最古の、神話と歴史を記した書物であることは間違いありません。
 成立にもかかわりますが、もう一点『古事記』に関して確認しておきたいことがあります。戦前における『古事記』の扱いです。

 明治政府は、近代国家を作るにあたって、国家の精神的な支柱として、天皇制を採用しました。そして、天皇の権威をゆるぎなくするために、『古事記』と『日本書紀』とを用いて、国家の始まりから連綿と続く、日本の歴史を構想しました。

 720 年に成立した『日本書紀』という歴史書は、律令国家が総力を挙げて編纂し、日本で最初に編まれた「正史」ですから、徳川幕府を倒して新たに成立した明治政府が、近代国家を持ち上げるために利用するのは当然です。ただ、『日本書紀』は堅苦しい漢文で書かれているので、読んでもあまり面白くありませんから、それだけでは天皇の歴史を国民に浸透させるのは困難でした。
 それに対して『古事記』は、漢字ばかりで書かれてはいますが、純粋な漢文ではなく、倭文(古代のヤマトのことば)で書こうとする意識が強く、同じ神話や歴史をとり上げても『日本書紀』とは比べものにならないほど面白い内容になっています。
 そこで、正史『日本書紀』と『古事記』とを都合よく交ぜあわせて、読みやすい神話や天皇の物語を作りました。そして、その作り替えられた話が、国定教科書などを通して人びとに親しまれてゆきます。
 しかも具合がいいことに、『古事記』の「記」と『日本書紀』の「紀」とを組み合わせて、語呂のいい「記紀」という呼び方が生まれ、作り替えられた神話は「記紀神話」と呼ばれて人びとに受け入れられます。その結果、『古事記』でも『日本書紀』でもない、近代になって生まれた神話や歴史が、近代国家を支えてゆくことになったのです。

 これは、『古事記』にとってはとても不幸なことだったと私は考えています。どうしてかと言うと、『古事記』に語られている神話や歴史は、国家や天皇を、すなおに称賛しているわけではないからです。

 3巻からなる『古事記』のうち、上巻には、イザナキ・イザナミの国生み神話から、カムヤマトイハレビコ初代神武天皇の誕生に至る、神々の物語が伝えられています。そのうちの30パーセントは、出雲地方を本拠として、地上を領有するオホクニヌシの成長物語を中心に、出雲の神々の活躍が語られます。
 そのあとに、高天の原の神々が、オホクニヌシに対して、地上の譲渡を迫るのですが、その「国譲り神話」を加えると、『古事記』上巻の40数パーセントが出雲の神々の物語になっているのです。

 出雲神話には、稲羽の素兎とか、少年オホナムヂと兄たちとの争いとか、スサノヲが支配する根の堅州の国に行ったオホナムヂが試練を経て成長し、地上に戻ると兄たちをやっつけて地上の王者オホクニヌシになったとか、高志の国のヌナカハヒメのもとに求婚に出かけたとか、『古事記』神話のなかでもとびきり面白い話が、いろいろ語られます。ところが、その面白くて大事な部分が『日本書紀』にはまったく出てきません。
 『日本書紀』を読むと、地上は魑魅魍魎が跋扈するような未開の地としてあり、そこにアマテラスの子孫が開拓者として降りてきて住むことになったというように、争いのない国譲りが語られます。
一方『古事記』では、高天の原の神々が降りてくる前に、地上にはすばらしい世界があり、その世界を出雲の神々から奪い取るかたちで、地上は、アマテラスの子孫が治める国になったと語ります。

 『古事記』の神話を読むと、敗れ去った出雲の神々に深く共感するかたちで語られています。しかも、そうした性格は、天皇の歴史を語る中巻や下巻でも同じです。どちらかというと『古事記』の物語は、天皇に対立したり、天皇に戦いを挑んで敗れた者たちの側に立って語られているように読めます。
 よく知られたヤマトタケルは父である天皇に追われて地方を経めぐり、最期は異郷で死んで白い鳥になって飛び翔ります。
 下巻には、負け戦だとわかっていながらオホハツセ、雄略天皇と戦って潔く滅び去る、5世紀の大豪族・葛城氏の物語が哀調を帯びて語られます。

 それら『古事記』のお話を読んでいると、この作品は、国家とは離れたところに存在していたのではないかと思えるのです。そしてそこに、現代の我々も共感できる『古事記』の魅力があると、私は思っています。

 この機会にぜひ、『古事記』を読み、ゆかりの地を尋ね、さまざまなイベントに参加なさってはいかがでしょうか。

転載元: 親魄(にきたま)に逢う蔵書


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