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[転載]『古事記』成立1300周年

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●『古事記』成立1300年関連サイト


神々の国シマねスペシャルサイト
http://www.shimane-shinwa.jp/

『古事記』成立1300年
《本居宣長記念館の取り組み》
http://www.norinagakinenkan.com/kojiki1300.html

記紀・万葉プロジェクトを10年間継続  古事記編纂1300年
http://naraniyosi.narasaku.jp/e30379.html

古事記成立1300年を考える 講師: 佛教大学歴史学部教授 斎藤 英喜
http://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_479052.html

古事記1300年ロマンの道  宮崎
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyazaki/news/20120101-OYT8T00013.htm
(ご注意;オンライン新聞記事なのでいずれこの記事は消えます。記事保存しておく?)

古事記編纂1300年記念『神話博しまね』JAPAN MYTH EXPO in SHIMANE 
2012年7月21日~11月11日 開催決定のご案内
http://www.atpress.ne.jp/view/21738/
(編纂・・・。成立でいいのでは?)

●『古事記』ふることのふみ
「古事記は、和銅五年(712)正月二十八日に、元明天皇に献上された、とその序に記されています。
序によれば、天武天皇が「諸氏族が持っている帝紀および本辞は、もはや真実と違っていて虚偽を加えている」と聞き、その誤りを改めなかったら数年のうちに本旨がなくなるだろうから、虚偽を正して後世に伝えよう、と企画したのが始まりです。舎人である稗田阿礼に誦み習わせたものの天武天皇の崩御で中断。その後元明天皇が太安万侶に命じて続行した、ということです。」
http://www.asukanet.gr.jp/cha-san/kojiki.htm

●成立過程
「成立の経緯を記している序によれば、天武天皇の命で稗田阿礼が「誦習」していた『帝皇日継』(天皇の系譜)と『先代旧辞』(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編纂したもの。一般的に「誦習」は「暗誦」することと考えられているが、荻原浅男(小学館日本古典文学全集)は、「古記録を見ながら古語で節をつけ、繰り返し朗読する意に解すべきであろう」という。
『古事記』の書名は、もともと、固有名詞ではなく、古い書物を示す一般名であり、正式名ではないといわれている。書名は安万侶が付けたのか、後人が付けたのかは明らかでない。読みは「フルコトブミ」との説もあったが、今日では一般に音読みで「コジキ」と呼ばれている。
『日本書紀』のような勅撰の正史ではないが、序文に天武天皇が

撰録帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉
帝紀を撰録し、旧辞を討覈して、偽りを削り実を定めて、後葉に流(つた)へむと欲(おも)ふ

と詔していることから、勅撰と考えることも出来る。ただし、国家が編纂した歴史書であることは間違いがない。天皇と祭神を結びつける事により、天皇の権力の正統性を確立することを目的としていたと見ることも出来る。史料の上では成立過程や皇室の関与に不明点や矛盾点が多いとする見解もあり、後述する古事記偽書説の論拠となっている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98

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『古事記』は『日本書紀』とは違い暗誦し詠唱するための一種の謡曲だと思ってよい。つまり叙事詩(オデッセイ)である。ということは飛鳥・奈良時代の官僚・貴族にはなじみの深い「文学」「詩篇」「歌謡」だったことになるだろう。『日本書紀』が漢文体で読む人を選ぶ正式な勅撰史書であるのに対し、『古事記』のほうはより広い階層に膾炙されていたと考えていいのではなかろうか?

逆に考えれば『日本書紀』の内容を、多くの一般日本人は知る機会が『古事記』よりも圧倒的に少なかった、ということになる。

『日本書紀』の神代についての記録の多くは『古事記』を大元にし、そこに新たな氏族からの始祖伝説の要望を組み込んであると言える。『古事記』の基本姿勢は多氏の誰かがあとから書き加えたであろう「序文」にあるように、天武天皇の事跡を顕彰することに費やされている。ここも『日本書紀』とは若干のスタンスの違いが存在する。

当初存在した稗田阿礼の誦習の記録を編集していたものがあって、それを後から太安万侶が編纂し直している。そこに何らかの多氏、安麻呂の意思がなかったか。あるいは彼の編纂を監督できた立場の政治家・官僚集団からの影響はなかったか。はたまた各氏族からの強い要望もあったはずである。それは『日本書紀』よりは意図性は薄かったではあろう。

なにはともあれ成立から1300年。
この機会に8世紀の日本政治家たちの歴史観を再確認するためにも再読されるのがいいだろう。
史書ではなく、当時の民俗を知るためにもお勧めする。

そこにあるのは民俗・民族が伝えてきた世界の神話を、二本の政治家たちがどう取り込んで体裁を整えようとしたかの苦労が見つかる。『日本書紀』が対外的史書の体裁を整え、それがあきらかに東アジアの他国を意識したものであったのに対して、『古事記』がまず国内の民衆に自らの正当性をそれとなく教授するための、覚えやすさがそこにはある。これ以降、昭和まで、日本人の多くは神話をいつのまにか身につける国民だったのだろう。それはある意味「教化」でもあるが、民衆もそれをイデオロギーとしては捉えず、おのれらの祭事や信仰に自由に変形させながら利用していった。そういう民衆のしたたかさが今、神楽や民話や民謡や盆踊り、追儺行に取り込まれている。それは『日本書紀』の理論的な政治主導のノウハウではなく、もっと民衆に近い、楽しい文学であったのだ。

言うならば文楽の浄瑠璃のようなものである。
全国の祭りの根幹に『古事記』があり、神社の管理ノウハウには『日本書紀』があるとも言い換えられようか?


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転載元: 民族学伝承ひろいあげ辞典


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