Quantcast
Channel: 持続可能な開発(水・土・廃棄物)
Viewing all 2268 articles
Browse latest View live

[転載]坊津(ぼうのつ)は、鹿児島県南さつま市坊津町坊の日本の古代に栄えた港町

$
0
0

坊津

坊津(ぼうのつ)は、薩摩国川辺郡坊津(現在の鹿児島県南さつま市坊津町坊)の地名であり、日本の古代に栄えた港名。
大陸との貿易で栄えた坊津の今 近衛信輔による坊津八景網代夕照の双剣石が見える。
 
 
 イメージ 1
 
概要
 古代から薩摩藩政の中盤頃(享保年間)の長期に渡って、海上交通上の要地であった。遣唐使船の寄港地としての他、倭寇遣明船薩摩藩の密貿易の拠点として栄えた。
 中国代の文書『武備志』では主要港として、安濃津博多津と共に日本三津(さんしん)に挙げられている。
 
 
 

歴史

 日本での仏教黎明期の538年百済に仕えていた日本人の日羅が、龍厳寺(後の一乗院)を建てる。その後も坊舎や坊主といった仏教と密接な地であったため、「坊津」と呼ばれるようになったと考えられている。
 
 
 飛鳥時代から、遣唐使船の寄港地となり、「唐(から)の港」、「入唐道(にっとうどう)」とも呼ばれるようになった。
奈良時代天平勝宝5年(753年)12月20日鑑真が渡日6回目にして、近縁の秋妻屋浦(現在の秋目地区)に上陸している。
 
 
 
 
 平安時代末期には近衛家荘園となる。
 
 
 中世には島津氏の統治下にあり、中国()・琉球との貿易により栄え、倭寇遣明船の寄港地でもあった。『武備志』には安濃津(現在の三重県津市)、博多津(現在の福岡市の一部)と並ぶ主要港として記されている。安濃津・博多津・坊津を「日本三津」(津とは港の意味)という。平安時代末期には近衞家荘園となる。
 
 室町時代倭寇遣明船の寄港地となり、大陸をはじめ、琉球や南方諸国とも貿易が活発化した。この頃、先の一乗院も大いに栄えるようになる。また、島津氏の中国()・琉球貿易の根拠地ともなっていた。文禄3年(1594年)には、後陽成天皇の勘気に触れた公家近衛信輔が配流され、同地で3年程過ごしている。
 
江戸時代になると主要貿易港としての地位は長崎へ移り衰退するが、薩摩藩歴代藩主や調所広郷などに重用され密貿易の地として、鹿児島城下の直轄地としてその地位は保っていた。しかし、密貿易は享保年間に突如徹底的に取り締められ、貿易港としての機能にピリオドが打たれた(享保の唐物崩れ)。
 
 江戸時代長崎が主要貿易港となった後も、歴代藩主や調所廣郷などに重用され薩摩藩の密貿易(清や琉球との中継貿易)の地として引き続き栄えたが、江戸幕府による密貿易の取締りにより衰退したといわれる。
 その後明治から昭和にかけては、鰹漁業や鰹製造の一大集積地として隆盛を誇った。特に昭和初年に隣りの枕崎市に近代的な築港が完成するまではこちらが大きな力があり、その当時は今では考えられない程の多くの人が行きかっていた。
 
 この事件の背景には江戸幕府の命令があったとも、御用商人に密貿易を独占させようとした薩摩藩の政策転換があったとも言われる。その後はカツオ漁業・カツオブシ産業の地として栄える。また、幕末から明治にかけて行われた廃仏毀釈政策により一乗院は廃寺とされ、さらに昭和に隣の枕崎市に近代的な築港が完成すると、より一層衰退することとなった。
 
 一方景勝地として知られるようになる。近衛信輔は文禄3年(1594年)に配流されるが、「坊津八景」を和歌に詠んでいる。また歌川広重は『六十余州名所図会』のうち「薩摩、坊ノ浦、双剣石」に描いている。
 
  
 坊津は単に港町という側面だけではなく、時の文化や権力やそれに係わる最先端の人たちが行き交う場でもあった。
 鹿児島城下の直轄地であった坊津には。歴代の薩摩藩主が交代する度に当地へ御出座しがあり、島津家と縁戚関係の近衞家17代近衞信尹が一時期、京から追放された際の流刑の地にされたりもした。
 また映画や小説の舞台にもなった。歴史や風光明媚な土地柄に惹かれて、明治以後は谷崎潤一郎をはじめ時代の名立たる文豪の多くが好んで訪問し、梅崎春生の小説『桜島』などでは、作中の舞台の一つとなった。
 
 
 
 

名所・旧跡

鑑真和上像
 
 鑑真(がんじん、鑒真鉴真Jiàn zhēn 688年持統天皇2年) - 763年6月25日天平宝字7年5 752年、必ず渡日を果たす決意をした鑑真のもとに訪れた遣唐使藤原清河らに渡日を約束した。しかし、当時の玄宗皇帝が鑑真の才能を惜しんで渡日を許さなかった。
 そのために753年に遣唐使が帰日する際、遣唐大使の藤原清河は鑑真の同乗を拒否した。それを聞いた副使の大伴古麻呂は密かに鑑真を乗船させた。
 11月17日に遣唐使船が出航、ほどなくして暴風が襲い、清河の大使船は南方まで漂流したが、古麻呂の副使船は持ちこたえ、12月20日に薩摩坊津の秋目に無事到着し、実に10年の歳月を経て仏舎利を携えた鑑真は宿願の渡日を果たすことができた。
 
 
  • 坊津歴史資料センター輝津館

お問い合わせ先開館時間休館日観覧料
坊津歴史資料センター輝津館
〒898-0101南さつま市坊津町坊9424番地1
TEL.0993-67-0171
午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
館内燻蒸日、館内整理日
大人(高校生以上)300円、小人(小・中学生)100円、幼児無料
※団体(20人以上):大人210円、小人70円
坊津歴史資料センター輝津館坊津歴史資料センター輝津館坊津歴史資料センター輝津館
坊津歴史資料センター輝津館坊津歴史資料センター輝津館坊津歴史資料センター輝津館
 
  • 一乗院跡(現在は坊津小学校で門前に仁王像のみ残る。)
  • 近衛屋敷跡・近衛公園(近衞文麿に依る碑も建立。お手植えの藤は季節に花を咲かせる。)
  • 寺田旅館(現存する密貿易商人の屋敷)
  • 鳥浜屋敷(現存する密貿易の豪商の屋敷)
寺田旅館から鳥浜屋敷の周辺は、古い石畳が残っている。
 また、南西端に位置する坊ノ岬には、坊ノ岬灯台がある。坊ノ岬の沖合いは、1945年4月7日、第二艦隊旗艦として沖縄水上特攻作戦に赴いた戦艦大和が米軍高速空母機動部隊艦上機群の空襲により撃沈された坊の岬沖海戦の戦場となった海域(大和が撃沈された海域は、この岬の400km沖合いの東シナ海)であることから、坊ノ岬に近い場所には、戦艦大和のレリーフが刻まれた慰霊碑も建っている。

関連項目

脚注

外部リンク

転載元: 災害復興 急げ! 土壌・底質汚染対策ニューディールと社会資本整備


[転載]鹿児島県 吹上町 黒川洞穴の発見は地元の児童が拾ってきた貝殻を吹上町坊野小学校に勤務していた辻正徳氏に持ってきたのがきっかけでした

$
0
0
  • 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
    第35回 洞穴のくらし
  • <  >  >> かごしま考古ガイダンス
  • ■こんな山中の洞穴に貝殻があるとは・・・■
  • 鹿児島県における洞穴遺跡の分布
  • 1952年,吹上町黒川洞穴の発見は地元の児童が拾ってきた貝殻を吹上町坊野小学校に勤務していた辻正徳氏に持ってきたのがきっかけでした。

    日置郡吹上町永吉砂走に所在する黒川洞穴は標高84m,東シナ海にそそぐ永吉川の支流,二俣川の右岸に開口し,吹上浜からは約7kmほど離れた場所にあります。

    辻氏の疑問を機に1952年,64年,65年,67年と計4回,現鹿児島県考古学会会長河口貞徳氏らを中心に発掘調査が行われ,様々な成果が得られました。

    洞穴遺跡とは自然に形成された洞穴や岩陰で人々の生活が営まれ,その証として土器や石器等の道具,墓や火を炊いた痕跡等が残された遺跡のことです。

    内部に自然の灯りはなく,多湿で,足場が悪いことも多いです。しかしそこは古代の人々が風雨を防ぎ生活するには格好の場であったことでしょう。
  • 【図 鹿児島県における洞穴遺跡の分布】
  • 洞穴は日常的な居住,一時的な仮泊,死者の埋葬,食料等の貯蔵,霊場等,様々な利用がなされていたと考えられていますが,当時の人はどのように洞穴を利用していたのでしょうか。ここでは県内の洞穴遺跡のいくつかを紹介し,洞穴における古代の人々の生活を見つめていきたいと思います。
  • ■県内の洞穴遺跡■
  • 黒川洞穴
  • 黒川洞穴は凝灰岩またはシラス層からなる断崖に水食作用によって形成された洞穴です。大小2個の入り口が隣接しており,西側入り口は幅13.3m,高さ6m,奥行きはかなり深いが落盤のため不明,東側入り口は幅11m,高さ4.35m,奥行き8.4mからなり共通の前庭部で続いています。


  • なお,注目すべきことは縄文時代晩期土器(黒川式)の標式遺跡となったことや人骨の埋葬が行われていた土壙,ものを焼いた場所と思われる炉跡,オオカミの骨を含む多量の獣骨,ヘラやカンザシ等の骨角器の出土です。
  • 人骨は25~30才の女性で,副葬品はなく,かたわらには標石が設けてありました。この埋葬で不思議な点は,骨盤が胴部の下に,尾椎骨は頭部の下にそれぞれ移動していたことです。かき乱された形跡がないことから,死後腰部を切り取って,窪みの底部に置き,その後遺体を埋葬したとしか考えられません。いずれにせよ何らかの特別な意図を持って埋葬したのでしょう。

    これについて河口氏は「普通の労働に従事するには骨が細く,墓に標石が建てられ,特異な埋葬が行われていたことから,シャーマン(呪術者)の墓ではないか」と述べています。
    また,出土した獣骨はイノシシ,シカが圧倒的に多いのですが,その中には現在の日本には生息しないオオカミや南九州では見られないカモシカの骨等も見つかっています。

    黒川洞穴以外にも縄文,弥生時代を中心とした洞穴遺跡があります。志布志町にある片野洞穴では洞穴内に溜まった水を排出するための溝や石を敷き詰めて作られた住居跡が検出されました。また,当時の漁労生活をうかがわせるイノシシの骨でつくられた釣り針も見つかっています。

    末吉町中岳洞穴では,火を炊いたと思われる炉跡や集石が検出され,洞穴内で調理をしたり,暖をとっていたと思われます。
    沖永良部島の知名町中甫洞穴では縄文時代前期該当の墓が発見されました。この墓には遺体の上下を囲うように珊瑚礁礫が置かれ,埋められた土の上にも同様の礫が配置されていました。
  • 黒川洞穴出土の自然遺物
    ホニュウ類イノシシ,シカ,カモシカ,ツキノワグマ,オオカミ,イヌ, タヌキ,アナグマ,テン,イタチ,ノウサギ,ムササビ,モグラ
    鳥類キジ,ガン,カモ,ハト,ワシタカ目
    ハチュウ類カメ類,ヒキガエエル
    魚類サメ,マダイ,クロダイ,フナ
    貝類ハマグリ,アコヤガイ,マルサルボウ,オキアサリ,コベソマイマイ,マツカサガイ,コタマガイ,タカチホマイマイ,イタヤガイ,ツメタガイ,マクラガイ,イシマキ,オキシジミ,カガミガイ,ヘナタリ,カワニナ
    その他モクズガニ
  • ■洞穴調査の苦労■
  • 洞穴内は降雨や火山灰の堆積を逃れ,鍾乳洞のような石灰分で守られることも多いため一般的に人骨や骨角器の残存状態は良好で,考古学的に貴重な資料が多く残されています。

    しかし,発掘調査者にとって洞穴遺跡の調査は野外調査とは異なる苦労も多いのです。例えば灯りの問題があります。入り口付近にしか太陽光は届かないので人工の灯りが必要となります。狭く,足場が悪い洞穴も多いです。

    また,片野洞穴内部には発掘当時,コウモリが多く生息しており地面に落ちた糞のにおいに調査者は悩まれたそうです。他には地下水が湧き出るため排水処理が必要になったり,湧き水が多く,無念にも掘り下げをあきらめざるを得ないこともあります。

    落盤の危険もあるでしょう。富山県大境洞穴(縄文・弥生時代)の人骨には埋葬ではなく落盤により圧死したと考えられる人骨の出土例もあります。洞穴内部で火を炊けば空気が乾燥し,岩の亀裂を助長します。当時の人は落盤の可能性を知っていたのでしょうか。
  • ■洞穴は家?墓?それとも・・・?■
  • 洞穴や岩陰が当時の人々に利用されていたことは明らかですが,ではいったいどのように利用されていたのでしょうか。多くの土器や石器,食料の残骸の出土や火を炊いた痕跡等から考えるとそこが日常的な居住の場であった可能性が高いと思われます。そして居住者が死ねば洞穴内に埋葬していました。

    一般的に洞穴に住む人々は日常的な居住の場を光が差す入り口付近に求め,墓や食料の貯蔵穴は奥に設けています。ただし,当時の人口数と洞穴の数から考えて,ほとんどの住居は竪穴住居等という形で野外に建てられ,洞穴はある一部の人しか利用できなかったはずです。そこに住む人はある特殊な生業活動を行っていたか,社会的に特別な地位におかれていたのでしょうか。

    弥生時代の千葉県安房神社洞穴,群馬県岩櫃山洞穴遺跡や神奈川県三浦半島における古墳時代の諸洞穴遺跡では,人々が近づき難い崖に位置していたり,多量の人骨が出土することなどから,居住地ではなく墓地として利用された可能性があります。また,フィリピンやインドネシアのスラウェシ島では近年まで絶壁の天然洞穴を墓とする風習がありました。

    時代や地域,環境,気候等の差がこれら洞穴の利用形態の違いを生みだしていると考えられますが,読者のみなさんはどのようにお考えになるでしょうか?

転載元: 災害復興 急げ! 土壌・底質汚染対策ニューディールと社会資本整備

[転載]大震災1年 ATC放射性物質汚染対処シンポジウムは動画配信中です

$
0
0
大震災1年 ATC 放射性物質汚染対処シンポジウムイメージ 6が動画配信されています。
動画1イメージ 38
 前半:ATCグリーンエコプラザ 水・土壌汚染研究部会 当シンポジウム寺川隆彦実行委員長挨拶他
 後半:環境省 3R 林里香 課長
  共に、がれき処理を広域で受け入れを!
 
動画2
 前半:環境省 3R 林里香 課長
 中程:放射能除染の現状と課題  大阪大学 藤原守先生
 後半:原発電所事故による大阪府への影響 大阪府立公衆衛生研究所  足立 伸一 課長
 
動画3
 前半:放射性物質による健康リスク  大阪大学 児玉靖司先生
 後半:放射能汚染された原木等の染技術  ネオナイト社長
 
 
動画4
 パネルディスカッション
 宮田秀明先生や畑明郎先生が違った視点で発言
 
 震災復興支援 ささえよう日本
「ATC放射性物質汚染対処シンポジウム」 
~震災1年 地域再生にむけた除染の課題と展望・私達にできること~
<日時>
平成24年3月11日(日)  
 
<主催>イメージ 10
 
 
<後援>
おおさかATCグリーンエコプラザ実行委員会
 (大阪市・日本経済新聞社・ATCビル)
近畿環境パートナーシップオフィス
 
<定員>
150名
 
<プログラム>
 
開会挨拶  おおさかATCグリーンエコプラザ水・土壌汚染研究部会 寺川 隆彦
          
 西日本の私達が、被災地のがれきを正しく理解し、適切に管理して受入れること(広域処理)が、震災復興を支援し、日本をささえるために、まずできることだ!
 
 
 
Ⅰ部:講演会  
◎講演:放射性物質汚染対処特別措置法について(廃棄物関連中心)
 講師:環境省近畿地方事務所 廃棄物・リサイクル策課 課長 林 里香 氏
 
 
 
 
イメージ 14
 
 
イメージ 24
 

 ◎講演:放射能除染の現状と課題
   講 師:大阪大学核物理研究センター 核物理実験研究部門 准教授 藤原守氏
         (福島第一原子力発電所周辺 放射線量等分布マップ作成プロジェクト責任者)
 
イメージ 15
 
 
 
 
イメージ 25
 
 
 
イメージ 26
 
 
◎講演:福島原子力第一発電所事故による大阪府への影響
  講師:大阪府立公衆衛生研究所 衛生化学部 生活環境課 課長 足立 伸一 氏
 
 
イメージ 16
 
 
イメージ 27
 
 
 
 
 
イメージ 28
 
    シイタケは原発事故の前から高い!
 
 
14時46分 黙とう
 
 
 
◎講演:放射性物質による健康リスク
    講師:大阪府立大学大学院理学系研究科生物科学専攻放射線生物学研究室
       兼放射線研究センター教授 児玉靖司 氏
                   (大阪府災害廃棄物の処理指針に係る検討会議委員)

  
イメージ 17
  
 
イメージ 29
 
イメージ 30
 
 
 
イメージ 31
 
 
 
 
 
イメージ 37
 
 
 
 
イメージ 32
 
 
 
 
 
イメージ 35
しかし
 
 
イメージ 36
 
 
 
 
 
イメージ 33
 
 
◎講演:放射性物質の除染技術と現地状況の紹介 15:15~
    事例:放射能汚染された木質バイオマス(ガレキ・原木等)有効利用の
               ための除染技術
   講師:(株)ネオナイト 
 
イメージ 18
         
            
 
 
 
 
イメージ 11
 
 
   事例:放射能汚染度合の評価技術について
   講師:ソイルアンドロックエンジニアリング   技師長 吉村 貢 氏
 
 
イメージ 19
 
 
 
 
Ⅱ部パネルディスカッション 
「放射能除染による地域再生への展望とリスクコミュニケーション」
 
イメージ 20
 
<コーディネーター>
  おおさかATCグリーンエコプラザ水・土壌汚染研究部会 副会長 姜 永根 氏
 
<パネラー>
 足立 伸一 氏
 放射能除染学会 理事 摂南大学学長付 客員教授 宮田秀明 氏
 
 
 
イメージ 21
 
 
動画配信中
イメージ 62
 
 
 
Ⅲ部 義援金贈呈
 平成23年8月の放射能土壌汚染セミナーで集めた義援金と、今回シンポジウムで集まった義捐金とを合算して、福島県に寄付させていただきました。
 
 福島県災害対策本部あて義援金については、
 福島県大阪事務所はゆうちょ銀行の払込取扱票を使って送金しています。
 窓口で手続きすることにより手数料はかかりません。

 口座番号  00160-3-533
 加入者氏名 福島県災害対策本部

 銀行からの送金も可能ですが、場合によっては手数料がかかるので注意が必要です。 
 
福島県の義援金に関するホームページアドレスです。
http://wwwcms.pref.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=23642
 
 
 総合司会 おおさかATCグリーンエコプラザ水・土壌汚染研究会 副会長 鈴木聡彦氏)
 
閉会挨拶 17:15
 
 
 
 
 
 
会場で放射能・放射性廃棄物・エネルギー等に関するパンフレットを無料配布させていただきました。 
 
 
<参加費>
 無料
 
 
<会場>
 
イメージ 7
 
Ⅳ部 交流会
 ATCビル6階ピア  会費2000円
 
 
イメージ 8
 
 
 
<申し込み・問い合わせ先>
おおさかATCグリーンエコプラザ水・土壌汚染研究部会
 事務局長 新名康幸
    TEL 06-6615-5887 FAX 06-6614-1801 
 
 
担当 寺川隆彦    atcmdk@yahoo.co.jp
   携帯 090-1588-2051(平日の8:30~12:00及び13:00~17:15は対応できません)
 
 
 
<児玉靖司 教授プロフィール>
1957年生まれ。京都大学大学院医学研究科修了。
2004年、大阪府立大学先端科学研究所教授。
2011年、改組により大学院理学系研究科生物科学専攻教授、放射線研究センター教授。
 著書に『みんなのくらしと放射線』、『低線量放射線と健康影響』、『エックス線取扱の基礎・演習』、訳書に『アメリカの政治と科学』など。
 
 <広報協力>
 大阪科学技術センター
 大阪市環境学習センター(生き生き地球館)
 近畿環境パートナーシップオフィス(きんき環境館)
 大阪府公衆衛生研究所  
 大阪府環境農林水産総合研究所
 (株)ハートウェイ
  建設副産物リサイクル広報推進会議            
     B roxy(老舗ライブハウス Loft6)震災チャリティライブ好評開催中
  大阪・水土壌汚染研究会
 
 
イメージ 22
 
 
イメージ 43
イメージ 39
 
 
イメージ 46
 
 イメージ 54
 
イメージ 47
 
 
イメージ 40
 
イメージ 41
 
 
 
イメージ 44
 
 
 
 
 
 
イメージ 50
 
イメージ 49
 
 
イメージ 52
 
 
 
 
 
昭和天皇は昭和六年及び昭和二十四年にチッソ水俣工場を訪れました。
 
昭和初期や終戦直後である当時の日本国の様子を考えますと、
チッソは日本国発展の大きな期待の星でした。
 
福島の放射能汚染や
水俣に今なお残るカーバーイトや水銀による汚染も
どちらも国の責任で対処しなければならないと思います。
 
 
イメージ 51
 
イメージ 55
 
熊本日日新聞
 
イメージ 53
 
 
イメージ 42
 
 
イメージ 57
 
 
 イメージ 48
 
 
 
 
●超おススメ コナンの『悲しみを乗り越えて』
 
イメージ 58
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 5
 googleより借用
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 9
 
 
 
 
<参考資料>
 
●コナンの『悲しみを乗り越えて』
 
 
 
●大阪湾には放射性物質が昔からあります

大阪・兵庫の海における魚介類の核種別放射能測定調査

大阪湾における底質(海底土)の核種別放射能測定調査
  http://beauty.geocities.jp/osakawsp/osakawan_teisitu_housyanou.xls
 
 
 
 
 
 
 
 
我が国の除染への取組み
 
イメージ 1
 
 
イメージ 2
 
イメージ 12
 
 
 
イメージ 23
 
 
イメージ 34
 
 
イメージ 45
 
 
イメージ 56
 
 
 
 
 
長期汚染地域での居住についてのICRPの基本的考え方   [日本語]
 
国際安全基準:公衆及び環境の防護
 
土壌中およびプラント内のセシウム
•Cs-133(安定) 0.3~25 mg/kg
•土壌による非交換性、固定態、土壌の特性に依拠
 
 
通常の生活への復帰ため [日本語]
 
 
事故後の復旧における「利害関係者の関与」の目標
 •意思決定に市民の価値観を反映し、実質的品質を高める
 •制度への信頼性を築き、市民の知識を高め、情報の提供
 
 
実用的な教訓と経験
 •利害関係者の関与が役立つのはいつか
 
結論
–社会は技術の運用と規制を任されている人々に対し、懐疑的になりつつある。
•利害関係者の関与は脅威としてではなく、専門家と、社会が、幅広く良好な関係を固められる機会である。
 
諸外国における除染作業の先行事例
 
 防護対策及び基準の明確化
 
イメージ 59
 
 
結論
1. チェルノブイリ事故の初期・中期段階では、以下の基準が最も重要なものであった。

2.事故の後期では、最適化原則を適用しなければならない。
3.主な線量基準 – 年間線量の基準レベル
 
4.食品安全の基準 – 現在の被ばく状況の無拘束限界値

 
5.対応策の適用 – 除外地域を経済的利用に復旧させるための主な手段
 
提言
福島第一原発事故後の復旧活動は、主に以下のタイプ     日本語
 
 
環境汚染の除染実例と環境除染総合戦略プラニング
イメージ 60
 
 
イメージ 61
 
イメージ 3

ハンフォード、ロスアラモス、チェルノビルでの除染例   [日本語]
 
 
「パロマレス米軍機墜落事故」事故から再生計画まで  [日本語]
 
 
チェルノブイリ事故と降下物による汚染でのフィンランドの経験と緊急時対応措置  [日本語]
 
 
事故後管理 CODIRPAの最初の教訓  日本語
 
 日本原子力研究開発機構による福島県における除染への取組
 
イメージ 4
 
 
 
農地土壌の放射性物質除去技術   日本語
 
ふるさと再生に向けた取組み  日本語
 
パネルディスカッション ―除染の今後の取組に向けて 日本語  
講演動画結果 日本語 
 
<余談>
放射能土壌汚染セミナーでは
アメリカの放射性物質を含む土砂のパッケージ会社のクミギャル(山下久美)さんで盛り上がりました。
 

パンフレット「世界が応援団-届いたエール…日本とともに!」

\ѥó\եì\åȡÖÀ¤³¦¤¬¡Þþ¡ÞçÃÄ-ÆϤ¤¤¿\¡¯¡¼\ë¡ÄÆüËܤȤȤâ¤ˡª¡¡ß
 
世界中からの応援の声やエピソードを,一部なりとも国民の皆様にご紹介した外務省のパンフレットです。
 
 容量
PDFPDF
(5.3MB)
 
 
 
 
 
イメージ 13

転載元: 3.11 ATC放射性物質汚染対処シンポジウムは動画配信中

H24 水・土活動

$
0
0
5月24日 会員プレゼン
 
6月  廃棄物 (内・水)
行政書士  
九州の先生
 
 
7月 地下水(新)
 大阪市大教授
 
8月 環境教育(村・新)
 ガス
 
9月 放射能除染
 弁護士
 除染学会
 
10月   見学会
 
11月   意見交換会
 
12月 地盤環境防災(久・水)
 
1月
 
2月
 
3月
 

[転載]韓国人歌手(キム・ジャンフン)が東京で従軍慰安婦のポスター1500枚を掲示…関西地方でも予定 2012.1.5 You Tube

$
0
0
http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/f5/02/tankou_2008/folder/1190542/img_1190542_35906036_0?20120310093807

<追記>
韓国人歌手(キム・ジャンフン)関連の動画を追加しました。



下記サイトより転載致します。
  ↓
「Searchina」(サーチナ)
http://searchina.ne.jp/
韓国人歌手が東京で従軍慰安婦のポスター1500枚を掲示=韓国 2012/01/05(木) 11:42
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0105&f=national_0105_077.shtml
  韓国人歌手の金長勲(キム・ジャンフン)と韓国広報専門家の叙敬徳(ソ・ギョントク)城信女子大客員教授が、3日から4日の2日間、東京内の流動人口が最も多い新宿、渋谷、原宿などで、従軍慰安婦問題に関連するポスターを掲示したことが明らかとなった。韓国の複数のメディアが報じた。

  韓国メディアは、キム・ジャンフンとソ教授が日本に在住する韓国人留学生たちの助けを借りて、東京の街のあちこちに1500枚の従軍慰安婦に関連するポスターを掲示したと伝えた。

  「DO YOU HEAR?(聞こえるか?)」というタイトルの今回のポスターは、12月29日付けのウォールストリートジャーナル・アジア版に掲載した全面広告のデザインと同じ内容。

  ポスターを企画したソ教授は、「世界的な有力紙の広告を通じて、国際社会で問題化し、世界の世論を喚起させる。日本国内のポスターは、日本軍慰安婦の存在すら知らない若者にアピールするために作成した」とコメントしたという。

  ポスターの制作費を後援したキム・ジャンフンは、「水曜デモが1000回を超えたが、日本政府は、慰安婦問題をいつも回避している。慰安婦問題は、日韓の歴史認識の次元を超え、女性の人権回復の重要な問題であることを日本政府は知っているはずである」と説明した。

  また、ソ教授は「独島や慰安婦関連の広告を掲載するたびに、日本の右翼団体の脅迫をいつも受けるが、これに屈することなく、より正々堂々と日本政府の誤りを指摘し、世界の世論を引き出そうしようと努力する予定である」と語っている。

  キム・ジャンフンとソ教授は、来週には大阪と京都を中心とした関西地方でも、ポスター1500枚を掲示する予定だという。(編集担当:李信恵・山口幸治)



2ちゃんねるの反応
  ↓
「痛い2ちゃんねるニュース」
韓国人歌手が東京で従軍慰安婦のポスター1500枚を掲示…関西地方でも予定
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1688611.html



韓国人歌手ら、米紙WSJに従軍慰安婦の全面広告を掲載=韓国(2011/12/30)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=1230&f=national_1230_028.shtml
 韓国人歌手の金長勲(キム・ジャンフン)と城信女子大学の客員教授で韓国広報専門家の叙敬徳(ソ・ギョントク)教授が、29日付の米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)に従軍慰安婦の広告を掲載したことが分かった。複数の韓国メディアが報じた。

 広告は「DO YOU HEAR?」というタイトルで、WSJアジア版の19面に掲載された。全面を使い、元従軍慰安婦の女性たちが「水曜集会」に参加している写真を載せ、英文で「第2次世界大戦当時に『日本軍慰安婦』として生きなければならなかった被害者たち」と説明。「日本政府の賢明な判断を期待している」などと訴えた。

  金氏と叙教授は、これまでも竹島(韓国名・独島)の領有権を主張する広告などを海外紙に掲載してきた。今回は、金氏が広告費用を支援し、叙教授が広告掲載のための手続き全般を担当した。

  叙教授は、日本政府は従軍慰安婦問題の解決を避けていると指摘。慰安婦問題を国際的なイシューとして拡散させることが重要だと判断し、広告を掲載したと説明した。(編集担当:新川悠)



You Tube の解説より

【反日】 独島を死守!反日韓国芸能人大特集!
personanongrata1002 さんが 2009/08/05 にアップロード
【日本語訳】
<アンカーコメント>
社会的に敏感な懸案に対するスター達の信念のある発言が続いているんですが、日本の独島領有権明記に関しても例外ではありません。 信念のある発言と行動で、独島死守の先頭に立ったスター達、アン・ジソン記者が伝えます。
<リポート>
日本の独島領有権明記に関してスター達は、やはり抑えることが出来ないという反応を見せています。歌手キム・ジャンフンがその先頭に立ったのですが、アメリカ の「ニューヨークタイムズ」に全面広告を載せたのはもちろん、独島ドキュメンタリー映画「ごめんね独島」のナレーションにも参加する予定です。

<声:キム・ジャンフン所属事務所関係者>
Q)キム・ジャンフンの社会参加に対して?
A)「政治問題でもあり、独島問題が敏感な事項であるから事実だけを伝えようとしただけで、独島が私達の土地であることは事実でしょう。」
去る83年から「独島は我が領土」を歌ってきた歌手チョン・グァンテは今回も直接独島を尋ねて歌を歌うなど積極的な行動を取りました。スター達の独島に向けた愛はTV放送にも続いています。KBS「ギャグコンサート」のコメディアン、ファン・ヒョンヒは自分のギャグのコーナーで独島死守を叫びました。一方、北朝鮮サッカー代表であり、在日同胞3世のチョン・テセも最近CBSラジオに出演して「独島は我が領土」を歌いました。

同時に、韓流スター達の独島関連発言が続いて出るかどうかも関心事ですが、去る2005年、独島探訪団を導いたキム ・レウォンと日本進出を控えているク・ヘソンが「韓流」にも関わらず独島死守を叫んで 、ネチズンの大きい賛同を得ています。演劇「あなた、ありがとう」に出演している俳優 ユ・テウンは、やはり独島死守の先頭に立っているのですが、独島守護国際連体の広報大 使として活動しているユ・テウンに直接会ってみました。
「オールイン」の実際の主人公としても有名なチャ・ミンス教授も、やはり独島と関連し たコラムを書くなど積極的に独島死守の意思を明らかにしました。

<インタビュー:チャ・ミンス教授>
Q)独島死守のために?
A)「私達が気が付かなければなりません。日本の物を買ってはいけません。私達が買おうとしなくても、日本製しかないから仕方なく買う場合ががたくさんあるのに、その他に自動車とか...日本へ行ってヒュンダイ車を見かけましたか?ユダヤ人達はベンツやBMWに乗りません。この位の国民的なマインドがなければ、私達はこれから日本に侮辱をもう一度、受けることになります。」

過去、日本の島根県の「竹島の日」条例制定で、両国間の緊張が高まった去る 2005年にも、独島死守のためのスター達の努力が続いていました。独島を背景にグラ ビア写真をとったキム・ヒョンジュの他に、ハン・ヘジン、チャ・インピョなどが過去、独島愛を実践しました。パク・ミョンスも「WeLove独島」というCDを発売しました。ネチズンの大多数が、独島死守の意志を明らかにした芸能人達に対して勇気ある行動とし、大きな応援を送っています。

~2008年7月24日 YSTARより~



【反日】 独島を死守!反日韓国芸能人大集合! 【ヨン様も】
personanongrata1002 さんが 2009/08/05 にアップロード
【日本語訳】
<アンカーコメント>
キム・ジャンフン氏がニューヨークタイムズに独島に関する広告を掲載して以降、日本の独島妄言が続いていますね。
我が国のスター達も独島死守の先頭に立つと言います。独島死守の先頭に立つスター達、誰がいるのか調べてみました。

<リポート>
狂牛病関連のロウソク集会デモを始めとして、政治、文化、経済、社会の分野で自分の意思を表現するスター達が増加しています。独島問題も例外ではありません。
去る9日、アメリカの有力日刊紙ニューヨークタイムズに独島の広告が載せられて、話題になりました。その広告を載せたのは、我が国の政府でなく個人!それも私達がよく知っている歌手キム・ジャンフンでした。韓半島の地図と共に、東海(注:正式名称=日本海 )と独島(同じく=竹島)が英文で表記されており、昔から独島は我が領土だと、そして日本と韓国の間の海は東海と呼ばれているという事を告知しました。
この事によって、キム・ジャンフンは日本のネチズン達から、脅迫メールを受けたりもしたそうです。
彼の勇気があり、決断力のある行動は、絶賛されました。

日本の独島領有権の主張が度を越せば越すほど、私が国のスター達も独島が韓国の領土である事を知らしめる事の先頭に立ちます。
2005年に日本の島根県では、独島の日を条例で制定して、我が国の国民を怒らせるという事がありました。
日本でも人気を呼んでいる韓流スター、キム・レウォンとペ・ヨンジュンが勇気を持って信念を明らかにして話題になりました。キム・レウォンは独島関連ファンのサイン会を始 めとして、独島探訪団を率いたりもしました。
ペ・ヨンジュンもまた、独島は我が領土で あるという事を明らかにする信念を慎重に発表しました。

アメリカの市民権を諦めて、現役で軍隊に行って来たチャ・インピョは、もっと積極的に意見を表明したスターです。台湾の取材陣らの前で「独島は我が領土」を歌ったりもしま した。
DJDOCは、再び「独島は我が領土」の歌をリメイクして、全ての韓国民がもう一度、口ずさめるようにしました。
パク・ミョンスもまた「We love 独島」というアルバムを発売したり、タレントのハン・ヘジンもまた出演料を独島警備隊に寄付したりしました。
国民全員と一緒にスター達も独島死守の先頭に立っているだけに、我が国の最東端の島、独島はこれ以上孤独な島ではありません。我が国のスター達の信念のある独島関連発言と行動。今後も全国民が支持して見守ります。

~2008年7月16日 YSTARより~



転載は以上です。
「淡交 You Tube」
http://www.youtube.com/user/tankou2008
青山繁晴氏の情報は「淡交」 非公開サイトをご覧下さい。
http://www.geocities.jp/tankou_2008/
真実の情報が、より多くの人たちに伝わりますように・・・ワンクリック お願い致します。
にほんブログ村 政治ブログへ(文字をクリック)
http://politics.blogmura.com/img/politics88_31.gif



転載元: 青山繁晴氏のファンサイト・淡交 ブログ

[転載]選挙ポスタービリビリの思い出

$
0
0
選挙ポスタービリビリの思い出

昨夜は昨年3月10日に亡くなった妻の偲ぶ会を日本橋の本部で、荒木紫帆婦人部長と芦澤博之事務局長らに催して頂いた。

多くの党員の皆さんが本部に来て、妻を思い出して献杯を重ねて頂いた。東京都本部、埼玉県本部、茨城県本部の皆さん本当にありがとうございました。

次回参院選に挑む際に、片腕をなくして戦うのは実務的にも辛いと思いましたが、昨夜の党員の力添えがあれば思う存分戦えることでしょう。

私が知らない妻のエピソードをたくさん聞かせて頂いた。街頭演説を聞きながら弁士の皆さんの話を、「面白い」「ここはつまらない」等々、あれこれ金友さんらに話していたことなど初めて聞いた。
しんみりした思い出ではなく、楽しい一時を過ごさせて頂いた。

平成19年の参院選東京選挙区に出馬した際には、選挙事務所に妻が朝から深夜まで詰めて戦った。

私は史上初であろう選挙公報のトップに「核武装」を前面に押し出して戦い、選挙後には敵陣営に評価してもらい、社民党系の雑誌や本で批判して貰っただけではなく、選挙中も公営掲示板に貼った都内14000枚のポスターを数百枚横にビリビリ切り裂かれたりした。

選挙事務所では連日選挙管理委員会からの連絡に対応するので大変だった。
多分ポスター引き裂き最多記録だろう。

次回参院選でもインパクトある戦いで、ポスターが反核勢力に引き裂かれるか、半島勢力に破られるか、宗教団体に燃やされるかわからないが、日本のために党に勝利をもたらした。
挫けず変わらず前回同様に「核」や「竹島・半島問題」や社会のタブーを掲げて堂々と戦う姿を浄土で評価しているだろう。


国家主権を守るマラソントーク(2月19日13時拓殖大学)
http://shimpuoshirase.sblo.jp/article/53387655.html


維新政党・新風のメールマガジンを購読して下さい。
http://www.itm-asp.com/form/?79

第68回靖国神社清掃奉仕(平成24年2月26日)
http://www5f.biglobe.ne.jp/~yasukuni-houshi/


【憂国討論】鈴木信行vs村田春樹 平成24年最新号!
http://www.youtube.com/watch?v=C0SaOxTgMB4&feature=email&email=comment_received

鈴木信行 三議員断固支持 (民間人として韓国に入国/欝陵島は断念)
http://www.youtube.com/watch?v=AM2RAUnhFiA

失われた60年5・14尖閣を護れ!鈴木信行
http://www.youtube.com/watch?v=MHxAYnFg2Z8

拓大・竹島尖閣北方領土マラソントーク 鈴木信行
http://www.youtube.com/watch?v=0VGPbpNuT28

鈴木信行 平成19年参議院選挙政見放送
http://www.youtube.com/watch?v=Zjt4LxFXLqc

鈴木信行挨拶 上海万博抗議!平成の興亜会議
http://www.youtube.com/watch?v=KOd7lUjRHw0

【憂国討論】「維新政党・新風の主張」
http://www.youtube.com/watch?v=_3S6gSF3BZg

建国祭2668inAMRAX・鈴木信行挨拶
http://www.youtube.com/watch?v=p1ItVjxP_do


維新政党・新風公式サイト
http://www.shimpu.jpn.org/

転載元: 鈴木信行の維新通信

[転載]《竹島追加資料 韓国が厳重抗議》だそうですので・・・

$
0
0
.
さて、ならばこちらは、ウォン急落で韓国の外貨準備が不足する事態に備え、両国が外貨を融通しあう「外貨スワップ(交換)」の規模を計300億ドルに大幅拡充することを確認したっていう話を、全部
「なかったこと」 
にしましょうよ・・・

                 ※ こちらも“プチッ”とお願いします→【 にほんブログ村 ブログランキング 】
外務省の「竹島」追加資料、韓国が日本に厳重抗議
12月28日21時20分配信 読売新聞


 【ソウル=浅野好春】韓国外交通商省報道官は28日、日本の外務省が「竹島問題を理解するための10のポイント」と題した資料を新たに7か国語版で追加作成し、計10か国語としたことに対し、日本側に厳重抗議したうえで、外務省ホームページ(HP)からの資料削除を求めたと明らかにした。

 いつ、どんなルートで申し入れたかは不明。

 竹島問題では、韓国外交通商省もHP上で「韓国政府の独島(竹島の韓国名)に対する基本的立場」と題する資料を日本語も含め10か国語で掲載している。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081228-00000040-yom-int


ということで、結局助けてやってもこれなわけで、しかもこんな映画まで大晦日に封切するようで・・・

竹島熱狂、ついに映画化 韓国で話題、31日公開
12月28日8時3分配信 産経新聞


 【ソウル=水沼啓子】日韓が領有権を主張し、韓国が実効支配する竹島(韓国名・独島(トクト))を主題にしたドキュメンタリー映画「ごめんね、独島よ」が31日、韓国約100カ所の劇場で封切られる。竹島をテーマにした映画の劇場公開は初めて。竹島に日の丸が刺さった刺激的なポスターなどで話題を呼んでいる。

 映画は「独島」に暮らす老夫婦や「独島は韓国領」と海外に訴える団体の活動などを紹介し、韓国人の「独島」に対する思いを描いている。映画製作の目的は、島の現状を伝え、「独島」を守る方法を観客に提示することだという。

 映画のタイトルには、海外の多くの地図に竹島と表記されている現実を、韓国人に反省させる意図が込められているという。ポスターにも日本語と韓国語で「いただきます」という文字が記され、どんぶりの中の竹島には日の丸が刺さっている。

 関係者は、海外での公開も目指しており、来年には世界有数の映画祭にも出品する計画という。

 また、映画の企画プロデューサーは、今夏に米紙ニューヨーク・タイムズなどに「独島は東海(日本海)に浮かぶ韓国固有の領土」と訴える全面広告の掲載を企画した人物で、ニューヨークのタイムズスクエアの電光掲示板にも「独島」の広告を掲載する予定で、準備中という。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081228-00000056-san-kr




逆に、こういうのにこそ外務省はしっかりと
「抗議」 
をしないといかんのじゃないかな・・・・・・・・



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
         http://www.blogmura.com/img/www200_40.gif
 ↓↓↓ ブログランキング・クリックお願い m(__)m ↓↓↓ 
        http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/32/0000171832/68/img117e0be7zikdzj.gif
    ↓   ↓   ↓      
       【 にほんブログ村 ブログランキング 】
         ( こちらを“プチッ”とお願いします ) 
     みなさまの『プチっとクリック』のご協力のおかげで日本ブログ村・政治ブログランキングで6/1263位に入る事が出来ました。
   この場をお借りしまして、心より御礼を申し上げますm(__)m   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

転載元: 【これでいいのか委員会・ Ever After】

[転載]竹島領有権問題について(自民党 領土に関する特別委員会)

$
0
0
こんな文書があったんですね。
 
 
 

竹島領有権問題について
 
                                   平成18年5月16日
                              自民党 領土に関する特別委員会
                                    委員長 石破 茂
 
【竹島の概要】
 竹島は、隠岐諸島の北西約157km、北緯37度14分、東経131度52分に位置し、現在は島根県隠岐の島町に属す。
 高さ157mの西島と、それよりやや低く小さい東島、及び数十の岩礁からなり、総面積は23万m2で日比谷公園とほぼ同じ、東京ドーム約5つ分。
 島根県松江市から北北東方向に約70kmで隠岐諸島、隠岐諸島から北西方向に約157km、松江市から直線距離で約220kmの位置に竹島が存在する。さらに西北西方向約92kmに、韓国領である鬱陵島(うつりょうとう、ウルルンド)があり、韓国東沿岸の蔚珍(ウルチン)までは約140kmである。
 飲料水が乏しく居住するには困難が伴うが、周辺海域一帯は南からの対馬暖流と北からのリマン寒流の接点になっており、魚介藻類の種類・数量ともに豊富な好漁場として知られる。
 島根県は竹島の県編入100周年を機に、2005年3月「竹島の日」条例を制定。啓発事業の一環として竹島の領有権問題の現状を把握するため、「竹島問題研究会」を発足させ、歴史・国際法の観点からの検証を重ねた上で、2006年度末に最終報告が提出される予定。
 

(注)
島根県条例第36号(公布日/平成17年3月25日)
「竹島の日を定める条例」
(趣旨)
第1条 県民、市町村及び県が一体となって、竹島の領土権の早期確立を目指した運動を推進し、竹島問題についての国民世論の啓発を図るため、竹島の日を定める。
(竹島の日)
第2条 竹島の日は、2月22日とする。
(県の責務)
第3条 県は、竹島の日の趣旨にふさわしい取組を推進するため、必要な施策を講ずるよう努めるものとする。
附則
この条例は、公布の日から施行する。

【紛争の発端――韓国の「海洋主権宣言」】
 日本政府は1905(明治38)年1月28日の閣議において島名を「竹島」とし、本邦所属・島根県隠岐島司の所管と決定し、島根県知事が2月22日この旨公示した。
 今日の竹島をめぐる問題は、第2次大戦後独立を回復した韓国が、1951(昭和26)年9月に対日平和条約が調印され日本の主権回復が確実となった際、同条約が発効する1952(昭和27)年4月28日直前の1月18日、「大韓民国隣接海洋の主権に関する李承晩大統領の宣言」を行い、竹島を含む水域に一方的な主権宣言を行い、いわゆる「李承晩ライン」を設定たことに端を発している(「李ライン」は日韓基本条約が締結された1965年6月22日まで継続。ライン設定前後から拿捕された日本漁船328隻、抑留された船員3929人、死傷者44人)。
 その後両国は「口上書」の応酬により互いの主張を繰り返す。1965(昭和40)年日韓国交正常化交渉が妥結し、「日韓基本関係条約」に調印がなされ、竹島問題については「日韓両国の紛争の平和的処理に関する交換公文」を取り交わしたが、竹島問題は解決しなかった。
 1994年に発効した国連海洋法条約に関する議論を契機として、排他的経済水域(EEZ)の基点をめぐり同問題が再燃。それまでも竹島における不法占拠の状態を強化してきた韓国は1996年、竹島に接岸施設の建設を開始。
 日韓両政府は1996年3月の日韓首脳会談(橋本総理+金泳三大統領)の際、両国首脳間で、EEZの境界画定や漁業交渉を領有権問題と切り離して促進することとした。その後EEZの境界画定の交渉を行ったが、双方の立場の隔たりが大きく、合意が早期に得られる見通しがなかったことから、漁業問題の早急かつ実際的な解決のため漁業協定のみを締結(99年1月発効)。同協定の附属書Ⅰにて、EEZの早急な境界画定のため誠意をもって交渉を継続することで合意している。
 竹島及びその領海は暫定水域とされた区画には位置しているが、日韓漁業協定の適用水域はEEZのみであって、双方の領海は含まれないため、竹島の領海も暫定水域として扱ってはいない。
 わが国漁船は竹島に近づくことができず、竹島領海内での操業もできない状況にある。
 日本国内で同問題の風化傾向を危惧した島根県議会が、2005年議員提案による「竹島の日条例」を制定したことに、韓国側は強く反発。盧武鉉大統領は直属の機関(「東北アジア平和のための正しい歴史定立企画団」)を発足させ、広報活動を活発化。2005年6月に英文による「独島・6世紀以来韓国の領土」を発表。世界にその主張の正統性を広くアピールしている。

【竹島の名称】

 現在の鳥取・島根周辺の住民は、昔から現在の鬱陵島を「竹島」(あるいは「磯竹島」)、現在の竹島を「松島」と呼び習わしていた。この名称が文献に登場するのは1618年、米子の商人であった大谷(おおや)家が鳥取藩主を通じて、江戸幕府にアワビ・ワカメなどを採取するための渡海許可を願い出た際の記録「竹島渡海由来記抜書控」である。ここで言われ、幕府が渡海許可を出した「竹島」は、現在の鬱陵島のことであった。大谷家は翌年「松島渡海願」を出してこれも受理されており、この「松島」が現在の竹島であった。
 ちなみに韓国側は竹島(独島・トクト)について、古来より「于山島」「三峯島」「佳池島」「席島」など様々な名称で呼ばれてきたとしており、特に512年に新羅に合併された「于山国」は現在の鬱陵島と竹島(独島)の2島で構成された島国のことだと主張しているが、文献に照らし常識的に判断すれば「于山国」は現在の鬱陵島1島のみを指すと考えられ、竹島(独島)について新羅の時代から領有していたという確たる証拠とは言い難い。
 1787年にフランス人ラ・ペルーズが日本海上を航海中、発見した島に「ダジュレー」と命名。また1789年にはイギリス人コルネットが同じように発見した島に「アルゴノート」と命名。それぞれに記録されていた緯度経度が相違していたため、以後欧州では別々の島が2つあるかのように記載されることとなった(実際はこの2つは同じ鬱陵島)。
 この誤った知識を持ち、なおかつ「松島」と「竹島」が存在していることを知っていたオランダ商館の医師シーボルトは、1840年刊行の「日本図」において「ダジュレー島」に「松島」、「アルゴノート島」に「竹島」と添え書きした。このために以降「鬱陵島=松島」となり、「松島」と「竹島」の名称が混乱することとなった。また、さらに別の外国船が諸島群を発見し、フランス船が「リャンクール列岩」イギリス船が「ホーネット諸島」などと命名したため、以降更に「ダジュレー島」「アルゴノート島」「リャンクール列岩」「ホーネット諸島」の名称が混在するようになった(実際は「リャンクール」「ホーネット」は同じ竹島)。これを受けて、日本でも竹島を「リャンコ島」などと呼称するようになった。
 1880年、軍艦「天城」が測量を実施し、鬱陵島を公式に「松島」であると整理し、竹島は「リヤンクール」あるいは「リヤンコールト」とした。しかし民間では引きつづき鬱陵島を「竹島」と呼んでおり、名称の混乱は続いた。
 1904年、アシカの乱獲等を防ぐため、隠岐島の中井氏が明治政府に竹島の領土編入と貸し下げを依願し、政府は翌1905年1月の閣議決定および2月の島根県告示により、竹島を島根県に編入した。これは従前より日本人が漁業等を行っており、中井氏の漁業会社が既に竹島に小屋を構えていること、等をもって、日本政府が近代国家として竹島を領有する意思を再確認したものであり、内務省訓令第87号をもって同島を「竹島」と正式に命名、島根県隠岐島司の所管とした。ここにおいて現在の「竹島」の名称が固定された。
 以上の経緯から分かるように、この一連の名称の混乱と、測量技術の不足による外国の地図の不正確さが、韓国側の不当な主張を許すことのないよう、日本政府として史実に基づいた確固たる一貫した説明が必要である。

【いわゆる「竹島一件」について】
 1618年以来、米子の大谷(おおや)家と村上家が交互に鬱陵島において漁や採取を行っていたが、その年村上家が鬱陵島に近づいた時、何者かが漁をしている痕跡を発見し、朝鮮の漁民と遭遇。村上家は、日本領土である鬱陵島に二度と来ないよう申し渡したが、翌1693年に今度は大谷家が安龍福(アン・ヨンボク)と朴於屯(パク・オトン)と名乗る2名を含む朝鮮人が漁をしているのを発見し、鳥取藩に訴えるため両名を証人として米子に連れ帰り、両名は鳥取城下に移送された。
 鳥取藩から裁定を求められた江戸幕府は、この2名に鬱陵島渡航を厳禁した上、長崎へ移送。当時朝鮮外交を所管していた対馬藩がこれを引き継ぎ、鬱陵島への渡海禁止の周知徹底を朝鮮王朝に強く求め、同王朝も2名を罪人として厳罰に処すこととした。
 鬱陵島の領有自体に関しては、対馬藩主の病没というアクシデントもあり、1695年新藩主の参勤交代を機に、鬱陵島を朝鮮領として認めることによる交渉打ち切りを幕府に打診。これを受けて幕府は翌1696年、鳥取藩に鬱陵島への渡海禁止令を発し、対馬藩には鬱陵島の朝鮮領を認める趣旨を伝達した。ここまでは全て当時の「竹島」、すなわち現在の鬱陵島のことである。
 1696年、安龍福は隠岐島を経由して現在の鳥取県赤碕に来航、移送先の鳥取藩において「鬱陵于山両島監税」なる官職を僭称し、当時の「松島」(安の主張によれば「于山島」)すなわち現在の竹島も朝鮮領であることを鳥取藩に認めさせる目的で来訪した旨主張した。鳥取藩はこれを追放したが、朝鮮に帰国後の取り調べにおいて安は「松島は于山島のことであり朝鮮領だということを鳥取藩主に認めさせた」と供述した。
 しかしその供述は史実に照らして以下の如くに虚偽が多く、信用性に欠けるものと言わざるをえない。曰く、

「隠岐島へ上陸前に鬱陵島へ寄り、多くの日本人を発見して『ここは朝鮮領である』と叱責した」
→ 1696年頭に江戸幕府は鬱陵島渡海を禁じているので、多くの日本人に遭遇したはずはない
「鳥取藩主と対面した」
→ 1696年、鳥取藩主は参勤交代で江戸に上っており、その後帰鳥したものの、事実上対面できたはずがない
「対馬藩主が鬱陵島と竹島を朝鮮領とした将軍家の書き付けを奪った」
→ 対馬藩主も交代直後で江戸に上っており、対面できたはずがない
 韓国では現在、この安龍福を「独島を守った安龍福将軍」として英雄視し、竹島を韓国領とする主張の有力な根拠としているが、安はもともと朝鮮王朝が採っていた「空島政策」(鬱陵島に居住することを禁止する政策)を侵した罪人(結局死罪は免れ流刑された)であり、罪を免れるため行った裏付けに欠ける証言をもって「于山島=独島(トクト)=朝鮮領」とするのは根拠薄弱。

(続く)

転載元: 日韓近代史資料集


[転載]竹島問題!(漫画&歴史的資料)

$
0
0
漫画!
http://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/47/43/enjoyjapan_44/2000/1454.jpg
※オリジナルを示しています。オリジナルが非公開となりますと消えます。

資料!
masairyu氏作・大爆笑!「于山島=独島」?これが韓国の「無知・虚言・捏造」の象徴だ!
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=1102034&work=list&st=&sw=&cp=1
ノーコメントです!

転載元: 癒しを求め、ネットのゴミ画像拾い

[転載]【拡散】竹島問題でネット署名をお願いします。

$
0
0
 
 
この動画は現在4カ国語版が制作済みです。(日本語版、英語版、韓国語版、スペイン語版)。

この動画で紹介している、于山島=竹嶼という事実は、当動画制作者が発見したものではなく、
竹島問題を長年研究してこられた方々が発見された事実を分かりやすく並べて紹介 ­したにすぎません。
この動画は主に下のサイト・資料を参考にしています。

竹島com
http://sites.google.com/site/takeshimaliancourt/

Dokdo-or-Takeshima?
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/

日韓近代史資料集、韓国ニュー・ライトの応援+竹島問題
http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey

島根県: Web竹島問題研究所
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/

外務省:竹島問題
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/index.html

竹島問題を理解するための10のポイント
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/pdfs/pmp_10issues.pdf
英語
http://www.mofa.go.jp/region/asia-paci/takeshima/pamphlet_e.pdf
韓国語
http://www.mofa.go.jp/region/asia-paci/takeshima/pamphlet_k.pdf


竹島問題はきわめて単純です。

1. 1905年以前に韓国・朝鮮が竹島を実効支配した歴史的事実は存在しません。
(竹島を描いた地図すら存在しない。)

2. 1905年の日本による竹島編入は国際法の手続きに完全に合致しています。

3. 第二次大戦後、1951年サンフランシスコ講和条約にて、
連合国は竹島を日本領としてとどめる決定をしました。

4. この国際的な決定はラスク文書等の外交文書により、
合衆国政府から韓国政府に告知されましたが、
韓国はこの決定を無視して、1952年李承晩ラインを一方的に引き、
竹島の 不法占拠を続けています。
 
 
創生日本が竹島問題でネット署名をしています。
拡散お願いします。

賛同者署名フォーム
http://www.sosei-nippon.jp/shomei_20110415.html

緊急声明文(4月14日)
http://sosei-nippon.jp/data/report110415_shomei01.pdf

こちらも見てみて下さい→ TPP推進に反対する請願【必見】(JUN@闇法案・TPP反対!)
・外務省 竹島問題  http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/index.html

転載元: 中川昭一さんのような強い真の保守を支持します!♡ ときめく人達♡

[転載]竹島問題の資料

大阪水土壌汚染研究会の現場の情報収集活動

$
0
0

情報収集活動

・大阪府:おおさかATCグリーンエコプラザ、大阪大学中之島センター、
     近畿環境パートナーシップオフィス(きんき環境館)、あおぞら財団、
     大阪市環境学習センター生き生き地球館、神崎川、大阪府立大学
     大阪市立大学、摂南大学、野鳥園、大阪科学技術センター、
     大阪府環境農林水産総合研究所、大阪府立公衆衛生研究所、
     大阪大学核物理センター、京都大学原子炉実験所
     東成警察(襲撃事件)、大阪歴史博物館、大阪国際交流センター

・東京都:環境省、国土交通省、都庁、豊洲市場前、築地、東京農業工業大学
・宮城県:東北大学
・茨城県:産業技術総合研究所、土木研究所
・神奈川県:横浜国立大学
・千葉県:海岸
・石川県:県立自然史資料館、県立博物館
・福井県:福井県安全環境部原子力安全対策課、福井原子力センター、もんじゅ、
     大飯原子力発電所
・三重県:熊野市歴史民俗資料館、松阪市文化財センター「はにわ館」、
     花の磐(日本神社第一号)
尾鷲九鬼(神武東征上陸地、日向・尾鷲姉妹都市構想)、
     徐福伝説証拠の半両銭捜索、紀和鉱物資料館
・和歌山県:熊野本宮大社、補陀洛寺、徐福神社、阿須賀神社
      トルコ記念館、日米修好記念館、潮岬灯台、樫野埼灯台(日本最古)
・滋賀県:RD最終処分場、水環境館、琵琶湖博物館、水鳥、
     大阪水・土壌汚染研究会放射能土壌汚染実験室
・鳥取県:山陰歴史館、福市歴史資料館
・島根県:浜田市歴史資料館、地魚料理海旬(酒は環日本海)、島根県立出雲歴史博物館、
     島根県主催サンフランシスコ講和条約学習会、島根原発、島根県立図書館、
     竹島資料室、シジミ館、松江歴史館、県立宍道湖自然館ゴビウス
     宍道湖グリーンパーク
・兵庫県:県立南但馬自然学校、こうのとりの郷公園、生野銀山
     淡路島:淡路市北淡歴史民俗資料館、洲本市立淡路文化史料館、
         五斗長垣内遺跡、伊弉諾神宮、おのころ神社、沼島灯台
     沼島:公民館(古事記編纂1300年記念事業)、おのころ神社
・岡山県:小鳥が丘住宅団地、県庁、市庁、
     カブトガニ博物館(笠岡湾底質、大阪湾カブトガニ復元、2011)
・広島県:平和記念資料館(放射能リスク、黒い雨)、2011、大久野島毒ガス資料館
     大久野島ビジターセンター(環境省)
     竹原市立歴史民俗資料館、大久野島神社、八幡神社(忠海町、仁賀町)
     みなとオアシスただのうみ、忠海病院(現呉共済病院忠海分院)
     大久野島国民休暇村
・山口県:徳山港水銀埋立地、柳井市、関門海峡トンネル、
     周南市図書館(徳山第3水俣病、底質水銀汚染、2011)
・徳島県:県立博物館、県立図書館、市立図書館、
     日和佐ウミガメカ博物館レッタ、貝の資料館モラスコむぎ(漁師水族館)
・香川県:高松市図書館、高松市歴史資料館、高松市水道資料館
     満濃池森林学習館、瀬戸大橋記念館、瀬戸内海歴史民俗資料館
・高知県:室戸岬ジオパーク
・愛媛県:伊方原発、愛媛歴史文化博物館、八幡神社(八幡浜市)
・福岡県:九州国立博物館、福岡市立博物館、北九州市立水環境館、いのちのたび博物館
     九州歴史資料館、鴻臚館跡展示館、九州エネルギー館
・長崎県:国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館、長崎原爆資料館、長崎歴史文化博物館
壱岐:安国寺(盗まれた経典が韓国の国宝になっていることを嘆く)
     壱岐神社(小弐資時の墓)、豊月(地魚料理が美味くて安い寿司ランチ○百円~)
     新城神社、平景隆の墓、新城の千人塚、小弐の千人塚、元寇千本供養塔ほか
     原の辻ガイダンス、一支国王都復元公園、壱岐の土台石
    鷹島(元寇終焉の地):鷹島歴史民俗資料館、鷹島埋蔵文化財センター、
     開田の七人像
・佐賀県:玄海原発、名護屋城博物館
・大分県:臼杵石仏、大分歴史資料館、竹田歴史資料館、八丁原地熱発電所
     長者原ビジターセンター、宇佐神宮、大分県立歴史博物館、
     国見ふるさと展示館(ペテロ岐部カスイ)、別府警察(襲撃事件)
     国東市歴史体験学習館、宇佐神宮
・宮崎県:都城市硝酸性窒素亜硝酸性窒素地下水現場踏査、県立博物館
     都農町・川南町・高鍋町・西都市口蹄疫被害牧場調査、
     アジアヒ素ネットワーク、
     宮崎県環境管理課、美々津(神武東征港)、璧の謎解き
・熊本県:
     水俣市国立水俣病情報センター、熊本県環境センター、
     水俣市立水俣病資料館、
     百間排水口、最終処分場、ほっとはうす、水俣エコタウン、水俣相思社
     水俣川河口左岸地下水汚染カーバイト鍾乳石2010.05(ph13)
     水俣湾公害防止事業担当者ヒアリング、熊本県水俣土壌地下水汚染ヒアリング
     エコパーク水俣もやいの森植樹祭
熊本市水の科学館、白川わくわくランド、熊本県立図書館(水俣公害)、
     熊本市立博物館
     水俣湾公害防止事業埋立地護岸耐震及び高経年化対策委員会        
     熊本県港湾課・廃棄物対策課・環境保全課
     水俣市環境モデル都市推進課、湯の児温泉旅館平野屋、
     水俣の地魚料理は日本一安くて美味い
     (おすすめ:郷土の味処曽木の瀧、がんぞー、味処池田屋、和風三笠)

・鹿児島県:川内原子力発電所、川内歴史資料館、
      藤川天神(菅原道真隠棲の地)、菅原道真の墓、周囲に菅原神社が沢山ある?!
      万世平和記念館、知覧平和記念公園、知覧ミュージアム
      鹿児島県立歴史博物館黎明館、
      指宿火山灰歴史博物館、
      歴史資料館金峰(コノハナ咲くや姫)、
      鑑真記念館
      坊津歴史資料館
      伝・真田幸村の墓

[転載]竹島の真実 パンフ2006年2月22日発行

$
0
0
ÃÝÅ緼ȯ»ñÎÁ¤Îɽ»æ竹島問題啓発冊子[PDF版:2006年2月22日発行]
(日本語、英語韓国語
Web版はこちら↓
 
¤¢¤ʤ¿¤ÏÃÝÅç¤ò¤¡­¸Ã¦³Ǥ¹¤«
ÃÝÅç¼þÊÕÃϿÞ
¡Þ£¡­ô½ôÅç¤ÎËÌÀ¾Ìó157km 1905ǯÅ纬¸©½ê¡ë¤Ë
 
 この問い掛けに、どれだけの国民がうなずくことができるだろう。また、どれだけの県民が、同島の来歴や知識を持ち合わせているのだろうか。日本海に浮かぶ竹島は、隠岐諸島の北西約157キロ、北緯37度14分、東経131度52分に位置し、現在は島根県隠岐の島町に属する。
 高さ168メートルの西島と、それよりやや低い東島、数十の岩礁からなり、総面積は21万平方メートルで、東京ドームの約5倍の広さがある。韓国では独(トク)島(ト)と呼ばれる。
 飲料水の乏しさなど、居住条件は厳しいものの、周辺一帯は南からの対馬暖流と、北からのリマン寒流の接点になっており、魚介藻類の種類、数量ともに豊富。好漁場として知られる。
 歴史を振り返れば、日本領であることは疑いない。根拠の1つは、1世紀前の1905年2月22日、当時の島根県の松永武吉知事名で発せられた「県告示第40号」という、重要な手続きに求めることができる。

 「北緯三十七度九分三十秒東経百三十一度五十五分隠岐島ヲ距ル西北八十五浬ニ在ル島嶼ヲ竹島ト称シ自今本県所属隠岐島司ノ所管ト定メラル」

 この竹島が島根県所属となったことを示す告示は、その約1カ月前の1月28日の明治政府の閣議決定を踏まえ、行われた。同政府は古くは「松島」、当時は「リャンコ島」などと呼ばれた島を「竹島」と命名。日本領土に編入し、島根県に組み入れることを決めた。
 閣議決定前には、他国が占領したと認められる形跡がない上、隠岐島の漁業会社がアシカ漁のために構えた小屋が、占領の事実に当たると確認。手順を踏みながら、竹島が国際法上の「無(む)主(しゅ)先(せん)占(せん)」の地であると判断した。
 さらに、第2次世界大戦の戦後処理として、1952年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約でも、あらためて日本領土と確定した。
 ところが、1952年1月18日、韓国が「李承晩ライン」を一方的に宣言。日本海などの公海上に線を引き、竹島を自国領に含めてしまう。再三にわたる日本政府の抗議にもかかわらず、韓国はその後も実力支配を強化。竹島は1999年1月22日発効の新日韓漁業協定で、両国が共同管理する暫定水域に含まれたが、日本漁船はいまだに近づくことができない状態が続いている。
ÏÀÅÀÀ¡ëÍý¡¡½ø¾Ï
¡ëۤʤëÆü¡­ڤ¦Ìçĥ¡¢Îò»Ëǧ¼¡Þ
ÃÝÅç¼̿¿
1965年に空撮した竹島
 
島根県は竹島(韓国名・独(トク)島(ト))の県編入百周年を機に、2005年3月に「竹島の日」条例を制定した。そこでうたわれた啓発事業の一環として、竹島の領有権問題の現状を把握する目的で、6月には「竹島問題研究会」を発足させた。県内外の研究者10人からなる研究会は現在、05年度末の中間報告、06年度末の最終報告を目指し、歴史、国際法の観点からの検証を重ねている。以下、昨年末の第5回会合までに整理した論点を記す。
 周知の通り、今日の竹島問題は1952年1月18日、韓国政府がいわゆる「李(り)承(しょう)晩(ばん)ライン」を設定したことから始まった。だが、日韓の国交正常化交渉の時期(52-65年)と重なったため、両国は「覚書」を通じて互いの主張を繰り返すにとどまった。その覚書による対話も、65年に同問題を「棚上げ」にし、「日韓基本条約」が締結されると、途絶えてしまった。
 当時の日本政府の主張は、次のように要約できる。

11618年、幕府の許可を得た鳥取藩の米子の大谷、村川両家が漁労活動のため、鬱陵島に渡海した。同島のほか、当時、松島と呼ばれた現在の竹島も日本領と認識していた。
Å纬¸©¹ð¼¡¯Âê꣡ë¹æ
1905年2月22日、竹島の日本領土編入の閣議決定を受けて出された島根県告示第40号

21905年の閣議決定を経て、竹島が島根県に編入された。それは「国際法」的にも、合法だった。
3島根県に編入後、日本側は実効支配を行ってきた。
4第2次世界大戦後の日本領土を規定した1952年のサンフランシスコ講和条約の発効により、竹島は日本領土として残った。

ところが、韓国政府の見解は違った。次のように主張した。

1歴史的に、現在の独島は「于(う)山(さん)島」と呼ばれ、15世紀に成立した「世(せい)宗(そう)実録地理志」や「東(とう)国(ごく)輿(よ)地(ち)勝(しょう)覧(らん)」などにも、「于山島」の記録がある。
2 安(あん)龍(りゅう)福(ふく)が17世紀後半、日本に渡り、鬱陵島と于山島を朝鮮領と認めさせた事実が「粛(しゅく)宗(そう)実録」に記録されている。
31906年、島根県官吏が竹島と鬱陵島を視察した際、欝島郡守の沈興澤が「独島は欝陵島に属す」と報告している。
4第2次世界大戦後、連合国最高司令官総司令部の指令で、独島は韓国領土とされた。
 日韓両国は、そのような論拠に基づき、それぞれが「歴史的にも、国際法的にも、自国の領土」と強調した。だが、その後、日本側から新たな主張がされることはなかった。
 竹島問題が再燃したのは、国連海洋法条約が発効した1994年。新たな「日韓漁業協定」を締結する必要に迫られたことによる。その際に問題となったのが、排他的経済水域の基点をどこに置くかだった。そこで、韓国は96年、竹島に接岸施設を建設し、実力支配をより確実にしようとした。
 一方、日本政府は竹島問題が外交問題化することを避け、竹島問題を棚上げして、99年に新「日韓漁業協定」を締結した。
 こうした経緯から、日本国内で竹島問題は徐々に風化する傾向に。その流れを食い止めようと、島根県が昨春に制定したのが、竹島の日条例だった。
µҴÑŪ»ö¼¤¦ÅæÌÀ¿ʤá¤ë
 だが、これに対して、韓国側は反発し、強硬な姿勢を取った。盧武鉉大統領は、日本の歴史教科書と竹島をめぐる認識の誤りを正すためとし、直属の機関を発足させ、広報活動を活発にした。昨年6月には、英文で「独島・6世紀以来、韓国の領土」を発表し、あらためて次の4点を主張している。
1独島が韓国領土になるのは、512年。歴史的に、于山島、三峯島、可支島、石島と呼ばれてきた。
2安龍福の活躍で、鬱陵島と独島は朝鮮領になった。
31900年の「勅令第41号」で、独島は欝島郡の所属になった。一方、日本も1877年の地籍編さんの際、太政官が竹島を日本領土から外した。
41946年の連合国最高司令官総司令部指令で、独島は朝鮮領となった。
 しかし、これらの主張には、疑問点がある。竹島問題研究会が日韓両国政府の主張やこれまでの研究を半年間にわたって考察する中でも、「検討・検証の必要がある」と思える課題が、いくつか浮上した。
 詳しくは、次ページ以降で記すが、例えば、韓国側は現在の竹島を于山島とし、歴史的に鬱陵島の属島だったとする根拠として、「東(とう)国(ごく)文(ぶん)献(けん)備(び)孝(こう)」にある「輿(よ)地(ち)志(し)によれば、鬱陵島と于山島は、于山国の地であり、于山島はいわゆる日本の松島(現在の竹島)だ」との記述を挙げる。
 だが、東国文献備考の下地になった「彊(きょう)界(かい)考」には、「輿地志によれば、于山島と鬱陵島は同じ島」と記されている。
 こういった疑問点の多くは、かつての日韓両国政府の“論争”でも指摘されなかった。竹島問題研究会は引き続き、客観的な事実の究明に努め、そのよりどころにした史料・文献も併せ、論点を整理した結果、成果を明らかにしていきたい。
Êۺâŷ¡áÅ纬¸©¡Þ£¡­ô¤ÎÅçĮʡ¡Þº
竹島(現在の鬱陵島)へ渡海する際、航海安全を祈願した弁財天=島根県隠岐の島町福浦  
ÏÀÅÀÀ°Íý¡¡¸ÅÂ夫¤é¶áÀ¤¤ء¡¡ְÂζʡ¤ÎÅоì¡×
Â礭¤¯¿©¤¤°㤦¡ֿÍʪÁü¡×
 竹島(韓国名・独島)の領有権問題の来歴を振り返る時、どうしても避けて通れない1人の朝鮮人がいる。その名は、安龍福―。韓国側では、日本側に鬱陵島と竹島を朝鮮領と認めさせた「英雄」。対する日本側では、後に領有権問題を複雑化させる一因となった「偽証」の多い人物との見方がある。相反する評価は、同島をめぐる両国の主張、見解の大きな隔たりと深くかかわる。

 ■鬱陵島の帰属先が論争の発端
 安龍福が歴史に登場するのは、江戸時代前半の1690年代。舞台は、竹島の西北約90キロにある鬱陵島で幕を開けた。同島はかつて于山国と称し、512年に新羅に帰属。高麗、朝鮮へと引き継がれたが、朝鮮半島を襲う倭寇の巣くつになるのを恐れた朝鮮王朝が1417年、入島・居住を全面禁止する「空島政策」を取った。
 一方、日本では、鬱陵島を竹島と呼んだ。米子の商人・大谷甚吉が1600年代初め、鳥取藩に渡海を願い出て、江戸幕府が大谷家と同じく米子の村川家に限って許可。両家はアワビやワカメなどを採るため、年交代で同島に渡るようになった。大谷甚吉の位(い)牌(はい)には「竹島渡海開基」とある。
 一見、平穏だった同島に、異変が起こるのは1692年。鳥取藩士・岡島正義の「竹島考」や米子の大谷九右衛門の「竹嶋渡海由来記抜書控」によると、同年3月末、年番だった村川家の船が近付くと、多くのアワビが干され、漁具や漁船がなくなるなど、何者かが漁をしている痕跡があった。
 そうこうするうち、朝鮮の漁民と遭遇。村川家の船頭は、同島は日本の領土であり、2度と渡らないよう、申し伝え、権益が荒らされた証拠として、朝鮮の漁民たちがつくった干しアワビや味噌麹などを持ち帰った。
 そして、1年後の93年。安龍福との運命的な出会いが訪れる。大谷家の船頭たちが前年の村川家に続き、鬱陵島で漁をする朝鮮人を発見。その中にいたのが、安龍福と朴於屯という人物だった。強い警告を発したのに、再び朝鮮人と遭遇したことに強い危機感を持った大谷家の船頭は、2人を隠岐島経由で米子に連れ帰り、鳥取藩に訴えることにした。
 鳥取藩から裁定を求められた江戸幕府は同藩に対し、2人に鬱陵島に渡らないよう厳命した上で、長崎への移送を指示。日本側の朝鮮外交の窓口だった対馬藩が2人を引き継ぎ、藩主・宗義倫の書簡で、同島への渡海禁止の周知、徹底を朝鮮王朝に強く求めた。同王朝も、2人を「罪人」として、厳しく罰する方針を示した。
 しかし、朝鮮王朝と対馬藩は互いに、鬱陵島が自国領と譲らず、折衝は難航。朝鮮王朝内の政権交代で、当初は融和策だった対日外交の姿勢が強硬策に転じたことも、問題を複雑化させた。
¼¾å²ȤǸ«¤Ĥ«¤ä¿°Âζʡ¤ζ¡½Ҥ򵭤·¤¿¸Åʸ½ñ
 
 
 
 

転載元: 3.11 ATC放射性物質汚染対処シンポジウムは動画配信中

casa「原発事故の原因はどこまでわかっているのか?」「放射能汚染とその影響」「エネルギー政策とCASAの脱原発シナリオ」

$
0
0
CASA地球環境大学のチラシ↓
http://www.bnet.jp/casa/katudou/chikandai/chikandai20/chikanndai20.pdf

第1回「原発事故の原因はどこまでわかっているのか?」

日 時 5月12日(土)  13:30-16:30    
場 所 大阪歴史博物館 研修室1
報 告 「政府原発事故調査委員会の中間報告」                         
講 師 安部 誠治さん(関西大学社会安全学部教授)
 福島原発事故の原因、事故による被害の原因究明のため、政府は事故調査・検証委員会
を設置し、昨年末には中間報告が発表されました。今年7月には最終報告が提出される予定
です。
 社会安全学の立場から、この事故調査委員会に技術顧問として参加されている安部先生に、
中間報告の内容を中心にお話いただきます。また、安部先生が航空・鉄道事故調査委員会の
公述人として意見を述べられた尼崎JR脱線事故との関連で、こうした事故の根本的な問題が
どこにあるのかについてもお話いただきます。

第2回 「放射能汚染とその影響」

日 時 6月23日(土)13:30-16:30
講 師 野口 邦和さん(日本大学専任講師)
場 所 大阪歴史博物館第一研修室 f@d)

第3回「エネルギー政策とCASAの脱原発シナリオ」
日 時  7月28日(土)  13:30-16:30
講 師  歌川学さん(独立行政法人産業技術総合研究所)
     上園昌武さん(島根大学教授/CASA理事)
場 所 大阪科学技術センター404号室
 ※ご注意ください。
  当初の7/21(土)、大阪歴史博物館から変更になっています。

参加申込等
受講料    資料代として 1講座 :会員・学生500円、一般1000円
参加方法   事前申し込みをお願いします。  
申込み・問合せ  
    CASAまで 電話  :06-6910-6301 
                    E-mai l :office@casa.bnet.jp

-------------------------------------------------------------「知りたい」が詰まっている、「伝えたい」に応える。地球温暖化に関する最新情報263項目を収録地球温暖化 資料集2011(CD-ROM版) 販売中!! 詳しくはCASAホームページへ http://www.bnet.jp/casa/(NPO)地球環境と大気汚染を考える全国市民会議(CASA)〒540-0026 大阪市中央区内本町2-1-19-470TEL 06-6910-6301   FAX 06-6910-6302Email : office@casa.bnet.jpURL   : http://www.bnet.jp/casa/

[転載]*動画 【領土主権】竹島問題の早期解決を求める東京集会[桜H24/4/12]


[転載]*動画 【領土主権】竹島問題の早期解決を求める東京集会[桜H24/4/12]

[転載]地理:竹島は日本固有の領土「竹島問題の早期解決を求める東京集会」

$
0
0
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【山谷えり子 領土議連会長】竹島問題の早期解決を求める東京集会②
mahorobajapanさんが 2012/04/12 に公開
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本の領土を守るため行動する議員連盟
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【洲浜繁達・島根県議会議長】竹島問題の早期解決を求める東京集会③
mahorobajapanさんが 2012/04/12 に公開
説明はありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【山口壮外務副大臣】竹島問題の早期解決を求める東京集会④ 政府側来賓
mahorobajapanさんが 2012/04/12 に公開
説明はありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【一川保夫民主党衆院議員】竹島問題の早期解決を求める東京集会⑤
mahorobajapanさんが 2012/04/12 に公開
説明はありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【塩谷立 自民党総務会長】竹島問題の早期解決を求める東京集会⑥
mahorobajapanさんが 2012/04/12 に公開
説明はありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【平沼赳夫 立ち上がれ日本代表】竹島問題の早期解決を求める東京集会⑦
mahorobajapanさんが 2012/04/12 に公開
説明はありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【鈴木宗男 新党大地代表】竹島問題の早期解決を求める東京集会⑧
mahorobajapanさんが 2012/04/12 に公開
新党大地・真民主
http://www.muneo.gr.jp/
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【赤松正雄 公明党衆院議員】竹島問題の早期解決を求める東京集会⑨
mahorobajapanさんが 2012/04/12 に公開
説明はありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【桜内文城 みんなの党】竹島問題の早期解決を求める東京集会⑩
mahorobajapanさんが 2012/04/12 に公開
説明はありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【山内徳信 社民党】竹島問題の早期解決を求める東京集会⑪
mahorobajapanさんが 2012/04/13 に公開
説明はありません
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【井川直樹 日本青年会議所会頭】竹島問題の早期解決を求める東京集会⑫
mahorobajapanさんが 2012/04/13 に公開
説明はありません。
 
竹島の実測原図 旧日本軍、明治41年に測量
2012.4.11
島根県竹島(韓国名・独島)を旧日本海軍が明治41(1908)年に測量した実測原図が海上保安庁に所蔵されていることが10日、同県竹島資料室の調査で分かった。
 原図は、旧日本海軍水路部が経緯度を実測した記録「本標 経緯度実測原簿」(縦30センチ、横21センチ)。竹島資料室が今年3月、海上保安庁海洋情報部(東京都)の資料を調査し、新たに見つかった。測量時の竹島経緯度が記された経緯度表も初めて確認された。
 原図の縮尺は、1万8204分の1。旧日本海軍が明治41年8月4、5日の2日間、竹島周辺を測量し作製した。
 竹島の西島を「男島」、東島を「女島」と記載。島名を含む地名9カ所が記載されており、西島南西の「南西岩」や、西島と東島の間にある「洞岩」、東島北東の「洞湾」など6カ所は、今回初めて確認された地名だった。
 
 

転載元: アサヒる敗戦利得者

[転載]地理:竹島は日本固有の領土「竹島問題の早期解決を求める東京集会」

$
0
0
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【山谷えり子 領土議連会長】竹島問題の早期解決を求める東京集会②
mahorobajapanさんが 2012/04/12 に公開
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本の領土を守るため行動する議員連盟
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【洲浜繁達・島根県議会議長】竹島問題の早期解決を求める東京集会③
mahorobajapanさんが 2012/04/12 に公開
説明はありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【山口壮外務副大臣】竹島問題の早期解決を求める東京集会④ 政府側来賓
mahorobajapanさんが 2012/04/12 に公開
説明はありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【一川保夫民主党衆院議員】竹島問題の早期解決を求める東京集会⑤
mahorobajapanさんが 2012/04/12 に公開
説明はありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【塩谷立 自民党総務会長】竹島問題の早期解決を求める東京集会⑥
mahorobajapanさんが 2012/04/12 に公開
説明はありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【平沼赳夫 立ち上がれ日本代表】竹島問題の早期解決を求める東京集会⑦
mahorobajapanさんが 2012/04/12 に公開
説明はありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【鈴木宗男 新党大地代表】竹島問題の早期解決を求める東京集会⑧
mahorobajapanさんが 2012/04/12 に公開
新党大地・真民主
http://www.muneo.gr.jp/
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【赤松正雄 公明党衆院議員】竹島問題の早期解決を求める東京集会⑨
mahorobajapanさんが 2012/04/12 に公開
説明はありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【桜内文城 みんなの党】竹島問題の早期解決を求める東京集会⑩
mahorobajapanさんが 2012/04/12 に公開
説明はありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【山内徳信 社民党】竹島問題の早期解決を求める東京集会⑪
mahorobajapanさんが 2012/04/13 に公開
説明はありません
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【井川直樹 日本青年会議所会頭】竹島問題の早期解決を求める東京集会⑫
mahorobajapanさんが 2012/04/13 に公開
説明はありません。
 
竹島の実測原図 旧日本軍、明治41年に測量
2012.4.11
島根県竹島(韓国名・独島)を旧日本海軍が明治41(1908)年に測量した実測原図が海上保安庁に所蔵されていることが10日、同県竹島資料室の調査で分かった。
 原図は、旧日本海軍水路部が経緯度を実測した記録「本標 経緯度実測原簿」(縦30センチ、横21センチ)。竹島資料室が今年3月、海上保安庁海洋情報部(東京都)の資料を調査し、新たに見つかった。測量時の竹島経緯度が記された経緯度表も初めて確認された。
 原図の縮尺は、1万8204分の1。旧日本海軍が明治41年8月4、5日の2日間、竹島周辺を測量し作製した。
 竹島の西島を「男島」、東島を「女島」と記載。島名を含む地名9カ所が記載されており、西島南西の「南西岩」や、西島と東島の間にある「洞岩」、東島北東の「洞湾」など6カ所は、今回初めて確認された地名だった。
 
 

転載元: アサヒる敗戦利得者

「今後の汚水処理のあり方に関する検討会」中間取りまとめ

$
0
0

「今後の汚水処理のあり方に関する検討会」中間取りまとめ

 このたび、「今後の汚水処理のあり方に関する検討会」において中間取りまとめがなされましたので、お知らせいたします。
 望ましい汚水処理のあり方について検討を行う目的で、国土交通省、農林水産省、環境省の関係3省の政務官により、「今後の汚水処理のあり方に関する検討会」を平成22 年4月19日に設置し、これまでに6回の検討会を開催して議論を重ねてきたところですが、このたび、検討結果を「中間取りまとめ」として公表いたします。
※中間取りまとめについては別添のとおり。

○「今後の汚水処理のあり方に関する検討会」メ


添付資料
 
2012.4.4
「今後の汚水処理のあり方に関する検討会」中間取りまとめ

生活排水等の汚水の処理は、公衆衛生・生活環境を向上させ、水環境の改
善を図るために必要不可欠なものであり、国として取り組まなければならな
い重要な政策課題である。
汚水処理に関する施策は、国土交通省、農林水産省、環境省の関係3省の
連携のもと進められているところであるが、この取組をより効率的に推進す
る方策を検討すべく、関係3省の政務官による「今後の汚水処理のあり方に
関する検討会」を平成22年4月19日に設置し現在までに5回の検討会を開催
して議論を重ねてきた。
 
また、この間、平成22年6月には都道府県知事、全市町村長に汚水処理
の現状や課題等のアンケートを実施して日本全国の首長のお考えを伺い、ま
た、平成22年11月17日には「今後の汚水処理のあり方に関する検討会
有識者等委員会」を設置し、合計6回にわたり専門的知識を有する学識経
験者等からご意見を伺った。
 
このような経緯を踏まえて検討会として、関係3省のより緊密な連携を基
本としながら、未普及地域における汚水処理施設の早期整備を行うための方
策、公共用水域の水質保全を効率的に図るための方策、循環型社会・低炭素
社会の構築への貢献を図るための方策、経営の健全化を図るための方策等に
ついて幅広く検討し、このたび、「中間とりまとめ」を作成するに至った。
 
今後、関係3省の更なる連携のもと、「中間取りまとめ」に示した内容の
実行に向けて検討を進め、より一層の公衆衛生・生活環境の向上と水環境の
改善を図ることとする。
 
なお、本検討会において全国の首長や有識者から、省庁の区分にとらわれ
ることなく地域の実情にあった計画的かつ効率的な汚水処理施設の整備の推
進についてのご指摘を踏まえ、国の制度や事業執行体制のより一層の効率化
を含めた連携の強化について引き続き検討を進めていくものとする。
 
①未整備地域における効率的な整備のあり方について
我が国の汚水処理施設整備は、都道府県構想に基づき、地方公共団体が各
種汚水処理施設の有する特性、経済性等を総合的に勘案し、地域の実情に応
じた効率的かつ適正な整備手法を選定した上で、適切に事業を実施している。
しかしながら、未だ国民のおよそ7人に1 人が汚水処理施設を利用できてい
ない状況にあり、汚水処理施設の効率的な早期整備が求められている。その
ために、今後は以下の施策等によって未整備地域における効率的な整備を促
進していくことが必要である。
 
1.効率的な早期整備推進における国の支援
 
○ 汚水処理施設は国民生活に必要不可欠な施設であることから、関係省
庁の緊密な連携のもと、国として効率的な早期整備のため、支援をより
一層推進すること。
 
2.都道府県構想の徹底した見直しの加速
 
○ 今後、より一層の効率的な汚水処理施設整備のために、3省で連携し、
都道府県構想策定マニュアルの作成等の支援により都道府県構想の徹底
した見直しを加速する。
 
②汚水処理のグレードアップによる水環境保全への一層の貢献
公共用水域の水質保全については、汚水処理施設の整備の進展により一定
の効果を挙げているものの今後も整備の促進や適切な維持管理が必要となっ
ている。特に三大湾や湖沼等の閉鎖性水域においては、依然として水質改善
が進んでいない状況にある。そのために、今後は以下の施策等によって水環
境の保全を図ることが必要である。
 
1.適正な維持管理の確保
 
○ 浄化槽の設置・維持管理について、市町村設置型を推進するなど、公
的関与を強める方向で検討すること。
 
○ 浄化槽の法定検査の受検率が低いことなどを踏まえ、受検率の向上と
ともに適切に管理がなされるような仕組みを検討すること。
 
2.湖沼等の閉鎖性水域における富栄養化防止の取組強化
○ 湖沼等の閉鎖性水域における富栄養化防止のため、高度処理の計画的
な導入を推進すること。
 
3.単独浄化槽の解消
○ 水環境保全の観点から、単独処理浄化槽やくみ取り便所の解消が図ら
れるよう、下水道供用区域内における下水道への接続促進、下水道計画
区域外における農業集落排水施設・合併処理浄化槽への転換に向けた取
組を強化するとともに、その重要性に関してより一層の環境教育・啓発
普及の推進を図ること。
 
③ 循環型社会・低炭素社会の構築への貢献について
世界の資源・エネルギー需要は、今後とも大幅に増加すると見込まれて
いる一方で、資源エネルギーの枯渇が懸念されている。また、資源・エネ
ルギーの消費量の増加による地球温暖化による影響も顕在化しつつある。
これらの課題に対応するために、集められた汚水・汚泥等の物質を資源・
エネルギーとして活用・再生する循環型システムへの転換が求められてお
り、今後は、以下の施策等によって循環型社会・低炭素社会の構築へ貢献
していくことが必要である。
 
1.汚水処理施設の有する資源の有効利用の促進
○ 汚水処理施設の有する熱、ガス、バイオマス(汚泥)、放流水等の資
源については、循環型社会・低炭素社会の構築に貢献する観点から、今
後より一層の有効利用を図ること。
 
2.民間資金やノウハウ等の活用
○ その際、民間の資金やノウハウの積極的な活用を図るための仕組みの
導入について検討すること。
 
④ 健全な経営の確保に向けた対応について
我が国の社会資本ストックは高度成長期に集中的に整備されており、多く
の施設が更新時期を迎えつつある。一方で、今後は国・地方の財政状況の逼
迫等により社会資本ストックが満足に更新できなくなるおそれがある。ナシ
ョナルミニマムとしての汚水処理施設は、厳しい財政状況にありながらも、
人口減少などの社会情勢の変化を踏まえつつ、施設を適正に維持・更新して
いくことが求められている。そのために、以下の施策等によって健全な経営
の確保を図ることが必要である。
 
1.老朽化対策も含めた長期的・計画的な維持管理の実施
○ 増大する汚水処理施設ストックを長期的な視点に立って適切に管理し
ていくため、ストックマネジメントの導入を推進すること。
 
○ その際、老朽施設の改築に併せた施設の統合、複数処理場のネットワ
ーク化や人口減少等に応じた適切な施設規模への見直しなどについて、
地域ごとの特徴及び住民意見を踏まえつつ、効率的な運営が可能な汚水
処理システムへの再構築を推進していくこと。
 
○ また、バイオマス利活用に配慮しつつ、くみ取りし尿を含む汚泥の処
理の集約化・共同化を推進すること。
 
2.包括民間委託等も考慮した維持管理コストの縮減
○ 増加する維持管理費のコスト縮減を図るため、包括民間委託の導入な
どを推進すること。
 
3.健全経営のための支援
○ より一層計画性・透明性の高い経営が実現されるよう、引き続き経営
計画の策定等を推進すること。
 
○ 経済的助成の仕組みを含めた地方公共団体の財政負担軽減のための仕
組みについて引き続き検討すること。
 
以上
 

[転載]熊本「水俣市、水源地に太陽光発電」県内自治体で最大

$
0
0

水俣市、水源地に太陽光発電 県内自治体で最大

 
2012年03月14日

水俣市、水源地に太陽光発電 県内自治体で最大の写真、図解
水俣市の第1水源地に設置された太陽光発電システムのパネル
 水俣市は14日、同市古城の「第1水源地」で太陽光発電システムの稼働を始めた。敷地内に縦1メートル、横1・5メートルのパネル420枚を並べて整備。最大出力約100キロワットで、県内自治体では最大規模。

 水源地の電源確保と二酸化炭素(CO2)削減が目的。年間
発電量は約10万8千キロワット時を見込み、同水源地の消費電力の25%を賄う。CO2削減量は年間約40トン。

 同水源地は市内7カ所の中で給水規模が最も大きく、給水人口は約7千人。1999年9月には台風による停電で断水した。太陽光
発電が稼働すれば、停電時も送水ポンプや浄水設備を動かすことができるという。余剰電力は売電。事業費は約8130万円で国が2分の1を補助した。

 現地であった通電式には約40人が出席。宮本勝彬市長がボタンを押して完成を祝った。

 このほか、市は今月から市庁舎の空調を、重油を使う設備から電気式空冷ヒートポンプに変更した。事業費は4100万円。年間27・5トンのCO2を削減、運転費も半分以下になるという。(辻尚宏)
 
熊本日日新聞

転載元: 今日からの日記

Viewing all 2268 articles
Browse latest View live