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Channel: 持続可能な開発(水・土・廃棄物)
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[転載]花壇祭り/鶴見緑地

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{{{{{ 鶴見緑地(大阪市)での花壇祭りから園芸業者と公園管理者の作品 }}}}}

さすがに手の込んだものが多く、手馴れた感じがする反面、花自体が材料化してしまい個々の味わいが稀薄になっているかもしれない。

転載元: 大阪百景


[転載]★鶴見緑地の秋

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★鶴見緑地の秋

 ごらん頂きまして有難う御座います。

 素晴らしい秋空の下で楽しんでまいりました。
 紅葉には少し早いようですが、一部紅葉した樹木も
見られ素敵ですよ。日差しは暑くて眩しい位でした。
久しぶりの秋晴れの下で皆さんお楽しみでした。

 



猫のお絵描き主人のサイトです。どうぞよろしく。8月5日更新。
(http://www2.odn.ne.jp/kanayama.pc)

転載元: 猫のお絵描き部屋

[転載]いのちの塔・鶴見緑地

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いのちの塔・鶴見緑地

イメージ 1
1990年の国際花と緑の博覧会を記念してつくられた展望塔・通称「いのちの塔」
高さ90mの鉄塔には、地上から約60mのところに
床面積56.7平方メートルのパノラマ・フロアが設けられていますが
現代ではいのちの塔は閉鎖しており入れません
イメージ 2
大阪のの鶴見緑地でいのちの塔を見を見ました
国際花と緑の博覧会の時に造られた塔です
今は中に入れないのが残念です
鶴見緑地に堂々と建っていて
その周りを鳥が飛びまわっていました
\¤\᡼\¸ 2
大阪には、おもろいもんがいっぱい有るんやで~
イメージ 3
1人2000円の参加費で会員を募って写真やメッセージを光磁気ディスクに
永久保存するという一種のタイムカプセルプロジェクトが行われました
いのちの塔と咲くやこの花館を撮影しました
イメージ 4
建設費用や運営費用は18歳までの子どもを対象にして募集された
「100万人会員」の会費や、企業・団体や個人の募金により賄われた。
会員数が達成せず資金難から花の万博の会期中も
会員募集と募金活動が会場内で行われた
イメージ 5
いのちの塔の隣に有る咲くやこの花館です
国際花と緑の博覧会の大阪市のパビリオンとして建設されて
外観は水面に浮かぶ睡蓮をイメージしています

転載元: おおさか村

大阪湾Years2012-2013(大阪湾の底質汚染はあまり改善されません)

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大阪湾Years2012-2013とは

 大阪湾の環境の課題については、これまで関係行政機関の連携や市民・NPO、学識者、企業等の多様な主体と連携して大阪湾再生に取り組んできました。
 
イメージ 8 この取り組みが2013年度に最終年度を迎えることから、改善の兆しの見え始めた大阪湾の環境について、皆さま方に知っていただくことと、現状の環境について意見や評価をいただきたいと思っております。
 このため、残る2ヶ年で大阪湾の生き物や環境についてシンポジウム、ワークショップ、勉強会ほかさまざまな活動を連帯して行うことを考えています。
 
 これが、“大阪湾Years2012-2013”です。 大阪湾の環境は、大阪府、京都府、兵庫県、滋賀県、奈良県、和歌山県の近畿2府4県全ての対象エリアから、最後に流れつく海なのです。多くの方々に催しに来ていただくために、下記のイベントカレンダーを作成しましたので、是非足をお運び下さい。
                                          ★大阪湾Years2012-2013イベントカレンダー★(PDF印刷)NEW 5月29日更新
                                                     6月イベントカレンダー印刷 
                                                     7月~8月イベントカレンダー印刷 
                                                     9月~10月イベントカレンダー印刷 
                                                     11月~3月イベントカレンダー印刷 
                                           
                                           
                                          大阪湾再生とは・・・・ 大阪湾再生の背景  
                                          イメージ 7
                                           
                                           
                                          大阪湾再生に向けての取り組み
                                                     大阪湾再生行動計画・目標と指標 (75KB)
                                           
                                           
                                           

                                           

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                                              生物の棲みやすさ (69KB)
                                                       水のきれいさ (156KB)
                                             
                                             
                                             
                                             
                                             
                                             
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                                                       住民・市民、NPO、企業との連携・協働 (165KB)
                                                
                                            これまでの取り組み成果
                                                目標達成状況~改善の兆し~(海の底の酸素量) (179KB)
                                             
                                            イメージ 10
                                             
                                               
                                             
                                             大阪湾の底生生物は岬町や関空当たりでは少し種類が増えたようですが、その他の地域では色々な種類を見つけることができたと考えるべきではないでしょうか?
                                             
                                             なお、大阪湾奥のは底生生物が棲める場所では無いようです。
                                             
                                               
                                              大阪湾Years2012-2013のイメージ
                                                           大阪湾Years2012-2013 (21KB) 

                                            イメージ 11
                                             
                                             
                                             
                                            生き生き地球館でも、「都市生活と大阪湾」などのテーマでシンポジウムを開催すすのはいかがですか?
                                             
                                             
                                             
                                            都市緑化
                                             大阪は緑量が少ないですね!雨水排水ピーク量カットの面からも緑を多くすべき。
                                             
                                            都市の下水
                                             合流式雨の日には大便や工場排水が無処理で大阪湾に流れ出している現実を知ることが大切です。
                                             
                                            雨水利用
                                             雨水排水ピーク量カットの面からも雨水利用を進めるべき。マンション等では、樋に貯留タンクを設置し、植栽の散水に利用する。
                                                         
                                                         
                                                         
                                                         
                                                         
                                                     大阪湾奥では以上のことから,総量規制等の行政施策による陸域からの汚濁負荷の減少に伴い,
                                                    栄養塩または有機物指標に関して水質は改善し,底質の悪化には一定の歯止めがかかっているが,
                                                    自然海岸等の消失により生物による物質循環が機能できないため,過去から底質に蓄積した有機汚
                                                    濁負荷の影響を受け夏季の底層の貧酸素化が発生することが示唆された.これらの理由から大阪湾
                                                    奥の底層貧酸素化の改善には,海岸の修復を行い生物による物質循環を駆動させ浄化作用を取り戻
                                                    させること,また,底質に過去から蓄積した有機汚濁負荷を浄化することが必要であると考えられた.

                                                    Ⅳ 結論
                                                    1 播磨灘では1982年以降底層の貧酸素化は改善傾向にあるが,大阪湾奥では継続発生している.
                                                    2 近年の大阪湾奥における底層貧酸素化に伴う,底質からの栄養塩の溶出は軽微と認められた.

                                                    3 大阪湾奥の底層貧酸素化は海水中の栄養塩および有機物指標の減少に関わらず継続している.
                                                    4 大阪湾奥の底質は依然として底層の貧酸素化を引き起こす可能性を有している.
                                                    5 大阪湾奥では自然海岸等の消失が底層の貧酸素化を発生させる一要因であることが示唆された.
                                                     
                                                     
                                                     

                                                    大阪湾の環境 2.大阪湾の海域環境 「底質」

                                                     

                                                    底質の臨界値

                                                     
                                                    大阪湾において、海底に軟泥が厚く堆積している海域は、淀川河口およびその周辺の沿岸域であり、次いで湾中央部の水深20~30mの範囲である。軟泥層の厚さは、堆積物の溜まり易さを表しており、有機物や栄養塩を含む海底泥は、湾奥部を中心に和田岬から泉南にかけての水深20m以浅の海域に分布している。
                                                    海底泥は、海水に懸濁していた物質が沈降し長い間堆積したものであるため、底質分布は、海水の汚濁状況を反映していることにもなる。
                                                     
                                                    水質への影響が著しくなる
                                                    底質の臨界値

                                                    底質改善の目安となる「水質への影響が著しくなる底質の臨界値」は、底質と底層水質、底質と底泥からの栄養塩溶出速度の関係からみると、強熱減量で約10%、化学的酸素要求量(COD)で30~35mg/g程度、硫化物で0.6~0.8mg/g程度、全窒素(T-N)で1.5~1.8mg/g程度、全リン(T-P)で0.6mg/g程度である。
                                                     
                                                    指標項目強熱
                                                    減量
                                                    COD
                                                    硫化物全窒素
                                                    (TーN)
                                                    全リン
                                                    (TーP)
                                                    1)
                                                    底層水質
                                                    DO :
                                                    溶存酸素
                                                    約10
                                                    %以上
                                                    30~35
                                                    mg/g
                                                    以上
                                                    約0.6
                                                    mg/g
                                                    以上
                                                    -
                                                    -
                                                    PO4ーP :
                                                    リン酸性リン
                                                    約10
                                                    %以上
                                                    30~35
                                                    mg/g
                                                    以上
                                                    約0.6
                                                    mg/g
                                                    以上
                                                    -
                                                    約0.6
                                                    mg/g
                                                    以上
                                                    TIN :
                                                    総無機性窒素
                                                    約10
                                                    %以上
                                                    30~35
                                                    mg/g
                                                    以上
                                                    0.6~0.7
                                                    mg/g
                                                    以上
                                                    約1.8
                                                    mg/g
                                                    以上
                                                    -
                                                    2)
                                                    底泥からの
                                                    栄養塩溶出速度
                                                    PO4ーP :
                                                    リン酸性リン
                                                    約10
                                                    %以上
                                                    30~35
                                                    mg/g
                                                    以上
                                                    0.6~0.8
                                                    mg/g
                                                    以上
                                                    -
                                                    約0.6
                                                    mg/g
                                                    以上
                                                    NH4ーN :
                                                    アンモニア性窒素
                                                    約10
                                                    %以上
                                                    30~35
                                                    mg/g
                                                    以上
                                                    0.6~0.8
                                                    mg/g
                                                    以上
                                                    約1.5
                                                    mg/g
                                                    以上
                                                    -
                                                    (注)1)は現地調査から、2)は室内結果から導き出された底質の臨界値である。
                                                     
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                                                          大阪湾の底質改善事例がありましたら、下のコメント欄に記載頂きますようお願いします。
                                                           

                                          [転載]震災がれき受け入れ反対者に問う!

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                                           間もなく3.11東日本大震災から1年になろうとしている。1年になろうとしているが、被災地には未だ大量の震災がれきが山積し、復興を妨げている。にも拘らず、被災地以外で此の震災がれきを処理省とすると異を唱え、反対する輩が後を絶たず、為に「震災がれき処理」を実践している自治体は未だ東京都ぐらいしかないそうである。
                                           
                                           原水禁が奇怪な理屈でその震災がれき受け入れ拒否を求めたのに対し、公開質問状を投げつけた(*1)私だ。震災がれき受け入れ反対を唱える輩に対しても、やはり問おうではないか。
                                           
                                          【Q1】貴方らが貴方らの地域での震災がれき処理に反対するのは、震災がれきに含有される放射性物質によるリスクを恐れるが故である。【Yes or No ?】

                                          【Q2】被災地外で処理される震災がれきが放射性物質によるリスクをもたらすならば、今だ震災がれきが山積している被災地はそれ以上の放射性物質リスクに曝されている。【Yes or No ?】

                                          【Q3】上記【Q2】の答えがYesならば、貴方は「被災地は東日本大震災とその後の津波による被害に加え、震災がれきによる放射能リスクも甘受するのが当然だ」と考えている。【Yes or No ?】

                                          【Q4】上記【Q2】の答えがNoならば、貴方は「被災地の被災民には放射能耐性があるので、震災がれきの放射能に曝されてもリスクとはならない。」と考えている。【Yes or No ?】

                                           
                                           いずれもYesかNoかの二択で答えられる質問だから、答えるのは簡単な筈だ。
                                           
                                           さて、その上で、だ。
                                           
                                          【Case1】上記【Q3】がYesの場合。これが一番多そうな答えかと思うが、この場合貴方は「極めて冷酷無比な利己主義者」である。何しろ【Q1】で震災がれきには放射能リスクがあると考え、【Q2】で震災がれきの放射能リスクは震災がれきを受け入れた場合の貴方地域(被災地以外)よりも被災地の方がリスクが高いと認識しつつ【Q3】そのリスクを被災地にそのまま押し付けているのだから。ソリャ世の中に利己主義者はゴマンと居ようから、「赤信号皆でわたれば怖くない」ではあろうが、そんな貴方の地域が何時の日か被災地となり、貴方自身が被災民になったとしても他地域からの支援も一切謝絶し、貴方地域のがれきは全て貴方地域で処分すると、公言し、準備し、実施しなければならない筈だ。貴方地域が被災地となる前に、貴方の寿命が尽きる可能性は当然あるが、其れは敵前逃亡であり、先述の公言・準備は今からでも開始すべきであろう。

                                          【Case2】上記【Q3】がNoの場合。貴方は、鳩山由紀夫であろう。勿論これは矛盾と支離滅裂を指摘した最大級の悪罵だ。だが、それだけのことはあろう。何しろ【Q1】で震災がれきには放射能リスクがあると考え、【Q2】で震災がれきの放射能リスクは震災がれきを受け入れた場合の貴方地域(被災地以外)よりも被災地の方がリスクが高いと認識しつつ【Q3】でその「震災がれきによる放射能リスクを被災地に押し付ける心算はない。」と抜かすのだから、普通に考えたら矛盾と支離滅裂である。穿った見方をしても、【Q1】【Q2】に対しては自己都合全開でYesと回答しつつ、【Q3】に対しては震災がれきによる放射能リスクを被災地に押し付ける事がないように最大限努力した。その努力は認めて欲しい。」とかナントカ言うわけの判らない理屈でYesとは答えない、としか考えられない。やっぱり鳩山由紀夫であろう。

                                          【Case3】上記【Q4】がYesの場合。貴方は被災者差別をする差別主義者だ。被災者は放射能を発しているから被災地から出すな。と言い出すのも時間の問題だろう。或いは既に主張し、実践しているのかも知れない。ブラックファロールの昼飯になるが良い。

                                          【Case4】上記【Q4】がNoの場合。貴方は支離滅裂で矛盾しており、人格分裂ないし記憶喪失の可能性がある。何故ならば此の質問【Q4】は、【Q1】と【Q2】に対する回答を説明する理屈として「被災者の放射能耐性」と言う荒唐無稽な仮定を持ち出しているが、こんな仮定でも持ち出さないことには貴方の【Q1】と【Q2】に対する回答を説明できないからである。その仮定さえも否定すると言うのならば、一体貴方は何をどう考えているのか。貴方が鳩山由紀夫や仙石由人ではないかと言う疑問共々、非常に興味深いところである。

                                          【Case5】上記【Q1】がNoの場合。さあ、これが一番問題となるケースだと、私は考えている。と同時に、これもまた【Case1】に次いで公算大なるケースであろうと。
                                           私が此のケースの貴方らを「一番問題」と考えるのは、貴方らが「震災がれき処理による放射能リスク」を否定ないし低いものと考えつつも、「震災がれき受け入れには反対」しているからだ。其れ即ち「反対の為の反対」であり、「震災がれき受け入れ反対」の自己目的化を意味している。
                                           馬鹿につける薬がないように、自己目的に凝り固まった原理主義者につける薬はない。説得も説伏も虚しいばかりであるし、どうせ何を言っても聞く耳は持たないだろう。

                                           よって貴方らは、無視されるべきであり、無視されるであろう。

                                           別に其れで何にも問題ない。貴方自身が認めている通り、震災がれきを受け入れても放射能リスクは充分低いままに収まるのであるから、貴方らの不平不満を別にすれば、全て此の世は事も無い。 
                                           
                                           自己目的に凝り固まった原理主義者なんざ不平不満だらけなのが当たり前だ。そんな不平不満謎、知った事ではない。
                                           
                                           
                                           忘却土に落ちるが宜しかろう。
                                           
                                           如何に、震災がれき受け入れ反対者。
                                           
                                           貴方は「冷酷無比な利己主義者」か、「鳩山由紀夫」か、「被災地差別主義者」か、「人格分裂ないし記憶喪失」か、はたまた「震災がれき処理受け入れ反対原理主義者」か。



                                          <注釈>




                                          各自治体に問う


                                           以上に発した「震災がれき反対者に対する質問」に回答があったとして、各自治体に問おう。
                                           
                                           
                                          【QJ1】 貴方らは、「冷酷無比な利己主義者」に阿るのか。【Yes or No ?】

                                          【QJ2】 貴方らは、鳩山由紀夫級の嘘吐きに迎合するのか。【Yes or No ?】

                                          【QJ3】 貴方らは、「被災地差別主義者」に賛同するのか。【Yes or No ?】

                                          【QJ4】 貴方らは、「人格分裂ないし記憶喪失」を尊重するのか。【Yes or No ?】

                                          【QJ5】 貴方らは、放射能に対する口先だけの「心配」と唱える原理主義者共をまともに相手にするのか。【Yes or No ?】

                                          【QJ6】 上記【QJ1】~【QJ5】何れもNoであり、且つ震災がれき処理受け入れを実施しない場合、貴方らの目は節穴か。【Yes or No ?】
                                           
                                           如何に、地方自治体。特にその首長。

                                          転載元: 日出づる処の御国を護り、外国までも率いん心

                                          [転載]がれき受入れ反対地域は災害時の支援対象から外すべき

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                                          各地でかなり根強い東日本のがれき受入れ反対者がいるようです。
                                           
                                          「東日本大震災被災地からのがれき受け入れを表明している神奈川県の黒岩知事は30日、横浜市中区の県庁本庁舎で、県民と話し合う「対話の広場」を開き、県民ら約220人が参加した。

                                           県内3市でがれきを焼却し、焼却灰を横須賀市の県の管理型最終処分場に埋める計画で、同市の地元住民や県民を対象とした説明会は3回目だが、今回も会場からは反対する県民らから怒号が飛び交うなど、冷静な議論が交わされる雰囲気にはならなかった
                                           知事は、説明板などを使い、自ら視察した岩手県宮古市で東京都が行っている放射性物質の測定の様子などを説明。県民との質疑応答で、「(放射性物質に対する)不安については徹底的な調査をしていく。明らかになっている情報を踏まえた上で、説明するのが知事の責任」と述べ、改めて受け入れへの理解を求めたが、会場からは受け入れに反対する意見が相次いだ。
                                           知事は終了後、記者団に対し、「3回目なので少しは住民の理解が進むと思ったが、厳しい意見だった。冷静な議論をするためには、信頼関係を作るしかない」と述べた。会場から住民投票を求める声が出たことについて「どこの住民を対象にするのかも問題がある。今のところ住民投票をする考えはない」と話した。
                                           知事は予定していた3回の県民への説明会を今回で終え、今後は最終処分場の周辺住民に説明していくという。」とのこと。
                                           
                                          かなりの強い反対意見があるようです。
                                           
                                          「東日本大震災による岩手県大槌町、山田町のがれきを島田市が受け入れる意向を示していることに対し、同市内の最終処分場の周辺住民は30日、がれき受け入れに反対する署名と要望書を市に提出した。また、放射能検査を行う試験処理についても、市民や周辺企業が納得するまで行わないよう求めた。
                                           署名活動を行ったのは、最終処分場のある同市阪本の谷口上、谷口下の2町内会。がれき受け入れについての1回目の説明会が終わった昨年12月25日から今月29日までに、計220世帯中182世帯の580人が反対の署名をした。
                                           谷口下町内会の大塚三千雄会長(71)は「放射能は目に見えず、身体に影響に出るまで時間がかかる。短期間で(受け入れの)結論を出すのは間違っている」と訴えた。
                                           応対した久保田正・環境経済部長は「要望への回答はできるだけ早く行う」と述べた。
                                           また同日、市議会議会運営委員会が開かれ、がれき受け入れに反対の決議を求める陳情の審議が行われた。一部の議員から「審議中は(試験処理など)がれき受け入れに向けた事業を中止すべきだ」との動議が上がったが否決され、陳情は継続審議となった。」とのこと。
                                           
                                          こちらも反対ばかりで、実際に影響があるかどうかやってみて測定するなどの調査すら反対のようです。
                                           
                                          埼玉県は30日、東日本大震災により岩手県内で生じたがれきの一部を県内で受け入れて処理すると表明した。

                                           県によると、受け入れるのは岩手・野田村周辺の「木くず」で、放射性セシウムの濃度が一キログラムあたり100ベクレル以下のものとしていて、12年度からの2年間で計5万トンの受け入れを予定している。このうち、4万トンについては、熊谷市と横瀬町にある民間の工場で、セメントの製造に利用することが検討されている。

                                           県が震災のがれきを受け入れるのは初めてで、県は今後、地元住民への説明会を開き、理解を得た上で受け入れを始める方針。」とのこと。

                                          表明してくれて東日本の皆さんは、ありがとう、という感謝の気持ちでしょう
                                          でも、地元住民への説明会が始まると、他の地域のように大反対されて実行できない可能性があります。
                                           
                                          しかし、この東日本の皆さんがとても自分達では処理しきれない大量のがれきを抱えてなかなか復興が進まない現実がある訳でしょう?
                                          それを助けようとしないのであれば、何らかのペナルティがあって当然だと考えます。
                                           
                                          そこで提案するのが、
                                          東日本のがれき処理を受け入れなかった地域、特に大反対した地域は優先的に、将来大震災が起こり逆の立場になった時に支援対象から外すべきなのです。
                                          東日本の皆さんの本心からすれば、困ったときに助けようとしなかった自分勝手な人達なんて、困ったときだけ助けてくれと言われても助ける気にならないでしょう。
                                          その気持ちは良く分ります。
                                          ですから、例えば近い将来東南海連動大地震が起きて津波で大量のがれきが発生したとしても、その時今回のがれき処理を受け入れなかった地域は支援対象から外すのが良いと思います。
                                          最低限の人道的援助は良いとしても、国の税金を投入してまでがれき処理を支援する必要などないのです。
                                          その地域のがれき処理を他の都道府県が手伝う義理も全くないのです。
                                          災害支援も、今回の瓦礫処理を受け入れた東京都のような地域を優先し、受け入れなかった地域は後回しでいいでしょう。
                                           
                                          困っている時に支援の手を差し伸べる人は、逆の立場になっても助けてもらえる、そうでない人は助けてもらえない。
                                          これが公平というものだと思います。
                                          自分が困った時だけ助けてもらおうなんて、極めてずるい人間だと思います。
                                          いくら神様がいたとしても、そのような人まで助けようとはしないでしょう。
                                           
                                          どうでしょうか?
                                          今回の瓦礫処理を受け入れるかどうかは、単に東日本を助けるかどうかという話ではなく、災害時に助けてもらえるかどうかを決定する条件だと考えます
                                          東日本の皆さんは、がれき処理を受け入れて自分達を助けてくれた地域とそうでない地域は、一生忘れるべきではありません。
                                          困っている人を助けようとしない人達なら、災害で亡くなってもそんなに心が痛まないですよね。
                                          困った時に支援しなくても、そんなに心が痛まないですよね。
                                          今回のがれき処理を受け入れない地域が多いほど、将来の災害で支援しなくていい地域が増えるので、経済的には楽ができます。
                                          しっかり覚えておきましょう。

                                          転載元: シャイヤで狩ろう!

                                          [転載]1. 岡山で両備が販売した小鳥が丘団地土壌汚染の概要

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                                          http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/cf/3a/atcmdk/folder/1503726/img_1503726_51578111_0?20120524063553

                                          http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/cf/3a/atcmdk/folder/1503726/img_1503726_51578111_1?20120524063553

                                          http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/cf/3a/atcmdk/folder/1503726/img_1503726_51578111_2?20120524063553

                                          http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/cf/3a/atcmdk/folder/1503726/img_1503726_51578111_3?20120524063553

                                          http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/cf/3a/atcmdk/folder/1503726/img_1503726_51578111_4?20120524063553

                                          写真
                                          小鳥が丘団地の庭

                                          ATCグリーンエコプラザのセミナールームにおける桃花台及び小鳥が丘等のの住民たち

                                          大阪市立大学特任教授の畑明郎先生と環境カウンセラーの藤原きよみさん

                                          小鳥が丘団地に以前あった旭油化の工場

                                          小鳥が丘団地土壌汚染「現地報告と裁判経過」

                                          2009年12月18日おおさかATCグリーンエコプラザで「土壌汚染の社会的問題」と題するセミナーが開催されました。

                                           そのセミナー資料に一部加筆して公開します。

                                          1. 小鳥が丘団地土壌汚染の概要

                                          1.1 はじめに

                                           小鳥が丘団地は岡山市の東部にあり、すぐそばには小鳥の森公園という農林センターのある自然に恵まれた戸数35戸の小さな住宅団地です。
                                           「土壌汚染問題」が発覚して5年以上になりますがその間、宅地販売業者はもちろん岡山県、岡山市、議員、等に何度となく解決を要望してきましたが今もそのままの状態です。
                                           発覚当初は不安・心配ばかりでしたが、関係者の信じられない対応ぶりに段々憤りを覚え、そのエネルギーを支えに、ここまでやってきましたが、最近ではあまりの道理のなさに怒りを通り過ぎて、茶番劇を見ている様な錯覚さえ感じます。

                                          1.2 汚染発覚

                                           2004年7月(H16)に岡山市水道局から鉛製水道管解消事業の為、団地の水道管を取り替えるとの連絡があり、取り替え工事中に土壌汚染が発覚しました。
                                           刺激臭のある油のような液体がポンプで排水しなければならない程、大量に湧き出しました。
                                           「小鳥が丘団地」が開発された1987年(S62)には、鉛の水道管は鉛公害で国会でも取り上げられ、昭和56年当時使用を止めていたものを何故この団地で使用していたのか、岡山市水道局に公開質問状を出しましたが、水道局からは、団地造成の時に水道工事業者が、小鳥が丘団地の土質が悪いので鉛管を使用したいと要請があり、使用を認めたと回答がありました。
                                           それと、水道管入れ替えで排出した土壌は、持ち出しても処理できないので埋め戻すしかないと言われました。
                                           
                                           団地造成当時から土壌汚染は認識されていたのです。

                                           しかし、その土壌が悪いため、あえて腐食に強い鉛水道管を使用したにもかかわらず、鉛管に腐食による穴が明いていました。風呂の配水管が溶けていた住宅もあります。

                                          1.3 汚染の原因

                                           汚染源は直ぐ分かりました。20年ぐらい前までこの土地で操業していた旭油化工業という化学工場の跡地で、操業中は悪臭公害で行政より十数回に渡り行政指導を行ったが改善されませんでした。
                                           当時の関係者に聞くと、主に京阪神地方の工場廃油の処分を引き受け、ドラム缶で集め、この土地に垂れ流ししていたようです。それを十数年に渡り廃棄し続けました。しかも香川県豊島産業廃棄物不法投棄事件と関連がありました。豊島の廃棄物搬入ルートに旭油化工業の名前が資料に載っていました。

                                           悪臭公害の解決策として1982年(S57)に、行政も関与し両備バス蝓文塾照曄璽襯妊ングス蝓砲買い取るという事で操業を停止し、旭油化工業と両備バス蠅隆屬杷簀齋戚鵑成立しました。この工場跡地を両備バス蠅宅地開発販売したのが、「小鳥が丘団地」です。

                                           20数年前の事ですから周辺に住んでいて当時の様子を知る人も多く、話を聞くと相当ひどいものだった様です。住宅団地になると聞いて本当に大丈夫なのかと疑問に思った人も居たようです。

                                           旭油化工業は近郊の赤磐郡吉井町(現あかいわ市)に名前を瑞穂産業と変え工場を設置し、当地と同様に廃油を垂れ流して土壌汚染を引き起こした為、吉井町ではこの公害工場を1983年1月に操業わずか3か月で撤退させ跡地を調査し土壌汚染が深刻と判断し土壌入替えを行っています。

                                          1.4 汚染発覚以降の推移

                                           汚染発覚当初、両備バス蠅錬害媾蠅離棔璽螢鵐按敢困篩憾与瑤猟蹐良汁愿敖敢座召療攵軣敢困鮗損椶掘環境基準値を超える有害物質が検出されましたが、岡山大学の先生を中心とする両備バス設立の委員会(南古都挟超対策検討委員会)の意見書により、住民の健康への影響が直ちに懸念されるものではない、と回答し、その後の調査も住民との話し合いも打ち切り、長く放置された状態が続きました。

                                          両備バス蠅梁弍
                                          ・宅地開発当時、土壌汚染の認識はなかったと主張。
                                          ・両備バス蠅住民に示した話し合いに応じる前提。
                                            [照丱垢頬‥責任が無い事を認めること。
                                            ⇔照丱垢蓮△海谿幣緜敢困呂靴覆ぁ
                                            住民の意見を統一すること。
                                            っ倭悗離ス抜き工事等改良案は提示したが、費用については両備バスがすべて負担するものではない。
                                                (住民側の負担が基本)
                                          ガス中毒
                                           2006年6月に住民が倉庫工事のため自宅庭を掘削したところ地下15cm~40cm部分から黒い刺激臭のする土壌が出てきました。現地確認を両備バス蠅墨⇒蹐鬚靴泙靴燭拒否され、現地はそのままの状態でした。

                                           2006年10月、住民は掘削した自宅庭をそのままにも出来ず、掘削跡の埋め戻しや堆積した土壌を移動中に倒れ、救急車で病院に搬送され治療を受けました。診断書はガス中毒(亜硫酸ガス中毒疑い)です。原因は庭の掘削跡に水が常時溜まっていて、移動中の堆積した黒い土壌と反応して発生したガスを吸い込んだ様です。

                                          行政開発許可
                                           小鳥が丘団地の開発は3期に分かれていて、最初の第1期は岡山県が宅地開発許可を与え、その後の権限移譲により第2期3期の宅地開発許可は岡山市が与えています。
                                           住民が健康被害を受けたにもかかわらず両備バス蠅調査をしないので、開発を許可した行政に土壌調査要望書を提出しましたが、岡山県は現在の担当行政は岡山市だからそちらの方へと言われ、岡山市に行けば最初に土地調査をして開発許可を出したのは岡山県であり岡山市は土地に関与していないし、調査を適用するような法律がないので出来ないとの(たらい回しの)回答でした。

                                          汚染土壌処分方法
                                           このままでは心配なので、住民が自費で自宅庭の表層土を入れ替えようと思い土壌の廃棄場所を指定してもらう為、2006年9月に岡山市を訪ねたところ、「小鳥が丘団地の土壌は汚染指定区域外の土地ではあるが汚染指定地と同等の処分をして下さい」と言われました。
                                           つまり、汚染土壌なので指定機関で調査をし、指定機関が指示する場所でないと捨ててはならないと言うのです。もちろん検査費用や廃棄費用は住民の負担です。

                                          刑事告訴
                                           この様な健康被害に合う事態になった為、住民2名で、2006年11月に重要事項説明違反で宅地開発販売業者を刑事告訴しましたが、土地購入日(平成5年)からの時効で受理して貰えませんでした。
                                           この件の時効は最大でも3年で、私たちの案件は売買契約から3年と言われましたが、そもそも土壌汚染のような土中に原因のある瑕疵は建物と違って1年や3年で購入者が発見できる方が稀で長期間経った後、何かのきっかけで発覚するのが普通だと思い法律の不備を感じます。

                                          国土交通省、環境省、法務省
                                           国土交通省、環境省、法務省にも質問状を送りましたが、地元の地方自治体に言ってくださいとしか回答してもらえません。

                                          寄付依頼
                                           銀行からは、土地建物の担保価値なし、と言われ担保融資も受けられないため、住民による土壌調査を実行出来ずにいましたが、このままでは実態が分からぬまま放置されてしまいます。そこで寄付をお願いし、足らないところは住民で資金を工面し、民間の調査分析会社にガス中毒で倒れた自宅内の表層土壌の調査分析を委託しました。

                                          住民土壌汚染調査(大阪市立大学大学院 畑 明郎先生)
                                           この分析結果報告書を、大阪市立大学大学院 畑 明郎 先生に見て頂き、ご意見を伺いました。畑 先生から頂いたメールです。 

                                           “サンプル数は少ないものの、土壌ガスから発がん性のベンゼンが、土壌溶出量基準を超えるベンゼン、猛毒のシアン、発がん性のある鉛やヒ素が検出されており、危険で有害な土壌であることが証明されたと思います。ベンゼンや鉛は、廃油や廃溶剤などからと考えられますが、シアンやヒ素の原因は不明です。応急対策として、敷地土壌のアスファルトやセメントによる被覆が早急に必要と考えます。恒久対策としては、建物移転・撤去→土壌入れ替え→再建築しかないと思います。”

                                           汚染発覚当初、両備バス蠅行った全戸数の表層土調査の時、この家の庭も表層土調査を行っていますが異状なしでした。なぜこれほど違うのか疑問です。
                                           この分析結果報告書は当然、岡山県や岡山市の担当窓口に提出し、猛毒のシアンが検出されましたと相談しましたが、自治体では詳しい調査は出来ないとの事でした。
                                           自治体が公正な調査をして汚染実態を明らかにしなければ、その後の対策は前に進まないと思うのですが、自治体にいくら要望しても民間の問題なので調査する法律がない、と言います。






                                           放置された状態でした。






                                          1.5 私たちの懸念する事

                                           小鳥が丘団地土壌汚染で最も深刻な事は住宅地である事です。1日で一番長い時間を過ごすマイホームで安全に生活出来ないのです。
                                           ・住民にはアトピー性皮膚炎、鼻炎、頭痛、死亡者にガンが多い等、懸念する事が多い。
                                           ・団地内から可燃性ガスが出ていて、地元消防署も確認し、充満すれば爆発の危険性も指摘された。
                                           ・夏になると夜中に家庭用ガス漏れ警報器が鳴る家もある。
                                           ・一戸建て住宅なのに、庭で家庭菜園しても食べない方がいいと言われた。
                                           ・小さな子供が砂遊びすると、注意しても口に入れる事があるので、庭で土いじりさせない様に言われた。
                                           ・団地に接する川に油が染み出している。
                                           ・解決出来なければ、当事者一代でなく、子や孫の何代にも渡って被害を出し続ける。
                                           ・周辺への汚染拡大の危険がある。周辺地域に地下水汚染を疑われる現象があり、心配しています。

                                           私たちは安全安心に生活したいだけなのですが今の状況はそれを許してくれません。

                                          1.6 民事裁判に発展

                                           汚染発覚後、被害者住民35世帯で「小鳥が丘環境対策委員会」を設立し対応してきましたが、両備バスはこれ以上調査しない態度を鮮明にし、公的支援もほとんどないに等しく、こう着状態が続きました。

                                           その中で、機動的に活動して証拠を集めなければ進展が無い、と考える住民が、「小鳥が丘環境対策委員会」を一時脱退、別働隊として2名で証拠集め活動(後に「小鳥が丘団地有志の会」を経て「小鳥が丘団地救済協議会」を立上げ)を始めました。

                                           こうして先行した「小鳥が丘団地救済協議会」3世帯(住民訴訟第一次)と後から続いた「小鳥が丘環境対策委員会」18世帯(住民訴訟第二次)が民事裁判で闘っています。


                                          上記内容は岡山両備小鳥が丘団地土壌汚染事件第一次訴訟団の資料をもとにしています。
                                          正確さを100%保障するものではありません。
                                          詳しく知りたい方は現地確認等でご確認下さい。

                                          参考リンク

                                          小鳥が丘団地救済協議会
                                           http://www.geocities.jp/kotorigaoka/

                                          転載元: 水.土壌.心の汚染や、アジア太平洋の歴史を現場で考え真実を伝える

                                          [転載]インドネシアのマナドでシーラカンスを釣り上げた漁師のジュスティヌス・ラハマさん

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                                          インドネシア捕獲されたシーラカンス、国際チームが調査
                                          2007年07月30日 18:19 発信地:マナド/インドネシア

                                          関連情報シーラカンス、インドネシアで捕獲
                                          2007年6月27日、インドネシアのマナド(Manado)でシーラカンスを釣り上げた漁師のジュスティヌス・ラハマ(Justinus Lahama)さん。(c)AFP/Ronan BOURHIS
                                          関連写真1/1ページ全4枚


                                          スライドショーを見る【7月30日 AFP】インドネシアの漁師が2か月前、「生きた化石」と呼ばれる希少なシーラカンスを釣り上げ、日本やフランスの国際研究チームが現地で調査に当たっている。

                                           シーラカンスは5月19日、スラウェシ(Sulawesi)島北部マナド(Manado)近郊で釣り上げられた。漁師のジュスティヌス・ラハマ(Justinus Lahama)さんは息子とともに川を小舟で海まで下り、いつものように沖合い200メートル付近で釣り糸を垂れていた。

                                          「針が3つ付いた約110メートルの釣り糸を伸ばしていくと、3分ほどたったところで大きな獲物の感触があった」とラハマさんは振り返る。

                                           30分かけて糸を巻き上げた末、ようやく水深20メートル付近でもがく魚影が見えてきたが、その姿を目にした時は、夢を見ているのかと思ったという。 「巨大な魚だった。蛍光灯のように光る緑の目と、足を持っていた。もし釣ったのが夜だったら怖くなって海に戻してしまっただろう」。

                                           ラハマさんが釣り上げたシーラカンスは体長1.3メートル、体重50キロ。アジアで生きたまま捕獲されたのは、1998年にやはりマナドで捕まったのに続き、まだ2匹目だという。最近ではアフリカ北部沖のコモロ諸島を中心とする区域でしか見つかっていなかったため、今回の発見は魚類研究者を驚かせた。

                                           シーラカンスは肺魚に近い種で、通常は水深200~1000メートルの深海に生息、成魚は体長2メートル、体重91キロにもなる。1938年に発見されるまでは、恐竜の絶滅と同時期に死に絶えたと思われていた。発見されているシーラカンスの化石で最古のものは3600万年以上前にさかのぼるが、生きたまま発見された個体と比較すると、ほとんど進化の跡が見られない。

                                           ラハマさんのシーラカンスは釣り上げられてから30分たっても水の外で生きていたが、海沿いにあるレストラン前で網を掛けたプールに入れられた後、17時間で死に、その後冷凍された。今後はマナドの博物館に展示される予定だという。

                                           現地へ飛んだフランスの研究チームは、ラハマさんの小舟に音波探知機とGPS(衛星利用測位システム)を装備して、「世界最古の魚」を釣り上げた時の様子をそのまま再現するよう要請した。今後、日本やインドネシアの科学者と共に仏研究機関の協力を得て解剖を行い、遺伝学的な分析も実施する。

                                           釣り上げられた場所が沿岸から近く、深さもわずか105メートルの地点だったという点にも、研究チームは注目している。コモロ群島のシーラカンスよりも、インドネシアのシーラカンスの方が浅い海に生息しているのかという疑問が持ち上がっている。(c)AFP/Ronan Bourhis

                                          転載元: 災害復興・放射能土壌汚染を学び、行動しましょう


                                          [転載]インドネシアの土壌関連法規

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                                          インドネシアの土壌関連法規

                                          [2012年2月1日]

                                          ■土壌に関する法律・規則の概況

                                           
                                           土壌汚染に関する法律・規則については、日本の環境 基本法にあたるLAW OF THE REPUBLIC OF INDONESIA NUMBER 32の中の修復の条項の中に、「環境に汚染、影響を与えた者に対して修復」が義務付けられています。
                                           また、このLAW OF THE REPUBLIC OF INDONESIA NUMBER 32には、罰則(罰金)も規定されています。
                                           また環境省の規則「危険・有害廃棄物による汚染の回復方法」の中には「事業者には、事業によって汚染させた土地を回復する責任がある。」とあります。
                                           この中の汚染された土地とは、危険廃棄物や有害廃棄物によって影響を受けた土地であり、土地とは、生態系、大気、地質、水理、植物、動物を含むものです。
                                           この規則の中には、回復の手順として、計画(サンプリング)、実行、評価、モニタリングの4項目が定められていますが、具体的な方法についての記載はありません。
                                           なお、この規則の中には届出が義務付けられており、完了した際には行政より完了書が発行されます。

                                          ■対応方法について

                                           このような状況の中で、日系企業がインドネシアで操業活動を行う際には、土壌汚染関係で以下のような項目の疑問が出てきます。
                                          1. 調査はしたほうがよいのか? どのような時に調査をするべきか?
                                          2. 分析項目は何か?その基準値は?

                                          1. 調査はしたほうがよいのか? どのような時に調査をするべきか?

                                           土地購入時が一つの調査契機となります。なぜなら、土壌の基準値がなく、修復する際の基準が「バックグラウンドレベルにすること」とあるからです。そのため、操業前の土壌状況を把握しておくことが重要です。
                                           工場売却時や閉鎖時の調査については、法律等で義務付けられているわけではありませんので、実施されないのが現状のようです。ただし、売却先が日系企業、アメリカ系企業のように母国に土壌汚染に関する法律がある場合は、買主側から調査を要求されることがあります。

                                          2. 分析項目は何か?その基準値は?

                                           土壌の基準項目がありませんので、弊社では日本の法で定められている項目やアメリカで定められている項目、インドネシア埋め立て処分基準等から評価に最適と思われる基準を採用します。

                                          ■行政への届出

                                           インドネシアの一つの問題点として、「法は整備されているが、その運用に問題がある」と言われています。環境に関しても同じ事が言えます。中央省庁(環境省)は、まじめに取り組んでいる様子が伺えますが、地方行政については中央省庁の意図が地方行政に反映されないケースが多々あります。
                                           したがって、自社に汚染が発覚して届け出る場合にも、現地の事情に精通し、信頼のおけるコンサルタント会社等に相談するなど、注意が必要です。
                                           
                                           もちろん、私どものPPLiは土壌調査・対策から届出までを一貫して実施しております。
                                          現地で自社で調査から届出までをこなせ、日本語で対応ができるコンサルタントは、他にないと思います。

                                          ■最後に

                                           ご存知のように、日本国内で問題になっている土壌汚染の多くは、土壌に対する規制がなかった20年~30年前になされた不適切な管理が原因といわれています。また、その対策には、多額の費用がかかるケースもあります。生産活動優先で、環境汚染への対策に関する規制が遅れているインドネシアの状況は、まさに20年~30年前の日本のようです。
                                           
                                           既に現地に進出している日系など先進国の企業でも、自主的に土壌調査を行ったり、地下水モニタリングを実施している会社は少ないようです。しかしながら、将来発生しうるリスクを回避するためにも、漏洩防止対策、土壌調査、地下水モニタリングといった環境管理を普段から行っていくことが重要ではないでしょうか。

                                            http://test.dowa-ecoj.jp/houki/2012/20120201.html

                                          転載元: アジア・太平洋貿易振興・環境保全・環境産業振興

                                          [転載]1億6千万円の義援金 インドネシア

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                                          1億6千万円の義援金 インドネシア
                                          2011.3.16 19:43
                                           
                                          15日、東日本大震災の被災地から逃れ、ジャカルタのスカルノハッタ国際空港に帰国、家族と再会を喜ぶインドネシア人(AP)
                                           インドネシアのマルティ外相は16日、日本人記者団と会見し、東日本大震災で大打撃を受けた日本に200万ドル(約1億6千万円)の義援金を送ることを明らかにした。
                                           緊急援助隊は、17日に先遣隊15人を派遣。最終的には総勢60人を送り、救助活動などを支援するという。
                                           また岩手、宮城、福島の3県に住むインドネシア人約500人のうち依然207人と連絡が取れていないほか、在日インドネシア大使館が把握していないインドネシア人船員などもいる恐れがあるという。
                                           

                                          転載元: アジア・太平洋貿易振興・環境保全・環境産業振興

                                          [転載]インドネシア共和国

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                                          インドネシア共和国国旗インドネシア共和国
                                          Republic of Indonesia

                                          インドネシア共和国地図
                                          日本インドネシア友好年(2008年)報告書
                                           
                                           
                                          2010年11月現在

                                          一般事情

                                          1.面積

                                          約189万平方キロメートル(日本の約5倍)

                                          2.人口

                                          約2.31億人(2009年政府推計)

                                          3.首都

                                          ジャカルタ(人口922万人:2009年政府推計)

                                          4.民族

                                          大半がマレ-系(ジャワ、スンダ等27種族に大別)

                                          5.言語

                                          インドネシア語

                                          6.宗教

                                          イスラム教88.6%、キリスト教8.9%(プロテスタント5.8%、カトリック3.1%)、ヒンズー教1.7%、仏教0.6%、儒教0.1%、その他0.1%
                                          (インドネシア中央統計局統計)

                                          7.略史

                                          年月 略史
                                          8世紀中部ジャワに、仏教国シャイレンドラ王朝が起こり、ボロブドゥール等の有名な仏跡を残す。
                                          13世紀初めイスラム文化・イスラム教の渡来。北スマトラのアチェ地方に最初のイスラム小王国が現れる。
                                          1596年オランダの商船隊、西部ジャワのバンタム港に渡来。
                                          1602年オランダ、ジャワに東インド会社を設立。
                                          1799年オランダ、東インド会社を解散、インドネシアを直接統治下におくものの、実権は英国が握る。
                                          1945年8月17日インドネシア独立宣言
                                          1955年バンドンで「アジア・アフリカ会議」開催。

                                          経済

                                          1.主要産業

                                          鉱業(石油、LNG、アルミ、錫)、農業(米、ゴム、パ-ム油)、工業(木材製品、セメント、肥料)
                                           

                                          7.貿易品目(2009年)(インドネシア政府統計)

                                          (1)輸出 石油・ガス(16.0%)、鉱物性燃料(12.0%)、動物・植物油(10.5%)
                                          (2)輸入 石油・ガス(19.6%)、一般機械機器(15.1%)、機械・電機部品(11.7%)

                                          8.貿易相手国・地域(非石油・ガス部門、2009年、総額)(インドネシア政府統計)

                                          (1)輸出 EU(13.9%)、日本(12.3%)、米国(10.7%)
                                          (2)輸入 中国(17.3%)、日本(12.6%)、シンガポール(11.9%)

                                          9.為替レート(インドネシア中央銀行)

                                          1ドル=8,907ルピア(2010年11月9日)

                                          10.経済概況

                                          1997年7月のアジア通貨危機後、政府はIMFとの合意に基づき、経済構造改革を断行。2005年以降、好調な個人消費と輸出に支えられ、5%後半~6%台の経済成長を達成。2007年は、経済危機以降最高の6.3%を記録。2008年も第3四半期までは6%台の経済成長を維持。欧米の経済危機による輸出の伸び悩み、国際金融危機の影響等から、同年第4四半期には5.2%に減速したが、通年では6.1%となり、前年同様6%台を維持。2009年は政府の金融安定化政策、景気刺激策、堅調な国内消費により、世界的にも比較的高い成長率を維持しており、4.5%の成長を達成した。
                                           

                                          トピック

                                          参考資料

                                          リンク

                                          転載元: アジア・太平洋貿易振興・環境保全・環境産業振興

                                          [転載]インドネシアの独立と日本のアジアでの貢献

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                                          スカルノ(初代大統領)
                                          我々がオランダから独立を勝ち得たのは、日本があれだけ戦ったのに、同じ有色人種の我々に同じことができないわけがないと発奮したからである。

                                          モハメッド・ハッタ(初代副大統領、スカルノと並ぶ独立の父)
                                           日本の戦いは8月15日に終わった。我々の戦いは8月17日に始まった。 

                                          サンパス (元復員軍人省長官)
                                           特にインドネシアが感謝することは戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。
                                           日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけですむものではない。それ以上のものを彼ら日本人は我々に与えてくれた。


                                          アラムシャ (元第3副首相)
                                           我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたが、オランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。
                                           それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である。
                                                   (日本軍はインドネシアのオランダ軍を9日間で降伏させた)


                                          アラムシャ(インドネシア陸軍大将)
                                           日本に後5年頑張って欲しかった。そうすれば中東とアフリカはもっと早く独立出来た筈だ。そして中東もアフリカもこんなに苦しまずに済んだ筈だ。
                                          ナセル(第2代エジプト大統領)
                                           第三次中東戦争に惨敗した時の言葉
                                          「アジアには日本がいた。アラブには日本がいなかった」

                                          ブン・トモ 元情報相
                                           われわれアジア・アフリカの有色人種は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが全部失敗した。
                                          インドネシアの場合は、350年間も失敗が続いた。
                                          それなのに日本軍が米・英・蘭・仏をわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた
                                           われわれは白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。
                                          一度手にした自信は決して失われることはない。
                                          そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった戦争だった。
                                          そして実は我々の力でやりたかった。


                                          それなのに全てを日本に背負わせて、日本を滅亡寸前にまで追い込んで仕舞った。
                                           申し訳ない。

                                                              (昭和32年の来日の際の発言)

                                          モハメッド・ナチール 元首相 
                                           アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。
                                           
                                           
                                          イメージ 1

                                          転載元: アジア・太平洋貿易振興・環境保全・環境産業振興

                                          [転載]インドネシア独立に幸あれ

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                                          インドネシア独立に幸あれ


                                          さてさて、今日も子供たちに伝えたい歴史、インドネシア編第二弾です☆

                                          ■1.カリバタ国立英雄墓地に祀られた日本人■
                                          
                                           ジャカルタ郊外のカリバタ国立英雄墓地は、日本軍降伏後、
                                          4年5ヶ月におよんだイギリス、オランダとの独立戦争で、
                                          特別な功労を立てて戦死した人々が祀られています。
                                          この中に11名の日本人が一緒に手厚く葬られています。
                                          
                                           1945年8月15日の日本軍降伏後も現地に残留して、
                                          インドネシア 独立義勇軍に身を投じた人々は、
                                          1~2千人程度と推定されています。
                                          400名程度が戦死され、そのうちの32名が各地区の英雄墓地に祀られているのです。
                                          また独立50周年となった平成7年、残留日本兵69名に対し、
                                          渡辺インドネシア大使から感謝状が贈られ、スハルト大統領(当時)は官邸に招いて、
                                          お礼を述べられました。
                                          
                                           これらの人は、何を思って、異国の地に留まったのでしょうか・・・。
                                          
                                          ■2.独立への願い■
                                          
                                           インドネシアがオランダの植民地となったのは、
                                          1605年、それ以来、3世紀半にわたって、人口わずか0.5%のオランダ人が
                                          全生産額の65%を独占するという収奪が続きます。
                                          
                                                『1905年に、日本がロシアを破ったことは、アジア人もまた
                                               西洋をうち負かすことができるほど強くなれるという信念を
                                               強化させた。それ以降、インドネシア人は、大国として発展
                                               する日本にいっそうの注目をそそぎはじめた。』
                                          
                                           独立を願う民衆の間には、いつしか、
                                          「いつか北から同じ人種がやってきて、とうもろこしが芽を出して実をつけるまでに
                                          (約3ヶ月半)インドネシア人を救ってくれる」という予言が生ました。
                                          
                                          ■3.独立を戦いとれる実力を■
                                          
                                           その予言は、1942年3月1日に現実のものとなったのです。
                                          今村均中将率いる第16軍は、総兵力5万5千をもって、ジャワ上陸を敢行しました。
                                          攻略は上陸後3ヶ月を要するだろうと予想されていたのですが、
                                          わずか10日後には、オランダ軍司令官は全面降伏しました。
                                          予言を信じた現地人が、オランダ軍が築いたバリケードなどの邪魔物を取り除くなど、
                                          積極的に日本軍の進撃を助けたからなんです。
                                          
                                           独立運動の指導者スカルノ、ハッタの情熱に感銘を受けた
                                          今村中将は、次のように言って、彼らを支援しました。
                                          
                                              「独立というものは、与えられるものではなく、つねに戦い取るべ
                                               きものだ。かれらが戦い取ることのできる実力を養ってやるのが、
                                               われわれの仕事だ、、、」
                                          
                                           それから、独立国への準備が始まります。
                                          300近い言語をインドネシア語に統一する、州の長官、副長官などに現地人を登用し、
                                          州や市の参議会を作って、行政や議会運営を習得させる、
                                          さらにインドネシア義勇軍を編成し、3万5千もの将校、兵士を育成しました。
                                          これらの人々が後の独立戦争の主役となっていくのです。
                                          
                                          ■4.植民地復活を狙うイギリス、オランダ■
                                          
                                           日本軍が降伏した1945年8月15日の二日後、スカルノとハッタは 
                                          すかさず独立宣言を行います。
                                          18日には、インドネシア共和国憲法を採択し、それぞれ大統領、副大統領に就任しました。
                                          
                                           しかしイギリスとオランダは、植民地の復活を狙い、
                                          
                                               「日本軍は連合軍が進駐し、交代を命ずるまで、現状を維持し、
                                                治安を確保すべし。そのために必要なる武器は保持してもよろしいから、
                                                暴動は必ず鎮圧すべし」
                                          
                                          と命令したのです。さらに
                                          
                                               「原住民の集会禁止、武器の
                                               携帯、民族旗の掲揚を取り締まるべし。
                                               これがためには、兵器の使用も可である。」
                                          
                                          との命令が来ます。降伏した日本軍を使って、独立運動を阻止しようというのです。
                                          
                                           一方で、インドネシア側は、来るべき独立戦争に備えるためにも、
                                          何としても日本軍が保有している武器が必要でした。
                                          今まで日本軍に協力してきた幹部達は、必死に日本軍に支援を訴えたのです。
                                          
                                           独立運動で暴徒化したインドネシア群衆が、武器を要求して、
                                          日本軍の施設を襲う事件も起きます。
                                          しかし、日本軍は断じて
                                          
                                              「撃つな、指導者と話し合え」
                                          
                                          と厳命を下しました。暴徒に銃殺された日本人のなかには、
                                          
                                              「インドネシアの独立に栄光あれ」
                                          
                                          と自らの血糊で壁に書き残した人もおり、
                                          現地人に多大の感銘を与えて、今も記念として残されているといいます。
                                          
                                          ■5.独立戦争への支援■
                                          
                                           日本軍には、オランダ軍の目を盗んで、インドネシア側に協力する人々が現れました。
                                          中部ジャワ地区の馬淵逸雄少将は、廃兵器処理の許可を得るや、それを拡大解釈して、
                                          トラック何台分もの武器をチレボン河の河原に捨てました。
                                          対岸で待機していたインドネシア側がこれをごっそり手に入れるということもありました。
                                          
                                           こうしてインドネシア側に、小銃3万5千挺、戦車、装甲車、自動車など200台、
                                          中小口径砲など多数と、ジャワの日本陸軍の装備の半分以上が手渡されました。
                                          
                                           自ら、軍籍を離脱して、インドネシア軍に身を投じた人々も多くいました。
                                          その一人古閑正義中尉は、熊本県出身、明治大学で柔道とラグビーの名選手でした。
                                          スマトラのアチエ州で、地元の青年達を「何が何でも独立を勝ち取れ」と教育します。
                                          
                                           昭和天皇の終戦の詔勅の中の
                                          
                                              「東亜解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ、遺憾ノ意ヲ表セザルヲ得ズ」
                                          
                                          という言葉から、インドネシア人を見捨てて、日本に帰る気持ちにはなれず、
                                          同じ部隊の少尉4名とともに、独立軍に参加したのです。
                                          戦闘に慣れないインドネシア人を率いて、常に先頭に立って、指揮をしました。
                                          
                                           オランダとの独立戦争は1949年12月までの4年5ヶ月も続きました。
                                          兵員こそ200万人もいましたが、武器は日本軍から手渡された数万挺の小銃が中心です。
                                          オランダ軍は都市への無差別爆撃なども行い、80万人もの犠牲者、
                                          1千万人を超える負傷者が出たと言われています。
                                          インドを始めとするアジア諸国がオランダを非難し、
                                          国連安保理事会や米国議会も撤兵勧告を行い、
                                          全世界の世論に押されてオランダは再植民地化を諦めたのです。
                                          
                                          ■6.命を捧げてくれた日本青年を偲ぶ■
                                          
                                           平成7年5月29日、戦後50年を記念して、
                                          「アジア共生の祭典」が開かれました。
                                          ちょうど、独立50周年を迎えたインドネシアからは、
                                          スハルト大統領特使として、陸軍大学長、駐日大使などを
                                          歴任したサイデマン外務省上級大使が参列されました。
                                          
                                           サイデマン大使は、約1万人の参列者に対して、次のような挨拶
                                          をされました。
                                          
                                              「第2次大戦中、あるいはその直後、植民地の独立のために、
                                              外国の人々が力を貸してくれるということが見られました。  
                                              私の国インドネシアの場合、多くの日本の青年たちがインド  
                                              ネシアを自由にするために独立の闘士たちと肩を並べて戦っ  
                                              てくれました。そして多くの日本の青年がそのために命を捧  
                                              げてくれました。今日このアジア共生の祭典において、私た  
                                              ちの独立のために命を捧げてくれたこれらすべての若者たち  
                                              を偲びたいと思います。」
                                          
                                           「かれらが(独立を)戦い取ることのできる実力を養ってやるの
                                          が、われわれの仕事だ」という今村均中将の言葉は、現実となったのであります。
                                          

                                          もっと詳しく勉強したい方は以下の本を参考にするとよいと思います☆
                                           
                                          [参考]
                                          ・アジアに生きる大東亜戦争、ASEANセンター編、展転社、S63
                                          ・アジア独立への道、田中正明、展転社、H3

                                          転載元: ★たえログ★

                                          [転載]熊本市:地下水守る担い手、「水守」の募集開始&水俣の地下水汚染の写真

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                                          http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1c/9c/saketotikasui/folder/1279461/img_1279461_29109546_0?20120602072000

                                          http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1c/9c/saketotikasui/folder/1279461/img_1279461_29109546_1?20120602072000

                                          http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1c/9c/saketotikasui/folder/1279461/img_1279461_29109546_2?20120602072000

                                          http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1c/9c/saketotikasui/folder/1279461/img_1279461_29109546_3?20120602072000

                                          写真は2010年5月に水俣市で撮影しました。
                                          いずれも白い廃カーバイトが目立つので、良く分かります。
                                          付近で水銀やダイオキシン類で汚染が確認されていいます。

                                          熊本市:地下水守る担い手、「水守」の募集開始 /熊本

                                           水道水を100%地下水で賄っている熊本市は、地下水保全やPR活動をしている人が連携して情報交換する「くまもと水守(みずもり)制度」を創設する。水守を人材バンクとして活用し、市が実施しているくまもと水遺産制度や水検定と合わせ、地下水を守る文化の裾(すそ)野を広げる。

                                           地域の伝統行事や清掃など、水にかかわる活動をしている個人であれば、誰でも水守として登録できる。登録すると市のホームページで活動を紹介できるほか、水守同士で情報を共有して、互いに連絡を取り合ってノウハウを伝えるなど、活動の活発化につなげる
                                          http://mainichi.jp/area/kumamoto/news/20090105ddlk43010215000c.html

                                          転載元: 清冽な地下水と公徳心をみんなで守り育てよう!

                                          [転載]水俣の土壌・地下水底質汚染をきれいにしようのホームページご意見募集します

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                                          水俣の土壌・地下水底質汚染をきれいにしようのホームページ
                                           
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                                          昭和天皇は昭和6年と昭和24年にチッソ水俣工場を訪れています。
                                           
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                                          転載元: 日本の海が安全で美しくあれ(尖閣・竹島・対馬・水俣・徳山・福島)


                                          [転載]地下水を守り生かす…有識者会議設置へ 熊本&水俣市湧水写真

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                                          http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1c/9c/saketotikasui/folder/1279461/img_1279461_30839778_1?20120602072959

                                          http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1c/9c/saketotikasui/folder/1279461/img_1279461_30839778_2?20120602072959

                                          http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1c/9c/saketotikasui/folder/1279461/img_1279461_30839778_3?20120602072959

                                          写真は2010年5月における熊本県水俣市の地下水が湧き出る状況です。

                                          地下水を守り生かす…有識者会議設置へ

                                           熊本の豊かな地下水を全国にPRし、観光振興や企業誘致につなげようと、県は新年度から、「熊本の水『夢戦略』事業」をスタートさせる。有識者による「水の戦略会議」を発足させ、地下水の保全や活用の方策を検討するほか、県内に約1000か所あるとされる湧(ゆう)水源の実態調査に乗り出す。(佐々木道哉)

                                           阿蘇外輪山の西側に位置する熊本市やその周辺の13市町村では、火砕流の堆積(たいせき)層などに沿って流れる水がわき出てくるため、水道水のほぼ100%を地下水でまかなっている。ただ、近年は減少傾向にあり、水田に水を張ってかん養するなど、保全に向けた取り組みが進められている。

                                           県は、約1000か所の湧水源について、市町村と連携して水量などを調べ、保全や有効活用するために湧水源対策アドバイザーを派遣する。水の戦略会議では、保全に向けた・・・・

                                          転載元: 清冽な地下水と公徳心をみんなで守り育てよう!

                                          [転載]安珍・清姫伝説&名著「清姫は語る」目次 鉱床秘図を盗んだ安珍 追い詰められていた採鉱民  清姫は搾取された採鉱民の自由の女神だった 最古の鉱山労働運動だ  

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                                          安珍・清姫伝説

                                          安珍清姫・日高川の段。楊洲周延「竹のひと節・日高川」
                                           
                                           安珍・清姫伝説(あんちんきよひめでんせつ)は紀州に伝わる伝説で、思いを寄せた僧・安珍に裏切られた少女・清姫が激怒のあまり身に変化し、道成寺で鐘ごと安珍を焼き殺すことを内容としている。
                                           
                                           説話としても古く平安時代の『大日本国法華験記』(『法華験記』)、『今昔物語集』に現れる。さらに古くは『古事記』の本牟智和気王説話に出雲の肥河における蛇女との婚礼の話がある。
                                           
                                           内容については伝承によって相違があり、よく知られているものは次のようである。
                                           
                                           
                                          あらすじ

                                          安珍・清姫のなれそめ

                                           時は醍醐天皇の御代、延長6年(928年)夏の頃である。奥州白河より熊野に参詣に来たがいた。この僧(安珍)は大変な美形であった。紀伊国牟婁郡真砂の庄司清次の娘(清姫)は宿を借りた安珍を見て一目惚れ、女だてらに夜這いをかけて迫る。安珍は参拝中の身としてはそのように迫られても困る、帰りにはきっと立ち寄るからと騙して、参拝後は立ち寄ることなくさっさと行ってしまった。

                                          清姫の怒り

                                          土佐光重画『道成寺縁起絵巻』。蛇身となった清姫が鐘の中の安珍を焼き殺そうとする様子を描いたもの。
                                          鳥山石燕今昔百鬼拾遺』より「道成寺鐘」
                                           
                                           騙されたことを知った清姫は怒り、裸足で追跡、道成寺までの道の途中(上野の里)で追い付く。安珍は再会を喜ぶどころか別人だと嘘に嘘を重ね、更には熊野権現に助けを求め清姫を金縛りにした隙に逃げ出そうとする始末である。ここに至り清姫の怒りは天を衝き、遂に蛇身に化け安珍を追跡する。

                                          安珍の最期

                                           日高川を渡り道成寺に逃げ込んだ安珍を追うものは、火を吹きつつ川を自力で渡る蛇の姿である。渡し守に「追っ手を渡さないでくれ」と頼んでもこれでは無意味であった。よんどころなく、梵鐘を下ろしてもらいその中に逃げ込む安珍。
                                           しかし清姫は許さず鐘に巻き付く。因果応報、哀れ安珍は鐘の中で焼き殺されてしまうのであった。安珍を滅ぼした後、清姫は蛇の姿のまま入水する。

                                          成仏

                                           蛇道に転生した二人はその後、道成寺の住持のもとに現れて供養を頼む。住持の唱える法華経の功徳により二人は成仏し、天人の姿で住持の夢に現れた。実はこの二人はそれぞれ熊野権現と観世音菩薩の化身であったのである、と法華経の有り難さを讃えて終わる。
                                           
                                           
                                           
                                           
                                          相違点の例
                                           『大日本国法華験記』巻下第百二十九「紀伊国牟婁郡悪女」、『今昔物語集』巻第十四第三「紀伊ノ国道成寺ノ僧写法華救蛇語」では、少女の代わりに若い寡婦が登場する。
                                           また、宿泊するのは老若二人の僧である(懸想されるのは若い僧)。若い僧に逃げられた後怒った寡婦は寝所で死に、その寝所から体長五尋の毒蛇が現れ、僧を追って熊野街道を行く。道成寺で僧を焼き殺す点は一致しているが、宿泊した僧が二人とも焼かれる。
                                           
                                           『道成寺縁起絵巻』[1] では、主人公の女は真砂の清次の娘ではなく「娵(よめ)」である。
                                           
                                           いずれにせよ安珍・清姫の名はまだ見られず、安珍の名の初出は『元亨釈書』、清姫の名の初出は操浄瑠璃「道成寺現在蛇鱗」(寛保2年(1742年)初演)とされる。
                                           
                                           また、真砂の里では別の伝説が行われている[2]。大きな相違点を挙げると
                                          • 清姫の母親は実は、男やもめであった父が助けた白蛇の精であった。
                                          • 初め安珍は幼い清姫に「将来結婚してあげる」と言っていたが、清姫の蛇身を見て恐れるようになった。
                                          • 安珍に逃げられた清姫は絶望し富田川に入水、その怨念が蛇の形をとった。
                                          • 蛇にならず、従って安珍も殺さず、清姫が入水して終わる話もある。

                                          後日談

                                           安珍と共に鐘を焼かれた道成寺であるが、四百年ほど経った正平14年(1359年)の春、鐘を再興することにした。二度目の鐘が完成した後、女人禁制の鐘供養をしたところ、一人の白拍子(実は清姫の怨霊)が現れて鐘供養を妨害した。
                                           白拍子は一瞬にして蛇へ姿を変えて鐘を引きずり降ろし、その中へと消えたのである。清姫の怨霊を恐れた僧たちが一心に祈念したところ、ようやく鐘は鐘楼に上がった。しかし清姫の怨念のためか、新しくできたこの鐘は音が良くない上、付近に災害や疫病が続いたため、山の中へと捨てられた4]
                                           
                                           
                                           さらに二百年ほど後の天正年間。豊臣秀吉による根来攻め(紀州征伐)が行われた際、秀吉の家臣仙石秀久が山中でこの鐘を見つけ、合戦の合図にこの鐘の音を用い、そのまま京都へ鐘を持ち帰り、清姫の怨念を解くため、顕本法華宗の総本山である妙満寺に鐘を納めた。鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にも「道成寺鐘」と題し、かつて道成寺にあった件の鐘が、石燕の時代には妙満寺に納められていることが述べられている。
                                           
                                           
                                          史跡
                                          道成寺の安珍塚
                                           
                                           
                                           伝説の舞台となる道成寺には安珍塚がある。 清姫の生誕地とされる真砂は現在の熊野古道中辺路付近にあたるが、ここには清姫の墓と伝えられる石塔があるほか[5]、清姫渕、衣掛松、清姫のぞき橋、鏡岩など、伝説にまつわる史跡が数多く残されている[6]
                                           また熊野古道潮見峠越えにある田辺市指定天然記念物の大木・捻木ノ杉は、清姫が安珍の逃走を見て口惜しんで身をよじった際、一緒にねじれてしまい、そのまま大木に成長したものといわれる。
                                           
                                           妙満寺に納められた道成寺の鐘は、現在でも同寺に安置されており、寺の大僧正の供養により清姫の怨念が解けて美しい音色を放つようになったとされ[9]、霊宝として同寺に伝えられている。毎年春には清姫の霊を慰めるため、鐘供養が行われている。道成寺関連の作品を演じる芸能関係者が舞台安全の祈願に訪れていた時代もあり、芸道精進を祈願して寺を訪ねる芸能関係者も多い。

                                          伝説に取材した後世の創作

                                           芸能を主に、様々な作品の題材として広く採りあげられた。前記「後日談」の部分が用いられることが多く、そのため安珍を直接舞台に出すことなく女性の怨念の物語として世界を展開することができた。
                                          トントンお寺の道成寺
                                          釣鐘下(お)ろいて 身を隠し
                                          安珍清姫 蛇(じゃ)に化けて
                                          七重(ななよ)に巻かれて 一廻(まわ)り 一廻り
                                          • 中辺路では毎年7月頃、安珍・清姫伝説をテーマとした「清姫まつり」が、清姫が入水したとされる富田川の河川敷で開催されており、蛇身となった清姫が火を吐く様子などが再現されている[5][10]
                                          • 雨月物語』(上田秋成 原作)の中に『道成寺』を元にしたと思われる『蛇性の婬』と言う話が載っている。
                                          •  和歌山県みなべ町の常福寺の盆踊りに「安珍・清姫伝説」を題材にした盆踊りが行われている。
                                          •  安珍の生地とされる白河市根田では、安珍の命日とされる3月27日に、墓(後年、村人が供養のために建てたもの)の前で安珍念仏踊り(白河市無形文化財)が奉納されている。
                                          • 映画『安珍と清姫』(1960年) 監督:島耕二 出演:市川雷蔵 若尾文子 (角川映画)
                                          • 人形アニメーション『道成寺』(1976年) 制作 演出:川本喜八郎
                                          • 清姫曼陀羅』-岡本芳一百鬼どんどろ)による、等身大人形を用いた舞台劇。世界各国で上演された。
                                           
                                           
                                           
                                           

                                          清姫は語る 日本「国つ神」情念史1

                                          日本図書館協会選定図書
                                           
                                          ハプスブルク家の皇帝たち
                                           
                                          平安期半ばの仏教説話集に、「紀伊国牟婁郡の悪女」として名もなく登場した一人の女性。室町期、能では白拍子・遊女の姿に、絵草子では「花ひめ」と姿をかえ、そして江戸中期、民衆芸能によって美しく高められたヒロイン「清姫」として復活する。その姿の背景になにがみえるか、この国の歴史の伏流のなかに読み解く。
                                           
                                          第 I 部 清姫は語る―鉱床秘図
                                          紀州の女/真砂―古代採鉱民の里/安珍と鉱の道/安珍 二重の裏切り/姉性の怒り/南紀龍蛇族/道行き熊野比丘尼/日高川と白馬山脈/釣鐘―タタラ炉は点火された/道成寺二体本尊の謎 ほか
                                          第 II 部 清姫さんへの七つの手紙
                                          三つのシンボルと、情念/癒しと鎮魂のシンボル〈桜〉/鐘に恨みは……/天皇の剣を奪りかえす〈大蛇〉/情念史へのヒント―蛇なる母「国つ神」をうたう田植唄 ほか
                                          第 III 部 「清姫」への道
                                          隠された血涙―清姫伝承の情念史的構造 初出文献『法華験記』を中心に/「清姫」という名の由来をさぐる/「鉄杖」をかざしていどむ《清姫》―能・歌舞伎の採物「打杖」が語るもの/道成寺の南面本尊と「ねずみ」/母性・姉性・妹性―「姉性」の審きと清姫 ほか
                                          第 IV 部 悪女の系譜
                                          イワナガヒメ―「悪女」の発生/斥けられるものの実体/「岩」女の流れ/「岩・花」統合への志向と 「娘道成寺」「清姫という名」のもつ意味/「悪女」は消えたか
                                          〔清姫伝承の展開一覧表〕人名・地名・内容―文献による異同
                                           
                                           
                                          津名道代(つなみちよ)
                                          1933年(昭和8)8月21日和歌山県海草郡川永村川辺に生まれる。
                                          1943年(昭和18)12月、猩紅熱により聴力のほとんどを失う。
                                          1956年(昭和31)奈良女子大学文学部史学科卒業。専攻・日本思想史。同大文学部助手、同大学付属図書館司書。
                                          1965年(昭和40)退職帰農。傍ら文筆と塾主宰。その間、1971~83年神戸松蔭女子学院大学非常勤講師として日本宗教史を担当。
                                          1965年以降、障害者問題にも関わり、1976年からは全国難聴者連絡協議会(略称・全難聴。現・社団法人全日本難聴者・中途失聴者団体連合会)の創立に参加。広報部長兼機関紙編集長、常任理事、副会長、相談役を歴任
                                           
                                           
                                           
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                                           中辺路町に伝る「安珍清姫」の話、実は安珍は鉱物関係の技術者で清姫の家に伝わる辰砂の埋蔵場所を記した図面を盗んだことに抗議して、清姫を棟梁と仰ぐ採鉱民達が抗議に行ったのが道成寺である。
                                           
                                           熊野三山が金融業を行っていたことは明白であり、借り手は貸し手の要請は断れない。「蟻の熊野詣で」の現象も、裏面からみれば、熊野三山の貸付の隆盛と把握できる。

                                          転載元: 災害復興 急げ! 土壌・底質汚染対策ニューディールと社会資本整備

                                          安珍清姫と鉱山に関する情報や意見を募集します

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                                          安珍清姫と鉱山に関する情報や意見を募集します
                                           
                                           
                                           
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                                           清姫は語る 日本「国つ神」情念史1
                                           日本図書館協会選定図書
                                           
                                           
                                           平安期半ばの仏教説話集に、「紀伊国牟婁郡の悪女」として名もなく登場した一人の女性。室町期、能では白拍子・遊女の姿に、絵草子では「花ひめ」と姿をかえ、そして江戸中期、民衆芸能によって美しく高められたヒロイン「清姫」として復活する。その姿の背景になにがみえるか、この国の歴史の伏流のなかに読み解く。

                                           
                                           
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                                          第 I 部 清姫は語る―鉱床秘図
                                          ・紀州の女
                                          ・真砂―古代採鉱民の里
                                          ・安珍と鉱の道
                                          ・安珍 二重の裏切り
                                          ・姉性の怒り
                                          ・南紀龍蛇族
                                          ・道行き熊野比丘尼
                                          ・日高川と白馬山脈
                                          ・釣鐘―タタラ炉は点火された
                                          ・道成寺二体本尊の謎 ほか
                                           
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                                           第 II 部 清姫さんへの七つの手紙
                                          ・三つのシンボルと、情念
                                          ・癒しと鎮魂のシンボル〈桜〉
                                          ・鐘に恨みは……
                                          ・天皇の剣を奪りかえす〈大蛇〉
                                          ・情念史へのヒント―蛇なる母「国つ神」をうたう田植唄 ほか
                                           
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                                           第 III 部 「清姫」への道
                                          ・隠された血涙―清姫伝承の情念史的構造 初出文献『法華験記』を中心に
                                          ・「清姫」という名の由来をさぐる
                                          ・「鉄杖」をかざしていどむ《清姫》―能・歌舞伎の採物「打杖」が語るもの
                                          ・道成寺の南面本尊と「ねずみ」
                                          ・母性・姉性・妹性―「姉性」の審きと清姫 ほか
                                           
                                           
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                                          ・斥けられるものの実体
                                          ・「岩・花」統合への志向と 「娘道成寺」
                                          ・「清姫という名」のもつ意味
                                          ・〔清姫伝承の展開一覧表〕人名・地名・内容―文献による異同
                                           
                                           
                                           本宮大社に仕えし人の娘「広浜」は、采女司として孝謙(女帝)・淳仁・称徳(女帝)の三天皇に十年間ほど仕へ、神護景雲二年(769)卒去との記録が残っている。
                                           その後、結婚して五人の子供をもうけ、三男「清弘」が真砂庄司の元祖(第一代)として、本宮大社の禰宜職※となった。
                                           以後、二代目を「清治」が継ぎ、三代目「清重」の時、この真砂(磨那期・まなご)の地に荘園主として移り住んだ。
                                           清姫は、真砂の庄司清重の子として、延喜年間(914)の頃に生まれた。
                                           
                                            清姫の森の奥にある「庄司ヶ淵」に身を沈めてその生涯を果てたという。
                                           時代は延長六年(928)八月二十三日の出来事としての伝承であるが、この土地では毎年四月二十三日を命日としての供養大祭を行っている。
                                           
                                           
                                           
                                           
                                           
                                           和歌山県田辺市中辺路町西谷にある臨済宗のお寺、清姫の墓を管理されている菩提寺の福巖寺(通称一願寺)には、清姫由緒絵巻が伝わっている。
                                           
                                           
                                           
                                          ※ 禰宜(ねぎ)とは、神職の職称(職名)の一つである。今日では、一般神社では宮司の下位、権禰宜の上位に置かれ、宮司を補佐する者の職称となっている。
                                           
                                           
                                           
                                           
                                           紀伊国分寺(きいこくぶんじ)は、和歌山県紀の川市(旧打田町)東国分にある聖武天皇の発願で鎮護国家を目的に建てた官寺である国分寺の一つ。山号八光山院号醫王院
                                           現在の紀伊国分寺は、旧紀伊国分寺の講堂跡に位置し、新義真言宗に属している。旧紀伊国分寺境内は、国の史跡に指定され、史跡紀伊国分寺跡歴史公園として整備されている。紀の川市歴史民俗資料館が隣接している。
                                           清姫が死ぬ40年前の元慶3年(879年2月22日に火災で伽藍が全焼し、金堂僧坊が再建されたが、その他は再建されなかった。


                                          ●熊野古道中辺路


                                          南紀白浜から国道311号線を行く熊野本宮大社への約70kmの谷間の道は、熊野権現九十九王子を祀る社や祠の鎮座する古道とも平行している。
                                          しかし、社などを訪ねる山中を巡る古道は大半が徒歩で行く山道だ。
                                          舗装だが道は狭い中辺路のドライブ
                                          舗装だが道は狭い中辺路のドライブ

                                          中辺路の歩道標示
                                          中辺路の歩道標示
                                          熊野川
                                          熊野川

                                          熊野道の古い標示
                                          熊野道の古い標示
                                          本道を外れても旧・中辺路はさらに山中だった
                                          本道を外れても旧・中辺路は
                                          さらに山中だった


                                          ●一願寺・清姫の墓

                                          歌舞伎の演目となっている「娘道成寺」、安珍・清姫の物語は、中辺路の真砂(まなご)という集落にあった伝説といわれている。
                                           その物語は、平安の昔のこと。奥州に安珍という美形の若い僧呂がいた。彼は毎年熊野詣でをするため、真砂の庄司の館に宿をとっていた。
                                           その家の娘、清姫は安珍を追う。道成寺の鐘に隠れた安珍を大蛇となった清姫は、鐘を我が身で巻き、鐘とともに安珍を焼き殺すという物語。
                                           全くの架空話ではないが、幾分異なった物語は他にもいくつかある。
                                           真砂の富田川のほとりに清姫の石塔があるが、この地が清姫誕生の地と書かれた案内版もあった。墓に隣り合わせに建つ薬師堂は耳の病に霊験があるそうだ。

                                          富田川のほとりに清姫の墓はある
                                          富田川のほとりに清姫の墓はある
                                          清姫の墓
                                          清姫の墓

                                          http://www.nipponrentacar.co.jp/freeroad/wakayama2.htm
                                           
                                           
                                           
                                           
                                          和歌山県の鉱山

                                          炭鉱

                                           
                                           
                                          熊野詣の理由の本質も鉱山ではないでしょうか?
                                           
                                          熊野三山隆盛の理由も鉱山ではないでしょうか?
                                           
                                          紀伊熊野の鉱山の過剰生産性が文化を育んだ。
                                           
                                          平清盛は後白河上皇の寵愛した祇園御女を母として、紀伊で産まれた。
                                          日宋貿易で得た巨万の富は紀伊の鉱山から産出された貴金属ではないだろうか?
                                           
                                          清姫様のご冥福を心よりお祈りします。

                                          そもそも、広域処理ってなんですか?

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                                          そもそも、広域処理ってなんですか?
                                          A1
                                           被災地の復旧・復興の障害となる大量のがれきを迅速に処理するために、全国の自治体にある既存の施設で処理していただくことです。
                                           今回、地震と津波の被害により、被災地の沿岸市町村では、膨大な量のがれきが発生しました。被災地では、がれきを一時的な置き場である「仮置き場」に移動していますが、仮置き場をさらに確保することは地形的にむずかしく、がれきが山積みされ、火災の危険性の高まりや夏場を迎え、悪臭、ハエの発生も予測されるところです。
                                           
                                           被災地では現在、既存の施設に加えて、仮設の焼却炉を設置するなどして処理に取り組んでいますが、処理能力は依然として不足している自治体がほとんどです。また、最終処分場についても容量が不足しています。いまから新たに処理施設や最終処分場を建設するとしても、土地の選定、周辺環境への影響調査、設計、建設など、数年単位の年月がかかってしまいます。政府は、震災から3年後の26年3月までにがれき処理を終えるという目標を立てています(がれきの処理指針<マスタープラン 平成23年5月16日>)。がれき処理が一日でも早く終わるよう、岩手県・宮城県がそれぞれ策定した災害廃棄物処理の実行計画等に基づき、県内での再利用、処理をできる限り行った上で、なお県内での処理が困難と整理されたものを対象とし、広域処理をお願いしています。
                                           
                                           
                                          Q2実際に受け入れている自治体を教えてください。
                                          A2
                                           最新情報を、環境省の広域処理情報サイトにて公開しています。

                                          必要性について

                                          Q3被災県内だけで災害廃棄物の処理はできないのですか?
                                          A3
                                          既存の施設に加えて、仮設の焼却炉を設置するなどして処理に取り組んでいますが、処理能力は依然として不足している自治体がほとんどです。
                                          がれき処理が一日でも早く終わるよう、岩手県・宮城県がそれぞれ策定した災害廃棄物処理の実行計画等に基づき、多くの仮設焼却炉による処理を含め、県内での再利用、処理をできる限り行った上で、なお県内での処理が困難と整理されたものを対象とし、国から自治体に対して広域処理をお願いしています。
                                           
                                           
                                          Q4災害廃棄物の発生量が同程度の阪神淡路大震災では、被災地域内ですべの災害廃棄物を処理できたのではないですか?
                                          A4
                                          阪神淡路大震災でも、広域処理は行われました。
                                          阪神淡路大震災では、港湾エリアに広い土地があったことと、大阪湾フェニックス計画にもとづく大きな処分場があったために被災地域内で効率的に処理することができましたが、それでも災害廃棄物のうち可燃物の約14%が広域処理されました。また、新潟県中越沖地震でも、発生した数10トンの災害廃棄物を神奈川県川崎市で処理しています。
                                           
                                           
                                           
                                          Q5どうしてそんなに急がなければならないの?
                                          A5
                                           復興事業のさまたげになるばかりか、火災、悪臭、ハエの大発生の原因となるため、一日でも早く処理することが必要です。
                                           生活圏などに散乱していたがれきのほとんどは、現在、一時的な置き場である「仮置き場」に運びこまれていますが、状況は自治体によってさまざまです。仮置き場をさらに確保することが地形的にむずかしく、がれきが山積みされ、火災の危険性が高まっている自治体もあれば、町有地のほとんどが山林であるために限られた民有の平地に仮置き場が設置されている自治体もあります。
                                           こうした自治体では、大量のがれきの存在自体が復興事業のさまたげになっていたり、ひいては経済活性化のための企業誘致が滞る要因にもなっています。地元でのがれき処理が雇用を生むという考え方もありますが、処理による雇用は短期間のものであり、本格的な復興事業の中で長期的な雇用を生みだしていく方がのぞましいと考えています。
                                           
                                           また、夏に向け気温が上がるにつれて、自然発火による火災の危険性、腐敗による悪臭、ハエの発生などの問題が深刻化します。さらに「積み上がったがれきを見るたびに、あの時のつらい気持ちがよみがえってくる」といった住民の方々の感情は、察するに余りあるものがあります。
                                           一日でも早く、仮置場におかれたがれきを撤去・処理するためにも、全国の自治体のみなさまに広域処理へのご協力をお願いしています。

                                          広域処理の対象になるがれきには、どのような種類がありますか?

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                                          広域処理の対象になるがれきには、どのような種類がありますか?
                                          A6
                                           倒壊した家屋などから出た柱材や角材などを中心とする木くず、可燃物、不燃物です。
                                           災害廃棄物には、倒壊した家屋や建築物から出た柱材、角材、コンクリート、アルミサッシなどの金属類のほか、畳、ジュータン、衣類、電化製品、家具、布団、マットレスなどの海水をかぶった生活用品、さらには流されてきた樹木や海の中のヘドロなどがありますが、この中で再生利用に適さない木くず、廃プラスチック、不燃物などが広域処理の対象になります。
                                           
                                           
                                          Q7広域処理されるがれきには、福島のがれきも入っているの?
                                          A7
                                           福島県のがれきは、広域処理の対象ではありません。
                                           広域処理の対象となるのは、岩手県と宮城県で発生したがれき(地震や津波などで発生した廃棄物)です。福島県のがれきは、国の直轄事業・代行事業などにより県内で処理します。
                                           
                                           
                                           
                                          Q8がれきの広域処理は、健康被害の危険性を高めてしまうのでは?
                                           
                                          A8
                                          広域処理するがれきは、安全のための基準を満たしたものだけです。
                                          広域処理の対象となるがれきは、放射性セシウムが不検出か、検出されたとしても、処理の過程で健康に影響をおよぼすことのない、低い濃度であることが確認されたものだけです。これらのがれきは、法律※にもとづいて特別な管理が求められる「放射性物質により汚染された廃棄物」とは異なります。環境省では、受入基準や処理方法等を「東日本大震災により生じた災害廃棄物の広域処理に関する基準等(平成24年環境省告示第76号)」(告示:http://kouikishori.env.go.jp/news/pdf/20120417_standard.pdf、告示の概要:http://kouikishori.env.go.jp/news/pdf/20120417_summary.pdf)として告示しています。
                                          Q9広域処理されるがれきについての、安全性の基準値は?
                                          A9
                                          安全に処分できる基準値として、8,000ベクレル/kgという値を定めています。
                                          8,000ベクレル/kgは、廃棄物を安全に処分するために法律で定められた基準値で、放射性セシウム濃度がこれ以下であれば一般廃棄物と同様の埋立処分ができます。この値はIAEA(国際原子力機関:International Atomic Energy Agency)も認めているもので、埋立処分場で作業する人であっても年間の追加被ばく線量が1ミリシーベルト/年以下になります(1000時間労働を想定)。
                                          廃棄物を燃焼すると放射性セシウムは灰に濃縮されます。この灰が埋立処分できる基準値の8,000ベクレル/kgを確実に下回るように、広域処理の対象となる可燃物の受入基準値も定められています。可燃物の基準値は、焼却する炉の種類によって放射性物質の濃縮率※が異なるため2種類あり、ストーカ炉で焼却する場合は240ベクレル/kg、流動床炉で焼却する場合は480ベクレル/kgです。この基準値をこえなければ、焼却して放射性セシウムが灰に濃縮されても8,000ベクレル/kgを下回るように設定されています。
                                          安全のための基準等を「東日本大震災により生じた災害廃棄物の広域処理に関する基準等(平成24年環境省告示第76号)」(告示:http://kouikishori.env.go.jp/news/pdf/20120417_standard.pdf 告示の概要:http://kouikishori.env.go.jp/news/pdf/20120417_summary.pdf)として告示しています。
                                          Q10がれきを広域処理に送り出す際の、安全性のチェック体制は?
                                          A10
                                          搬出側の自治体で二重のチェックをすることを原則としています。
                                          一つ目は、搬出側の自治体の一次仮置場で、がれきの放射性セシウム濃度を測定します。あらかじめ重機などで十分に撹拌したがれきの山の中で、なるべく均一に分散するように10カ所以上の場所から採取したサンプルで廃棄物の種類ごとに確認します。
                                          二つ目は、搬出側の自治体の二次仮置場からがれきを県外に搬出する際に、がれき全体の周辺の空間線量率※を測定します。がれきがない搬出側の場所の空間線量率よりも有意に高い値が出ていないことを確認します。

                                          どうやって処理するの?

                                          Q11がれきを燃やすときに、セシウムなどの放射性物質が大気中に出てしまうのでは?
                                          A11
                                           放射性セシウムは、高性能の排ガス処理装置でほぼ100%除去できます。
                                          がれきを焼却する施設には、排ガス中の微粒子の灰を除去する高性能の排ガス処理装置(バグフィルターや電気集塵機など)がそなわっています。焼却後の排ガスは冷却室で冷やされることにより、放射性セシウムが微粒子の灰に付着するので、排ガス処理装置で除去することができ、大気中への放射性セシウムの放出を防ぐことができます。セシウムについて、バグフィルター付きの焼却炉で99.92~99.99%、電気集じん機付きの焼却炉で96.65~99.62%の除去率を確認しています。実際に放射性セシウムを含む廃棄物の焼却が行われている多くの施設における測定の結果、排ガス中の放射性セシウムの濃度は不検出または極めて微量という結果が出ています。
                                           
                                           
                                          Q12バグフィルターってなんですか?その性能についても、くわしく教えてください。
                                          A12
                                          バグフィルターとは、焼却施設の排ガスを大気に放出する前に、排ガス中の微粒子を除去する装置です。
                                          排ガス中の灰の平均的な大きさは数10ミクロンです。バグフィルターは0.1ミクロンレベルまでの微粒子を除去可能な装置であり、ほぼすべての灰を除去することができます。
                                          セシウムの沸点は約650℃なので、がれきを燃やすと、がれきに含まれているセシウムは気体になって排ガス中に含まれます。ただし、排ガスはバグフィルターの手前で200℃以下に冷やされるため、排ガス中のセシウムは気体から固体に戻り、排ガス中の灰に付着します。この微粒子の灰がバグフィルターで除去されるため、大気中へのセシウムの放出を防ぐことができます。
                                           
                                           
                                          Q13静岡県島田市が2月に行った岩手県山田町の災害廃棄物(木くず)の試験焼却の結果について、「10万ベクレルが行方不明」「バグフィルターによる放射性セシウム除去率50~60%」といった指摘がありますが、本当でしょうか?
                                          A13
                                           本当ではありません。
                                           「10万ベクレルが行方不明」「バグフィルターによる放射性セシウム除去率50~60%」との御指摘は、様々な仮定を置いて計算された結果ですが、その仮定には適切ではないものが含まれています。例えば、煙突出口の排ガス測定結果が検出限界以下であったものを、検出限界ぎりぎりまで排出されているという仮定を置いています。
                                           島田市の調査結果からバグフィルターによる正確な除去率を求めることはできませんが、煙突から排出される排ガスの放射性セシウム濃度は検出限界未満※1となっています。安全性の目安となる値(排ガス:セシウム134は20ベクレル/m3、セシウム137は30ベクレル/m3、焼却灰は8,000ベクレル/kg)を大きく下回っており、安全性の面で全く問題ありません。また、排ガスのばいじん濃度も定量下限(0.004~0.005g/m3N)未満であり、バグフィルターのばいじん除去性能が正常に働いていることが確認されています。
                                           バグフィルターによる除去率を正確に求めるためには、バグフィルターの前後で排ガス中の濃度を、検出下限値を大幅に下げて測定する必要があります。環境省が行った別の調査結果によれば、除去率が99.9%以上と計算されています※2。
                                          詳しくは、「島田市の試験焼却データに関する見解について」をお読み下さい。
                                          Q14受け入れ先の自治体で試験焼却をしているところがあるそうですが、試験焼却では何をチェックするのですか?
                                          A14
                                          試験焼却では、排ガス中の放射性セシウム濃度が安全な水準であること、焼却灰の放射能濃度が問題なく埋め立てられるレベルであることなどをチェックします。
                                          人の健康に影響を及ぼすことのない程度であることを実際の処理に準じて確認するために、被災地のがれきを受け入れる自治体において試験的に焼却し、排ガスや焼却灰などに含まれている放射性セシウム濃度などを測定しています。試験焼却の詳細な方法と測定項目は、各自治体が決めています。
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