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[転載]【動画】 立ち上がる在日ウイグル人たち

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    東トルキスタンに平和と自由を!


      宗教への弾圧、計画生育という名の産児制限、不当な逮捕、拘禁、死刑、核実験

      不当に拘禁されている留学生トフティさん、資源の強奪、民族浄化など、

      中国政府がウイグル人に対して行っている弾圧に抗議します。



      中国の狙いは民族絶滅―チベット・ウイグル・モンゴル・台湾、自由への戦い

      いまもなお続く、中国の民族弾圧の真実、中国の脅威。


http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/2d/3e/zodiacfumiya/folder/631589/img_631589_18640405_0?20120826160447

転載元: 昭和の残党


[転載]東トルキスタン独立運動余波??

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共同/サーチナ

10人殺害、30人超けが、中国・新疆で連日の無差別襲撃
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0731&f=national_0731_065.shtml
【北京共同】新華社電によると、中国新疆ウイグル自治区カシュガルで7月30日と31日、通行人や警察官が無差別に襲われる事件が連続して発生し、計10人が死亡、30人以上が負傷した。31日に起きた事件で警察当局は襲撃グループの4人を射殺した。自治区では少数民族のウイグル族による独立運動がくすぶり、南部ホータンで18日、4人が死亡する派出所襲撃事件があり、容疑者グループ14人が警察に射殺された。
 

共同の元ネタ、中国各紙/サーチナ

新疆カシュガルで連続路上殺傷と爆発事件、40人以上が死傷
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0801&f=national_0801_003.shtml
新疆ウイグル自治区カシュガル市で30、31日の両日、爆弾事件と連続路上殺傷事件が相次いで起こり、少なくとも10人が死亡、31人がけがをした。中国の各メディアが伝えた。

  30日午後11時45分ごろ、同市美食街路で男性2人が通行人らを刃物で切りつける事件があり、7人が死亡、28人がけがをした。

  調べでは、2人は交通信号待ちをしていたトラックを乗っ取り、刃物で運転手1人を殺害。まもなくトラックで通行中の群集に突っ込んだ。2人は車を下りて通行人を遅って6人を刺殺し、28人にけがを負わせた。

  2人を捕らえようとした群衆と間で乱闘が起き、犯人側の1人が死亡。別の1人は取り押さえられた。

  新華社などによると、31日午後4時20分ごろ、同市人民西路香〓(木へんに射)大街歩行街で4人が通行人を切りつける事件が発生。4人はただちに捕らえられた。死傷者数は不明で、当局がまとめを急いでいる。

  また、同日午後4時半ごろ、同市中心部で爆発が起き3人が死亡、3人がけがをした。死者の1人は警察官という。現地警察は、容疑者4人を現場で射殺し、別の4人を逮捕した。警察が犯人を制圧する際、警察官と通行人に10人以上のけが人が出た。(編集担当:中岡秀雄)
 

フ━━━( ´_ゝ`)━━━ン!!、詳細で勝負にならんな


時間が少し経過して時事/ヤフーは

時事通信 7月31日(日)20時0分配信
連続襲撃か、通りで48人殺傷=容疑者5人死亡、5人拘束
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110731-00000064-jij-int
【北京時事】新華社電によると、中国新疆ウイグル自治区カシュガル市の繁華街で30日深夜と31日夕、通行人らが刃物で襲われる事件が相次いで発生し、警察官を含め計10人が死亡、38人が負傷した。民族の対立を背景にした連続襲撃事件の可能性もあり、公安当局は事件の関連性や背景を調べるとともに、治安態勢を強化した。
 新疆では2008年からテロ事件や少数民族ウイグル族と漢族の対立が相次いでおり、8月1日の建軍84周年を前に起きた今回の事件に、胡錦濤指導部は衝撃を受けているとみられる。
 新華社電によると、30日深夜の事件では、2人組がトラックの運転手を刃物で殺害し、奪ったトラックを暴走させて通行人をはねた上、刃物を振り回して、運転手を含め7人が死亡、28人が負傷した。2人組のうち1人は拘束されたが、もう1人は死亡した。1時間ほど前には別の場所でミニバンが爆発する事件も起きた。
 また、31日夕には歩行者天国で、警察官を含め3人が刃物で襲われて死亡、10人が負傷した。警察は容疑者4人を射殺し、4人を拘束した。
 同自治区ホータンでは7月18日、公安局派出所が襲撃され、人質ら4人が死亡、ウイグル族らの容疑者14人が警察に射殺される事件が起きた。中国当局は「組織的な暴力テロ事件」と主張し、在外ウイグル人組織「世界ウイグル会議」は「抗議活動に参加していたウイグル族少なくとも20人が警察と衝突して死亡したものだ」と反論。香港紙はウイグル族女性の伝統衣装着用を禁じる地元政府の政策への不満が引き金だったと報じた。 
 

以前と違って今回は詳細が早いですね


時事単発もリンク

連続襲撃か、通りで48人殺傷=容疑者5人死亡、5人拘束-中国新疆
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011073100207


鉄道事故や東トルキスタンでのトラブルを強行解決する理由それは

中国国防省、中国人民解放軍創立84年記念イベント
http://japanese.cri.cn/881/2011/07/31/201s178495.htm
8月1日の中国人民解放軍創立84周年を前に、中国国防省は31日夜、北京でレセプションを行い、祝いました。

 梁光烈国防相はレセプションで挨拶し、「中国の軍隊は、国防の科学技術力と武器装備の開発力を高めていく必要がある。国防と軍隊の改革を推し進めて、長期的な平和と共同繁栄といった調和の取れた世界作りに貢献したい」と強調しました。 

 梁国防相は、「国が現在、これまでにない社会変革を進めている中、軍隊は、情報化のもとでの局地戦争に勝てる力を中心とした多様化軍事任務の執行能力を増強すべきだ。情報化の軍事訓練を展開し、国防科学技術と武器装備の開発力を高める必要がある。さらに、国防と軍隊の改革を深化させ、現代化レベルを引き上げなくてはならい」と述べました。 

 さらに、「両岸関係の平和発展といったテーマを中心に、台湾独立といった分裂活動を抑制して、両岸関係の平和発展や国の完全統一のために、努力していく」としたうえで、「われわれは独立自主の平和外交政策を支持するとともに、世界各国の軍隊との交流と協力を深めていく。世界の長期的平和と共同繁栄といった調和の取れた世界作りを推し進めるため、貢献していきたい」と述べました。(朱丹陽)
 

核弾頭搭載戦略ミサイル実験用潜水艦をこの日のために進水させておいて「平和外交政策」って‥(笑)

転載元: 色々言いたいことあります

[転載]東トルキスタン侵略の正体

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東トルキスタン侵略の正体

<目次>
 
 
 
★★★ NHKの大罪 ★★★

転載元: tearface

[転載]JOG-mel No.75 3 ウイグル独立運動と日本

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■■ Japan On the Globe(753) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■

地球史探訪: ウイグル独立運動と日本

 中国は日本とウイグルの連帯を恐れている。

■転送歓迎■ H24.06.17 ■ 40,800 Copies ■ 3,550,551Views■
無料購読申込・取消: http://blog.jog-net.jp/

■1.10代の女の子が公衆の面前で処刑された

「10代の女の子が、『私は無実です! 私の言うことを聞いて!』と叫んだんです。それでも構わず、(中国当局は)この子を処刑したんですよ。公衆の面前で。多くの人々がこの光景を見ていました。それでも、国際社会は沈黙したままだった・・・」[1]

「ウイグルの母」と呼ばれるラビア・カーディルさんの言葉だ。ラビアさんは、中国に植民地化されている祖国ウイグルの独立を果たそうと結集している在外ウイグル人の組織「世界ウイグル会議」の総裁だ。

 その「ウイグルの母」は、息子や孫を中国の獄中で人質にとられている。それでもラビアさんはくじけない。

__________
 2009年のウルムチ事件の後、中国当局は獄中にある私の息子のみならず、孫までもテレビに引っ張り出して、『私の母(祖母)は悪い人だ』と言わせるというようなことをやりました。彼らがどういうことをやるか、はもうわかっています。[1]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

■2.「中国政府がウイグル人と日本人が連帯することを恐れている」

 ラビアさんは「世界ウイグル会議」の代表者120名余からなる会議を5月14日から17日まで東京で開催するために来日した。

 東京開催を許した日本政府に対して、中国政府の反発は激しかった。開会日に北京では日中韓首脳会談が行われていたが、中国側は野田―胡錦濤会談をキャンセルする、という挙に出た。ラビアさんはこう説く。

__________
 私たちはこれまで、米国やヨーロッパでも会議を開いてきましたが、今回の日本に対してのような激しい反応はなかった。なぜこうまで反応するのか?

それはおそらく、中国政府が、ウイグル人と日本人が連帯することを恐れているせいだと思います。日本のような、力のある、しかも中国に近い国の国民の多くがウイグルの問題に気付き、中国に対し何かを言い出したら困るということなのでしょう。[1]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「ですから、私たちは今回の大会を日本で開催したい、と思ったのです。ヨーロッパでもアメリカでもない、アジアの、ここで声を挙げたい、と思ったのですよ」[1]


■3.戦前からあった日本とウイグルの連帯構想

 日本とウイグルとの連帯という戦略は、実は戦前の日本ですでに構想されていた。ロシアでの共産革命が起こった後、大正末期(1920年代後半)に、陸軍大学校校長をしていた林銑十郎(せんじゅうろう)は、こう語っている。

__________
 共産革命によって帝政ロシアは覆(くつがえ)った。その影響下に、最も隣接したハルハ蒙古(JOG注: 外モンゴル、ソ連の影響下で、1924年、世界で2番目の社会主義国家、モンゴル人民共和国として成立)が独立したが、双方ともに国内整備が完了すれば、思想攻撃は当然四隣に及んでくる。・・・

 右翼堤防のハルハ蒙古は、もろくも共産陣営に崩れ去ったが、左翼堤防の新疆省方面は、強烈な信仰信条を持つ回教民族だから、容易にその団結は崩れないと思う。・・・

 回教という特殊な宗教勢力が、中央アジアからトルコに通ずる一線、これは単に新疆だけのものではないところに、なかなか一朝一夕に処断しかねる勢力をなすと思う。[1,p94]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 共産勢力がロシアからモンゴルを経由して、中国や日本に及んでくる。右翼(東側)の防波堤は崩れたが、西側のウイグル(新疆)民族は強い信仰力を持つイスラム教徒だから、反宗教の共産主義には屈しない。

 そして、その同じイスラム勢力が、中央アジアからトルコまで続いている。この勢力は簡単には押さえつけられない、というのである。この読みの正しさは、戦後、ソ連やアメリカがアフガニスタンで苦杯を喫し、また、今まさに共産中国が手を焼いているウイグル独立運動により実証されている。


■4.満洲、モンゴル、ウイグル、チベット-「防共回廊」構想

 林の着想は、後に、満洲、モンゴル、ウイグル、チベットの地域の独立を支援して、反共親日国家群を樹立し、ソ連の南下を防ぎ、中国共産党との連携を遮断し、東アジアの赤化を防ぐという雄大な構想に発展した。これが「防共回廊」構想である。

 そして、多くの日本陸軍人や民間人が、この構想の実現のために、これらの地域に入り込み、現地の人々とともに汗や血を流した。

 昭和7(1932)年の満洲国の成立は、日本の「アジア侵略」の一環と非難されるが、当時の日本から見れば、ソ連共産主義の防波堤という狙いがあった。「防共回廊」の東北端が満洲国であった。

 外モンゴルが共産化され、ソ連の傀儡国家となった以上、陸続きの満洲、朝鮮と赤化されれば、その脅威はたちまち日本に及ぶ。現在の北朝鮮のような国が釜山まで支配していたらと想像すれば、戦前の日本人の危機感は容易に理解できる。

「防共回廊」各地域の独立活動、日本の支援活動の詳細は本書[2]に譲る事として、ここではウイグルを中心に、戦前の独立運動を追ってみたい。


■5.支那の過酷なウイグル支配

 ウイグルの地は18世紀に清に征服され、「新しい領土」を意味する新疆(しんきょう)と呼ばれた。また中央アジアのトルコ系民族が住む地域をトルキスタンと称し、その東方という意味で「東トルキスタン」とも呼ばれる。西トルキスタンには、トルクメニスタン、ウズベキスタン、キルギス、カザフスタン、タジキスタンが含まれる。

 戦前に日本と連帯して、ウイグルの独立を果たそうとしたムハンマド・イミン・ボグラは、当時の状況を次のように語っている。

__________
 東トルキスタンの回教民は、久しきにわたり支那の虐政と専制により常時束縛を蒙(こうむ)り来たり、従って近代式の学校の新設も見られず、国民の向上発展の要因たる科学の普及を見ず、また隣邦諸国との通信機関に役立つべき新聞雑誌の公刊も許されず、

また一般住民は集会を禁ぜられ、もし回教民にして人類の享受すべき正当なる権利を主張し、または国体組織を計画して相互申し合わせ等を行い、これが省政府の察知するところとなる場合には、死刑または長期の懲役に処せらるるなり。[2,p221]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 当時も今も、中国のウイグル支配の実態は何も変わっていない。


■6.東トルキスタン住民の日本への信頼

 東トルキスタンの地は、辛亥革命で清国に代わって中華民国が成立した後も、引き続き新疆省として支配されていたが、1930年代、漢人の暴政にウイグル人の不満が沸騰し、各地で反乱が頻発した。

 その際に東トルキスタン南部に位置するシルクロード都市ホタンで、イスラム神学校の導師だったムハンマド・イミン・ボグラが武装蜂起に成功し、「ホタン・イスラム王国」の樹立を宣言して、首長となった。

 しかし、ソ連が後ろ盾となった漢人軍閥に攻撃されて、王国はわずか数ヶ月で崩壊。ソ連は軍閥を操って共産主義の浸透を図っていった。

 ボグラはアフガニスタンに逃れ、カブールの日本公使・北田正元(まさもと)に極秘接触した。1936(昭和11)年1月15日、廣田外相あての極秘公電で、北田公使はホタンの発言を次のように報告している。

__________
 全新疆上下の対日感情はすこぶる良かりし上、満洲国独立後は益々信頼を表せり。ソ連の駆逐には新疆の兵士自ら当たるべく、日本よりは外交上の声援と武器供給を仰げば充分なり。[2,p216]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 他の極秘公電では、北田は現地情勢を報告して、日本がアジア有色人種のなかで、ほとんど唯一の強国として世界に闊歩(かっぽ)しつつあること自体が、中央アジア諸民族の精神にも、日本人が想像する以上の影響を及ぼしている、と述べている。

 さらに日本が主張している「汎アジア主義」(アジア諸民族の団結による各民族の欧米支配からの独立)は、無学文盲の民衆にまで理解されており、また日本人の手による「満洲人の満洲国」が急速な発展を遂げつつある事実は、東トルキスタン住民の日本への信頼を一層増しつつある、と北田公使は伝えている。

 北田は公使在任中、2年余にわたってボグラを物心両面で支援し、二人は信頼関係を深めていった。そしてボグラは、日本軍との共同作戦で、東トルキスタンの独立を計るという計画を立てて、北田に提出した。しかし、さすがに日本もこの時点で、ウイグルまで武力支援する余力はなかったようだ。


転載元: 太陽同盟

[転載]中国共産党による東トルキスタン侵略の正体

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[転載]VIP板発の東トルキスタンの支援運動

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まとめサイト
http://www.geocities.jp/saveeastturk/index.html

俺はVIPじゃないが。
この事実が少しでも世間に広がるように。

お願いテンプレ

皆にお願いしたいことがあるんだインフォシークで
日中記者協定、新疆ウィグル、東トルキスタンのどれでも
良いから検索してくれもし検索ランキングで上位に入ったら
MBSの番組である「ちちんぷいぷい」でこの
地域や独立問題がが取り上げられるかもしれないんだ
http://www.infoseek.co.jp/Keyword?pg=ranking.html

もしかたらこの検索ランキングで頑張ればこういう子供達を救えるかも
知れないんだ
http://web.drive.ne.jp/1/soko/VIP04596.jpg

どこでも良いですからこれをコピペ出来る人は
してください、お願いします。

というわけでできる人はよろしく。

WBと違って何かを買えとか何かをしろとかそういうのではない。
ただ、自ブロクにテンプレを貼るだけ。
それだけ。

追記
現在のチベットの状況 (ダライ・ラマ法王日本代表部事務所)
http://www.tibethouse.jp/situation/index.html

隠されたチベットの真実
http://homepage3.nifty.com/~dennoji/t_gallery.htm

なぜ人権問題だと大騒ぎする現マスコミがだんまりを決め込むのか。
被害者の声に耳を傾けろという思想家はなぜ現在進行形の虐殺に目を向けないのか。
ブログが民主主義の見方ではないとのたまう朝日よ、特集でも組んでみたらどうだ?
http://be.asahi.com/20020511/W12/0040.html(「ブログ」の中のうじ虫)

転載元: 忙しいのにゲームとアニメ日記

2009年ウイグル騒乱は、中華人民共和国新疆ウイグル自治区ウルムチ市において発生した虐殺事件。

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 2009年ウイグル騒乱(にせんきゅうねんウイグルそうらん)は、2009年7月5日に、中華人民共和国新疆ウイグル自治区ウルムチ市において発生した騒乱事件。
 
 ウイグル人住民が、漢族住民および武装警察と衝突し、中国当局の発表(2009年7月19日現在)では、死者197名、負傷者1,721名に上る犠牲者が出たとしている]
一方、亡命ウイグル人組織の世界ウイグル会議の発表(2009年7月10日現在)で、中国当局や漢族の攻撃により殺されたウイグル人は最大3,000人と発表している。
 新疆における騒乱事件としては、2008年3月のホータン市での抗議デモ以来の事件であり、1997年に起きたグルジャ市での大規模な官民衝突に匹敵する犠牲者を出した。
 
 
概要
 事件の背景には、漢族住民とウイグル人住民の間の経済的格差や、ウイグル人固有の文化的、宗教的権利が中国において尊重されていないとするウイグル人住民の不満があるといわれる。
2009年6月末には、広東省韶関市の玩具工場で漢族によるウイグル人従業員への大規模なリンチ殺害事件が発生し、これがウルムチ市での事件の直接の契機となった。
 
 7月5日、事件の公正な解決を求めるウイグル人がウルムチ市内で当局への抗議デモを始めた。およそ3,000名がデモに参加し、デモを鎮圧しようとした治安部隊との間で衝突が発生した。デモ隊の一部は暴徒化し、車両破壊、放火、漢族住民への襲撃を行った[
 
 デモの発生契機やデモ隊が暴徒化した経緯、デモの鎮圧過程については、中国当局とウイグル人住民の間で大きく見解が異なる。中国当局が、海外の独立運動組織の煽動により計画的に引き起こされた「暴力犯罪」と主張する一方、亡命ウイグル人組織の世界ウイグル会議は、自発的に発生した平和的なデモに当局が発砲し、これに刺激されたデモ参加者の一部が暴徒化したと主張している。
 死傷者についても、中国当局は7月10日に死者は184人であり、そのうち漢族が137人であるとして死傷者の大半が漢族であると発表する一方で、同日、世界ウイグル会議は、中国当局の武力弾圧や漢族の攻撃により殺されたウイグル人の死者は最大で3,000人に上る可能性があると主張し、デモ鎮圧の過程で当局による武力弾圧があったことを示唆している。
 7月19日には中国当局は警察官が少なくとも12人を射殺したことを認めている[2]
 
 中国当局は、7月7日には市内の治安を回復したと発表したが、同日には、棍棒や刀で武装した漢族の集団が数百人規模で示威行動を行い、一部がモスクやウイグル人の住居を破壊する事態となった。
 中国当局は、民族間の緊張が高まるのを危惧し、「民族団結」を呼びかけ、両民族の融和を求めるキャンペーンを展開した。
 
 事件は新疆ウイグル自治区各地に波及し、ウイグル人人口の多い西部カシュガル市でも、住民と治安部隊の衝突が報じられた。中国当局は、新疆全域に3万人超の軍、武装警察を投入し、治安維持に当たらせた[9]
 
 中国当局は、2008年のチベット騒乱の際に、厳しい報道管制を敷いて国際的な非難を招いたが、今回は事件の発生時から積極的な情報開示を行うことで情報管理の主導権を握ろうとした。
 7月5日夜には早くも新華社が事件の発生を速報として配信し、翌7月6日朝には、国営テレビで「暴動」の様子が詳しく放映された。海外メディア向けに対しても、自由な取材が認められている訳ではないものの、取材活動が認められ、当局による取材ツアーやプレスセンター設置等の便宜供与も行われた。一方で中国政府は、新疆ウイグル自治区内のインターネット携帯電話国際電話の通信を遮断し、国内メディアには厳しい報道管制を維持した。
 こうした中国政府の対応を、「暴徒」の残虐性を強調し、当局の対応の正当性を印象付けるための、新しい報道統制のやり方であるとする指摘もある。

中国の高架橋が1年持たずまた崩壊/中国民の不満高まる

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高架橋が1年持たず崩壊/中


土壌汚染対策法に基づく調査及び措置に関するガイドライン(改訂第2版)

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土壌汚染対策法に基づく調査及び措置に関するガイドライン(改訂第2版)


全体版 [PDF 22,090KB]

■分割版

埋立地管理区域内において認められる土地の形質の変更の施行方法の基準
 

1.埋立地管理区域内において認められる土地の形質の変更の施行方法に係る基本的考え方
 
1.1 埋立地管理区域内における土地の形質の変更の施行方法
 土壌汚染対策法施行規則第53 条第2号ロの環境大臣が定める同令第58 条第4項第11 号に該当
する区域(埋立地管理区域)内の帯水層に接する土地の形質の変更の施行方法の基準は、次の各号
のいずれにも該当することとする(平成23 年環境省告示第54 号)。
 
1.1.1 最も浅い帯水層の中で土地の形質の変更を行う場合
 土地の形質の変更の方法は、次のいずれかの方法とすること。
 
イ 地下水位を管理して施行する方法
 
(1) 当該土地の形質の変更の範囲の土地の土壌の特定有害物質による汚染に起因する地下水の
汚染の拡大を的確に防止できると認められる地点に揚水施設を設置し、地下水を揚水するこ
と。
 

(2) 上記(1)により揚水した地下水に含まれる特定有害物質を除去し、当該地下水の水質を排出
水基準(汚染土壌処理業に関する省令(平成21 年環境省令第10 号)第4条第1号ト(1)に規
定する排出水基準をいう。)に適合させて公共用水域(水質汚濁防止法(昭和45 年法律第138
号)第2条第1項に規定する公共用水域をいう。)に排出するか、又は当該地下水の水質を排
除基準(同令第4条第1号チ(1)に規定する排除基準をいう。)に適合させて下水道(下水道
法(昭和33 年法律第79 号)第2条第3号に規定する公共下水道及び同条第4号に規定する
流域下水道であって、同条第六号に規定する終末処理場を設置しているもの(その流域下水
道に接続する公共下水道を含む。)をいう。)に排除すること。
 
(3) 当該土地の形質の変更の範囲の土地の地下水の汚染が拡大するおそれがあると認められる
当該土地の形質の変更の範囲の周縁の土地に観測井を設け、定期的に地下水位を観測し、当
該土地の形質の変更が終了するまでの間、当該周縁の土地の地下水位を確認すること。
(4) 上記(3)の観測の結果、当該土地の形質の変更の範囲の土地の地下水位が当該周縁の土地の
地下水位を超えていると認められる場合には、当該土地の形質の変更の範囲の土地の地下水
の汚染の拡大を防止するための措置を講ずること。
 
ロ 地下水の水質を監視して施行する方法
 

(1) 当該土地の形質の変更の範囲の土地の地下水の汚染が拡大するおそれがあると認められる
当該土地の形質の変更の範囲の周縁の土地に観測井を設け、一月に一回以上定期的に地下水
を採取し、当該土地の形質の変更が終了するまでの間、当該地下水に含まれる特定有害物質
の量を規則第6条第2項第2号の環境大臣が定める方法により測定すること。
 
(2) 上記(1)の測定の結果、地下水の汚染が当該土地の形質の変更の範囲の土地の区域外に拡大
していると認められる場合には、当該土地の形質の変更の範囲の土地の地下水の汚染の拡大
を防止するための措置を講ずること。
 
 
 
 

[転載]チベット蜂起 中国共産党の弱いものいじめ【後編】

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【前編】より続くhttp://blogs.yahoo.co.jp/aquarapter/41571661.html

ちょうどこのチベット蜂起が起きた頃、

北京では、中国共産党の年に一度の最高権力機関

「全国人民代表大会」が開かれていました。



今年の人民大会では中国共産党が勝手に擁立した、

偽者のパンチェンラマ10世
が18歳の誕生日を迎えて成人し、

中国共産党の最年少の大臣として就任する見通しが発表されました。
http://www.tibethouse.jp/news_release/2008/080213_pl.html



パンチェンラマ氏とは、ダライラマ法王に次ぐ、

チベット仏教の精神指導者の双璧であり、

後継者には血筋ではなく、

霊的な生まれ変わりが選ばれます。


パンチェンラマ氏は、

転生したダライラマ法王を認定する権限を持ちます。


そして前・パンチェンラマ10世が亡くなった後、

その生まれ変わりであるパンチェンラマ11世として

ダライラマ法王が認定した少年は、

6歳だった当時、1995年5月、認定から僅か3日後に、

中国共産党により拉致され、

その後の消息は一切不明となっています。




ダライラマ氏はご高齢です。


無宗教国家である筈の中国共産党が擁立する、


偽者のパンチェンラマ11世が、

次のダライラマ氏の偽者を立てれば、

チベット文化はその根底から崩壊する恐れがあるのです。


それこそが中国共産党の狙いです。



チベットにはもう後がないのです。




前・パンチェンラマ10世は、

中国共産党からの弾圧、14年間に渡る拉致・監禁・拷問にも耐え偲んだ後、

1989年の1月に、中国政府を激しく非難する演説を行い、

その翌日に突然亡くなりました。


中共政府は「心臓発作」と発表しましたが、怪しいものです。


このあまりに不可解なパンチェンラマ10世の突然死がきっかけで、

1989年、チベットで暴動が発生し、ラサに戒厳令が敷かれました。


そして当時、ラサに中共の役人として赴任していた責任者、

パンチェンラマ10世の死を見届け、

チベットでの暴動を徹底的に鎮圧したのが、

現・中国共産党最高権力者胡錦濤(コキントウ)です。


そして この同じ年の4月、

チベット仏教に一定の理解を示しながらも失脚した胡耀邦(こようほう)氏も、

パンチェンラマ氏の後を追うように他界します。


民主主義にも一定の理解を示していた胡耀邦(こようほう)氏の死去をきっかけに、

この同年、1989年6月4日に、かの悪名高き、近年稀に見る大虐殺、

民主主義を叫ぶ大勢の中国の若者達が、

装甲車に踏みにじられ、人民解放軍の露と消えた、

天安門事件 が起こるのです。


未だに中国共産党は「天安門事件」を激しく隠蔽しています。


中国国内ではインターネットの検索でも真実は出て来ません。



1989年以来と言われている今回のチベット蜂起。



人民解放軍の装甲車は、又もや、

罪もない、非暴力の僧侶や市民の列に突っ込みました。


後には100人ものチベット人たちが倒れていたともされています。


19年も経つのに、何も進歩していない・・・

いや、圧制はどんどん暴走する一方です。



今回の蜂起も、小さな出来事に見せかけるため、

実質的な「戒厳令」は口伝で出され、

情報は遮断され、密告させ拘束、かくまう者には処罰、一軒一軒をまわるしらみつぶしの摘発、

国外に出てくる画像・情報は中共政府が検閲操作している可能性が高く、

僧侶の格好をして暴れているが、その実、人民解放軍の兵士という恒例の捏造・・・




そして胡錦濤氏が、とうとう次のような声明を出しました。



チベット暴動、中国はダライ・ラマ派との「人民戦争」を宣言
[北京 16日 ロイター] 

http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-30846720080316



これは・・・事実上の


宣戦布告!



軍隊も持たない、非力な宗教国家の少数民族に対し、


強大な軍事国家が宣戦布告するとは・・・



恥を知れ!




最高権力者におさまった胡錦濤国家主席は、

容赦なく前回と同じ事を繰り返す事でしょう。


ダライラマ法王を政治犯として追い詰め、

今度こそ、

チベット民族の最期の息の根を止めようとするあざとい魂胆が丸見えです。



今、まさに、高地にひかれた青藏鉄道によって、

人民解放軍が大量に送り込まれ、チベットの聖地を蹂躙している事でしょう。


中国共産党の弾圧は徹底的です。


狂気さえ感じます。

圧倒的な力の差のある相手に対してこの仕打ち・・・

まるで恐怖にかられているかのようです。


何故でしょう・・・


中国共産党が最も恐怖しているものは、

実は皮肉にも、


自国内からの刃のようです。


国際社会からどんなに批判されようともお構いなし。


彼らが一番恐れるのは、恐らく内部から刃を向けられる事なのでしょう。



北京五輪は、どんなに海外の批判に晒されようと開こうとするでしょう。


何故なら、軍事力が強大となった中共を敵に回す国家は今や見当たらず、


ちょっと脚色した声明を国際社会に発信しておけばNo problem.



それよりも、

北京五輪の為に、経済成長の為にと、

住宅ごと叩き壊されて住む場所を追われ、奴隷のように扱われ、

人間としての尊厳を奪われた幾多の人々の蜂起が怖いのでしょう。


北京五輪という大義名分を失った時に、

国内から沸き起こるであろう反発は怖いでしょう。


1949年 中国共産党による建国以来 59年、

人民への弾圧・非道・殺戮・情報統制が積み重なる程に、

恐怖もまたどんどん倍増している事でしょう。


それ故、彼らは絶対的な力を持つ人民解放軍を懐に抱えているのです。


自国民に対する懐刀として・・・




ダライラマ氏は、堂々と国連への公式な調査を要請しました。


しかし国連はチベットからの悲痛の声を無視し続けてきました。


よもや国連常任理事国に中国共産党が居座る限り、

国連は虐殺にお墨付きを与えて幇助しているようなものです。


中国共産党を国連常任理事から除名しろ!


その代わりに平和国家である日本が着任した方が適任です。


殺戮国家の暴走を止められない国連などいりません。


そして国連原理主義者であり媚中・韓である

小沢一郎氏率いる民主党

こんな政党が議席を占めている現在、

チベットは明日の日本である事は明白です。



日本よ もっと強かになれ!



関連過去記事:
中国はいかにチベットを侵略したか
http://blogs.yahoo.co.jp/aquarapter/34207037.html

中国3勢力が五輪破壊計画!?!?
http://blogs.yahoo.co.jp/aquarapter/34935368.html


チベットに愛の手を
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
http://www.tibethouse.jp/home.html

チベット・サポート・ネットワーク・ジャパン
http://www.geocities.jp/t_s_n_j/index.html

参照HP:
「世界最年少の政治囚」パンチェン・ラマ11世救出キャンペーン(TSNJ)
http://www.geocities.jp/t_s_n_j/panchen_lama/

転載元: 化学物質過敏症奮闘記

[転載]チベット動乱

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チベット動乱

チベット動乱チベットどうらん)は、中華人民共和国政府のチベット統治、支配に対し、アムド地方、カム地方における「民主改革」「社会主義改造」の強要をきっかけとして1956年に勃発し、1959年に頂点に達したチベット人の抗中独立運動のことである。
 
 
略歴 [編集]

チベット動乱 [編集]

1949年:中華人民共和国設立後の中国共産党政府による支配確立に対するチベット人による抵抗。
1950年:中国人民解放軍チベットを制圧、全域を自国に併合。
1955年:十七ヶ条協定における「改革は強要しない」地域から除外されたチベット北半部(アムド地方、カム地方東部)における社会主義改造の開始
1956年:チベット北半部における抗中蜂起。
同年、人民解放軍による鎮圧。十七ヶ条協定協定の枠組みのもと、ガンデンポタンの統治下で平穏をたもっていたチベット南半部(西蔵)に、アムド地方、カム地方からの難民や、敗北したゲリラ兵が流入。
同年、チベット高原北半部出身者による統一抗中ゲリラ組織チュシ・ガンドゥク結成、チベット南半部で、ゲリラ活動を展開。
1957年からは東西冷戦構造に組み込まれ、アメリカ合衆国CIAからの訓練や資金、武器の供給を受けるようになる。
中華人民共和国政府、ガンデンポタンにチュシ・ガンドゥクの鎮圧を「命令」。
1959年:中華人民共和国政府、ガンデンポタンに首相ルカンワの解任要求。
1959年:ラサ駐屯の中華人民共和国機関、ダライ・ラマ14世を「観劇に招待」。
1959年:3月ダライ・ラマ14世が中華人民共和国に拉致されることをおそれたラサ市民がノルブリンカ宮を包囲(1959年のチベット蜂起)。ラサ駐屯の中国人民解放軍、市民に解散を要求、さもなくば砲撃すると通告。
ダライ・ラマ14世、ガンデンポタン、チベットを脱出。
中華人民共和国国務院、「西蔵地方政府の廃止」を通告。
ダライ・ラマ14世、インドへの国境越えの直前、チベット臨時政府の樹立を宣言。

その後

1960年:中華人民共和国がチベット南半部における支配をほぼ確立。
チュシ・ガンドゥクが、ネパールムスタン地方を基地としたゲリラ活動を展開。
1972年:米中の国交樹立により、アメリカ合衆国CIAによるチュシ・ガンドゥク支援中止。
1974年:チュシ・ガンドゥク解体、ゲリラ活動の中止。
2008年:チベット四川省青海省において、中華人民共和国に対する抗議運動をきっかけに騒乱が起き、同国政府の治安部隊によるチベット人への催涙弾による鎮圧が行われた(2008年のチベット動乱)。

統計

チベットおよび西側政府

チベット人の一部および西側政府は、彼らの主張によればチベット全域(中央チベット[1]に加え、アムド[2]カム[3]も含む範囲)最高で120万人のチベット人の失踪をもたらした侵略の後、中国政府の恐怖政治を告発したが、中国は、この主張を強く否定している。
1953年におけるチベット公式の国勢調査では中央チベットの人口は127万人と記録されており、中国政府の主張にしたがう学者はこれを根拠として虐殺被害者「120万」という数字の信憑性を疑問視する[4]。 しかし、上記の通り、チベット亡命政府の採る犠牲者120万人という数は、ガンデンポタンが統治していた中央チベットだけではなく、アムド、カムをも含んだチベット全域の数字である。

サムドン・リンポチェおよびダライ・ラマ14世

サムドン・リンポチェ(現チベット亡命政府首相)およびダライ・ラマ14世によれば、1962年には、チベット自治区内の2,500の僧院から、僧侶の93%が追い出され、残された僧院は70だけだという。
1950~1976年の間の侵略および占領の直接的な結果としての死者数は、次のように推定されている。
  • 173,221人のチベット人が、刑務所もしくは強制収容所で死亡。
  • 156,758人が処刑死。
  • 342,970人が餓死。
  • 432,705人が戦闘もしくは暴動中に死亡。
  • 92,731人が拷問死。
  • 9,002人が自殺。
2006年には、この大量虐殺人道に反する罪国家テロ拷問の嫌疑は、スペインの法廷によって取り調べられた。

転載元: 西太平洋の平和・繁栄歴史・・・中国や韓国の放射能リスク

[転載]2008年のチベット騒乱

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2008年のチベット騒乱

オレンジ色の地域がチベット民族が居住している地域
 
 2008年のチベット騒乱(にせんはちねんのチベットそうらん)は、2008年3月10日中華人民共和国チベット自治区ラサ市において、チベット独立を求めるデモをきっかけとして発生した暴動を指す。
 ラサ市内の暴動は3月16日までに鎮圧されたが、チベット民族が居住する四川省青海省甘粛省などに暴動が飛び火し、欧米や日本、インドネパール等でもチベット難民とその支援者達による中国への抗議活動が繰り広げられた。
 
 
暴動を巡る報道
 中国当局が国外および香港報道機関の同地域への入境および報道を規制したために情報が不足しており、正確な暴動の詳細を掌握するのは極めて困難であり、中国政府当局とチベット亡命政府の両当事者による発表や、伝聞情報に基づいた大手マスコミの報道が大部分を占めていた。
 ラサ暴動の発生直後に伝えられた各種の情報のうち、第3者による証言は、暴動発生時に中国当局からラサ市内での一週間の滞在取材を許可されていたエコノミスト紙の特派員ジェームズ・マイルズ記者の報告など、極めて限定されたものしか残されていない。
 暴動発生直後の報道は、チベット亡命政府の発表をそのまま引用・転載した内容を掲載したBBCCNNに代表される欧米メディアの報道と、これに反論する中国政府の反論の応酬が続いた。

概要

ラサ市内での暴動

 ラサ市内での暴動発生原因として、チベット亡命政府内の急進独立派であるチベット青年会議(TYC藏青会)と、これを支援する国境無き記者団などの欧米の支援団体は、2008年8月の北京五輪を前に、中国政府が強硬な鎮圧に出られない事を見越して、チベット独立を求める大規模なデモをラサ市で実行し、これにチベット亡命政府に好感を持っている複数のジャーナリストをアテンド取材させてチベット問題への国際的な注目を集める事を企画していた事が知られている。
 デモは中華人民共和国チベット自治区のラサ市において、1959年のチベット蜂起から49年目に当たる2008年3月10日に合わせて開始されたが、英エコノミスト紙のジェームズ・マイルズ記者の「私がラサで見たのは、計画的で特定の民族グループを標的とした暴力であり、その対象とされた民族グループは、ラサで最も人口の多い漢族と、少数派の回族だった」との証言から、3月14日に漢族・回族を標的とする暴動へ転化したとものだったと理解されている。
 暴徒達は長剣やナイフで武装して銀行、漢族や回族の商店を襲撃して略奪・放火・暴行を行い、その様子はCCTVを通じて世界中に配信され、中国側の鎮圧行動の説明に用いられた。
 これに対して、当初チベット亡命政府はラサ市で行われたのは平和的なデモだったと主張しており、ダライ・ラマ14世もこれに理解を示す声明を出していたが、第3者であるマイルズ記者が事態を目撃していた事が3月19日に明らかになると、「暴徒は中国兵が僧侶に変装したもの」[10]、との見解を発表し、その証拠写真としてチベットの運動家は“中国軍兵士が僧侶役のエキストラとして参加した映画撮影時に撮影された写真”を示した。しかし直後に無関係な写真だと指摘された。
 
 チベット亡命政府から正確な情報を伝えられていなかった事に気付いたダライ・ラマ14世は、米国への訪問時にシアトルの地元新聞社とのインタビュー で、今回の暴動はチベット亡命政府内の“若者達”が自らの中道路線に不満を持ち、これが暴走した結果という見解を示し、中国側の発表した暴動とチベット青年会議との関係を暗に認め、中国政府との非公式チャンネルを通じた接触を明らかにし、以降は一転して暴力に反対する意を示した。
 現地の目撃者の女性は、ラサにある小さな寺院の付近で、警官によりデモを停止された後に、僧侶らがパトカーに放火したと述べた。「僧侶らはまだ抵抗を続けている。パトカーと軍用車両が燃やされた。泣き叫んでいる人々がいる」と述べた。
 これらの暴動が過激化したため、3月16日までに武警・公安部隊が催涙ガス[15]ゴム弾など非致死性兵器を使用して暴徒を解散させた。
 中国政府は、暴徒が多数の僧侶に扇動されていると考え、ラサ市内にある3箇所の大僧院を封鎖し僧侶達を幽閉し、3月17日に街頭スピーカーから暴動参加者へ対する、自首による罪の減免措置が通告され、多くの者はこれに応じて自主的に公安局へ出頭し、暴動は市街の多くを破壊して終焉した。

四川省 アバ州での暴動

 3月16日、四川省アバ州において、ラサ市内でチベット人が回族を襲撃した事への危機感と、回族の犠牲者に与えられた残虐行為の噂が回族住民の怒りに火を付け、独立派チベット族の開いていた集会を襲撃した事に始まり、銃撃を含む衝突が発生した。
 アバ州での暴動発生直後に、チベット亡命政府は中国軍の鎮圧で20名の犠牲者が出たと発表し、ローマ教皇庁外国伝道団機関紙である『AsiaNews』がこれを報じたが、この報道に対する事実関係の確認は、いまだに行われていない。
 中国政府は軍事産業が集中する四川省という重要な地域での民族間対立が表面化した事と、他の地域にも存在する民族間対立への飛び火や、なにより新疆のイスラム過激派が対立に乗じて回族への影響力を強める事を恐れて、中国人民武装警察部隊や公安部隊を急遽派遣して衝突を沈静化させた。

犠牲者数を巡る応酬

 中国政府の暴動鎮圧活動に際して、少なくとも140名以上の多くのチベット人が虐殺されたとチベット亡命政府は主張している。 一方で、中国当局はこの暴動全体での死者数を22人と発表し、新華社はチベット亡命政府が発表したリストの死者名は虚偽だったと報道した[18]
 2008年4月2日の「人民網日本語版」によると、現地に潜入していたチベット青年会議の中心メンバーは、青海省を逃走中に公安局に発見され、銃撃戦の末に射殺されたが、この際公安局のチベット人将校も死亡したと発表している。また、各地の寺院内に秘匿されていた武器・弾薬や爆薬などが発見された事を発表している。参照
4月3日に起きた四川省カンゼ・チベット族自治州での騒乱では、香港各紙は僧侶を含む8人が死亡したと報じている。米政府系のラジオ・フリー・アジアは目撃者の情報として、15人が死亡、多数の負傷者が出ていると伝えた。
 2008年4月29日には、チベット亡命政府は死者数203人、負傷者は1千人以上、5715人以上が拘束されていると発表し、死者数については、亡命政府の独自集計とともに、NGOのチベット人権民主化センターの発表(死者数114人)、中国国営メディア(死者数23人)、米政府系のラジオ・フリー・アジアの発表(死者数237人)などの5団体の内容を照らし合わせて死者数を確定したことが伝えられた。
 2008年7月10日のチベット自治区のバイマチリン常務副主席の記者会見を報道した新華社通信によると、3月14日のラサ市暴動での逮捕者は953人、うち362人が自首、116人が裁判中であり、4月29日に30人の裁判が結審し、最も軽い者で懲役3年、重い者で無期懲役が言い渡され、6月19日・20日に12人の裁判が結審し、放火、窃盗、社会秩序騒乱罪、国家機関襲撃罪など19の罪状が認定された。

各国の反応

中国領事館外から抗議する人々(アメリカサンフランシスコ
  • 2008年3月19日に台北市内で開かれたチベット支援団体の集会には、この暴動を自陣営への追い風と考えた民進党謝長廷総統候補が参加し、「台湾が『一つの中国』の原則を受け入れ、国家ではないと承認してしまえば、台湾の地位や未来はチベットよりもさらに悲惨なものになるだろう」と述べたが、謝候補は大差で落選した。
  • 台湾独立派の闘士であり、陳水扁民進党政権の国策顧問をつとめた金美齢は、投票直前に開かれていたチベット支援団体の集会を見学に行ったところ、台湾人の聴衆がほとんどいない事に落胆し、チベット人のような顔をして演壇に座っていたのが、知り合いの民進党支持者の台湾人女性だったのを見て、台湾人のチベット問題への関心の低さを残念に思った旨を自ら記している。
  • アメリカ合衆国下院外交委員会の共和党筆頭メンバーのイリーナ・ロスレイティネン議員は、中国のチベットでの住民や僧侶の弾圧を非難するとともに、米国務省が2008年度の世界人権報告書の「人権侵害国」の指定リストから中国を外したことを批判した。同議員は中国政府がチベット住民の基本的人権弾圧していると抗議する声明を出し、「中国当局がこの種の弾圧を続ければ、北京オリンピックの開催に悪影響が出る」と警告した。
  • アメリカのペロシ下院議長は中国を強く非難し、3月19日にインドのダラムサラまでダライ・ラマ14世との会談のために赴いた。
  • 日本の超党派国会議員でつくる「チベット問題を考える議員連盟」(枝野幸男代表)は中国チベット自治区での暴動に対する中国当局の取り締まり強化を非難する声明をまとめた。声明は「報道の自由がない中で、中国政府による一方的なプロパガンダや弾圧がなされている疑義を持たざるを得ない状況が悪化するなら、胡錦濤国家主席の訪日を到底歓迎できない状況になりかねない」としている。
  • 2008年3月17日ロシア外務省は、チベットは中国の不可分の領土であるとして中国当局による暴動鎮圧を支持し、北京五輪を政治問題化しようとする動き(五輪ボイコット)に対して批判的な見解を示した[22]。また、セルゲイ・ラブロフ外相はコソボ独立宣言がチベットでの暴動に影響しているとして、欧米各国の内、コソボ独立を承認した国々を非難した[23]
  • 新華社によると、セルビアフィジー諸島ザンビアシエラレオネベナンカザフスタンタジキスタンキルギスグルジアモンゴルネパールバングラデシュ北朝鮮シリアが中国当局の対応を支持している。
抗議活動が盛んな時期には北京五輪開会式への出席拒否を示唆する首脳もいたが、かつて西側諸国がボイコットしたモスクワオリンピックの開催国ソ連は東側中心で貿易していたのに対し、北京オリンピックの開催国の中国は市場経済をとっている影響から、各国は経済関係の悪化を懸念し関係修復を急ぎ、北京五輪開会式には多数の国家首脳が出席した。その後、2008年5月12日の四川大地震の発生や北京五輪の開催終了とともにチベットそのものへの国際社会の関心は急速に失われて行った。

欧州

世界各地で開催されたた抗議デモ
身障者としてパリの聖火リレーに参加した金晶はチベット人暴徒とされる男[25]から聖火を護り抜いた事で一躍中国国民にとって英雄となった。
 

海外の華人社会

 米国留学中の中国人学生王千源は、米国人学生と中国人学生とのチベットを巡る対立を仲裁したところ、彼女に個人的に悪感情を抱いていた同窓の留学生によって、インターネット上に『漢奸』(売国奴)と告発され、彼女の両親が暮らす自宅の玄関に汚物が塗られるなど、中国全土で非難されるという悲運を味わった。
 また、華人人口の多いマレーシアで行われた北京五輪聖火リレーに際して、児童を含む日本人の家族3名(父親はトライバル系ファッションの若者だった)が妨害を試み、周囲の華人によって袋叩きにされて現地警察に身柄を保護・拘束されるという事件も発生した。

日本

2008年5月6日胡錦濤中国国家主席の訪日に合わせて、銀座で起こった抗議運動
同上。「Stop The Genocide in Tibet」和訳「中国共産党へ。チベットでの虐殺は止めろ」
 

転載元: 西太平洋の平和・繁栄歴史・・・中国や韓国の放射能リスク

[転載]中国はいかにチベットを侵略したか

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記:こうもり
マイケル・ダナム著
山際素男=訳 講談社インターナショナル  2006年第一版発行

有名な本なので、お読みになった方もいらっしゃると思います。

私どもは、化学物質過敏症でインクの揮発臭に影響を受けますので、
あまり本は読めないのですが、
この本には反応せず、読破出来た数少ない本の中の一つです。

中国共産党政府が「解放」と呼ぶ、実のところは武力侵攻・弾圧・虐殺については、
あまりに凄惨なため、
娘と共同執筆のこのブログの性質上、詳しい記述は致しません。

我が国の状況と非常に共通項の多いチベットの哀しい現実に、
未来の我が国のイメージがどうしても重なり心が揺さぶられます。

この本を読むまで、私は、中共政府の武力侵攻に対して、
チベットの人達は、殆ど無力で抵抗出来なかったのだと思っていました。

そうではなかったのです。

彼らは誇り高き遊牧民。

道徳的な信仰を礎に、長い間、
平和でゆるやかな国家を形作っていた高潔な民だったのです。

唯一、イギリスからの留学帰りで、自国の無防備さに危機感を持ったチベット人が、
チベットの軍事・政治改革を推し進めたところ、
貴族階級・僧院達への重い課税の反発を受け、
罪人として追放されてしまいます。

どこの国でも同じですね・・・中国共産党が密やかに侵略してきた時、
中共政府に擦り寄る事で見返りを授かり、
チベットを自ら差し出すような生き方を選んだ有力者もいたのです。

しかし、大多数の民は、ただ、チベットを、ダライ・ラマ師を守るために、
中共政府に勇猛果敢に立ち向かいました。

そして中共政府は、抵抗する者には、人を人とも思わない、
徹底的な弾圧を行います。

現在の新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)しかり、
第二次大戦後の武力弾圧・二二八事件で虐殺され、
独立宣言をしたら軍事攻撃すると恫喝されている台湾しかりです。

チベット国内にあった7千の僧院は90%以上破壊され、

チベット全人口の五分の一にあたる120万人もが犠牲となり、

財宝は中国に持ち去られ、

大量の漢民族(中国人)がチベットを占拠してしまいました。

拠る術もないチベットが苦境の中、必死で窮状を訴えた書簡を、
国連は無視しました。
国交のあったインド・イギリスも中共政府の顔色を覗い見て見ぬフリ。

孤立無援のチベットに手を差し伸べたのは、
この広い世界で唯一アメリカだけだったのです。

CIAは密やかにチベットの精鋭を脱国させて軍事訓練を施し、密やかに帰国させ、
資金を提供し、中共の大量兵器に歯が立たない遊牧民に武器を提供しました。

しかし、それも、親中政権であるニクソン大統領とキッシンジャー国務長官が、
チベットから手を引く取引を毛沢東と取り交わすまでの事でした。


そして先日のニュース・・・中国共産党はチベット「解放」の最期の仕上げに入ったのでしょうか?
http://news.goo.ne.jp/article/kyodo/world/asia/CO2007061801000401.html
---ニュースより引用--------------------------------------------------
強制移住による「中国化」進む チベット遊牧民の人権報告
共同通信2007年6月18日(月)
国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(本部ニューヨーク)は、
中国西部で伝統的な放牧生活を続けるチベット民族が、
都市部に相次いで強制移住させられ、
チベット遊牧文化の衰退と同民族の「中国化」
が急速に進んでいるとする報告書を発表した。
強制移住政策の背景について
「チベット民族の独立運動を弱体化させ、封じ込めようとする中国政府」
の思惑
が透けて見えると指摘。
---------------------------------------------------------------------


中共政府は、「解放」(=乗っ取り)の戦略の一つとして中国人(漢民族)を大量に送り込みます。

その人海戦術により、その国の主権は、
人々が気が付かないうちに少しづつ侵食されていきます。

これは、ちょうど現在の我が国にも当て嵌まります。

不可解にも国家首脳たる安倍首相の大号令のもと、
中国からの移住者がどんどん増え続けているのが非常に不気味です。

チベットに送り込まれ、徐々に数を増やしていった中共軍が、
突然、武力による侵攻を始めたのが1950年。

「始めは友好的に振る舞い、そのうちに暴力的になる」
・・その言葉通りに・・・・・


前ダライ・ラマ13世は、1932年8月、既に次のように予言していたとされています。

「遠からずチベットは崩壊するだろう。
ダライ・ラマも聖職者たちも消えてしまい忘れられてしまうであろう。
僧侶も僧院もことごとく消滅し、国土も政府の財産も取り上げられ、
敵に仕えるか、さもなくば物乞いの如く
世界を流離(さすら)うことになろう。
すべてのものは苦悩の底に沈み、恐怖に戦(おのの)き、
昼も夜も不幸な陰を引いてゆかねばならぬだろう」



この世から消えて無くなるべくは中国共産党の方です。

転載元: 化学物質過敏症奮闘記

[転載]チベット大虐殺の残酷さ

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 支那人の非道、残酷さは日本の歴史でも通州事件に刻まれている通りです。

 チベットでは女性は尼僧であっても繰り返し強姦され、特に尊敬されている僧は狙い打ちにされます。尼僧との性交を強いられたりします。売春婦をつれてきて僧に性交を強要し、僧が拒否すると腕を叩き切られ「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑されたといいます。大勢のチベット人が手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺されていきます。

 性的暴力はひどいもので、尼僧でインドに亡命したケンサン・ペモさんは以下のように話しています。
 つかまった尼僧たちがひとつの部屋に集められ、服を調べられました。顔を伏せたままでいると、服を一枚一枚脱がされ裸にされました。その部屋は窓が多く、外には大勢の一般囚が見ていました。そして、大勢の見るなか、警官の一人が頭を、もう一人がお尻を棒で殴り続けました。やがて、あまりの痛さに恥ずかしさも忘れ、私は床に転げまわりました。そしてついに気絶したのです。気付くと水をかけられてびしょ濡れになっていました。再び拷問が始まりました。電気棒を口や肛門、女性器に押し込んできました。私はあまりの痛みとひどさに再度気を失いました。

 電気棒は家畜に用いる電気ショック棒です。80年代から使われたようです。民族浄化作戦で女性が子供を産めないようにする目的でも使われたようです。

28年間獄中で過ごしたアマ・アデ女史
 私が逮捕されたのは26歳のとき。300人ほどの女性が一緒に連行されましたが、その中から私を含めて4人が豚の世話をし、看守の服を洗濯する役を言いつけられました。しかし、実際には看取の性欲処理係でした。私たちは舌を噛んで死ぬことまで考えました。でも思いとどまりました。豚の世話係という立場上、盗んだ豚の餌を独房にいる活仏や高僧のところにこっそり持っていくことが出来たからです。私たちの行為がなかったら、彼らは一ヶ月と生きられなかったでしょう。刑務所内の食糧事情はひどいものでした。

 中共はこれらを「亡命者の証言は虚偽」と主張していますが、複数の証言を符合させれば事実というのがわかるでしょうし、歴史的に見て支那人の手口です。
 日本のメディアはケンサン・ペモさんの証言の性的暴力のところは隠蔽して報道しました。朝日新聞と岩波書店の月刊誌「世界」です。このチベットの事実を女性の人権問題として声を上げようとすると妨害されるそうです。ニセ人権主義者が日本に大勢潜んでいるということでしょう。



参考文献
 オークラ出版「チベット大虐殺の真実」
   『チベット人権弾圧クロニクル』岩田温
   『私が見た真実のチベットの姿』大高未貴
   『シナチズムという民族浄化』若杉大
 「アジアの試練 チベット解放はなるか」櫻井よし子編
   『国境あり人権団体のチベット女性見殺し』酒井信彦
 「チベット問題を読み解く」大井功著
参考サイト
 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
   「テールズ・オブ・テラー チベットでの拷問」- 電気ショック http://www.tibethouse.jp/human_rights/human25.html

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転載元: かつて日本は美しかった

[転載]チベットと同様に日本を侵略せよ!大中華侵略思想

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http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/39/06/jjtaro_maru/folder/849110/img_849110_22302504_0?20110220171057

 1995年、中共の李鵬首相はAPECでオーストラリアのキーティング首相(当時)に「日本などという国は40年後には消えてなくなる」と発言しました。

北京週報(1989年2月21日)チベット独立論に反論する
 周知のように中国は昔から一つの多民族国家である。(中略)いまの中国は中国領土内に生活する多民族(現在生活している民族および歴史上存在していた民族含めて)がともに築き上げたものである。
 元朝の中国統一は、中国各民族人民の政治、経済、文化の発展に大きく貢献した。蒙古族の支配者が中国統一のために進めていた国内民族統一戦争を、外国民族による征服と考える観点が間違っているのは、中国が多民族国家であるというこの基本的な歴史的事実に背を向けているからである。蒙古族が中国を統一して元朝を建立したことは、その後満州族が中国を統一して清朝を建立したのと同様に、いずれも中国国内の支配民族の交代であり、蒙古人または満州人が「中国を征服した」という問題は存在しないのである。

 途方もない漢民族の歴史観、国家観です。かつて1911年の辛亥革命のときは中華民国は漢人の植民地支配からの解放を目指しましたが、清朝の版図を継承するため「中華民族」という概念をつくったのです。そしてそれをもとに侵略を正当化してきたのです。中共は社会主義イデオロギーから民族主義は否定しましたが56もの民族を統合、融合する必要に迫られ、大中華民族主義を掲げています。

 大中華民族に日本民族は含まれていません。が、ちょっとここで志賀島で発見された「金印」のことを考えなければなりません。「漢倭奴国王」と刻まれていますが「倭」はコビト、「奴」は奴隷のことです。これは冊封体制というのがあり、周辺諸国の王がシナの朝廷に貢物を納め皇帝から王に封じてもらい、その権威で国を治めていたものです。古代日本もその例外でなく、起源57年に朝貢して印綬を与えられたものがこの金印です。そしてその冊封から脱却できたのは聖徳太子の優れた外交戦略によるものです。ここで初めて日本は「天皇」という言葉を使います。

 従って中共の途方もない侵略の正当化を考えれば日本は歴史的にシナに隷属していた時期があり、大中華民族の僕になるのは正当化されてもおかしくない話なのです。中共の要人は来日するたびにわざわざ九州の福岡市博物館に金印を見にいきます。冊封関係の歴史を確認しているのです。1992年に天皇陛下に印章を贈呈しようとしたのも冊封関係をなぞらえたからです。

 「日本などという国は40年後には消えてなくなる」というのは中共のたわごとではないのです。かれらの考えていることは大中華侵略思想です。そして日本は徐々に侵略されてきています。シナのことを「中国」と呼ばされていることは既におかしいでしょう。東夷、西戎、南蛮、北狄の野蛮人を教導するのが「中国」です。東夷は日本です。政府が進めようとしている「外国人参政権」「1000万人の移民」・・・中共国籍者が日本の内政に干渉するということです。日本国民の誰が喜ぶのでしょうか。夫婦別姓は中共への同化の一つです。日本の主権を国連に移譲、共有するなども国連の拒否権は中共が持っているのです。東アジア共同体も大いに危険です。これらがテレビで報道されないこともわけがあります。我々はこうして日本が侵略されていることに気付かなければなりません。放置すればいずれ日本もチベットと同じ運命をたどります。



参考文献
 「アジアの試練 チベット解放はなるか」櫻井よし子編
   『胡錦濤への聖火は許せない』櫻井よし子
   『シナ人は如何にして侵略主義者となったか』酒井信彦
 「日本の植民地の真実」黄文雄著
 「天皇論」小林よしのり著
 「続・日本人が氏ってはならない歴史」若狭和朋著
参考サイト
 WikiPedia「中華思想」

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転載元: かつて日本は美しかった


産業廃棄物処理事業振興財団など、「産業廃棄物と環境を考える全国大会」を開催

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産業廃棄物処理事業振興財団など、「産業廃棄物と環境を考える全国大会」を開催

 産業廃棄物処理事業振興財団と、全国産業廃棄物連合会、日本産業廃棄物処理振興センターの産業廃棄物の適正処理を推進する3団体は、イベント「産業廃棄物と環境を考える全国大会」を10月26日に東京都千代田区のホテルニューオータニで開催する。産廃の迅速で適正な処理について探る。
 
 全国大会は環境省と東京都が後援する。循環型社会形成推進功労者の環境大臣表彰式を行った後、環境省の廃棄物・リサイクル対策部長が「災害廃棄物処理の現状と課題(仮題)」について基調講演。続いて、国立環境研究所の資源循環・廃棄物研究センター長がコーディネーターを務めてパネル討論会を実施する。
 
 パネル討論会のテーマは「災害廃棄物の速やかな処理を目指して(仮題)」。環境省の大臣官房廃棄物・リサイクル対策部産業廃棄物課長、東京都環境局の廃棄物対策部長、東京産業廃棄物協会の会長と、東日本大震災被災地の岩手県産業廃棄物協会の会長、宮城県産業廃棄物協会の会長がパネリストを務める。
 
 全国大会は11回目。今回は、震災に伴う災害廃棄物の適正な処理・リサイクルが求められる中、災害廃棄物は制度上、一般廃棄物に分類されるものの産業廃棄物に近いため、産業廃棄物の知識・経験の活用が期待されている、といった状況を踏まえ、災害廃棄物の早期の適正処理に関して考える。参加無料。ウェブサイトから申し込む。

[転載]ウミガメ類と関連する法令等

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ウミガメ類と関連する法令等
ウミガメに関する法律はいろいろと単純に行かないところがありますが、それはウミガメの生態に起因しています。以下の表は国際条約である「ワシントン条約」に対して、世界的な機関であるIUCNや国内のウミガメに関わる省庁が各種をどのようにランク分けしているかを一覧・比較したものです。
CITES IUCN
Red List of Threatened Animals
日本の希少な野生水生動物に関するデータブック1998(水産庁編)
環境省RDBカテゴリ
アカウミガメ
付属書Ⅰ
EN
希少種
絶滅危惧IB類(EN)
アオウミガメ
付属書Ⅰ
EN
希少種
絶滅危惧II類(VU)
タイマイ
付属書Ⅰ
CR
希少種
絶滅危惧IB類(EN)
ケンプヒメウミガメ
付属書Ⅰ
CR
ヒメウミガメ
付属書Ⅰ
EN
希少種
ヒラタウミガメ
付属書Ⅰ
DD
オサガメ
付属書Ⅰ
CR
絶滅危惧種

国際条約

国内法

各リンク先

「絶滅のおそれのある野生動植物種の国際取引に関する条約」
(CITES:通称『ワシントン条約』)

鼈甲細工の原料となるタイマイの背甲)世界的な野生生物種の絶滅や急速な減少を防ぐために、1973年にワシントンで締結された。日本は1980年に批准した。これは国際的な商取引を制限して、野生生物を保護することを目的としている。ワシントン条約の対象種は付属書1から3の3つのグループに分けられているが、日本に生息するウミガメ類は全て付属書1の掲載種である。付属書1は学術研究や動物園などでの繁殖目的以外では、国際的商取引が厳しく禁止されている。
「IUCN Red List of Threatened Animals」
(国際自然保護連合版レッドデータリスト)

国際自然保護連合(IUCN)が作成・出版している、希少あるいは絶滅の危機に頻している動植物に関する資料集。爬虫類に関する最新は2000年度版。

日本に生息している5種のウミガメ類は、アカウミガメ・アオウミガメ・ヒメウミガメが「EN(絶滅危急種:下段参照)」にランクされている。タイマイ・オサガメに至っては「CR(絶滅危機種)」となっており、ジャイアントパンダの「EN」より上にランクされている。

★絶滅種【EX】Extinct
 ほぼ間違いなく最後の個体まで死んでしまった種


◆野生絶滅種【EW】Extinct in the Wild
 飼育、栽培または過去の分布域から大きくはずれて野生化した個体群のみが生存している種


○絶滅危機種 Threatened
 CR、EN、VUをまとめていう。程度の差はあっても、すべて存続を脅かされている種
●近絶滅種(絶滅危惧ⅠA類)【CR】Critically Endangered
 近い将来に高い確率で野生では絶滅に至る危機にある種。絶滅寸全種ともいう
 (タイマイ・ケンプヒメウミガメ・オサガメは、これに該当)

●絶滅危惧種(絶滅危惧ⅠB類)【EN】Endangered
 近絶滅種に次いで近い将来、野生で絶滅する恐れがある種
 (アカウミガメ・アオウミガメ・ヒメウミガメは、これに該当)
●危急種(絶滅危惧Ⅱ類)【VU】Vulnerable
 野生状態で中期的に絶滅する危険をはらんでいる種

△準危急種【LR】Lower Risk
 絶滅危急種のどれにも該当しないと評価された種。低リスク種ともいい、3つに分けられる
▲保護依存種【cd】Conservation Dependent
 継続的な保護政策の対象となっている種。保護対策を欠くと5年以内に絶滅危惧種となる可能性のある種

▲近危急種【nt】Near Threatened
 保護依存種には該当しないが、危急種の基準に近い種
▲低危険種【lc】Least Concern
 保護依存種にも近危急種にも該当しない種

☆情報不足種【DD】Data Deficient
 絶滅の可能性を評価するには分布や個体数についての情報が不足している種
☆未評価種【NE】Not Evaluated
 評価基準に基づく評価をされていない種
 
 
 
 
アカウミガメの保護に関する法令いろいろ

種の保存法
 アカウミガメを含むすべてのウミガメは種の保存法(正式名称「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」)により保護されています。この法律は国内外の絶滅のおそれのある野生生物を保護するために、平成5年4月に施行されました。国内希少野生動植物種・国際希少野生動植物種に指定されているもので、生きている個体ついては、捕獲等(捕獲、採取、殺傷、損傷)が原則として禁止されています。もちろん、剥製やその一部についての販売等の目的の陳列や売買等は原則として禁止されています。
 種の保存法  国内希少野生動植物種の一覧[PDF]    国際希少野生動植物種の一覧[PDF]


自然公園法
 国立・国定公園の特別保護地区や指定された地域ではでは、ウミガメの捕獲やその卵を採取することが禁止されています。また、車の乗り入れの制限がもうけられているところもあります。宮崎県では「動植物の生息・生育環境の悪化を防止する必要がある地域」ということで、日南海岸国定公園のうち宮崎市こどもの国海岸・風田海岸が車の乗り入れ規制区域に指定されています。規制の期間は5月1日~10月31日までです。
 自然公園法    自然公園に関連する法令一覧


文化財保護条例

 宮崎県では宮崎県文化財保護条例に基づき「アカウミガメおよびその産卵地」を県の天然記念物に指定しています。ウミガメの捕獲や卵の採取などを規制している他、ウミガメの保護に影響を与える行為を規制しています。海岸の改変、構造物の設置なども現状変更にあたり、現状変更許可申請をし、宮崎県教育委員会の許可を得る必要があります。
 宮崎県文化財保護条例 ・ 宮崎県文化財保護条例施行規則


海区漁業調整委員会指示
 水産自然保護法に基づいて示される海区漁業調整委員会指示により、ウミガメの捕獲が禁止されています。宮崎県においても宮崎海区漁業調整委員会指示によりウミガメの採捕は、同委員会の承認を必要とします。ウミガメの卵についても同様に承認が必要です。承認は調査研究や増殖を目的とした場合に限られます。標本等の所持についても承認が必要です。(漁業調整委員会指示::宮崎県HP)


海岸法
 1956年、津波、高潮、波浪等による被害から海岸を防護するために制定されました。
海岸は自由に使用できることが原則ですが、海岸に多くの構造物が設置されるようになったり、四輪駆動車の乗り入れられるようになるなど、夏場に限らず利用されるようになってきました。
1999年、総合的な海岸管理制度を目指し、「海岸環境の整備と保全」、「公衆の海岸の適正な利用」を追加した抜本的な法改正が行われ、この改正により、日本の海岸線のほぼすべてにおいて海岸管理者が存在することとなりました。海岸の私的利用が大幅に制限されることとなり、海岸管理者が指定した区域において、車の乗り入れを禁止できるようになっています。
 ウミガメの保護を目的とした孵化場などを設置する場合も、海岸を占用する構造物を作る場合になどには許可が必要です。
http://www.miyazaki-catv.ne.jp/~h2940/umigame/care5.html

転載元: 転載歓迎 日本(水俣・福島)復興 環境法規制ラーニング

[転載]重金属とウミガメ (愛媛大学農学部より)

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カドミウム(Cd)を内臓に多く含むウミガメは小さいことが分かりました。
 
愛媛大学農学部環境化学研究室の堺温哉さま 立川涼さまの論文の写真を転載します。
 
 
 
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この論文は日和佐ウミガメの博物館で研究員から頂戴いたしました。
 
大きいウミガメは内臓のカドミウムが多いですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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転載元: 日本の海が安全で美しくあれ(尖閣・竹島・対馬・水俣・徳山・福島)

[転載]那智勝浦の一家1人死亡4人不明、親類男性が連日捜索

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那智勝浦の一家1人死亡4人不明、親類男性が連日捜索
2011.9.9
 
 台風12号による豪雨で多くの死者、行方不明者を出した和歌山県那智勝浦町。那智川の氾濫や土石流で、壊滅的な被害を受けた市野々地区では、中平幸喜さん(45)宅が土石流にのまれ、一家5人のうち1人が亡くなり、4人は依然、行方不明のままだ。どこへ行くのも一緒というほど仲が良かった家族。中平さんの兄、敦さん(52)=同県新宮市熊野川町=は連日、捜し続けている。
 
 「幸喜が土石流に巻き込まれたらしい。連絡がつかん」。豪雨の峠を越えた4日午後10時ごろ、敦さんは同町に住む妹(50)から一報を受け、一家の住む市野々地区へ車を走らせた。迂回(うかい)路を通り、弟の家に着いたのは5日正午前。目に飛び込んできた光景にがく然とした。裏山から川まで長さ、幅とも約300メートル以上にわたり岩と流木の混じった土石流が、家を丸ごとのみ込んでいた。
 
 中平さんは、妻、澄子さん(46)▽長女で中学2年、彩音さん(14)▽次女で中学1年、百音(ももね)さん(13)▽次男で小学2年、景都(けいと)君(7)-との5人暮らし。いずれも行方不明となり、景都君は9日午後になって死亡が確認された。
 
 5人は仲が良く、どこへ行くにも一緒だった。車好きで中古車販売業を営む中平さんと澄子さんはともにおっとりした性格で子煩悩。3人の子供と過ごす時間を大切にしていた。おとなしい性格の彩音さんとは対照的に、百音さんは活発なタイプ。ただ2人とも絵が得意で、コンクールでよく表彰されていたという。
 末っ子の景都君はやんちゃ盛りの甘えん坊。敦さんはよくサッカーや怪獣ごっこをして遊んだ。8月末、自宅近くを流れる川へ遊びに出かけたとき、景都君に「大人になったら、ここに子供を連れてきて遊んでやれよ」と声をかけた。「分かった!」と元気よく答えた景都君の笑顔が忘れられない。
 流木や岩の下、排水溝の中-。敦さんは連日、弟家族を捜している。8日朝には、川岸に小さな青いTシャツが落ちているのを見つけた。「これ絶対、景都のや」。敦さんはそれを拾い、首に巻いた。直後、下流で男の子の遺体が見つかった。「(景都だったら)まだ7年しか生きてないんやぞ…」。そうつぶやき、唇をかみしめた。いやな予感は、当たってしまった。
 敦さん自身も被災者。自宅は屋根の上まで水に漬かった。連日の捜索や親類らとの連絡などで疲労もピークに達している。しかし、敦さんは言う。「あれだけ仲の良かった家族。何が何でも見つけてあげたい。絶対にあきらめない」

転載元: 災害復興 急げ! 環境・歴史でニューディールと社会資本整備

紀伊半島に防災(水害・砂防・津波)情報館の設置を!ご意見募集

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紀伊半島に防災(水害・砂防・津波)博物館の設置を!ご意見募集
 
 
2011年の台風12号では紀伊半島で大きな災害が発生しました。
 
今後の災害被害を最小限に抑えるために、防災情報館を設置することを提案します。
 
 
<水害>
・過去の水害の記録
・地球温暖化と豪雨のメカニズム解明
・熊野本宮大社流失の真の原因は?
 
 
<砂防>
・砂防ダムの早期建設
・土砂ダム対策
・天涯を護る
 
 
 
<津波>
・南海道沖地震で高い津波の危険があります
 
 
<その他>
・土木遺産
・土木アート
 
ご意見は下のコメント欄または、大阪水・土壌汚染研究会 防災部会 atcmdk@yahoo.co.jpまで、お願いします。
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