天草大水害 7.6水害
1972年(昭和47年)7月6日、突然の豪雨が上天草を襲った。一時間の降雨量が130mm、1日の総雨量が447ミリにも達するという豪雨である。
この集中豪雨で、山津波が発生、姫戸町、龍ヶ岳町、松島町、倉岳町(いずれも旧町名)などに被害が及び、
死者・行方不明者115人(116人とも)、
重軽傷者249人、
家屋の全半壊750戸、
浸水家屋3859戸、
その他、道路や農地など見るも無残な姿に変わり果て、被害総額は238億円にも上がったという。
これほど甚大な被害が起こった原因は、集中豪雨もさることながら、天草の地形が大きく関係しているようだ。風光明媚な天草島であるが、急峻な土地にへばりつくように人家が密集している。しかも、痩せて、石ころだらけで、今にも崩れそうな地質である。
1972年(昭和47年)7月6日、突然の豪雨が上天草を襲った。一時間の降雨量が130mm、1日の総雨量が447ミリにも達するという豪雨である。
この集中豪雨で、山津波が発生、姫戸町、龍ヶ岳町、松島町、倉岳町(いずれも旧町名)などに被害が及び、
死者・行方不明者115人(116人とも)、
重軽傷者249人、
家屋の全半壊750戸、
浸水家屋3859戸、
その他、道路や農地など見るも無残な姿に変わり果て、被害総額は238億円にも上がったという。
これほど甚大な被害が起こった原因は、集中豪雨もさることながら、天草の地形が大きく関係しているようだ。風光明媚な天草島であるが、急峻な土地にへばりつくように人家が密集している。しかも、痩せて、石ころだらけで、今にも崩れそうな地質である。
再検証!天草の大津波
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