東成警察署襲撃事件
事件の発端
翌日、署長は面会に訪れた遺族に、事の次第を詳細に説明したが、朝鮮人は男性の死を警察官のリンチによる殺害と決め付けて、一方的なデマを流し、東成警察署に抗議するようになった。
事件の概要
1951年12月1日午前11時頃、大阪各地から参集した朝鮮人たちは旧御幸森朝鮮人小学校(今の大阪朝鮮第四初級学校)に集まり、東成警察署まで約70人がデモ行進した。
その後、気勢を上げて東方道路から約20人、南方道路から約20人が署内に突入しようとしたので、大阪市警視庁機動隊はそれを阻止した。その際デモ隊は、クロールピクリン酸サイダービン3本、石や唐辛子を投げつけて抵抗した。クロールピクリン酸サイダービンは破裂して催眠性の白煙が流れた。この事件で3人が公務執行妨害罪で逮捕された。
参考文献
- 『大阪府警察史 第3巻』(大阪府警察史編集委員会 1973年)
親子爆弾事件
事件の発端
事件の概要
1951年12月16日午後、東成警察襲撃事件の原因となった朝鮮人の慰霊祭が執り行われた。慰霊祭には遺族などの関係者だけでなく、生前に何の縁のない朝鮮人が赤旗やプラカードを持って多数参列した。生野警察署は不穏な空気を察して解散命令を出したが、群集はそれを無視し三つの部隊に分かれてデモ行進した。
第一部隊は、生野区大友町から片江町付近に向かい、生野区にある工場を襲撃しようとしたが、大阪市警視庁機動隊に阻まれて解散させられた。また、このデモ隊が、デモを撮影しようとした毎日新聞写真部員の取材活動を妨害し、カメラを壊したため、生涯・器物毀棄の現行犯で生野署に逮捕された。
別働隊が生野区の特需工場双葉金属工業所の侵入に成功し、親子爆弾を撒き散らした。
第二部隊は、中河内郡巽町西(現在は生野区内)方面に向かい、巽町西足代540番地の東邦製作所および巽町西足代521番地の浪速鍛工株式会社巽工場の2ヶ所の工場を襲って、従業員を暴行したり施設を破壊したりした。また、工場に「こんなものつくると殺すぞ」と張り紙をした。(昭和26年12月17日、毎日新聞)
第三部隊は、東成区方面に向かい、東成区大今里南之町1丁目152番地の亜細亜興業株式会社および同区大成通りの金谷金属鋳造所2ヶ所の工場を襲った後、鶴橋国際市場内、居留民団鶴橋分団長の自宅を襲撃した。
クロルピクリン
CAS登録番号 | 76-06-2 |
ChemSpider | 13861343 |
KEGG | C18445 |
Jmol 3D画像 | 画像1 |
化学式 | CCl3NO2 |
モル質量 | 164.375 |
外観 | 無色液体 |
融点 | -69 ℃ |
沸点 | 112 ℃(分解) |
特記なき場合、データは常温(25 °C)・常圧(100 kPa)におけるものである。 |
クロルピクリン (chloropicrin) は化学式 Cl3CNO2で表される、メタンの水素3個が塩素に、1個がニトロ基に置き換わった構造を持つ有機化合物。日本では農薬登録されている。別名として クロロピクリン、塩化ピクリンとも。IUPAC名は トリクロロニトロメタン (trichloronitromethane)。
概要
現在は、農薬の一種の土壌燻蒸剤(商品名:クロールピクリン、クロピク、ドジョウピクリン、ドロクロールなど)として土壌の殺菌や殺虫用に利用されている。地中に薬剤を注入した後、地面の表面にビニールシートを覆い被せて燻蒸する。
日本では、土壌燻蒸剤は農薬取締法の規制を受け「クロルピクリン」として農薬登録されている。また、毒物及び劇物取締法で「クロルピクリン」と「クロルピクリン製剤」が劇物に指定されている。一方で、PRTR法では、「トリクロロニトロメタン(別名:クロロピクリン)」が第一種指定化学物質に指定されている。同一の化合物であるが法令により別の名称が使用されている。
性質
常温ではいくぶん粘性のある無色の液体である。蒸気は空気より重く、その相対蒸気密度は 5.7 である。衝撃または熱を加えることにより爆発する可能性があること、光や熱などで分解して塩化水素や窒素酸化物など有毒な気体を生じることから、取り扱いには注意を要する。