大阪市立高津中学校(大阪市天王寺区)前に
道路を不肖占拠している毎日ゴミ箱を見て通学する高津中学の生徒は、
将来法律を犯す大人になる。
何も言わない高津中学の教育労働者は、違法行為を黙認する悪癖がある。
道路法32条 道路占用許可申請 違反
刑法 往来妨害罪 違反
廃棄物処理法 違反
ごあいさつ |
明治5年(1872年)に学制が布かれました。2年後の明治7年(1874年)には7番小学校が上町台地のこの地に開校しました。その後の清堀尋常高等小学校を経て、本校は昭和27年4月1日に、現在の夕陽丘中学校(天王寺区)から真田山小学校、味原小学校下の生徒879名を収容し、大阪市立高津中学校として創立しました。 本校は、大阪城の南に位置する真田山地区にあり、このあたりは古くは豊臣方と徳川方が大阪城を中心として攻防(冬の陣・夏の陣)した際、豊臣方の武将真田幸村が陣を張ったといわれています。現在も校区には多くの史跡があり、歴史と文化の香りが漂う落ち着きある町となっています。 開校以来、地域の方々の教育に対する熱い願いとご支援を受け、毎日の挨拶をはじめとする礼儀を重んじる教育を大切にしながら、常に郷土や我が国の未来を担う逞しい人材を育成するために先進的な教育に取り組んでまいりました。 昭和40年には府教委のテレビ教育研究委嘱校として校内テレビ放送を活用した視聴覚教育に取り組み、昭和59年には英語科研究指定校を受けて当時としては先進的なLL教材の開発を行い、平成6年には文部省教育課程研究開発学校の指定を受けました。また、国際交流や国際理解教育にも取り組み、多くの海外からの視察を受けてきました。 平成23年(2011年)には創立60周年を迎え、さらなる学力の向上を図るため、全ての教科における言語力の育成、相互参観授業の実施やNIE(教育に新聞を)の取り組みを進め、授業内容の充実や指導方法の工夫・改善を一層進めてまいります。 今年度より新しい学習指導要領がはじまり、知識基盤社会といわれる今日、生徒自らが主体的に学び、常に知識を更新しながら学んだ知識や知恵を生かして、学び続け考え続ける力を育成していくため、本校においては今後とも、授業力の向上を図ってまいります。 今後とも本校は地域や保護者の方々の願いを大切にし、これまで培ってきた良き伝統を守りながら、校下の幼稚園や小学校との連携を一層深めつつ、生徒一人一人に確かな学力と「生きる力」をしっかりと身につけさせる教育を進めてまいります。 大阪市立高津中学校 校 長 永安 卓
|
|
本校の教育目標 |
| 人間尊重の精神を基盤として、 豊かな心を持ち、 社会の変化に対応できる 個性豊かな人材を育成する。 |
法律を守らなくていいんですか?
校区の概要 |
大阪城の南、真田山の一角にある本校周辺は歴史の町といえる。豊臣・徳川の決戦となった大阪城の攻防戦(冬の陣・夏の陣)に豊臣方の勇将真田幸村が陣を張ったといわれる真田山。江戸初期の国学者契沖が万葉集の研究に取り組んだ旧庵、円珠庵。文人画家岡田米山人。半江の墓。現大阪大学医学部の前身浪華仮病院跡。豊臣末期に形成された寺町。さらに、隣接地には、細川忠興邸跡「越中井」。大阪の生んだ町人作家井原西鶴の菩提寺。浄瑠璃作家近松門左衛門の墓、遠く奈良時代聖武朝の難波宮跡など数々の史跡が見られる。 校区は、東にJR環状線玉造-鶴橋、南は近鉄上本町-鶴橋、西は上町筋、北は築港-深江線に囲まれたほぼ四角形、面積約1キロ平方メートル、小学校は真田山、味原の2校から通学する生徒で、生徒数も大きな変化はない。しかし最近都市のビル化が進み、高層マンションの増加で、校区の様相は少しずつ変わりはじめたといえる。 |
|
転載元: 「教育再生」加害者に応分の償いを!反日教育を止めろ!