益田事件
概要
島根県美濃郡益田町(現在の益田市)の朝鮮人集落において密輸入物資が隠匿されているとの密告に基づき、進駐軍島根軍政部将校2名と経済調査官2名が同行して、令状なしで摘発に乗り出したが、「令状のない捜査は違法である」と拒否されたため、警察官10名が応援して違反物資を押収したが、約100名の朝鮮人に奪還された。翌日、被疑者9名を検挙したが、夜に入って約200名が警察署に押しかけて被疑者の釈放を要求し、署内に侵入しようとしたために、警察官と乱闘になり48名が検挙された。
参考文献
「益田事件に対する市の見解」の誤り_その1
ロボットで「益田事件_市の見解」の問題点①
益田事件 ――私的なノート 抜粋
一九四九年一月二五日夜半から二六日にかけて、いわゆる益田事件が起こった。益田とは、島根県西部の日本海に面した現在の益田市のことであり、事件が起きた当時は美濃郡益田町であった。一九五二年八月一日、益田町は八町村が合併して益田市となった。県庁がある松江市までは約一五〇キロ以上あり、県境を接する山口県の県庁がある山口市の方がはるかに近い位置にある。益田は島根県西部の交通、商業の中心地である。
故郷の朝鮮人と日本人の「沈黙」――伯父の証言
、匹見下村は益田町から約二〇キロ中国山地に入ったところにある。中国電力澄川発電所は戦時中の一九四一年頃から建設され、一九四三年に発電を始めたが、当時は日本発送電会社澄川発電所であった。
一九八〇年一月の三日と四日、私は伯父の家で伯父の一代記を聞いていた[3]。そして、今年もだめだろうと思いながら、澄川発電所建設工事と朝鮮人のことを聞いた。すると伯父はすらりと朝鮮人のことを語り始めた。私はあっけにとられた。それまであれほどかたくなに証言を拒否してきたのにどうしたことだろうか。
以下、すこし長くなるが、朝鮮人についての伯父の聞き書きの部分を再現しておく。匹見弁のままだが、意味は分かると思う。
笹本 話が飛ぶんじゃけど、この澄川の発電所ができたのはいつ頃なんかね?
伯父 それが昭和一五年にとりついてなあ、始めて、奥の方から隧道を掘ったりして、それからそこをやりはなえて(やり始めて)、一八年に発電ができはなえた。一八年に運転開始よ。
笹本 そのころの事は、伯父さんこっちにいたから、当時のことは見とったでしょう。いろんな人夫が沢山よそから来たんじゃね?
伯父 朝鮮人がよほど、なんじゃなあ、仕事に来とったなあ。
笹本 朝鮮人はどの辺に住んどったんかね?
伯父 朝鮮人か、皆飯場を作って。
笹本 かたまって新(あたらし)し屋(屋号)の上とか?
伯父 そこの奥とか、それからこっちに地方の家を借りとった。
笹本 土井ノ原(匹見下村にある伯父と父たちが住んでいた場所の地名――澄川発電所はここにある)で?
伯父 今、お宮(神社)の上に横屋(屋号)があろう、横屋ちゅうが空き家があらあ、あれらあに借って入とった。そりゃあ、監督するような人がいたが。あそこにシバトミちゅうていうのがおって、それに監督がついとったりした。朝鮮人には土方で働く人は、あの奥に飯場を作って、奥に通う人がおる。そこの発電所をやるのは、そこの発電所の下(しも)に飯場を作っておった。
笹本 あんなところに?
伯父 それから、そこの今住宅を作ったろう、社宅があらあ、あがあな方に作っておった。発電機を置いとるところは、よほど深う掘ったんじゃけえ。それをやるには、皆朝鮮人がやったんじゃけえ。まあ、監督もおったがなあ、こっちの日本人の監督も。
笹本 伯父さんたちは最初から知っとたんかね? それが朝鮮人だったちゅうのは知っとったんかね?
伯父 朝鮮人ちゅうのがなあ。朝鮮人ちゅうても日本人がやったんじゃああるけえじゃが。監督がそれじゃけえ、使う人は朝鮮から来た人が多い。
笹本 昭和一八年に完成するまで、飯場におったんじゃね? 飯場から逃げたりちゅうようなことはなかったかね?
伯父 わりにおとなしい。あの頃は大分開けとったけえ、土井ノ原も。
笹本 伯父さんからそういう話を聞いたのは、初めてじゃし、親父からも聞いたことはなかった。そうかね、あんまり厳しい隔離をしとったわけじゃあないんじゃね。自由に飯場と現場とを行き来しとったわけかね? 朝鮮人が何人ぐらいいたかね? 伯父さん覚えとるかね? 飯場に何人いたか。
伯父 その事をわしはようは知らんいいね。二〇〇ぐらいおったかも知れんね。諸方へ分かれとるんじゃ。隧道をやる、そこをやるんじゃけえ。
笹本 それは全部飯場が違うわけじゃね。
伯父 うん、違う。
笹本 そういう人たちは祭りだとか、正月の時には飯場を出られんかったんかね?
伯父 そりゃあ、祭りも同じようになあ、寒参りもしようし、地下(じげ)ものもするし。朝鮮人は当時は仕事に行ったら、うちうちで朝鮮人は朝鮮人で酒も飲んだりしよったろう。朝鮮人はあの頃、朝鮮の小麦を挽いて、それを作って酒を作りよったんじゃ。
笹本 どぶろく?
伯父 ええ酒を買(こ)うて飲もうにも、その頃には酒を作れん(作ることができない)。米がないんじゃけえ。小麦を挽いてだんごにして、蒸すやら寝せるやらしてなあ、それを今度、こうじやらなにやら混ぜて、水を注いでなあ。
笹本 そういう時、小麦を買いに行くのは正栄堂(土井ノ原にあるただ一軒の雑貨屋の名前)?
伯父 酒なんかは買いに行きよった。
笹本 飯場の人たちだけで、正栄堂なんかに?
伯父 うん。
笹本 伯父さんたちは当時、飯場の人たちには悪い印象はなかったんかね?
伯父 うん。その頃はあっちこっちから来る人も、守りが厳重じゃけえなあ。「いね!(帰れ)」ちゅうて言えば儲けをせんこうに帰らにゃあやれんようになる。まじめに仕事をしよったけえ、あんまり騒動はなかった。昭和の一七、八年頃になってはねえ。
笹本 伯父さんがこんな話をしたには初めてじゃなあ。伯父さんから今聞いた話は、伯父さんの年の人でないとちょっと分からんわね。飯場の話なんてのは。『匹見町史』なんか読んでも書いとらん。全然わからん。書き物では残っとらん。伯父さんは朝鮮人を見て怖いとは思わなかったかね? 怖いような気持ちはせんかったかね?
伯父 いいや、しなかった。そりゃこっちもやさしうやるし、こっちもあんまり無茶苦茶は言はん。こうしてくれんかちゅあ、そうするし。
笹本 それはみんな日本語で分かっとんかね?
伯父 みんな日本語があらましは分かりよった。
笹本 若い人が多かったかね?
伯父 そうじゃなあ、あまり若い人はえっとはおらんかった。なかには言葉の分からん人もおるが、分かる人もおるけえ、それに監督がおるけえ。
笹本 監督は厳しかったんじゃねえ。
伯父 言うことを聞かなきゃあ、監督が言うけえなあ、「お前よそへ行け!」ちゅうて言われる。そうすりゃあ困る。
笹本 伯父さんの話してくれたことは、今聞いとかんとね。おそらく伯父さんの年の人で生きてる人は土井ノ原ではあんまりおらんでしょう。
伯父 おらんなあ。
笹本 三年間の工事中に逃げ出して連れて戻されたりして、いろいろ痛めつけたちゅう話は知らんかね? そういうことはなかったんかね?
伯父 そりゃ知らん。朝鮮人がそがあなことをしたことはない。
笹本 土井ノ原の人は皆、当時のことは知っていたわけじゃね。飯場がここにあったり、朝鮮人が来てたということは。
伯父 知っとるいね。
2011-07-18 | 島根県 | 中国電力㈱ | 澄川発電所 | すみかわ | 10100kw | 位置 |
2011-07-18 | 島根県 | 中国電力㈱ | 日原発電所 | にちはら | 6900kw | 位置 |
2011-07-18 | 島根県 | 中国電力㈱ | 匹見発電所 | ひきみ | 2000kw | 位置 |
2011-07-17 | 島根県 | 島根県企業局 | 八戸川第三発電所 | やとがわ3 | 240kw | 位置 |
2011-07-17 | 島根県 | 島根県企業局 | 八戸川第二発電所 | やとがわ2 | 2500kw | 位置 |
2011-07-17 | 島根県 | 島根県企業局 | 八戸川第一発電所 | やとがわ1 | 6300kw | 位置 |
2011-07-17 | 島根県 | 島根県企業局 | 矢原川発電所 | やばらがわ | 100kw | 位置 |
2011-07-17 | 島根県 | 中国電力㈱ | 周布川第二発電所 | すふがわ2 | 4700kw | 位置 |
2011-07-17 | 島根県 | 島根県企業局 | 御部発電所 | おんべ | 460kw | 位置 |
2011-07-17 | 島根県 | 島根県企業局 | 三隅川発電所 | みすみがわ | 7400kw | 位置 |
2011-07-17 | 島根県 | 島根県企業局 | 勝地発電所 | かちぢ | 770kw | 位置 |
2011-07-17 | 島根県 | 吉賀町 | 柿木発電所 | かきのき | 200kw | 位置 |
2011-07-17 | 島根県 | 島根県企業局 | 浜田川発電所 | はまだがわ | 2000kw | 位置 |