現在の学校教育では、絶対に教える事のない真実のお話です。
・身分制度とそれに伴う特権や差別の廃止 (身分制度廃止令は併合前だが、実際は後)
奴婢の解放 (人口の30%)
両班の特権廃止
女性の解放(名前を奨め、再婚を許可)
衣服の自由化、瓦屋根や二階建て以上の家屋の制限を撤廃
・因習の廃止
人身売買の禁止
宦官(睾丸の腐割)の禁止
纏足の禁止
少女を妓生とすることを禁止
呪術的医療の禁止(朝鮮巫術の禁止)
既にご存じの方が多くいらっしゃる事とは思いますが
未だに誤った認識のまま大きくなった方々がいらっしゃるようなので
今一度解説してみたいと思います。
学校で教わったウソ八百を真に受けている人は、だいたいこう言います。
「日本は戦前、朝鮮半島を植民地にした」
「植民地の朝鮮人に対し、日本人は酷い事をした」
「だから日本は韓国にきちんと謝罪しなければならない」
答えはNOであります。
1910年中盤まで、朝鮮は中国の属国という扱いでした。
古い地図にも、それが分かる表記がなされています。
そして国旗の説明にも、属国である事が記されています。
要するに、現在韓国が国旗として使っているものは、属国だった頃の名残です。
話を戻します。
中国(清)の属国だった朝鮮には、国家主権など存在しませんでした。
ひたすら中国に対し土下座で出迎え、言われるがまま従う他ありませんでした。
その後、日清戦争が勃発。
日本は清国に勝利し、清に対し朝鮮の独立を認めさせたのでした。
しかし、形だけは独立しましたが、国力も何もない
ただの荒れ果てた原野のような状態のまま、朝鮮は何も出来ずにいました。
国民も識字率は数%程度であり、怠惰な国民性が振興を妨げたのでした。
当時のイギリスの旅行作家であるイザベラ・バード氏は
朝鮮半島を訪れた時の事を、こう記しています。
「ソウルこそこの世で一番不潔な町」
「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい」
「(人工の道路や橋梁が)あっても夏には土埃が厚くて、冬にはぬかるみ、
ならしてない場合はでこぼこの地面と、突き出た岩の上をわだちが通っている。
道と言っても獣や人間の通行でどうやら識別可能な程度についた通路に過ぎない」
その折、ロシアが日本を占領しようとする動きがありました。
このまま行けば、ロシアの軍勢は中国から朝鮮半島へと延び
やがて日本へと差し掛かると予測されました。
朝鮮半島を併合する事で、ロシア軍を食い止めるという案が出されましたが
日本国内に於いても、賛成派と反対派の対立で話はなかなか纏まりませんでした。
その頃、併合に反対の朝鮮人、安重根が何を思ったのか、同じ併合反対派であった
朝鮮統監の伊藤博文を暗殺してしまったのでした。
現在、この安重根は韓国では英雄とされています(意味不明)が、当時の朝鮮側は相当焦りました。
反対派の伊藤博文を殺してしまったのですから、最早日本との併合かロシアに攻め滅ぼされるしか
選択肢は残されていませんでした。
最初、朝鮮側は日本と対等の立場を取る意味で合邦という道を目指しましたが
朝鮮の国力があまりに貧弱すぎて釣り合いが取れない為、併合の道を選択したのでした。
併合前と併合後のソウル市内の様子
併合前
併合後
国力と文明の違いは歴然でありました。
尚、日韓併合により日本がおこなった実績は、以下の通りです。
日本が行った朝鮮統治の実績
<<封建的諸制度、因習の廃止・禁止>>・身分制度とそれに伴う特権や差別の廃止 (身分制度廃止令は併合前だが、実際は後)
奴婢の解放 (人口の30%)
両班の特権廃止
女性の解放(名前を奨め、再婚を許可)
衣服の自由化、瓦屋根や二階建て以上の家屋の制限を撤廃
・因習の廃止
人身売買の禁止
宦官(睾丸の腐割)の禁止
纏足の禁止
少女を妓生とすることを禁止
呪術的医療の禁止(朝鮮巫術の禁止)
- <<近代的経済法制の導入>>
- ・私有財産の保障(所有権制度の整備)
- ・土地測量と地籍の確定 (墳墓など0.05%位が未申告地として残った)
- ・近代的企業制度と商法の確立
- ・通貨制度の整備
- ・度量衡の統一
- <<近代的社会制度の導入>>
- ・罪刑法定主義を徹底(私刑の禁止)
- ・残虐刑を廃止
- ・行政の単位をそれまでの一族から、家族(氏)に規定(これが創氏の目的)
- ・家長の権限を制限
- ・地方の行政長や議員の選挙による選出
- <<教育・医療の近代化と普及>>
- ・小学校5,000校以上、大学など1000校以上を建設
- ・ハングルの整備と普及
- ・西洋医学や衛生思想の普及、疫病の防除と罹患者の隔離、医療施設の整備
- <<社会基盤の整備>>
- ・道路、橋、鉄道(4000km)、港湾の整備、電源開発
- ・治水事業による耕地拡大と農業の近代化
- ・大規模な植林(6億本)
- これらの諸政策の結果、次のよう成果があった。
- ・1920・30年代GDP平均成長率4%(1920年代の世界経済は2%以下、日本は3%強)
- ・1人当り国民所得が1910年の40ドルから倍増
- ・日本資本の大量流入(統治期間総額で80億ドル)による通信、運輸、都市の発達
- ・耕作地の拡大(246万町から449万町まで)
- ・米の反当り収穫量が0.5石から1.5石まで3倍増
- ・農産物、工業製品の輸出の急増 (内地で半島米の輸入反対運動が起こった程)
- ・人口が1300万人から2600万人に増加
- ・平均寿命が24歳から56歳に
- ・識字率が61%を超えた(1944年時、併合時は4%程度と推定されている)
併合後の朝鮮人は、非常に日本人に対し卑しいほどに低姿勢だったそうです。
役員に擦り寄る係長といった感じでしょうか。
それが終戦を機に一変したのでした。
続きは次回。