大西洋憲章(たいせいようけんしょう、Atlantic Charter)
大西洋会談において、
によって調印された憲章である。
プリンス・オブ・ウェールズ上で調印された。
太平洋戦争開戦前で
合衆国はまだ参戦していなかったが、
この憲章は戦後の世界構想を述べたものである。
8項目からなり、その内容は要約すると以下になる。
- 合衆国と英国の領土拡大意図の否定
- 領土変更における関係国の人民の意思の尊重
- 政府形態を選択する人民の権利
- 自由貿易の拡大
- 経済協力の発展
- 恐怖と缺乏からの自由の必要性
- 航海の自由の必要性
- 一般的安全保障のための仕組みの必要性
憲章の第3条については、
ルーズベルトとチャーチルの間で見解の相違があった。
ルーズベルトがこの条項が
世界各地に適用されると考えたのに対し、
チャーチルは
と考えた。
つまり、イギリスは
この原則が適用されるのを拒んでいた。
ルーズベルトも実際には、
「大西洋憲章は有色人種のためのものではない。
ドイツに主権を奪われた
側近に語った。
この憲章に対して
植民地支配の否定と有色人種に対する
人種差別撤廃を掲げ、日本が提唱したのが
大東亜共同宣言である。
大東亜共同宣言
(だいとうあきょうどうせんげん、大東亜宣言とも。本来の表記は大東亞共同宣言)
本文の5項目に関しては、
1943年(昭和18年)8月初旬には
外務省内「戦争目的研究会」で
大西洋憲章(1941年)
なども大いに参考にするかたちで
文案作成がはじまり、
同10月には完成したものとみられる。
これと別途並行して大東亜省は
それは前文として追加されることになった。
大西洋憲章を参考にした本文が
普遍的な真理を提唱するのに対し、
大東亜省の前文は
「米英支配の打破」という時事的な記述に偏っており、論理の接続が悪い所以とされる。
大東亜会議(だいとうあかいぎ)は
1943年(昭和18年)11月5日 - 11月6日に東京で行われた首脳会議。
当時の日本(大日本帝国)の影響下にあった
アジア諸国の国政最高責任者を招請して行われた。
そこでは、大東亜共栄圏の綱領ともいうべき
大東亜共同宣言が採択された。
日本は
日本は
第2回目の大東亜会議を開催する計画を持っていたが、戦局の悪化に伴って開催困難となり、
昭和20年(1945年)5月には
代替として駐日特命全権大使や
駐日代表による「大使会議」が開催された。
この会議は、
この会議は、
史上初めて有色人種のみが
一堂に会して行われた首脳会議である。
「それまでの植民地対宗主国の
主従関係にとらわれたものでなかったため会議はきわめて和やかに進められ、一家族の集会のようであった」という回顧がある一方で、
タイ王国代表ワンワイタヤーコーンが、
その演説の中で大東亜共同宣言案への修正提案が
拒絶されたことに対する婉曲な批判を行い、
またフィリピン大統領ホセ・ラウレルが、
インドネシア代表が会議に
参加できなかったことへの不満を述べるなど、
ある程度の緊張感を伴った国際会議であった
との分析もある。
日本の敗戦後における
日本の敗戦後における
(戦勝国の連合国による)一般の認識としては
「会議は東條首相による操り人形たちの集まり」
とされている。
一方で、
一方で、
「大東亜共同宣言はイギリスとアメリカが提唱した
大西洋憲章に対抗することを目指していた」
という評価もある。
大東亜会議当時に独立していた各国が参加した。
インドは
大東亜会議当時に独立していた各国が参加した。
インドは
独立国家として承認されていなかったため
オブザーバー参加であったが、
会議後には日本を始めとする諸国によって
独立国家として承認された。
日本:
東條英機内閣総理大臣
(大東亜共同宣言中には「大日本帝国」ではなく「日本国」と表記されている)
中華民国(南京)国民政府:汪兆銘行政院長
満州国:張景恵国務総理大臣
満州国:張景恵国務総理大臣
フィリピン共和国:ホセ・ラウレル大統領
ビルマ国:バー・モウ内閣総理大臣
タイ王国:ワンワイタヤーコーン親王
ビルマ国:バー・モウ内閣総理大臣
タイ王国:ワンワイタヤーコーン親王
インド:
インドからは、日本と協力しインド全土のイギリス
(イギリス領インド帝国)からの完全独立を目指していた自由インド仮政府首班のチャンドラ・ボースが参加した。
日本側の出席者は
日本側の出席者は
東條の秘書官・浜本正勝が主席通訳を務めた。
また、イギリス領マライやオランダ領インドネシアは
また、イギリス領マライやオランダ領インドネシアは
会議当時は日本軍の占領下であったが
いまだ独立を果たしていなかったので参加していない。
仏領インドシナは
日本と友好関係にあるフランスヴィシー政権の
植民地であったため同様に参加していない。
これがなければ、未だに、
東南アジア、中華人民共和国、朝鮮は、
植民地状態だったかもしれません。
戦勝国によって、歴史が、
戦勝国によって、歴史が、
都合の良いように、捻じ曲げられて教えられてきた。
教科書も、捏造歴史が書かれて、
そのまま洗脳されていた。
未だに、大半の国々の一般市民は、
戦勝国の捏造歴史を、教えられている。