過去ログ再掲
<朝鮮人更生の途>(1)
=我が道の新施設=
慶尚南道参与官 李範益
京城日報 1928.8.16-1928.8.17(昭和3年)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00474275&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00474275
日韓併合以来、我が朝鮮は教育、産業、交通、衛生等何れも著しく進展発達し、中でも我々の生活に直接関係を有する各種の産業は他に類例を見ないほど急速な発展を遂げ、農業の場合は、明治43年における生産額は2億5千万円に過ぎなかったのが、今や14億円に迫り、その他水産、林産、鉱産、工業等も4、5倍ないし十数倍に増え、朝鮮内の総生産額は17億余円に達し、これを朝鮮在住の総人口1,900余万人で割れば、一人につき約90円前後に当たり、内地の一人当たり生産額150円に対してそれほどの差違が無い状況となった。輸移出入貿易金額も、併合当時6千万円に過ぎなかったものが今は7億円以上に達したにも拘らず、朝鮮人の生活状態は依然として旧態を脱せざるのみならず、その内容を詳細に見ると、困窮の度は日に増し月に加え、特に全人口の7割強を占める零細農民の生活は実に悲惨を極め、正視するに忍びざるものがある。
しかしながら、朝鮮人の経済状態が貧弱にして生活程度が低劣であるのは、これは祖先伝来の遺物であり、近来の新事実ではない。いや、その生活様式は一般に向上進歩したと言うべきだ。ただ、他に比較し、またはその数において増加し、その内容において困窮しているのみだ。ここにおいて、我々は、朝鮮がこのように貧弱であるその原因は何れにあるのかを深く探求し、その対策を講じなければならない重要問題だと思わないわけにはいかない。
試みに世界地図を拡げて地理を点検して見れば、朝鮮は、その位置は恵まれた温帯地方に属し、気候温和、地味肥沃にして農耕に適し、三面に海があり、寒流、暖流が交叉するところが多く、そこに棲息回游する魚族、貝類、甚だ豊富なるものあり。山は樹木の生育に適し、地中には各種の鉱物、特に石炭はその埋臓量が未だどれくらいか分からないほど多く、世界中のどこの国に比較してもさほど遜色はなく、極めて天恵に富んでいると言える。
又、この地に生をうけた我々も、その形においても精神においても、かの優越人種と称する民族に毫も劣ることはない。それにも拘らず、経済状態がかくの如く貧弱で生活程度がかくの如く低劣なのは、そもそもなぜなのか。これは種々の事情と環境とによるものであるが、私は、その主たる原因は政治にあると信ずる。
遠い昔はいざ知らず、少くとも今を去る二百年以降日韓併合に至るまでの間は、国家として、又は官吏として、国民の経済を助長し文化を進展し、もってその生活を向上改善させる具体的な施策や勧奨は、一つとして見るべきものがないのはもちろん、貪官汚吏の苛斂誅求と圧迫強制が無い所はなく、ひどい場合は、無辜の民も若干の資産を有するために反って縲絏の身となり桎梏に呻吟せるが如きは、いまだ我らの記憶に新しいところである。
かくの如く長き間の悪政は、遂に天与の資源を荒廃させ、善良なる民心を萎縮頽廃させ、官府の行政も国民の行為も、一つとして自ら滅亡を招かざるものはなく、積年の弊害と弊習を作り、1万4千余万里の国土と1,800余万人の民族は、遂に自立自存することができないのみならず、常に国際間の禍根となり、東洋の平和を撹乱するもととなってきた。これは政治の罪にあらずして何であろうか。
然りしかして、日韓併合後に至ってようやく官吏の苛斂誅求はその跡を絶ち、教育の振興、産業の開発、交通の整備その他衛生、金融等、人民の生命財産を保護、増殖しその福利を助長させる各種の行政施策が着々と実行され、その年月はまだ長くはないが、その功績は顕著たるものがある。特に、産業、経済は前述のように長足の進歩発展をなし、国土は面目を一新し、住民もまたはじめて蘇生しうる機会に出会ったのである。
それなのに朝鮮人の経済状態が依然として貧弱を免れず、その生計はかえってますます困窮に陥りつつあるのは頗る奇異なる現象であり、甚だ矛盾する事実なりと言うべし。これは一体どういう理由によるのか。ここに至って、朝鮮人の経済の貧弱さ、生活の困難は、その原因は政治のみにあらざることは容易に首肯できる。およそ古今を通じて、人類の生存に最も欠くべからざる要素は勤労と節制である。勤労心に乏しく節制力が足りぬ者は、いかなる時代、いかなる地方、いかなる社会といえども、生存しかつ繁栄することはできない。まして、元来、資力薄弱、技能拙劣なる我々が、この生存競争が激烈で、かつその範囲も広い今日において、この要素に欠如するところがあって劣敗者となるのは毫も怪しむに足りない。賃金の高さを羨望して内地へ渡航するのも、耕地の広さに希望を託して満州へ転出するのも、この要素を具備してはじめて生存できるのである。
ゆえに、私は、従来、朝鮮の経済状態が貧弱で住民の生活程度が低劣であったのは、土地の罪にあらず、又、住民の罪にもあらず、全く政治の罪であるが、今日のそれは政治の罪にあらず、又、土地の罪にもあらず、全く住民たる朝鮮人自身の罪なりと断言してはばからない。一部人士中には、自己を反省せず、徒らに政治を非難し、又は時局を呪い、ややもすれば自暴自棄に陥り、あるいは不健全な思想に陶酔し、あるいは不可能なる制度を夢想し、甚だしい場合は常軌を逸する挙動を取り、自ら破滅を早めようとするのは誠に憂慮に堪えないところである。
もちろん、併合後における行政施策に対して世間の評価は色々とあるが、これはつまり、人によってその意見の相違から来るものであり、その根本精神と方針に対しては、何人といえども異論をさしはさむ余地はないだろう。要するに、総督政治の主義方針は、併合当時及び大正8年8月の官制改革の際に煥発せられた詔書の御趣旨を奉体し、専ら公共の安寧を維持し民衆の福利を増進させるところにある。以来、教育の普及、交通の利便、衛生の整備は扨置き、産業の開発、資金の融通等、国民の経済を助長しその生活を向上させる施策奨励は、未だかつて例を見ない善政であると言っても過言ではない。
それなのに、学校を建てて教育を施しても、その授けられた知識、技能を日常生活に利用することを考えず、かえって労働を厭い虚栄に流れ、甚だしきは恭倹の徳を欠き、放肆の念を増し、農耕の改良を指導奨励して生産の増殖を計らせようとしても、これを蓄積して他日の用に備えることを考えず、かえって奢侈に流れ、収入は支出を償うことができず、低利資金を融通して生業を勧めても、これを非生産的方面に消費し、かえって新たな負債を負うのみという状態では、いかに良規を設け善政を布くと言えども、その恵沢に浴するを得ないのはむしろ当然であって、私が、これは朝鮮人そのものの罪なりという理由である。
(2)はこちら。↓
http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/31820231.html
<朝鮮人更生の途>(1)
=我が道の新施設=
慶尚南道参与官 李範益
京城日報 1928.8.16-1928.8.17(昭和3年)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00474275&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00474275
日韓併合以来、我が朝鮮は教育、産業、交通、衛生等何れも著しく進展発達し、中でも我々の生活に直接関係を有する各種の産業は他に類例を見ないほど急速な発展を遂げ、農業の場合は、明治43年における生産額は2億5千万円に過ぎなかったのが、今や14億円に迫り、その他水産、林産、鉱産、工業等も4、5倍ないし十数倍に増え、朝鮮内の総生産額は17億余円に達し、これを朝鮮在住の総人口1,900余万人で割れば、一人につき約90円前後に当たり、内地の一人当たり生産額150円に対してそれほどの差違が無い状況となった。輸移出入貿易金額も、併合当時6千万円に過ぎなかったものが今は7億円以上に達したにも拘らず、朝鮮人の生活状態は依然として旧態を脱せざるのみならず、その内容を詳細に見ると、困窮の度は日に増し月に加え、特に全人口の7割強を占める零細農民の生活は実に悲惨を極め、正視するに忍びざるものがある。
しかしながら、朝鮮人の経済状態が貧弱にして生活程度が低劣であるのは、これは祖先伝来の遺物であり、近来の新事実ではない。いや、その生活様式は一般に向上進歩したと言うべきだ。ただ、他に比較し、またはその数において増加し、その内容において困窮しているのみだ。ここにおいて、我々は、朝鮮がこのように貧弱であるその原因は何れにあるのかを深く探求し、その対策を講じなければならない重要問題だと思わないわけにはいかない。
試みに世界地図を拡げて地理を点検して見れば、朝鮮は、その位置は恵まれた温帯地方に属し、気候温和、地味肥沃にして農耕に適し、三面に海があり、寒流、暖流が交叉するところが多く、そこに棲息回游する魚族、貝類、甚だ豊富なるものあり。山は樹木の生育に適し、地中には各種の鉱物、特に石炭はその埋臓量が未だどれくらいか分からないほど多く、世界中のどこの国に比較してもさほど遜色はなく、極めて天恵に富んでいると言える。
又、この地に生をうけた我々も、その形においても精神においても、かの優越人種と称する民族に毫も劣ることはない。それにも拘らず、経済状態がかくの如く貧弱で生活程度がかくの如く低劣なのは、そもそもなぜなのか。これは種々の事情と環境とによるものであるが、私は、その主たる原因は政治にあると信ずる。
遠い昔はいざ知らず、少くとも今を去る二百年以降日韓併合に至るまでの間は、国家として、又は官吏として、国民の経済を助長し文化を進展し、もってその生活を向上改善させる具体的な施策や勧奨は、一つとして見るべきものがないのはもちろん、貪官汚吏の苛斂誅求と圧迫強制が無い所はなく、ひどい場合は、無辜の民も若干の資産を有するために反って縲絏の身となり桎梏に呻吟せるが如きは、いまだ我らの記憶に新しいところである。
かくの如く長き間の悪政は、遂に天与の資源を荒廃させ、善良なる民心を萎縮頽廃させ、官府の行政も国民の行為も、一つとして自ら滅亡を招かざるものはなく、積年の弊害と弊習を作り、1万4千余万里の国土と1,800余万人の民族は、遂に自立自存することができないのみならず、常に国際間の禍根となり、東洋の平和を撹乱するもととなってきた。これは政治の罪にあらずして何であろうか。
然りしかして、日韓併合後に至ってようやく官吏の苛斂誅求はその跡を絶ち、教育の振興、産業の開発、交通の整備その他衛生、金融等、人民の生命財産を保護、増殖しその福利を助長させる各種の行政施策が着々と実行され、その年月はまだ長くはないが、その功績は顕著たるものがある。特に、産業、経済は前述のように長足の進歩発展をなし、国土は面目を一新し、住民もまたはじめて蘇生しうる機会に出会ったのである。
それなのに朝鮮人の経済状態が依然として貧弱を免れず、その生計はかえってますます困窮に陥りつつあるのは頗る奇異なる現象であり、甚だ矛盾する事実なりと言うべし。これは一体どういう理由によるのか。ここに至って、朝鮮人の経済の貧弱さ、生活の困難は、その原因は政治のみにあらざることは容易に首肯できる。およそ古今を通じて、人類の生存に最も欠くべからざる要素は勤労と節制である。勤労心に乏しく節制力が足りぬ者は、いかなる時代、いかなる地方、いかなる社会といえども、生存しかつ繁栄することはできない。まして、元来、資力薄弱、技能拙劣なる我々が、この生存競争が激烈で、かつその範囲も広い今日において、この要素に欠如するところがあって劣敗者となるのは毫も怪しむに足りない。賃金の高さを羨望して内地へ渡航するのも、耕地の広さに希望を託して満州へ転出するのも、この要素を具備してはじめて生存できるのである。
ゆえに、私は、従来、朝鮮の経済状態が貧弱で住民の生活程度が低劣であったのは、土地の罪にあらず、又、住民の罪にもあらず、全く政治の罪であるが、今日のそれは政治の罪にあらず、又、土地の罪にもあらず、全く住民たる朝鮮人自身の罪なりと断言してはばからない。一部人士中には、自己を反省せず、徒らに政治を非難し、又は時局を呪い、ややもすれば自暴自棄に陥り、あるいは不健全な思想に陶酔し、あるいは不可能なる制度を夢想し、甚だしい場合は常軌を逸する挙動を取り、自ら破滅を早めようとするのは誠に憂慮に堪えないところである。
もちろん、併合後における行政施策に対して世間の評価は色々とあるが、これはつまり、人によってその意見の相違から来るものであり、その根本精神と方針に対しては、何人といえども異論をさしはさむ余地はないだろう。要するに、総督政治の主義方針は、併合当時及び大正8年8月の官制改革の際に煥発せられた詔書の御趣旨を奉体し、専ら公共の安寧を維持し民衆の福利を増進させるところにある。以来、教育の普及、交通の利便、衛生の整備は扨置き、産業の開発、資金の融通等、国民の経済を助長しその生活を向上させる施策奨励は、未だかつて例を見ない善政であると言っても過言ではない。
それなのに、学校を建てて教育を施しても、その授けられた知識、技能を日常生活に利用することを考えず、かえって労働を厭い虚栄に流れ、甚だしきは恭倹の徳を欠き、放肆の念を増し、農耕の改良を指導奨励して生産の増殖を計らせようとしても、これを蓄積して他日の用に備えることを考えず、かえって奢侈に流れ、収入は支出を償うことができず、低利資金を融通して生業を勧めても、これを非生産的方面に消費し、かえって新たな負債を負うのみという状態では、いかに良規を設け善政を布くと言えども、その恵沢に浴するを得ないのはむしろ当然であって、私が、これは朝鮮人そのものの罪なりという理由である。
(2)はこちら。↓
http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/31820231.html