私は戦争映画の中では「プライベートライアン」好きで何度もみた。
この映画はアメリカ合衆国の現在のプロパガンダ映画のようにも思えてしまう。
物語は4人兄弟中3人が戦死したライアン家の敵地に取り残された残る一人を
救出するために派遣された特命部隊の多くの隊員が次々と戦死する話である。
ソロモン海で日本の潜水艦に沈められた米艦の中に4兄弟が乗っており
4人とも死んだ実話が題材らしいとされているが私は米軍日系部隊第442連隊が
プライベートライアンの原作者に影響を与えたのではないか勝手に解釈している。
尚、映画プライベートライアンは実話ではない。
【1】アメリカ合衆国における日系アメリカ人の強制収用
太平洋戦争の始まる1941年12月8日の半年前からアメリカ合衆国はアメリカ国内や
ハワイに住む、日系人(日系アメリカ人と日本人)の調査リストを秘密裏に調査作成していた。
日米開戦3ヵ月後の1942年2月アメリカ国内の日系、ドイツ系、イタリア系のアメリカ人は
敵性国民として強制収容所送りとなるが日系人(約12万人)に対しては特に厳しく全財産も
没収した。
しかしハワイに住む日系人は収容所には殆ど送られていない、ハワイ人口の約半分を占める日系人を追い出すとハワイ社会が成り立たなく恐れがあったからだろうか。
その後ドイツ系、イタリア系のアメリカ人は徐々に収容所から釈放されていくのだが何故か
日系人12万人は大戦終了後まで釈放されることはなかった。
多くの日系アメリカ人が強制収容所から出るのは欧州戦が終了し半年以上が経過した
1946年になってからであった。
世界大戦という状況下にあったにせよ、この政策が日系アメリカ人に対する人種差別的かつ
不当な扱いであったことは明白であり、終戦後40年以上経った1988年に、ロナルド・レーガン大統領はHR442法案「市民の自由法」(日系アメリカ人補償法)に署名した。
「日系アメリカ人の市民としての基本的自由と憲法で保障された権利を侵害したことに対して、
連邦議会は国を代表して謝罪する」
として強制収容された日系アメリカ人に謝罪し、1人当たり2万ドルの損害賠償を行った。
【2】日系米軍部隊、歩兵大100大隊と第442連隊戦闘団の壮絶な戦い
第二次世界大戦中に日系人による日系アメリカ人のみで編成された部隊で第442連隊戦闘団と
第100大隊が存在する。
どちらも欧州戦線に投入され、枢軸国のドイツを相手に勇戦敢闘した。
主にハワイ日系人が第100大隊、西海岸の日系人が第442連隊戦闘団であるが
後に第442連隊に統合されていく。
「連隊戦闘団」とは耳慣れないが日系人の部隊として独立性を保持するため小規模な砲兵や工兵も加えた呼称のようである。
他のアメリカ軍部隊からの支援砲撃や補給支援が戦場で得られにくい事を想定して
独立性を高めたものと思われる。
部隊の将校や指揮官は上下間の意思疎通をはかるためかハワイ系の白人が多かったと言われる。
誤解を招かないように書くが第442連隊は皆、日系アメリカ人二世による(徴兵でなく)
志願兵部隊である。
ハワイから第100大隊出身の日系志願兵は比較的元気だったが米本土西海岸の収容所から
アメリカという国家に忠誠を尽くすため志願してきた多くの日系人二世達は皆悩みつつ
複雑な心境であったらしい。
アメリカ人である自分たちを敵性外国人と見做し財産没収、強制収容所送りまでしたアメリカ
という国家に「命」まで捧げられるかと?悩んだには違いない。
しかし彼らの多くは自己の保身や受益のためでなく日系アメリカン人全体のアメリカ社会で
置かれた状況を鑑みて志願したのである。
収容所にいる両親や家族を一日も早く解放できるように、日系人全体の地位向上のために
「俺たちはジャップではない、日系だがアメリカ人だと!」志願したのである。
第442連隊戦闘団は米国内で約半年~1年の訓練を終えて欧州戦線に参戦した。
その敢闘善戦ぶりは鬼気迫る凄まじさだ。
連隊の延べ死傷率314%(連隊定数約3千人、延べ死傷者数9,486人)
という数字が雄弁に物語る。
「個人勲章獲得総数1万8.143個 全米軍部隊中1位」
「累積死傷率324% 全米軍部隊中1位」
「名誉負傷勲章獲得者6700名 全米軍部隊中1位(一人あたり平均2個)」
「大統領 感状 7枚」
というアメリカ部隊史上空前絶後・前代未聞の大記録であった。
アメリカ陸軍の全体の死傷者率を仮に20%以下と推定すれば第442連隊の314%は桁外れの
異常とも思える数字でであり日系人の戦死者と負傷者数が米軍平均の数値に比べて破格に大きかったのである。
第二次大戦で米軍人約30万人の戦死者がでたが日系軍人は第442連隊戦闘団を
はじめ1万6,126名もが戦死しその負傷者はその3倍以上にもなるらしい。
1943年南イタリアに上陸した第442連隊はドイツの防衛線カエサルラインや
グスタフライン突破に活躍する。
相手は世界最強のドイツ軍の中でも精鋭中の精鋭である降下猟兵師団であったが
第442連隊は新兵揃いながらも互角以上に戦っている。
第442連隊はローマ市にも一番のりを画策するが米陸軍上層部の意向で(日系人に手柄を与えたくない?)ローマ市手前で待機を命ぜられ後続した他の白人部隊がローマ市解放の栄誉を手にした。
第442連隊戦闘団はローマ市入場も許されずに次の戦場、フランスに転戦する。
1944年10月24日、第34師団141連隊第1大隊(通称:テキサス大隊 テキサス州兵により編制)がドイツ軍に包囲されるという事件が起こった。
(場所や時期も映画プラーベートライアンのヤマ場に似ていると私は思う。)
彼らは救出困難とされ、「失われた大隊」と呼ばれ始めていた。
10月25日には、日系人部隊第442連隊戦闘団にF、ルーズベルト大統領自身からの
テキサス大隊救出命令が下り、第442連隊戦闘団は勇躍戦場に赴いた。
休養が十分でないままの第442連隊戦闘団は、ボージュの森で待ち受けていたドイツ軍と激しい
戦闘を繰り広げることとなる。
10月30日、ついにドイツ軍の包囲を抜きテキサス大隊を救出することに成功する。
しかし、テキサス大隊の211名を救出するために、第442連隊戦闘団の約800名が死傷したのである。
救出直後、第442連隊戦闘団とテキサス大隊は抱き合って喜んだが、ある白人兵が
「なんだジャップか!」と吐き捨てたのに対し、第442連隊戦闘団の日系隊員が
「俺たちはアメリカ陸軍 第442連隊だ。言い直せ!」と迫ったという逸話が残されている。
この戦闘は、後にアメリカ陸軍の10大戦闘にも数えられるようになった。
また、「失われたテキサス大隊」大隊救出作戦後、にダールキスト少将が閲兵した際、
全員集合した第442連隊戦闘団を見て、「部隊全員を整列させろといったはずだ。」
と不機嫌かつ乱暴な言いぐさに、連隊長代理ミラー中佐は少将を睨みつけて
「目の前に並ぶ兵が全員です。」と答えたという。
私はここでも第442連隊戦闘団のミラー中佐と映画プライベートライアンの主人公ミラー大尉(俳優トム、ハンクス)重ねてしまった。
再編制を行った第442連隊戦闘団はイタリアに移動し、そこで終戦を迎えている。
尚、別働隊の第442連隊戦闘団傘下の第552砲兵大隊は、フランス戦、の後ドイツ国内へ
侵攻し、ドイツ軍との戦闘のすえにミュンヘン近郊のダッハウのユダヤ人強制収容所の解放も行った。
しかし日系人部隊がユダヤ人強制収容所を解放した事実は何故か1992年まで公にされることはなかった。
どうも米軍上層部は日系人部隊にあまり手柄を立てさせないような部隊采配(配置)を行っていたらしい。
二世部隊の親たちである日系1世達を強制収容しているアメリカが日系二世部隊が皮肉にも
ユダヤ人収容所を開放させる事を恥じて隠蔽しようとも考えたのか?
欧州戦線での戦いを終えた後、第442連隊戦闘団はその活動期間と規模に比してアメリカ
陸軍史上でもっとも多くの勲章を受けた部隊となり、アメリカの歴史に名前を残すことになった。
特にその負傷者の多さから、「名誉戦傷戦闘団」とまで呼ばれた。
日系人部隊の帰国解散後、アメリカの故郷へ復員した兵士たちを待っていたのは
「ジャップを許すな」「ジャップおことわり」といったアメリカ人たちの冷たい言葉であり、
激しい偏見によって復員兵たちは仕事につくこともできず、財産や家も失われたままの状態に
置かれたこのような反日系人的なアメリカの世論が変化するには更に20年、1960年代まで
待たねばならなかった。
しかし彼等日系人2世部隊の活躍とアメリカ国家への多大な献身はアメリカの代々の支配層には
十分過ぎるほどに記憶されていた。
1960年代のアメリカにおける人権意識、公民権運動の高まりの中で、日系人は俄に
「模範的マイノリティー」として賞賛までされるようになる。
尚、現在も第442連隊戦闘団は存在する。
アジア系アメリカ人を中心にした部隊であるところからして
他のアジア系米人にも過去の「日系人の忠誠」を強調するあたり米国は宣伝も上手い。
前述の1988年の「日系アメリカ人保障」署名でレーガン大統領はもちろん第442連隊にも触れ「諸君はファシズムと人種差別という二つの敵と闘い、その両方に勝利した」と特に言及し讃えている。
1990年にもブッシュ(父)大統領は被害を受けた日系アメリカ人と家族に対して手紙を送った。
「金銭や言葉が、失われた年月を取り戻し、痛ましい記憶を拭い去る事は出来ません。
そしてもちろん、不正を正そうとする国家の決意や個人の権利を表現することもできません。
しかし我々は正義にたいして明確な見地に立った上、第二次大戦中の日系アメリカ人に重大な
不正義がなされたことを知りました。
賠償と心からの謝罪を行う法律を施行するにあたり、あなた方の同士であるアメリカ人は、
自由、平等、正義の歴史的理想を深く再確認しました。
あなたとご家族に、より良い将来がある事を祈ります。」
日系米軍部隊の映画として「二世部隊物語」(1951年製作)
最近では「オンリーザブレーブ」という映画がアメリカで製作されたが
私はまで未見である。
著書では 以下の関連本が出版されている。
矢野 徹 「442」
友北 十三 「渡船の戦場―アメリカ陸軍日系二世部隊・第442戦闘連隊物語」
渡辺 正清 「ゴー・フォー・ブローク!―日系二世兵士たちの戦場」
「ヤマト魂―アメリカ・日系二世自由への戦い]
最初に読むなら「ヤマト魂 ―アメリカ・日系二世、自由への戦い」をお奨めしたい。