「祟り」とは社会不安への防衛規制…その対処が「改元」だった
「一天にわかにかき曇り、真っ黒い雲の中より、現れいでたる怪しの影…」。子供のころ耳に残ったNHK人形劇『新八犬伝』の坂本九さんの名調子。怨霊の出現に、テレビの前で身を固くしたものだった。
災害列島である日本では古来、風雨水害や地震、干魃(かんばつ)などの災厄は、神の意志である「祟(たた)り」をもって語られてきた。現代の科学の目をもたなかった当時の日本人は、容赦ない自然災害に荒ぶる神の力を見いだし、鎮めの儀式を営むことで、順応しようとした。
このことを、平成18(2006)年に刊行された『日本災害史』(吉川弘文館)はこう説明する。
《原因不明の解決困難な事態に直面したとき、古代人は夢占(ゆめうら)、亀卜(きぼく)、易占(えきせん)といった卜占を行い、隠された超越的な意志のありかを感知しようとした。「祟り」こそはその問いに対する神の回答であり、不可知の事柄に論理と一貫性を構築し、原因と対処法を与え社会不安を取り除く一種の防衛規制だったのである。(中略)功を奏した体制が、次なる「祟り」の発現まで維持されることになるのである》
このような「祟り」への対処は、時の権力者がなすべき務めであり、人心掌握のための一大事業だった。古事記には、第10代の崇神天皇が夢占に現れた神の「わが子孫を捜し出し、私をまつらせよ」というお告げの通りにすると、疫病は終息し、国は安泰になった-という記述もある。
そうした対処策の一つに、改元がある。