カンクン
カンクン
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カンクン
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1970年4月20日 | |||||
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キンタナ・ロー州 | |||||
カンクン | |||||
(2010年現在) | |||||
628,306人 | |||||
東部標準時 (UTC-5) | |||||
998 | |||||
公式ウェブサイト : http://www.cancun.gob.mx |
概要
リゾート
メキシコ南東部のカリブ海沿岸、ユカタン半島の先端に位置する観光都市で、1970年代にメキシコ政府の先導でリゾート地として開発された。現在は年間で300万人を超える観光客やセレブが訪れる、世界的に知名度が高いリゾート地となった。近くに世界遺産のチチェン・イッツァや、リゾート地のシカレ、シェルハ、遺跡のトゥルムなどがあり、これらの遺跡とセットでカンクンに来る人も多い。
市街地は珊瑚礁の周りのホテルゾーンとダウンタウンに別れており、ホテルゾーンの周りには100軒を超える高級リゾートホテルや豪華な別荘が立ち並んでいる。大規模なリゾート地ではあるが、メキシコ政府による開発規制が行われていることもあり、海水が非常にきれいで、リゾートホテルの目の前でも海水が透き通っており、泳いでいる魚を間近に見ることができる。
遺跡
また、ダイビングやクルージング、カリブ海をクルーズする大型客船の拠点として有名なだけでなく、近くにトゥルム遺跡など、数多くのマヤ文明後古典期の遺跡があることから、それらの遺跡研究・見学の拠点地としても重宝されている。
歴史
元は "Ekab" (黒い土地)の名で知られていた。コンキスタドールのベルナル・ディアス・デル・カスティリョによると、スペイン人が到着した時、現在のキンタナ・ロー州北部のこの地域にはマヤ語を話す多くの人々が暮らしていた。
征服から年月が経ち、多くの住民は海賊の襲撃や疫病、飢饉などで死亡したり他の場所に移住してしまい、わずかな居住地のイスラ・ムヘーレス (スペイン語: Isla Mujeres, ムヘーレス島、女の島)とコスメル (マヤ語: Cozumel, 燕の島) が残った。
1967年よりカンクンは、メキシコ中央銀行 (Banco de México) によって、観光地開発による外貨獲得の可能性の調査が行われた。カンクンは当初コンピュータによって選別され、その後の銀行の調査員により拡大調査が行われた後に、実際に開発地として選定された。
メキシコ銀行は、初期のインフラ整備のために、米州開発銀行 (Inter-American Development Bank) より2700万$の融資を受けた。こうして1970年1月23日にリゾート開発が開始された。
チチェン・イッツァ
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1970年4月20日 | |||||
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キンタナ・ロー州 | |||||
カンクン | |||||
(2010年現在) | |||||
628,306人 | |||||
東部標準時 (UTC-5) | |||||
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公式ウェブサイト : http://www.cancun.gob.mx |
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カスティーヨ、またはククルカンの神殿
英名Pre-Historical City of Chichen Itza仏名Ville préhispanique de Chichen - Itza登録区分文化遺産登録基準(1), (2), (3), 登録年1988年 備考N20 40 W88 36 公式サイト世界遺産センター(英語)使用方法・表示Image may be NSFW.
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チチェン・イッツァ
概要
現在、高速道路により分断されているが、北部はトルテカ期、南部にはプウク期の建物が残っており、南北での町の構成がはっきりと違いを見せている。
カスティーヨ
マヤの最高神ククルカン(羽毛のあるヘビの姿の神。ケツァルコアトルのマヤ語名)を祀るピラミッド。基底55.3メートル四方、高さ24メートル(頂上の神殿部分は6メートル)。通称の「カスティーヨ」はスペイン語で城塞の意。「ククルカンのピラミッド」、「ククルカンの神殿」とも呼ばれる。
大きな9段の階層からなり、4面に各91段の急な階段が配されていて、最上段には真四角な神殿がある。ピラミッドの階段は、4面の91段を合計すると364段で、最上段の神殿の1段を足すと、丁度365段である。また1面の階層9段は階段で分断されているので合計18段となり、これらはマヤ暦の1年(18ヶ月5日)を表す。
このことから「暦のピラミッド」とも呼ばれる。北面の階段の最下段にククルカンの頭部の彫刻があり、春分の日・秋分の日に太陽が沈む時、ピラミッドは真西から照らされ階段の西側にククルカンの胴体(蛇が身をくねらせた姿)が現れ、ククルカンの降臨と呼ばれている。
カスティーヨ内部には初期のトルテカ=マヤ方式のピラミッドが内蔵されており、この神殿にはジャガーをかたどった玉座や生贄の心臓を太陽へ捧げたチャクモール像が置かれている。しかしこの像の目にはめこまれた翡翠は中国製である事が判明しており古代史の謎となっている。
球戯場
勝敗で生贄になる者が決まったとされるが、勝った側が生贄になったとも負けた側が生贄になったとも言われており、ここは現在でもはっきりしていない。
セノーテ(聖なる泉)
雨が降らない時や豊作を願う時に、神の予言を伺うために、財宝や生贄の人間が投げ込まれたという。スペイン征服時のスペイン人の記録によれば、吉兆を占うために、定められた日に女性を放り込んだとしている。また、この記録によれば、この女性は後に泉から引き上げられ、吉兆を語ったとされている。
後にアメリカの探検家エドワード・トンプソンがこの泉にもぐり、人骨やたくさんの財宝を発見した。
なお、これに似たもので、人の心臓が捧げられた戦士の神殿がある。
天文台
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旧チチェン区域にある天文台「El Caracol(エルカラコ、カタツムリの意味)」
太陽暦の1年をマヤ人は365.2420日と計算していた。現代天文学がコンピュータで計算した1年は365.2422日。天体望遠鏡もないマヤ人はほとんど誤差なく暦を知っていた。カタツムリ型の天文台から何代にもわたり肉眼で観測した。これもすべて農耕や戦争の為である。
この天文台は約9メートルの岩の上に建てられ、高さは約13メートル。中心部に螺旋階段が作られており、ドーム部には縦に細長い窓の作られた厚い壁で構築されている。なお、この窓は天体観測における重要な照準線になっており、西側は春分の日の日没、月が最北端に沈むときの方向2つを確認することができる。
マヤ人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マヤ人総人口居住地域言語宗教
マヤ人(マヤ系先住民族)とは、メキシコ南部から中央アメリカ北部にかけての地域に居住するアメリカ州の先住民族である。ただし、"マヤ"というまとまった一つの民族として存在しているわけではなく、文化と言語の一部を共有する、異なる多くの集団、社会、エスニックグループを総称したもので、それぞれは彼ら自身の伝統、文化、歴史的なアイデンティティを保持している。