西暦672年から2012年までのおよそ1300年の古地震(歴史地震)を可視化。
基本的に、古い時代ほど記録が少ないので地震も少なくなり、
近畿から東の関東、東北、北海道でその傾向が特に強くなっています。
基本的に、古い時代ほど記録が少ないので地震も少なくなり、
近畿から東の関東、東北、北海道でその傾向が特に強くなっています。
地震の年表 (日本)
本項は日本における地震の年表(じしんのねんぴょう)である。現在の日本領内(地震発生時に日本領だった地域でも現在の日本に含まれない地域の記録は除外する一方、地震発生時に本土復帰前など日本領でなかった地域は含める)にて発生した主な地震の記録を年表形式で記載する。
- 679年初頭(天武7年12月) 筑紫地震 - M 6.5〜7.5、幅二丈、筑紫国(福岡県)で長さ三千余丈の地割れ(『日本書紀』)。水縄断層の活動による内陸地震との説がある[35]。
- 684年11月26日(11月29日)(天武13年10月14日) 白鳳地震(天武地震、南海トラフ連動型地震説あり) - M 8 1/4(Mw 8〜9)、死者多数。土佐で津波により大きな被害。田園(約12km²)が海面下へ沈下(『日本書紀』)。南海地震を示唆する記録だが地質調査によればほぼ同時期に東海・東南海地震も発生。日本最古の津波記録[33]。
- 奈良時代(710年 - 794年)
- 715年6月30日・7月1日(7月4・5日)(和銅8年5月25日・26日) 遠江国地震 - M 6.5〜7.5、三河国・ 遠江国(静岡・愛知)で地震。正倉47棟が倒壊。天竜川が塞き止められ、数十日後に決壊して洪水(『続日本紀』)。
- 734年5月14日(5月18日)(天平6年4月7日) 畿内七道地震 - M 7、死者多数(『続日本紀』)。生駒断層直下型。誉田山古墳一部崩壊する。
- 745年6月1日(6月5日)(天平17年4月27日) 天平地震 - M 7.9。岐阜県美濃地方で地震。天皇平城京に復都(『続日本紀』)。愛知県〜岐阜県を南北に走る養老断層の2つ前の活動とする説がある(1586年天正地震と1596年9月の慶長3地震の)。
- 762年6月5日(6月9日)(天平宝字6年5月9日) 美濃・飛騨・信濃(岐阜・長野)で地震(『続日本紀』) - M 7以上。糸魚川静岡構造線活断層系で発生したM 7 3⁄4〜8 1⁄4と同じものである可能性がある[36]。
- 797年(延暦16年)8月14日、南海トラフ地震があった可能性が保立道久により指摘されている[37]。 (800年6月に富士山が噴火)
- 818年8月頃(弘仁9年7月) 弘仁地震 - M 7.9、北関東で地震。死者多数(『類聚国史』) [注 5][38]。
- 827年8月7日(8月11日)(天長4年7月12日) 京都で地震(『類聚国史』) - M 6.5〜7。
- 830年1月30日(2月3日)(天長7年1月3日) 出羽で地震(『類聚国史』) - M 7〜7.5。
- 841年前半(承和8年5月3日以前) 伊豆地震 - M 7、死者多数(『続日本後紀』)。丹那断層の2つ前の活動と見られている。
- 850年11月23日(11月27日)(嘉祥3年10月16日) 出羽国地震 - M 7、死者多数(『文徳実録』、『日本三代実録』)。
- 863年7月6日(7月10日)(貞観5年6月17日) 越中・越後地震 - 圧死者多数(『日本三代実録』)。直江津付近にあった数個の小島が壊滅したと伝えられる※。記録は疑わしいとする見解もある[39][40]。
- 867年11月16日(貞観9年10月13日)- 陸奥国大地震[41]
- 868年7月30日(8月3日)(貞観10年7月8日) 播磨国地震(『日本三代実録』) - M 7台[42]。兵庫県の山崎断層帯の活動によるものと思われている。
- 869年
- 878年10月28日(11月1日)(元慶2年9月29日) 相模・武蔵地震 - M 7.4、死者多数。京都でも揺れが感じられる(『日本三代実録』)。伊勢原断層の活動時期に合致するとする説と[45]、館山市の海岸で見出された900年頃と推定される津波堆積物から相模トラフのプレート境界地震とする説がある[46]。
- 880年11月19日(11月23日)(元慶4年10月14日) 出雲で地震 - M 7(『日本三代実録』)。
- 887年
19世紀後半
- 1853年3月11日(嘉永6年2月2日) 小田原地震(嘉永小田原地震) - M 6.7±0.1、死者約20〜100人。
- 1854年
- 7月9日(嘉永7年6月15日) 伊賀上野地震(伊賀・伊勢・大和地震) - M 7 1⁄4±1⁄4、死者約1,800人。
- 12月23日(嘉永7年11月4日) 安政東海地震(東海・東南海地震) - M 8.4、死者2,000〜3,000人。房総半島から四国に津波、特に伊豆から熊野にかけて大きな被害。ロシア船ディアナ号(プチャーチン提督来航)沈没。
- 12月24日(嘉永7年11月5日) 安政南海地震 - M 8.4、死者1,000〜3,000人。紀伊・土佐などで津波により大きな被害(串本で最大波高11m)。大坂湾に注ぐいくつかの川が逆流。道後温泉の湧出が数か月間止まる。
- 安政東海・南海地震は32時間の時間差で発生した。両地震による死者の合計は約3万人との説もある。余震とみられる地震は9年間で2,979回記録(『真覚寺日記』)。
- 1855年
- 1856年8月23日(安政3年7月23日) 安政八戸沖地震 - M 7.5〜8.0(Mw 8.3)、三陸および北海道に津波。死者29人。三陸沖北部の固有地震[80]。
- 1857年10月12日(安政4年8月25日) 伊予・安芸で地震 - M 7 1⁄4±0.5、今治で城内破損、死者5人。
- 1858年
- 1861年
- 1872年
- (グレゴリオ暦が採用され、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日(1873年1月1日)とした。)
- 1880年(明治13年)2月22日横浜で地震 - M 5.5〜6.0、煙突多数倒壊。地震学会(現在の日本地震学会。世界初の地震学会)が結成されるきっかけになる。
- 1881年(明治14年)10月25日国後島で地震 - M 7.0、津軽でも揺れる。
- 地震観測網整備(1885年 - 観測所による地震報告開始)