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[転載]フォークランド紛争

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フォークランド紛争

フォークランド(マルビナス)紛争交戦勢力指揮官戦力損害
FalklandsWarMontage3.jpg
戦争フォークランド紛争(マルビナス戦争)
年月日1982年3月19日から1982年6月14日
場所:フォークランド(マルビナス)諸島
結果:イギリスの勝利。ガルティエリの失脚。
アルゼンチンの旗 アルゼンチンイギリスの旗 イギリス
レオポルド・ガルティエリ
エルネスト・オラシオ・クレスポ
マリオ・メネンデス
マーガレット・サッチャー
ジョン・フィールドハウス
サンディー・ウッドワード
ジェレミー・ムーア
陸軍 10,001
海軍 3,119
空軍 1,069
艦艇 38隻
航空機 216機
陸軍 10,700
海軍 13,000
空軍 6,000
艦艇 111隻
航空機 117機
死者 645
負傷者 1048
捕虜 11313

被撃沈 軽巡洋艦1隻
潜水艦1隻(挌座)
哨戒艇2隻
航空機100機
死者 256
負傷者 777
捕虜 115

被撃沈 駆逐艦2隻
フリゲート2隻
揚陸艦1隻
コンテナ船1隻
航空機34機
 フォークランド紛争(フォークランドふんそう、英語: Falklands Conflict/Crisis)とは、フォークランド諸島スペイン語名/アルゼンチン名:マルビナス諸島。以下はフォークランド諸島で記載を統一)の領有を巡り、イギリスアルゼンチン間で3ヶ月にわたって行われた紛争である。スペイン語やポルトガル語では「マルビナス戦争」(Guerra de las Malvinas)と表記されることが多い。
 
 日本語教材辞典では「フォークランド紛争」と表記されることが多いが、世界的には「紛争」よりも「戦争」に該当する呼び名が用いられることが多い。ただし、イギリス陸軍のウェブサイトでは「Falklands Conflict」の語を用いている。他にも、スペイン語圏では「南大西洋戦争」とも呼ばれる。
 
概要
フォークランド諸島の位置。アルゼンチン沖、南米大陸南端から500km沖に位置する
 
 フォークランド紛争は、近代化された西側諸国の軍隊同士による初めての紛争であり、その後の軍事技術に様々な影響を及ぼした。両軍で使用された兵器のほとんどは実戦を経験していなかったが、この紛争で定量的に評価されることになった。また、アルゼンチンはイギリスから兵器を一部輸入していた上、両軍ともアメリカやフランス、ベルギーなどの西側第三国で設計開発された兵器体系を多数使用しており、同一の兵器を使用した軍隊同士の戦闘という特徴があった。
 
 アルゼンチン軍の攻撃によりイギリス軍は多数の艦船と乗組員を失い、戦争中のイギリス軍の艦艇の損失はアルゼンチン軍のそれを大きく上回ったが、揚陸作戦を成功させ、経験の豊富な地上軍による陸戦や長距離爆撃機による空爆、同盟国であるアメリカ軍の援助を得た情報戦を有利に進めた結果、最終的に勝利を収めた。
アルゼンチン軍は果敢な航空攻撃によりイギリス海軍艦艇に大きな損害を与えたが、イギリス軍の逆上陸を阻止できず、また一部で頑強な抵抗を示したものの経験豊富なイギリス地上部隊に対抗できず、降伏に至った。

 背景

フォークランド諸島は、東西の主要2島と多数の小島からなる
 
 「独裁王」フアン・マヌエル・デ・ロサス統領の時代に入ると、1829年にアルゼンチン政府に海域の通行料を払わなかったアメリカの捕鯨船三隻が拿捕されたのをきっかけに、ブエノスアイレスのアメリカ領事は「島の主権がイギリスにある」と訴えて、アンドリュー・ジャクソン大統領が派遣したアメリカ海兵隊が上陸し諸島の中立を宣言した。
 
 1833年にはアメリカ軍に代わりイギリス軍が再占領し、領有権をめぐって再び対立した。アルゼンチン政府は島の返還を求めていたが、ウルグアイにおける大戦争のため、諸島を奪還することが出来なかった。
カセーロスの戦いによるロサス追放後、自由主義者の政権はイギリスと友好関係を持つ傍ら、イギリスを牛肉などの輸出市場としていたため領有権を持ち出すことをしないまま150年近い時間が経ち、紛争に至った。
 既に1930年代のアルゼンチンにおけるロサス再評価と共にマルビナス奪還はアルゼンチン国粋主義者の悲願となっていたが、歴史が動き出したのは1981年に、双方で政権が交代したことに端を発する。
 
両国の衝突
 1982年に、民衆の不満をそらすためにガルチェリ政権が問題をクローズアップさせたことで、アルゼンチンではフォークランド諸島問題が過熱ぎみになり、民衆の間では政府がやらないなら義勇軍を組織してフォークランド諸島を奪還しようという動きにまで発展した。
 
マーガレット・サッチャー首相とロナルド・レーガン大統領(1984年)
 
 この様な動きに対して、アルゼンチン政府は形だけの沈静化へのコメントを出すものの、3月には海軍艦艇がフォークランド諸島の南東約1300kmにある同じくイギリス領となっていたサウス・ジョージア島に2度にわたって寄航し、イギリスに無断で民間人を上陸させるなどして武力行使への動きを見せ、イギリスのサッチャー首相はサウス・ジョージア島からのアルゼンチン民間人の強制退去命令を出すとともに3月28日にアメリカ国務長官であるアレクサンダー・ヘイグに圧力をかけるよう依頼し、フォークランド諸島へ原子力潜水艦の派遣を決定した。
 
 当初はガルチェリの思惑通り事は進み、大統領官邸前には大統領の決定を支持する民衆で埋め尽くされた。3月31日、アルゼンチンが正規軍を動かし始めたとの報せを受けて、4月1日にイギリス首相のサッチャーはアメリカ大統領のロナルド・レーガンに事態収拾への仲介を要請し、閣議を招集して機動部隊の編成が命じられた。しかし、翌2日にはアルゼンチンの陸軍約4000名がフォークランド諸島に上陸、同島を制圧したことで武力紛争化した。
 
 4月2日に下院で機動部隊派遣の承諾を受け、5日には早くも航空母艦2隻を中核とする第一陣が出撃した。到着までの間、アメリカ国務長官や外相フランシス・ピムのシャトル外交により事態の打開が模索されていたが、イギリス側は同諸島の統治が島民の意思を尊重することであったのに対し、アルゼンチン側は同諸島での現地統治とその参政権をアルゼンチン島民にも与えることであった。
 
 また、排他海域の設定やフォークランドへ向かっているイギリスの機動部隊を停止するなど撤退に関することも協定案としてやり取りがあったものの、24日にアルゼンチンの協定案ではイギリスの軍事力をフォークランドへ及ばないようとした文章が含まれていたことから、イギリス側はアルゼンチンの撤退が絶望的であることや外交を時間稼ぎに使われているのではないかという懸念を持った。
 
 25日にはフォークランド諸島に続いて占領されていたサウス・ジョージア島にイギリス軍の特殊部隊が逆上陸、同島におけるアルゼンチン陸軍の軍備が手薄だったこともあり即日奪還した。その後も国連で和平案の議論が行われたが、態度を硬化させたアルゼンチンにサッチャーは、「我々は武力解決の道を選択する」と決断した。
 
 アルゼンチン軍は、巧みな航空攻撃により幾度となくイギリス海軍の艦船を撃沈するなど、地の利を生かして当初は有利に戦いを進めたものの、イギリス軍は地力に勝る陸軍、空軍力と、アメリカやEC及びNATO諸国の支援を受けた情報力をもってアルゼンチンの戦力を徐々に削っていき、6月7日にはフォークランド諸島に地上部隊を上陸させた。
 同諸島最大の都市である東フォークランド島のポート・スタンレー(プエルト・アルヘンティーノ)を包囲し、14日にはアルゼンチン軍が正式に降伏。戦闘は終結した。
 
 
 

アルゼンチン

アルゼンチン共和国
República Argentina
アルゼンチンの国旗アルゼンチンの国章
国旗国章
国の標語: En Unión y Libertad
(スペイン語: 統一と自由に於いて)
国歌: アルゼンチンの国歌
アルゼンチンの位置
公用語首都 最大の都市独立
 - 第一議会
 - 独立宣言通貨時間帯ISO 3166-1ccTLD国際電話番号
カスティーシャ語[1]
ブエノスアイレス
ブエノスアイレス
政府
大統領 首相
クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル
なし
面積
総計 水面積率
2,766,890km²8位
1.1%
人口
総計(2008年人口密度
40,276,000人(32位
14人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年
1兆0,381億[2]アルゼンチン・ペソ($)
GDPMER
合計(2008年
3,264億[2]ドル(36位
GDPPPP
合計(2008年) 1人あたり
5,728億[2]ドル(20位
14,413[2]ドル
スペインより
1810年5月25日
1816年7月9日[3]
アルゼンチン・ペソ($)(ARS
UTC -3(DST: -3)
AR / ARG
.ar
54
  1. ^ アルゼンチンのスペイン語はEspañol(エスパニョール)ではなく、Castellano(カスティシャーノ)と呼ばれる。コリエンテス州のみグアラニー語もまた公用語となっている。
  2. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  3. ^ 連邦同盟1815年6月29日に独立を宣言した。
アルゼンチン政府は南極の1,000,000 km²およびマルビーナス諸島の領有を主張している。
 
 アルゼンチン共和国[1](アルゼンチンきょうわこく、スペイン語: República Argentina)、通称アルゼンチンは、南アメリカ南部に位置する連邦共和制国家である。西と南にチリ、北にボリビアパラグアイ、北東にブラジルウルグアイと国境を接し、東と南は大西洋に面する。ラテンアメリカではブラジルに次いで2番目に領土が大きく、世界全体でも第8位の領土面積を擁する。首都はブエノスアイレス2009年GDPは約3100億ドル(約27兆円)であり、神奈川県よりやや小さい経済規模である。
 
 チリと共に南アメリカ最南端に位置し、国土の全域がコーノ・スールの域内に収まる。国土南端のフエゴ島には世界最南端の都市ウシュアイアが存在する。アルゼンチンはイギリスが実効支配するマルビーナス諸島英語ではフォークランド諸島)の領有権を主張しており、またチリ、イギリスと同様にアルゼンチン領南極として知られる南極の1,000,000 km²の領有権も主張している。
 

転載元: 日本の海が安全で美しくあれ(尖閣・竹島・対馬・水俣・徳山・福島)


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