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[転載]上対馬町「日露友好の丘」、時空を超えて(西泊 殿崎の日本海 海戦記念碑)

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日本海海戦(にほんかいかいせん、1905年5月27日28日)は、日露戦争中に行われた海戦である。日本以外ではこれを対馬沖海戦(つしまおきかいせん)と呼ぶ。ただし実際の海戦域は対馬沖に留まらず日本海広域に及ぶ。
 
 この海戦は日本海軍連合艦隊と、ロシア海軍の第2・第3太平洋艦隊との間で戦われた。日本海軍連合艦隊は司令長官東郷平八郎の指揮下で、ロシア海軍両艦隊を撃滅し戦力の大半を失わせたが、日本海軍連合艦隊の損失は軽微という海戦史上まれな一方的勝利となった。
 これにより両国間のポーツマス講和会議への道を開いた。当時、世界最大の軍事力を有していたロシア帝国の敗北は世界を驚愕させた。なお日本では上記のロシア海軍両艦隊を指して「バルチック艦隊」と呼ぶことが定着しており本稿でもこの呼び名を用いる。
 
 
 
 
 
ロジェストヴェンスキーは「敗れた相手が閣下であったことが、私の最大の慰めです」と東郷平八郎述べ、涙を流した。
 
 
北端には日露友好の丘があります.日本海海戦の後,143人のロシアの水兵がボートで浜に漂着.村人達が食事・衣服・風呂・宿舎を提供,傷病兵のために医者の手配もしたそうです.
 
 
 
 
 
 
ロシア艦隊は大きく2波に分かれてアジアまでたどり着いた。
 
 バルチック艦隊は戦力の大半を一回の海戦で失った。損害は被撃沈16隻(戦艦6隻、他10隻)、自沈5隻、被拿捕6隻。他に6隻が中立国へ逃亡し、ウラジオストクへ到達したのは3隻(巡洋艦「アルマース」、駆逐艦「ブラーヴイ」、駆逐艦「グローズヌイ」)のみであった。
 兵員の損害は戦死4,830名、捕虜6,106名であり、捕虜にはロジェストヴェンスキーとネボガトフの両提督が含まれていた。連合艦隊の損失は水雷艇3隻沈没のみ、戦死117名、戦傷583名と軽微であり、大艦隊同士の艦隊決戦としては現在においてまで史上稀に見る一方的勝利となった。
 
 当時鎖国が解けてから50年ほどしか経っておらず、列強と違い植民地もない、欧米から遠いアジアの小さな新進国と見られていた日本の、大国ロシアに対する勝利は世界を驚かせた。また海戦の結果、極東海域における日本海軍の制海権が確定した。
 ロシア軍にとっては、満州で対峙する日本軍の補給を断つことで戦争に勝利できる可能性が消滅した。1905年3月の奉天会戦ロシア陸軍主力の撃滅に失敗した日本にとって海戦での決定的勝利は和平交渉の糸口となり、ポーツマス講和会議への道を開くことになり、その後の列強五大国入りにつながった。
 
 ロシア側の6,000名以上の捕虜は、多くが乗艦の沈没により海に投げ出されたが、日本軍の救助活動によって救命された。また対馬や日本海沿岸に流れ着いたものも多く、各地の住民に保護された。当時の日本は戦時国際法に忠実であり、国際社会に日本は文明国であるとアピールするためにも戦時法遵守が末端の小艇の水兵にまで徹底されていた。
 ロシア兵捕虜は、日本国民が戦時財政下の困窮に耐える中、十分な治療と食事を与えられ、健康を回復し帰国した。軍法会議での処罰を恐れる士官は日本にとどまることもできた。日本の戦時国際法の遵守には世界各国から賞賛が寄せられた。
 
 負傷し捕虜となったロジェストヴェンスキー長崎県佐世保市海軍病院に収容され、東郷の見舞いを受けた。東郷は軍服ではなく白いシャツという平服姿であった。病室にはいるとロジェストヴェンスキーを見下ろす形にならないよう、枕元の椅子にこしかけ、顔を近づけて様子を気づかいながらゆっくり話し始めた。
 この時、極端な寡黙で知られる東郷が、付き添い将校が驚くほどに言葉を尽くし、苦難の大航海を成功させたにもかかわらず惨敗を喫した敗軍の提督をねぎらった。
 
 ロジェストヴェンスキーは
「敗れた相手が閣下であったことが、私の最大の慰めです」
と述べ、涙を流した。ロジェストヴェンスキーは回復して帰国し、1906年軍法会議にかけられたが、戦闘中に重傷を負い指揮権を持っていなかったとして、無罪となり60歳まで生きた。
 
 日本では、5月27日海軍記念日に制定された。海軍記念日は1945年昭和20年)を最後に廃止されたが、現在でも日本海海戦記念式典が毎年開催されている。
 2005年平成17年)5月には対馬市横須賀市などでそれぞれ日本海海戦100周年記念の式典や大会が開催され、対馬市では海戦後初の合同慰霊祭が行われた。
 
 
 
 

時空を超えて

  • ''当時の対馬の人々が示された人道愛は、今日に生きる私達の心に大きな感動をもたらした。先人が命を捧げ苦労して築き上げた今日の平和。これを守り続けることの大切さを忘れず、これからも日露両国の友好を大切にしていきたい。そして世界平和を願って止みません。''保坂宗子

 27日対馬・歴史顕彰事業推進委員会主催の対馬沖海戦101周年追悼記念式典が、上対馬町殿崎の「日露友好の丘」、国民宿舎上対馬荘他で開催された。  今年はロシア側から、バルチック艦隊司令長官のロジェスト・ウェンスキー提督の曾孫にあたるジノビー・スペチンスキーさんと、日本側から旧日本連合艦隊司令長官東郷平八郎提督の曾孫にあたる保坂宗子さん夫妻が来賓として来島し、両国の兵士5120人の英霊を慰霊、平和と友好を誓った。
 慰霊祭の祭典(神事)が上対馬荘で厳粛に行われ、保坂さん夫妻、スペチンスキーさんとサルキソフ山梨学院大学教授、永尾一二三対馬市助役、歴史顕彰事業推進委員会、西泊地区の住民等により、玉串奉てんが行われた。syokujuL.JPG
次に殿崎「日露友好の丘」に移動。
 
 ロシア政府が、昨年100周年記念式典の際建立した「日露慰霊碑」に参列者全員で献花した。=プレートにロシア兵5000人と、日本兵120人の御霊が心魂されている=。 
 続いて「平和と友好の碑」の前で、保坂さんが「私の心の支えになっていたのが、曾祖父東郷平八郎が、ロジェスト・ウェンスキー提督をお見舞いし、互いに敬意をもって握手を交わしているこの絵でした。この絵が「平和と友好の碑」となったことは私にとって本当にうれしく思います。また、私だけでなく、スペチンスキーさんもこの絵を見てお育ちになられたという事実に大変感慨深いものがある」と話した。
  また、ロシア側のスペチンスキーさんは、「以前から日本に来ることが夢だった。日本に来て、また対馬に来ることは想像もしていなかった。ロシア人にとって、101年前のことは悲劇でしたが、当時温かくもてなしてくれたこと、また現在まで、ロシアと日本の共通の歴史を大切にしていただいていることに心から感謝しています」と話した。その後、101年の時空を越えて、当事者の曾孫による感動・友好のシーンが再現された。 平和と友好の碑=東郷大将が同海戦で重傷を負ったロジェスト・ウェンスキー提督を見舞っている「感動・友好のシーン」が描かれている=。
 
 記念行事として映画「男たちの大和」を上映した。 また、27日は歓迎レセプションで、武末委員長は「ここ対馬の地でスペチンスキーさんと保坂さんの再会が実現できた事、これで昨年の100周年記念事業が100パーセント仕上がった」と話した。
 
 また、サルキソフ教授が、昨年100周年記念に来島したロシュコフ駐日大使の「皆さんのおかげで、100周年記念事業が盛大に挙行されて本当に感謝しています。戦後、対馬という言葉はロシア人にとって、敗戦、敗北といった非常に悲しいイメージだったが、今は完全に違います。対馬は日露友好、日露の将来の象徴です。皆様のご多幸をお祈りします」と、メッセージを紹介した。
 
 
 
上対馬町の観光名所案内(西泊 殿崎の日本海 海戦記念碑)

 
建立 明治44年
 明治38年(1905)5月27日から翌28日、祖国の興廃をかけ、この対馬沖で繰り広げられた日本海々戦を記念し、地区住人により建立された。
 この海戦の際、撃沈されたロシアバルチック艦隊のウラジミル・モノマフ号の水兵143名は、4隻のボートに分乗し、この地に上陸した。戦況を見守る傍ら農作業をしていた農婦は、命からがら逃げ延びてきたこの水兵達を水の湧き出す泉へ案内し、夜は西泊の民家へ分宿させるなど、手厚く持て成した。
 題字の恩海義喬(めぐみのうみ、ぎはたかし)は、この話を聞き心を動かされた東郷平八郎連合艦隊司令長官の書によるものである。
               上 対 馬 町               
以上の説明は、設置された説明版から
 
【日露友好の丘】

2005年5月27日 除幕式と日露合同慰霊祭を迎える日露慰霊の碑・・・「平和と友好の碑」

日露・対馬沖海戦100周年にあたり、ロシア政府の理解と協力を得て実現されました。

従来あった地元住民によって建立された記念碑に並んでロシア政府によって建立された記念碑(中央右)

 
 
 
「日本の渚100選」にも選ばれた三宇田(みうた)浜は、天然白砂と遠浅のエメラルドグリーンが奇麗な海水浴場です。
最北端に位置する鰐浦には「海照らし」や「なんじゃもんじゃ」という別名の天然記念物「ヒトツバタゴ」が自生しています。見頃は5月初旬頃。
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īÍ۾åÂÐÇϤ¦Íɡ¡²ֳ¤Áñ¡ʤ«¤ߤ½¤¦¡Ë朝陽上対馬の宿 花海荘(かみそう) 営業時間:7:00 ~ 22:00
長崎県対馬市上対馬町西泊390 
 http://www.kamiso.jp/sightseeing.html

転載元: 日本の海が安全で美しくあれ(尖閣・竹島・対馬・水俣・徳山・福島)


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