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Channel: 持続可能な開発(水・土・廃棄物)
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[転載]不安感や喪失感、焦燥感、という感情。~寒い冬に向かって、被災者の心は、ズタズタ。仮設室内で凍りついた結露のよう。

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昨日、3.11から20ヶ月目を迎え、浜に行って黙祷を捧げてきました。

津波で流された、親戚、友人知人の事が頭に浮かびました・・・。
一瞬にして亡くなった・・。
「きっと、まだまだ生きて、やりたい事がいっぱいあっただろうなあ・・。」
そう思いながら、浜から帰って来て、これまでの自分の20ヶ月を振り返って見ました・・。

この、20ヶ月の「自分の記憶」が、なんだか時系列ではなく、ポツリポツリと浮かんでは来ますが・・。
あまり、鮮明に覚えていないように感じました・・・。

何故なのでしょう・・・?
確かに、老化で物忘れがあるのは自覚するところですが・・。でも、そんなにボケてるとは思っていません。しかし、何だか鮮明な記憶ではないのです。
自己判断ですが・・。きっと、色々な事がありすぎたためか、もしくは、色々な事を、同時に考えたからなのかもしれません。自分の頭の脳が満杯になって、漏れてしまった記憶があるためなのでしょうか・・?
まあ、実際のところは分かりませんが・・。
なんか、フワフワした夢の中にいたような、感じですね。

今現在のこの時も、現実なのです。それは、わかっています。
でも、何だかおかしな夢を見てるような感覚です。

どこかで、「受け入れたくない」という本能がそうさせてるのかも知れませんね。



人の感情は、自分でもコントロールできません。
例えば、「喜怒哀楽」のようなのも本能です。喜ぶ、怒る、悲しむ、楽しいと感じる。このような事は、誰でも、コントロール出来ない事です。本能だからですよね。

震災以降、よく言われることですが「ストレスを溜めないように・・。」という言葉。
これって、不可能なことです。
だって、「ストレスそのものが何なのか」さえ自覚出来ないのに、それを「溜めないように」と言われても・・。
どう意識したらいいのか分からないのですから・・。

不安感や喪失感、焦燥感、という感情。
つまり、簡単に云えば、

「物事が気がかりで落ち着かず、心配で、いらだち、気力が抜けてしまったよう

な感じ」ってことです。

恐らく、これも、自分の頭ではコントロール不可能なことだと思います。

さて、20ヶ月経過して、思ったのは・・・。このような、感情がどう変化したか・・?という事です。
昨年の今頃は、「新生 みさご丸」の大改造で、「来年からは・・。これで頑張れる」と思い、心は今よりも充実感があったように思います。
実際、船が完成して漁を再開。充実していましたね。
しかし、漁が始まって3ヶ月経過した、7月中旬頃から、急激に水温が上がり以降、全くの不漁となって現在に至っています。
もう、そうなると・・。自分では、どうする事も出来ないのです。

この事を、例えば、家族まで亡くして、家も何もかも無くした人びとの感情はどうなだろうか・・・?
置き換えて考えれば・・・。

これは、僕の何倍もの、「不安感や喪失感、焦燥感」にかられていると、思うのです。

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そして、これから寒い冬に向かいます。

北国の人びとであっても、雪の降る、寒い冬は嫌なものです。
仮設で暮らす人々は、二度目の冬を、あの狭いところで過ごさなければならないのです。
昨年の冬は、寒かったです。
仮設では、あの「室内の窓で凍る結露」、「床が濡れてしまう結露」、「水道管の凍結」、「風呂の追い焚きはない」などなど・・。大変な、中での生活だったのです。





しかも、昨年から、1年経過して・・。目に見える復興は、ホンの少しだけです。そのような被災地の中で・・・・・。
恐らく・・・・。
「心の中」は、「物事が気がかりで落ち着かず、心配で、いらだち、気力が抜けてしまったような感じ」というものは、更に増幅されてるのではないか・・・?
と、思ったのです。



これが昨日。浜に行って黙祷をした後になって、考えたことです。

転載元: 山と土と樹を好きな漁師


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