岡田英弘「中国文明の歴史」(講談社現代新書 1761)講談社、2004.12.20
●漢族には民族としての連帯感はなかったが、近代になってから、日本人が天照大神の子孫だという考えを見て、中国は「黄帝の子孫」である「中華民族」の国だという観念が発生した。
●中国以前の時代…東夷(農耕、漁撈)―夏。北狄(狩猟民)―殷。西戎(遊牧民)―周、秦。南蛮(焼畑農耕民)―楚。
●中国人の誕生…中国の都市は城壁で囲まれ、外の世界と区別される。中国の本質は皇帝を頂点とする一大商業組織。中国の官僚は無給であり、地位を利用して稼ぐものとされ、賄賂も合法。中国語と呼ばれているものは、実は多くの言語の集合体であり、その上に漢字の使用が被さっている。上海語、福建語、広東語はタイ系。漢字は、日常の言語とは違う、言語の異なる人々の間の文字通信手段。
●漢…儒教国家化、紙の発明→文字、教育の普及。宗教秘密結社の発生―農村から兵役にかりだされ除隊になった貧民の相互扶助組織、太平道、五斗米道。黄巾の乱後、人口激減、古い漢族の絶滅→人口の不足を補うため「五胡」が移住。華北は遊牧民の天下となる。「反切」と「韻書」の出現。二重子音の消失、頭子音r→lの変化―アルタイ系の特徴。中国のアルタイ化。
●新しい漢族の時代…601「切韻」。607 科挙の開始。もともと漢字と話し言葉は別だったが、漢字が借用語となって話し言葉に流入し、異なった言語が一見、字の上では「中国語」の方言のような外観を示すようになる。漢字の性質上、きめ細かい情緒を表現する語彙の発達が阻害された。中国語では、「紅楼夢」のような小説でさえ、感情の表現がほとんどなく、具体的事物と行動の描写に終始している⇔表音文字を使うモンゴル、満州、朝鮮、日本は情緒を細かく表現する大量の語彙がある。中国の政治史は、鮮卑(隋、唐)、契丹、ウイグルなど、まだ漢字化されていなかった更に北方の民族(新北族)に移っていく。
●1004 澶淵の盟(北宋と契丹の和議)→屈辱の反動で自分達が「正統」「中華」「漢人」だと言い出して自尊心を慰め、北方の遊牧帝国を「夷狄」と蔑み、「中華思想」の起源となった。「資治通鑑」では、南北朝時代に南朝だけを「皇帝」と呼び、北朝は「主」としか呼ばず、年号も南朝のものだけを記す。
●元…北アジアと中国が1つの文化圏に統合。福建は唐末に北方からの入植が増え漢化が完成したが、文化の基層は依然タイ系。秘密結社から発生した道教が主流となり、儒教中心に統合されていた各種学術も道教中心に再編。仏教も道教の一種として広まるが、4回の大迫害(三武一宗の法難)により衰える。三教(儒、仏、道)の一致という考え方が一般的になり、道教中心の思想体系はそのままに、用語を古い儒教のものに置き換えた新儒教(朱子学)が出現。1314 科挙の基準を朱子学とし、国教となる。
●明…紅巾の乱、白蓮教(ゾロアスター系)、近く世界が破滅し救世主が降臨すると予言。紅巾の一派の朱元璋が皇帝に即位、「大明」とは太陽のこと(ゾロアスター教の流れ)。人民を「軍戸」と「民戸」に分けて別々の戸籍に登録(モンゴルの遊牧民と定住民の二重組織そのまま)。1381 モンゴルが支配していた雲南を明が征服、雲南が初めて中国の一部となる。華北はモンゴル人、イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒が住み、北京がその中心だった。1571 スペインがマニラ市建設→メキシコ銀が中国に流入→消費ブーム、高度経済成長が起こる→高麗人参や毛皮の需要が高まり、満州が力を増す。
●清…モンゴル、チベット、新疆も勢力圏に入れる。満州語と山東方言のちゃんぽんが「官話」となり、現代中国語(北京方言)となる。1862 陝西でイスラム教徒の大反乱が始まる→甘粛、新疆に広がり、ウイグル族も参加、カシュガルにイスラム教の神政王国ができる→1887 反乱鎮圧。それまでは満州族がモンゴル族と連合し、漢族を統治し、チベット族とイスラム教徒を保護する建前だった→1882 新疆省、1885 台湾省を置き、漢族が辺境を統治、満州族の連合の 相手を漢族に切り替え「満漢一家」の国民国家の道に踏み出す→モンゴルやチベットは満州族に裏切られたと感じ、独立の機運が動き出す。
●中国以後の時代…中国以後とは、中国の歴史が中国の範囲だけに限られた現象ではなく、国境外の出来事で中国の運命が決まるようになった時代のことである。その分け目は日清戦争の敗戦。始皇帝以来の伝統を捨て(日本で漢字文化になじむように消化された)欧米のシステムを採用し、社会と文化が急激に変化。中国の歴史は独自性を失い世界史の一部となる。科挙廃止、日本留学、日本製漢語、日本式軍隊、日本に反対する事を指標とする民族意識、白話(口語)文。第2次大戦後、日本化は一時中断したが、小平「4つの近代化」路線はアメリカ化、日本化であり、中国の日本文明圏への復帰である。もはや中国文明の世界ではない。
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「東アジア大陸における民族」(「民族の世界史 5 漢民族と中国社会」、山川出版社、1983、所収)を増補したもの。
この著者の主張はかなり特殊なので、面白いが、どこまで妥当なのか良く分からない。
●漢族には民族としての連帯感はなかったが、近代になってから、日本人が天照大神の子孫だという考えを見て、中国は「黄帝の子孫」である「中華民族」の国だという観念が発生した。
●中国以前の時代…東夷(農耕、漁撈)―夏。北狄(狩猟民)―殷。西戎(遊牧民)―周、秦。南蛮(焼畑農耕民)―楚。
●中国人の誕生…中国の都市は城壁で囲まれ、外の世界と区別される。中国の本質は皇帝を頂点とする一大商業組織。中国の官僚は無給であり、地位を利用して稼ぐものとされ、賄賂も合法。中国語と呼ばれているものは、実は多くの言語の集合体であり、その上に漢字の使用が被さっている。上海語、福建語、広東語はタイ系。漢字は、日常の言語とは違う、言語の異なる人々の間の文字通信手段。
●漢…儒教国家化、紙の発明→文字、教育の普及。宗教秘密結社の発生―農村から兵役にかりだされ除隊になった貧民の相互扶助組織、太平道、五斗米道。黄巾の乱後、人口激減、古い漢族の絶滅→人口の不足を補うため「五胡」が移住。華北は遊牧民の天下となる。「反切」と「韻書」の出現。二重子音の消失、頭子音r→lの変化―アルタイ系の特徴。中国のアルタイ化。
●新しい漢族の時代…601「切韻」。607 科挙の開始。もともと漢字と話し言葉は別だったが、漢字が借用語となって話し言葉に流入し、異なった言語が一見、字の上では「中国語」の方言のような外観を示すようになる。漢字の性質上、きめ細かい情緒を表現する語彙の発達が阻害された。中国語では、「紅楼夢」のような小説でさえ、感情の表現がほとんどなく、具体的事物と行動の描写に終始している⇔表音文字を使うモンゴル、満州、朝鮮、日本は情緒を細かく表現する大量の語彙がある。中国の政治史は、鮮卑(隋、唐)、契丹、ウイグルなど、まだ漢字化されていなかった更に北方の民族(新北族)に移っていく。
●1004 澶淵の盟(北宋と契丹の和議)→屈辱の反動で自分達が「正統」「中華」「漢人」だと言い出して自尊心を慰め、北方の遊牧帝国を「夷狄」と蔑み、「中華思想」の起源となった。「資治通鑑」では、南北朝時代に南朝だけを「皇帝」と呼び、北朝は「主」としか呼ばず、年号も南朝のものだけを記す。
●元…北アジアと中国が1つの文化圏に統合。福建は唐末に北方からの入植が増え漢化が完成したが、文化の基層は依然タイ系。秘密結社から発生した道教が主流となり、儒教中心に統合されていた各種学術も道教中心に再編。仏教も道教の一種として広まるが、4回の大迫害(三武一宗の法難)により衰える。三教(儒、仏、道)の一致という考え方が一般的になり、道教中心の思想体系はそのままに、用語を古い儒教のものに置き換えた新儒教(朱子学)が出現。1314 科挙の基準を朱子学とし、国教となる。
●明…紅巾の乱、白蓮教(ゾロアスター系)、近く世界が破滅し救世主が降臨すると予言。紅巾の一派の朱元璋が皇帝に即位、「大明」とは太陽のこと(ゾロアスター教の流れ)。人民を「軍戸」と「民戸」に分けて別々の戸籍に登録(モンゴルの遊牧民と定住民の二重組織そのまま)。1381 モンゴルが支配していた雲南を明が征服、雲南が初めて中国の一部となる。華北はモンゴル人、イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒が住み、北京がその中心だった。1571 スペインがマニラ市建設→メキシコ銀が中国に流入→消費ブーム、高度経済成長が起こる→高麗人参や毛皮の需要が高まり、満州が力を増す。
●清…モンゴル、チベット、新疆も勢力圏に入れる。満州語と山東方言のちゃんぽんが「官話」となり、現代中国語(北京方言)となる。1862 陝西でイスラム教徒の大反乱が始まる→甘粛、新疆に広がり、ウイグル族も参加、カシュガルにイスラム教の神政王国ができる→1887 反乱鎮圧。それまでは満州族がモンゴル族と連合し、漢族を統治し、チベット族とイスラム教徒を保護する建前だった→1882 新疆省、1885 台湾省を置き、漢族が辺境を統治、満州族の連合の 相手を漢族に切り替え「満漢一家」の国民国家の道に踏み出す→モンゴルやチベットは満州族に裏切られたと感じ、独立の機運が動き出す。
●中国以後の時代…中国以後とは、中国の歴史が中国の範囲だけに限られた現象ではなく、国境外の出来事で中国の運命が決まるようになった時代のことである。その分け目は日清戦争の敗戦。始皇帝以来の伝統を捨て(日本で漢字文化になじむように消化された)欧米のシステムを採用し、社会と文化が急激に変化。中国の歴史は独自性を失い世界史の一部となる。科挙廃止、日本留学、日本製漢語、日本式軍隊、日本に反対する事を指標とする民族意識、白話(口語)文。第2次大戦後、日本化は一時中断したが、小平「4つの近代化」路線はアメリカ化、日本化であり、中国の日本文明圏への復帰である。もはや中国文明の世界ではない。
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「東アジア大陸における民族」(「民族の世界史 5 漢民族と中国社会」、山川出版社、1983、所収)を増補したもの。
この著者の主張はかなり特殊なので、面白いが、どこまで妥当なのか良く分からない。