古代エジプト
古い時代から砂漠が広がっていたため、ナイル河流域分の面積だけが居住に適しており、主な活動はその中で行われた。ナイル河の上流は谷合でありナイル河一本だけが流れ、下流はデルタ地帯(ナイル河デルタ)が広がっている。最初に上流地域(上エジプト)と下流地域(下エジプト)でそれぞれ違った文化が発展した後に統一されたため、ファラオ(王)の称号の中に「上下エジプト王」という部分が残り、古代エジプト人も自国のことを「二つの国」と呼んでいた。
ナイル河は毎年氾濫を起こし、肥えた土を下流に広げたことがエジプトの繁栄のもとだといわれる。ナイル河の氾濫を正確に予測する必要から天文観測が行われ、太陽暦が作られた。太陽とシリウス星が同時に昇る頃、ナイル河は氾濫したという。
最初期における農耕文明の一つとされるメソポタミアと早くから交易が行われていたとされるが、民族移動の交差点にあたるメソポタミアが終始異民族の侵入を受け、支配民族が代わったのと比べ、地理的に孤立した位置にあったエジプトは比較的安定していた。
エジプト原始王朝時代(黎明期、上エジプト、下エジプト)
国家の統一前。
- 上エジプト 都市:ヒエロコンポリス、ナカダ、アビュドス、クストゥール、エレファンティネ
- 下エジプト
- 上下エジプトの中心地:メンフィス
- 紀元前3800年頃、鉄器(隕鉄加工品)の生産が始まる。
- 配給を目的とした大規模なビールの生産が始まる。
- 紀元前3500年頃、まず上エジプト、そして下エジプト、二つの統一国家ができる。
- 紀元前3300年頃ヒエログリフの文字体系が確立。太陽暦(シリウス・ナイル暦)が普及する。
エジプト初期王朝時代(第1 - 2王朝)
国家の統一- 首都:メンフィス
- 紀元前3150年頃、上エジプトのナルメル王(メネス王、ホル・アハ王とも)上下エジプトの統一
- 上下エジプトの王として確認された、王として最新の王である。ナルメル王よりも古い上下エジプトの王がいた可能性もある。(スコルピオン1世が有名)
エジプト古王国時代(第3 - 6王朝)
中央政権が安定。- 首都:メンフィス
- 紀元前2650年頃、ジェセル王が階段ピラミッド造営。
- 紀元前2600年頃、スネフェル王がヌビア、リビア、シナイに遠征隊派遣。
- 紀元前2550年頃、クフ王、カフラー王、メンカウラー王がギザの3大ピラミッド造営。
- セパトによる直接的支配が徐々に進む(上エジプトが先行し、下エジプトでの体制整備は遅れる)
エジプト第1中間期(第7 - 10王朝)
- 紀元前2200年頃、内乱(第一中間期)。
エジプト中王国時代(第11 - 12王朝)
- 首都:テーベ
- 紀元前2040年頃、再統一(エジプト中王国時代)。
- 紀元前1900年頃、センウセレト2世がアル・ラフーンにピラミッド(ラフーンのピラミッド)造営
- 紀元前1850年頃、センウセレト3世がヌビア、シリアに遠征、シリアを征服。
- 紀元前1800年頃、アメンエムハト3世がファイユーム盆地を開発。ハワーラのピラミッド造営
エジプト第2中間期(第13 - 17王朝)
エジプト新王国時代(第18 - 20王朝)
領土がナイル川流域を越えて最大版図となり、「帝国時代」とも呼ばれる。- 首都:テーベ
- 紀元前1540年頃、イアフメス王によるヒクソス放逐、再統一(エジプト新王国時代)。
- 紀元前1500年頃、トトメス1世がユーフラテス河畔まで侵攻、オリエント一円を属州とする。
- 紀元前1490年頃、ハトシェプスト女王の統治。
- 紀元前1470年頃、トトメス3世によるアナトリア、アジア遠征。ヒッタイトバビロニアを属国化。
- 紀元前1360年頃、アメンホテプ4世(アクエンアテン)によるアマルナ宗教改革(伝統的なアメン神を中心にした多神崇拝を廃止、太陽神アテンの一神崇拝に改める。世界最初の一神教といわれる)。戦闘を避けたため国力が一時低下する。
- 紀元前1345年頃、ツタンカーメン王によるアメン信仰復活。
- 紀元前1300年頃、セティ1世によるアジア遠征。
- 紀元前1285年頃、カデシュの戦い(ラムセス2世、対ヒッタイト)。
- 紀元前1270年頃、ヒッタイトと和平条約。
- 紀元前1220年頃、海の民の侵入。
エジプト第三中間期(大司祭国家、第21 - 26王朝)[編集]残る1000年は、他国に対する軍事的劣勢が続く。- 紀元前1080年頃、アメン神官団の長ヘリホルがテーベに神権国家を立てる。
- 紀元前945年頃から、ヌビア、アッシリア、アケメネス朝などの他民族支配により衰退。
- 紀元前730年頃、クシュ(ヌビア)王ピイ、エジプト征服。
- 紀元前671年、アッシリア王エセルハドンの侵入。
- 紀元前655年、プサメティコス1世、アッシリアから独立。
エジプト末期王朝(第27 - 31王朝)
プトレマイオス朝
ギリシャ人による王朝。社会紀元前3800年頃にビールの生産が始まり、紀元前3500年頃にワインの生産が始まった。ワインブドウは麦と違い外来作物であり、ワインは高貴な酒で一般市民はビールを飲んだが、後に生産量が増えて市民にも広まった。ファラオは神権により支配した皇帝。わずかな例外を除き男性。継承権は第一皇女にあり、したがって第一皇女の夫がファラオになる。名前の一部には神の名前が含まれた。人口の1%程度の少ない貴族階級が土地を所有し支配していた。残る99%である殆どの平民は小作だった。ファラオによって土地を与えられることにより貴族となるが、ファラオが交替したり、王朝が変わると、土地を取り上げられ貴族ではなくなる事も多く、貴族は必ずしも安定した地位にあるわけではなかった。1日を24時間としたのは、エジプトだと言われている。昼と夜の時間をそれぞれ10時間、計20時間とされていた。しかしその後、昼と夜との境界の時間をそれぞれに加え、24時間と制定されたとされる説が有力である。 - 下エジプト