// 百済王族落剥物語と1152歳の須佐ノ月讀神像を描いた白石南翁 //
凡そ、千三百年をさかのぼる昔。
新羅国によって攻め滅ばされた百済国の王族が、韓半島から倭国へと逃れ、その後、南海の日向へと漂着するということがあった。
禎嘉王と、その王子・福留王と華智王の兄弟だ。
一行は、一旦、旧縁をたより、安芸・広島へと落ち着くが、新羅国とよしみを通じた倭国内の勢力によって追われることになる。王らは、落剥の身を安住の地を求めて瀬戸内の海上に再び浮べることになった。
洋上を漂う、ある時、筑紫ノ道ノ口・那の大津に、かって同盟を結んでいた百済王族を喜んでお迎えましょう。安堵して参られよという大夫がいるとの情報が入る。王らは急ぎ、船団を瀬戸内の西へと走らせた。
ところが、一行の船団を周防灘入り口で嵐が襲う、
嵐は船団を南海へと流し、禎嘉王と次男・華智王の船を日向・金ケ浜へ。
長男の福智王の船を、その少し南の高鍋・蚊口浜へと打ち上げた。
時ならぬ一団の漂着に、金ケ浜と蚊口浜の里人たちは驚くが、おちぶれたといえども、百済王族の一行と知り、ひとまずの居館がそれぞれの地で提供された。
長男の福智王の船を、その少し南の高鍋・蚊口浜へと打ち上げた。
時ならぬ一団の漂着に、金ケ浜と蚊口浜の里人たちは驚くが、おちぶれたといえども、百済王族の一行と知り、ひとまずの居館がそれぞれの地で提供された。
禎嘉王と次男・華智王とその家臣たちは、金ケ浜から山へと入った比木(木城町)に居館を提供された。
比木の里の長には16歳になる花咲耶姫といううるわしい娘がいた。漂流の王子・華智王はやがて、この花咲耶姫と恋に落ちる。家臣らも窯や鉄のふきかたの技術を伝えるなどことをとうして里人たちと交わった。
そんな日々がいく日も経ることなく、王らが九州へと落ちたと知った追っ手が襲ってきた。
追っ手は、千を超える手勢で、百に満たない王ら主従がかくれる居館へと迫ろうとした。
急を知った禎嘉王と華智王は、漂着した己らを手厚くもてなし、助けてくれた比木の里人たちに迷惑をかけるわけにはいかないと考え、できるだけ里から遠い地で敵を向かえ打とうと決した。
追っ手は、千を超える手勢で、百に満たない王ら主従がかくれる居館へと迫ろうとした。
急を知った禎嘉王と華智王は、漂着した己らを手厚くもてなし、助けてくれた比木の里人たちに迷惑をかけるわけにはいかないと考え、できるだけ里から遠い地で敵を向かえ打とうと決した。
花咲耶姫は、胡服に単甲をつけ騎馬の上にある華智王の手をとり、「この身に流れる血は、王子の御手をかざしてのみぬくもりをえる血、この身に流れる血は王子の身に流れる血と、今はおなじき血」と唱え、天に王子の無事を祈った。
比木の野の外れに、火矢をいかけ、鳴りものを騒がしく鳴らしながら千を数えるの敵兵が迫った。
華智王は、30騎を従え、果敢に打ちだし、敵の隊列中央に突入した。
華智王は、30騎を従え、果敢に打ちだし、敵の隊列中央に突入した。
決死の覚悟をこめて、苛烈にくりだされれる華智王一団の剣の勢いに、敵兵団はひるみ、一旦後退する。その瞬時をねらって、父王・禎嘉王が後詰めで敵兵団の主力部へと突入した。これによって、敵兵団は一層兵線を後退させた。
とはいえ、十倍する敵は、やがて勢いをとりもどし、禎嘉王と華智王の騎兵団をじりじりと圧迫し、包み込んだ。
その後、高鍋・蚊口浜から、近郷の豪族の援軍をうけ500の騎兵を率いた兄王の福智王が駆けつけ敵兵を蹴散らす。しかし、時既におそく、兵の先頭に立って闘っていた禎嘉王と華智王は斬り死にしたあとであった。
花咲耶姫の祈りはむなしくなった。しかし、その身には子が宿っていた。華智王の子であった。
祈りに唱えたごとく姫の血には王子とおなじき血が流れていたのだ。
祈りに唱えたごとく姫の血には王子とおなじき血が流れていたのだ。
やがて生まれてきた王子は白尊王と名づけられた。
白石南翁は、白尊王87世の末孫。百済王族としての神威は耐えることなくつづき、その年齢は
1152歳を数えるのだ、という。
白石南翁は、白尊王87世の末孫。百済王族としての神威は耐えることなくつづき、その年齢は
1152歳を数えるのだ、という。