日本全国には幹周り10mをこえる「楠」の木が50数本あり、その半数以上が九州地方にある。更に、鹿児島県には日本一の巨樹「蒲生の大クス」を初め、志布志市「山宮神社の大クス」、肝付町「塚崎の大クス」、鹿屋市「田崎神社の大クス」等、有名な巨樹がある。この「小田のクス」もその巨樹の一本である。
「小田のクス」は1999年の樹木診断によると次のようになっている。(根本周15,8m 高さ25,0m 樹齢およそ400年)。県下の巨樹、古木中においても秀逸したものとみることができる。小田の楠は川岸にあるため昔からたびたび洪水にみまわれてきた。1938年(昭和13年)の大水害以前にもかなりの被害を受けたと推定され、根本及び樹幹が埋没している可能性が指摘されている。1938年水害では3mぐらい埋ったとの話がある。埋没する以前の姿を見る事ができるものなら、その巨大さはさらに圧倒的なものになることでしょう。・・・一部、現地史跡案内看板より引用
三国名勝図会という薩摩の歴史書には、その楠は一度は枯れ、その宿根から芽生えて大樹になったとある。
「小田のクス」は1999年の樹木診断によると次のようになっている。(根本周15,8m 高さ25,0m 樹齢およそ400年)。県下の巨樹、古木中においても秀逸したものとみることができる。小田の楠は川岸にあるため昔からたびたび洪水にみまわれてきた。1938年(昭和13年)の大水害以前にもかなりの被害を受けたと推定され、根本及び樹幹が埋没している可能性が指摘されている。1938年水害では3mぐらい埋ったとの話がある。埋没する以前の姿を見る事ができるものなら、その巨大さはさらに圧倒的なものになることでしょう。・・・一部、現地史跡案内看板より引用
三国名勝図会という薩摩の歴史書には、その楠は一度は枯れ、その宿根から芽生えて大樹になったとある。
場所案内;内之浦総合支所から国道448号線を内之浦宇宙空間観測所へ向かい1.3km程行ったところに建設会社の看板が立つ。そこを右へ下りて行くと「小田」と呼ばれる集落に至り、その中程,小田公民館の裏手を流れる小田川のほとりに「小田の楠」がある。
小田の楠(昭和40年1月9日指定)
南方地区の小田集落にある大樹です。
小田の楠には言い伝えがあります。西暦81年頃、第12代景行天皇は、熊襲親征のため川原瀬のお着が瀬に上陸され、御腰掛の石にご休憩されたあと、山道を小田集落に下って一泊されました。小田の宿をご出発の際、お忘れになった杖が根付いて大楠になったというものです。
三国名勝図会という薩摩の歴史書には、その楠は、一度は枯れ、その宿根から芽生えて現在の大樹になったとあります。
・根本周り 15.5メートル
・樹高 25メートル
町の木に「クス」が選ばれたのも、小田の楠によるところが大きいのではないでしょうか。
また、北方地区にある「天子山」は、景行天皇が皇居と定められ、6年間滞在された高屋宮跡であるといわれています。