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[転載]刑法 第36章 窃盗及び強盗の罪

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第36章 窃盗及び強盗の罪

(窃盗)第235条
 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。《改正》平18法036

(不動産侵奪)第235条の2
 他人の不動産を侵奪した者は、10年以下の懲役に処する。

(強盗)第236条
 暴行又は脅迫を用いて他人の財物を強取した者は、強盗の罪とし、5年以上の有期懲役に処する。

2 前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。(強盗予備)第237条 強盗の罪を犯す目的で、その予備をした者は、2年以下の懲役に処する。

(事後強盗)第238条 窃盗が、財物を得てこれを取り返されることを防ぎ、逮捕を免れ、又は罪跡を隠滅するために、暴行又は脅迫をしたときは、強盗として論ずる。

(昏酔強盗)第239条
 人を昏酔させてその財物を盗取した者は、強盗として論ずる。

(強盗致死傷)第240条
 強盗が、人を負傷させたときは無期又は6年以上の懲役に処し、死亡させたときは死刑又は無期懲役に処する。《改正》平16法156

(強盗強姦及び同致死)第241条
 強盗が女子を強姦したときは、無期又は7年以上の懲役に処する。よって女子を死亡させたときは、死刑又は無期懲役に処する。

(他人の占有等に係る自己の財物)第242条
 自己の財物であっても、他人が占有し、又は公務所の命令により他人が看守するものであるときは、この章の罪については、他人の財物とみなす。

(未遂罪)第243条
 第235条から第236条まで及び第238条から第241条までの罪の未遂は、罰する。

(親族間の犯罪に関する特例)第244条
 配偶者、直系血族又は同居の親族との間で第235条の罪、第235条の2の罪又はこれらの罪の未遂罪を犯した者は、その刑を免除する。

2 前項に規定する親族以外の親族との間で犯した同項に規定する罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。

3 前2項の規定は、親族でない共犯については、適用しない。

(電気)第245条
 この章の罪については、電気は、財物とみなす。

転載元: 転載歓迎 日本(水俣・福島)復興 環境法規制ラーニング


ジオツーリズム(英語: Geotourism)とは単なる美的な鑑賞眼のレベルを超えて、ある場所の地球科学的な現象に対して興味や関心を持ち、知識と理解の獲得を目指す観光である

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ジオツーリズム英語: Geotourism)とは単なる美的な鑑賞眼のレベルを超えて、ある場所の地球科学的な現象に対して興味や関心を持ち、知識と理解の獲得を目指す観光である。
 
 
概要
 ジオと(geo-)は「土地」「地球」「地理」を表す言葉であり、従ってジオツーリズムは,地質学地形学景観地形、化石床、岩石鉱物などの自然資源を対象として行われる観光である。
 しかし、地質を基軸にしてジオツーリズムを整理しているものもある。また、ナショナルジオグラフィックは、「ジオツーリズムとは、ある土地の環境、文化、審美性、遺産、住民の福利といった地理的特徴を維持し、向上させる観光である」と定義し、対象を広く捉えている。ジオツーリズムの対象は、地域における地質・地形学的景観であり、その目的地としてはこのような景観が存在するジオサイト、ゲオトープ、ジオパークが挙げられる。
 ジオサイトとは、ひとつの景観、地形グループ、単独の地形、岩石の露頭、化石床あるいは化石が存在する場のことである。
 
 興味の対象となる景観は、例えば火山地形氷河地形、沖積地形、風食地形、海岸地形、岩石露頭、鉱山などがあげられ、景観には特徴的な地形が内在すること、あるいは岩石・堆積物・化石のような地質によって特徴づけられた景観であることが重要である。
 
 
 ジオツーリズムは単に現象を見学するだけでなく、このような特徴を造ったかあるいは造りつつあるプロセスを正しく理解することに主眼が置かれている。すなわち、岩石だけではなくプロセスを持つ総合的な大地の歴史、長い過去の時代からの遺産、そしてこれらによって具現化された景観(景観を改変した人間の作用を含めることもある)が重要なポイントとなる。
 
 
 ジオツーリズムは、貴重なあるいは重要な地質・地形学的景観を保全している地域における、その景観や環境を損なうことのない持続可能な観光であり、子どもの教育や大人の生涯学習に資する観光でもある。さらにその観光を通じて地域経済の発展につなげていくことも目的としている。
 
 日本においてジオツーリズムの受け皿として考えられているのが、ジオパークである。山岳火山海岸など地形や地質が売りものの多くの日本の自然公園では、これまでもジオツーリズムに類似した旅行が行われていたが、地学・地球科学的な情報発信が全く不足している[2]

ジオツーリズムの歴史

ジオツーリズム発生以前

 1990年初期まではジオツーリズムという言葉は公には使われておらず、オーストラリアでは、化石採集を意味する‘fossicking’が、マレーシアでは化石や鉱物等の産地や特異な浸食形態を示す岩石が存在する場を訪れることを‘Tourism Geology’が使用されていた。
 ドイツでは、昔から地質や地形あるいは地形発達等に関する解説板を設置した「地学の小道Geopfad」を通じて、地質学の情報が訪問者に提示されていた。また、無生物の自然からなる地史的形態であると定義されるゲオトープ保護の活動が各地で起こった。1990年代前半には、「地生態学の教育小道」や「地理学の教育小道」などを設置する地域が見られるようになり、これらはジオツーリズムへと通じるものであるとも考えられる。

ジオツーリズムの発生以降

 1994年にはオーストリアの地質学者Hoffmann & SchonlaubがGeowissenschftenという雑誌にジオツーリズムを紹介した[4]。さらに1995年にHoseがイギリスの専門雑誌Environmental Interpretationにジオツーリズムを提案し、1998年にベルファーストで開催された初めての専門的なジオツーリズムの国際会議において、イギリスでの認識を得ることになったという。
 
 1990年代にはジオパークの開設で見られるような地質・地形を対象とした観光地化とそれらの資源や景観を持続的に保全していこうという地域の動きがあり、観光の多様化や教養・知的好奇心の向上と相まってジオツーリズムが発展していったと考えられる。また、2004年よりナショナルジオグラフィックは、各国政府だけでなく様々な団体がジオツーリズムを推進することを宣言するジオツーリズム憲章を策定しており、現在では14の国や地域に対して発行され、世界的にジオツーリズムが受け入れられつつある。

ジオツーリズムとエコツーリズム

 ジオツーリズムは観光収入を保護推進に使われるべきとするエコツーリズムの原理も引き継いでいる。しかしエコツーリズムが自然環境や歴史文化を対象とするのに対して、ジオツーリズムは自然資源に対する理解を基本としている。
 ナショナルジオグラフィックのように幅広く捉えるとジオツーリズムとエコツーリズムとの区別がつきにくくなり、拡大解釈されてしまう恐れがある。 ジオツーリズムがエコツーリズムと本質的に何が違うのかは、今後整理が必要である。
 
 

玉置山

 
 
 玉置山(たまきさん)は、奈良県吉野郡十津川村にある大峰山系の最南端で標高1076.4メートル、主に石英斑岩で形成される。
 1986年森林浴の森100選に、2007年には日本の地質百選に選定された。
 
概要
 海のない奈良県にありながら山頂からは熊野灘を望むことができることから「沖見岳」「舟見岳」とも呼ばれ、修験道においては「無漏岳(むろだけ)」とも称された。
 東には北山川とその支流の葛川、西と南には十津川とその支流の芦廼瀬川が流れている。山頂直下の九合目には玉置神社があり、悪除童子の在所とされて大峯奥駈道の靡(行所)となっている。
 かつては別当寺の高牟婁院もあり、長く神仏混淆修験道の行場として栄えていた。『大和名所図会』には「玉井川村西北一里にあり。峯巒森列にして、中に月見窟・中山・土室等の別峯あり」と記されている。

地質

 玉置山を含む大峰山脈は、中央構造帯以南の外帯の紀伊山地に属し、地質としては四万十帯の帯状配列が卓越する。
 四万十帯は全体に北側に傾斜し、砂岩泥岩が交互に厚い層をなしており、北部では緑色岩や赤色泥岩を頻繁に伴うが、南部では一般に少ないが、玉置山周辺では緑色岩の厚い層が見られる。
 
 山頂付近には枕状溶岩の露頭が見られる。枕状溶岩は、海底火山の噴火により噴出した玄武岩質の溶岩が海中で急速に急速に冷却され、周辺部が固化するものの、固化が遅れた内部の溶岩が表層の弱い部分から袋状に噴出し、ひび割れが全体に走る特有の形状を形成する。周辺から発見される泥岩中のプランクトン放散虫)化石から、形成時期が中生代白亜紀にさかのぼることが判明している。
 
 
 

古座川の一枚岩

 
一枚岩
 
 古座川の一枚岩(こざがわのいちまいいわ)とは、和歌山県東牟婁郡古座川町古座川左岸にある、高さ約150m・幅約800mの一枚の巨岩。国指定の天然記念物である。
一枚の岩盤としては佐渡島大野亀(高さ約167m)や屋久島千尋の滝(高さ約200m、幅約400m)などとともに日本最大級とされる。
 石質は「古座川弧状岩脈」と呼ばれる、流紋岩質凝灰岩で、均質かつ硬く固結しているため、風化・浸食せず残ったと考えられている。
 
 どのような地質であっても通常の場合形成された岩体は、断層節理風化などによって大きな岩体のまま残存することは少なく、このような巨大な一枚岩は稀であることから、1941年(昭和16年)12月13日に国の天然記念物に指定された。
 以前から一枚岩の岩肌に大きい地衣類らしきものがあることは知られていたが、2001年に具体的な調査が行われた結果、世界最大最長命とされるヘリトリゴケが生えている事が判明している。その大きさ・寿命が他に類を見ないものかどうか研究・調査が行われている。

[転載]古座川の一枚岩

[転載]琵琶湖底遺跡

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湖底遺跡

1.はじめに
図 湖底遺跡分布図(名称は遺跡名
 
 かつては三重県地方にあり、今は四周から沖積が進み小規模化しつつあるといわれるこの湖に、数多くの浅瀬があり、そこには必ずといってよい程古代の集落址が埋没している。
 
 そればかりか、汀線の後退しはじめた湖辺でも湖北町尾上浜や早崎では多量の土器が散布していることが判ってきました。
 大浦の東側、西浅井町地先の湖辺で埋没林がやはり露出しはじめているとのことです。
 この付近では奈良時代の須恵器も採集されています。
 湖中の遺跡の多くは湖底下の比較的浅いところ、あるいは湖底面上に多く、水位低下によって湖底が干上がると、湖底面に露出した恰好で出土しはじめるのです。
 また干上がった湖底には完形に近い土器も散乱しており、シジミ捕りに来た子供でも容易に土器を拾うことが出来る状態で、このこともまた遺跡の本来の姿を損うことになります。
 湖底遺跡の特徴はさきに紹介した大浦の埋没林に典型的に示されるように、木製品や自然植物遣体(クリやトチの皮など)が良く残されていることです。古代の人々の日常生活の大部分を占める木製品などの植物質の遣物が、陸上の遺跡では全く消失してしまっているのですが、湖中ではそれらが今 日まで水に保護されのこってきたのです。ところが、水位が下がり、これらの遣跡が干上がると、今日まで数千年間も保護されてきたものが一瞬にして乾燥し、干からびて風化し、形がなくなってしまいます。
 

2.湖底遺跡の発見
葛籠(つづら)尾崎湖底遺跡の遺物(平安時代の皿)出土状況
多景島遺跡の調査状況
 今日まで湖底遺跡はおよそ70ケ所(内湖を含める)を数えていますが(図)、つい数年前までは確実に湖底下に遺跡がある、すなわち人間の営みが湖底にあったということは証明されていませんでした。
 ましてや、個々の遺跡については、どれもがただ単に遺物(土器や 石器)を出土するとされているだけで、本格的調査のされたものは1、2例にしかすぎませんでした。
 
 内湖の遺跡を別にしますと、今 日までの近江の歴史は、琵琶湖内の人々ヘの歴史を抜きにして、いわば琵琶湖が近江に占める面積である1/6の部分を欠如したままで近江史が語られていたといえます。このような誤った考え方の根本的理由の1つは、琵琶湖はもともと大きかったが、現在では徐々に小さくなりつつあるのだとする地理学や地質学の原則を、ここ数千年にみたない人間の歴史のなかに位置づけてしまったことによるものと思われます。
 
 微細なタイムスケールでみた時、琵琶湖は決して小規模化のみの方向で進んでいるわけではないのです。堆積の速度は1年1mmであるといわれていますが、常にそのような速度で堆積が進んでいたわけではありません。
 
 もう1つの理由は、湖底遺跡の調査が科学的系統的に進められなかったことです。かつての調査といえば、シジミかきのドレッジャーで湖底をかき廻し、遺物の有無を確かめる程度でした。これでは遺物の発見はあっても遺跡・遺構の発見は望めません。我々が知りたいのは、土器が存在するかどうかではなく、果たして本当にそこに人間の足跡、生活を営んだ跡があるのかどうか、また、それはどのような人々によるどのような生活の跡であるのか、ということです。
 
 このような意味で遺跡の位置が深さも含めて正しく把握され、出土遺物、遺構が土層的に確認記録され、さらにその状態の写真が撮影された遺跡となると、北湖の湖北町・高月町にまたがる著名な葛籠尾崎(尾上)湖底遺跡はもとより、数次にわたる調査をうけた大津市粟津湖底遺跡においても確言しがたい状況であります。
 
 また志那沖等の南湖での湖底遺跡でも他人をしてうなづけしめる良好な土層(遺物包含層)の写真はいまだにないといえます。このことは、湖底遺跡の場合、 考古学的な方法論についていまだに未経験の部分が多く、ましてや汚れつつある南湖では、まず水の浄化につとめなければ人を納得させる写真さえ得られないという湖底遺跡調査の困難さ、不確定さを雄弁に語っているといえます。
 
 このような不確定な湖底遣跡のなかで、湖水中を矢板鋼で〆切り、内水をポンプで抜いた調査例があります。近江八幡市長命寺湖底では丸木舟が出土し、また草津市志那沖で縄文時代晩期の墓址が検出されました。前者では丸本舟が 海抜81.80mに位置し、後者は83.30mに位置しています。
 これらの2資料に、遣物出土地点の標高や貝塚の標高などの把握されたもの、あるいは内湖のなかでの確実な資料を加えてみますと、米原町磯の内湖の磯山城遺跡の縄文前期人骨が海抜81.00m付近に位置しており、これが最も深いところに所在すろ遣跡であることが判明します。
 ここから単純に計算しますと、現在の湖水面の0m水位が海抜84.371mですから、3.371m以上も 水面が低かった頃があったことを物語っています。そして粟津貝塚の資料から検討しますと、それよりさらに水位が下がっていた時代があったことが想像されます。
 いずれにせよ、南湖の最深部でも一6m前後といわれていますので、水位が3m以上、おそらく4m以上下がっていたとすれ ば、南湖の形は今日のようなものではなく、瀬田川の延長を思わせる川のような形をしていたことでしよう。そして北湖においても、汀線の水位が今より4mも下がれ ば各所に陸地が数百mも拡がり、人々の生活を営む空間が形成されていたことは動かすことのできない事実であったと思われます。
 
 なお、北湖には、水面下60~70mに及ぶ葛籠尾崎湖底遺跡が知られていますが、今日までの調査では遺構の存在など全く確認されておらず、他の水面下4m前後までのものとは全く異質なものとして解明にとり組む必要があります。

3.遺跡形成の要因を探る
 湖底遺跡の実体がほとんど判らない今、我々に最も関心の深い事柄は、このような湖底下になぜ遺跡が形成されたのかということでしょう。はたして水位が上がってしまったために水没したように見えるのか、あるいはかつての陸地が陥没したのか、あるいは地すべりや河川による流入などもこれらの湖底遺跡のなかに現存しているのか等々、あたかも推理小説もどきの興味のつきないところです。
 最初の 問題に答えるためには、湖底の気象状況を追求し、多雨期あるいは乾燥期の変動の存在をつきとめねばなりません。先年行なった草津市御倉地先のボーリングと各土層の花粉分析の成果が多くの 問題を投げかけています。またこの問題には瀬田川における排水状況を物語っている大石付近の奇石の分析が不可欠といえます。2番目の 問題には、ゆるやかな地盤の上下運動と地震等による地殻変動が問題になります。
 
 我々にはピンとこないのですが、瀬田川付近は毎年少しづつ隆起していると聞かされていますし、湖北の葛龍尾崎付近が1年に1mm程沈下しているといわれます。1年に1mmとすれば、1000年で1mに達し、縄文時代早期では10m近く下がったことになるわけです。もちろん、このような単純な計算はできないわけですが、このような 目に見えない地盤の運動をもっと科学的にとらえてみたいと思っております。
 また、水位が海抜81mにまで下がっていたとして磯の内湖に位置する縄文早期の遺跡では、この内湖の形成をも問題にしなけれ ばなりません。なぜなら、この磯入江内湖は託馬(筑摩)野と呼ばれる湿地の原野でしたが、江戸時代である寛文2年に明瞭な内湖となったことが判明しています。
 
 この時点で地震にともない陥没したとみてよいかも知れません。しかし、それ以前にも湿地だったようですし、またこの入江内湖の諸遺跡が、他の多くの湖底遺跡と同様に平安時代末葉頃に終りをつげていることから、おそらく平安時代末頃の地震によって最初の陥没をみたものが再度寛文年間に沈んだとも考えられるわけです。北湖の水深70mに沈む葛籠尾崎遺跡の場合は、さらに地すべりや地盤沈下等と、水位の上昇・下降など複合的な状況を設定しながら検討していかねばならないでしょう。
 
 
琵琶湖の湖底には数十箇所の古代遺跡があることが知られております。その殆んどが水深2メートル前後の所から見つけられております。後ろには山、前には豊かな魚介類の取れる湖、狩猟に漁業に又農耕に豊かな縄文集落が湖を囲んで点在していたことが良くわかります。然し水辺の遺跡は地盤沈下による琵琶湖の水位上昇により水没したものと理解されております。


 ところが、湖北町の葛籠尾崎(つづらおざき)から竹生島(たけふじま)にかけた水深い50~70メートルの湖底谷辺りから大量の土器類が漁師の網にかかって引き上げられて居ります。この場所から引き上げられた土器類の種類は、縄文時代の早期から晩期にわたり、さらに弥生時代から中世のものまで、歴史的に非常に長い期間のものが含まれているのが特徴です。


 この水深の場所では地盤沈下による水位の上昇では説明が付きませんし、何よりもここから水揚げされる土器類に完形品が多いことで、決して出来損ないの廃品を捨てたのではないことが歴然としております。大正13年の初発見以来、湖の神にささげ物として、故意に沈められた物ではないか等の諸説が議論されておりますが、決定的な解明には至っておりません。


 引き上げられた土器には、数千年の時間の経過を「湖底鉄」が示して居ります。湖水の水や湖底の泥の中に含まれる鉄分が土器の表面に沈着して、引き上げられた土器には表面は厚いところでは数ミリメートルの鉄分が付着しており、表面の色は赤黒茶けているそうです。
 
 
 
 
袈裟襷文銅鐸
◇東近江・安土町
 県立安土城考古博物館(安土町下豊浦)で、「水中考古学の世界――びわこ湖底の遺跡を掘る」が開かれた。

 琵琶湖の湖底には、湖底・湖岸遺跡が約百か所もあり、その多くは琵琶湖開発事業に伴って昭和四十八年度から平成三年度までに行った分布調査や試掘・発掘調査で確認され、国内最大の淡水貝塚である粟津湖底遺跡をはじめとした多くの成果をあげることができた。
 企画展では、水中にある遺跡を「陸化」することにより、旧石器時代から現在に至る数万年の人の営み・活動の痕跡としての琵琶湖湖底遺跡の魅力を浮かび上がらせている。
 主なみどころは、「栗太郡常盤村出土」と伝えられる、袈裟襷文(かさだすきもん)銅鐸(重要美術品)。

転載元: 災害復興 急げ! 環境・歴史でニューディールと社会資本整備

[転載]1万3000年前の縄文遺跡滋賀県で発見される

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滋賀県の琵琶湖の東側で、大規模な縄文遺跡が発見された。
調査によると、約1万3000年前の遺跡だという。

我々が子供のころ、縄文時代は、6000年前くらいから始まったとされていた。
しかし、遺跡発掘が進めば進むほど、どんどんさかのぼり、
現在、創生期は、1万3000年前くらいまでさかのぼって行っている。
また、場所は、近畿中心だとおもわれていたが、関東中心になり、
三内丸山遺跡の発掘などにより東北が中心だとなり、
逆に今度は、琵琶湖なのである。

多くの人からみると、
なんとも、無茶苦茶で脈絡のない話のように、
感じられることだろう。
しかし、ヲシテ文献を知るものからすると、

  やっぱり、正しかったか

みたいな印象なのだ。

ヲシテ文献によれば、
この国は、縄文時代の始まりとともに建国されたようだ。
その時期は明記されていない。
記述があるが当時の暦の仕組みが後世と異なり、正確な時期が特定できないからだ。
しかし、建国の場所は明言されている。

  琵琶湖  ヲウミ

である。
この「ヲ」は、
 
  中心であって、大きい、キミがおられるところ、
 
ということを意味している。
そこから各地にミコが使わされ、竪穴式住居などが普及したとある。
よく発展したのは、ヲウミ・富士山周辺・関東・東北であったようだ。
九州・山陰・北陸・熊野もそれなりに発展したようだ。

ヲウミにあった、この国の最初の名前は、「トコヨ クニ」といった。
今回の発見は、その実在を示すものかもしれない。

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最古級の土偶、東近江市で出土…従来の縄文時代観に一石

(2010年5月30日  読売新聞)


 滋賀県東近江市の相谷熊原(あいだにくまはら)遺跡で出土した、縄文時代草創期に作られた最古級の土偶は、集落とみられる竪穴住居5棟のうち1棟から見つかった。29日に発表した県文化財保護協会によると、近畿2府4県で、この時期の集落跡が確認されたのは初めて。西日本には縄文時代の遺跡が少ないとされ、未解明な点が多かったが、今回の成果は約1万3000年前、西日本でも豊かな精神世界を持った人々が定住生活を送っていた可能性を示し、従来の縄文時代観に一石を投じることになった。

  竪穴建物跡は直径5~8メートル、深さ0・6~1メートル。土偶はこのうち、最も小高い場所にある建物跡から見つかった。5棟はいずれも重複していないため、同時期に存在し、集落を形成していた可能性が高い。土器の型式や放射性炭素年代測定法で年代が判明した。

 縄文時代草創期の集落は、全国で50か所以上確認されているが、平均(直径3~5メートル、深さ0・3~0・4メートル)より、床面が深かった。松田真一・奈良県立橿原考古学研究所付属博物館長は「多大な労力を費やしており、恒常的に住もうとした証し。近畿は他地域より定住が遅れたという見方を覆す成果だ」と評価している。現地説明会は6月6日午前10時と午後1時半。


イメージ 2


ところで、当時の人々は、
何を考え、
どんな言葉を話していたのか。
その言葉はいまの日本語と同じなのかどうなのか。

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イメージ 3


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転載元: オノコロ こころ定めて

[転載]渡来系弥生人の故郷を中国に求めて&日本での広がり

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 渡来系弥生人は大陸のどこからやって来たのでしょうか。最近の調査により、水稲耕作の発祥の地ともいわれている中国南部が有力視されています。黄河下流と長江下流に挟まれた地域の漢代の遺跡から、渡来系弥生人によく似た人骨があいついで見つかっています。
 この時代の中国は、政治的に動乱の時代であり、いろいろな民族が入り乱れて戦いました。日本にやって来た渡来民は、このような動乱から逃れてきた人々だったのでしょうか。
 
渡来系弥生人によく似た頭骨が発見されている中国の遺跡
 
揚州から出土した前漢時代の男性頭骨
(南京博物院保管)
 
 

 
ÅÏÍè·ÏÌïÀ¸¿ͤ¦É­¤¬¤ê
 
 弥生時代の中頃(紀元前後)になると、大陸から渡来民が大勢やってくるようになりました。しかし、弥生時代の遺跡からみつかっている人骨が、すべて平らな顔の渡来系弥生人というわけではありません。
 当時の日本列島には、縄文人の子孫たち(在来系弥生人)も住んでいました。
 
弥生人骨の発見地
 弥生時代、西日本に姿を現した渡来系弥生人は、日本列島の東のほうでは、どこまで広がっていったのでしょうか。
 東日本でも、数は少ないですが弥生人骨はみつかっています。たとえば、歯の形態からは、関東西部の三浦半島や長野県にも渡来系弥生人が来ていたと推定されています。
 北海道でも渡来系弥生人の特徴をもつ人骨が1体だけ見つかっています。
 
 
 
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寒冷地適応した北方アジア人
(イラスト 石井 礼子)
新人(ホモ・サピエンス)は熱帯で生まれ、やがて徐々に寒冷な気候に適応していきました。しかし、シベリアの厳寒の気候に適応できたのは、わずか2万年ほど前のことです。体温の発散を防ぐために、身体はずんぐりし、手足は短くなりました。顔の凍傷を防ぐために、鼻は低くなり、皮下脂肪が発達して、まぶたは厚く一重になりました。
やがて、6000年ほど前、このような北方アジア人が、シベリアから南下し、中国の大部分に広がっていきました。2300年前頃には、水田稲作の技術とともに、ついに日本列島にやってきました。彼らこそが渡来系弥生人だったのです。
   
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九州・山口地域の弥生人骨の発見地
 九州では、福岡平野や佐賀平野などの水田稲作に適した地域から出土する人骨は渡来系弥生人です。
 一方、九州でも、長崎県や五島列島などの山間部や、伝統的な漁労を続けていた海岸部の地域から出土する人骨は縄文人そっくりです。つまり、この時代には渡来系弥生人と縄文人の子孫たちが「住み分け」をしていたようです。
 
 
 
 
 
 
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 弥生人は、壺に祖先の顔をあらわしました。東日本では、子供の骨をいれる容器の形をした土偶は、壺の口に顔だけをあらわした蔵骨器へと変わりました。
 のちには、壺の胴に祖先の顔を描いて、お供え物の相手をあらわしました。木偶は女と男の祖先をあらわし、人の顔をかたどった小さな土製品も、できあがると守り神がやどっていると考え、祈りの対象にしました。
 弥生人は、ほかに、サギを稲の精霊、シカを土地の精霊とみなして、稲作の豊かさを祈る心をもっていました。
 
 
口に顔をあらわしたつぼ(レプリカ)
前2世紀
茨城県海後出土
国立歴史民俗博物館蔵(茨城県立歴史館)
口に顔をあらわしたつぼ(レプリカ)
前1世紀
神奈川県上台出土
国立歴史民俗博物館蔵(個人)
胴に入れ墨の顔を描いたつぼ(レプリカ)
2世紀
愛知県亀塚
国立歴史民俗博物館蔵(安城市歴史博物館)

男の木偶(レプリカ)
女の木偶(レプリカ)
前2世紀
滋賀県大中の湖南
国立歴史民俗博物館蔵(滋賀県教育委員会)
顔を描いた土製のお護り
1世紀
岡山県加茂政所
岡山県古代吉備文化財センター蔵
鼻と眉を立体的に表した土製のお護り
1世紀
岡山県上東
岡山県古代吉備文化財センター蔵

人形形土製品(レプリカ)
1世紀
岡山県百間川兼基
岡山県古代吉備文化財センター蔵
顔を描いた土製のお護り
1世紀
岡山県加茂政所
岡山県古代吉備文化財センター蔵

 
 
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 紀元前4~5世紀ごろ、九州、四国、本州で水田稲作が始まりました。しかし、南西諸島や北海道は食料採取に依存していました。稲米は、粒が大きく収穫量は多く、保存もよかったのです。
 ブタの飼育も始まりました。鉄器は実用品として、青銅器は祭り用として発達しました。土地と水、富をめぐって戦いが始まり、交通路の掌握や朝鮮・中国との外交権をめぐる戦争へと発展していきました。
 こうして、集団内にも集団間にも、支配・従属の関係が次第に作られていったのです。
 
青銅のカネ(銅鐸)
1世紀
兵庫県生駒
国立歴史民俗博物館蔵
つぼ
高杯
前1世紀
大阪府亀井出土
大阪府文化財調査研究センター蔵
浅鉢 かめ
前1世紀
大阪府亀井出土
大阪府瓜生堂出土
大阪府文化財調査研究センター蔵

木を切り削る石おの
前1世紀
城山遺跡出土
大阪府文化財調査研究センター蔵
木を切り削る石おの
前1世紀
美園遺跡出土
瓜生堂遺跡出土
井遺跡出土
大阪府文化財調査研究センター蔵
石製の穂摘み具(石包丁)
前1世紀
亀井遺跡出土
大阪府文化財調査研究センター蔵

木製の鍬
前1世紀
亀井遺跡出土
大阪府文化財調査研究センター蔵
木製の鋤
前1世紀
亀井遺跡出土
大阪府文化財調査研究センター蔵
木製の杵
前1世紀
巨摩遺跡出土
大阪府文化財調査研究センター蔵

転載元: 日本の海が安全で美しくあれ(尖閣・竹島・対馬・水俣・徳山・福島)

[転載]縄文海進と海水準変動

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縄文海進

左が現在
6000年前に温暖ピークがある
 
 縄文海進(じょうもんかいしん)(別名「有楽町海進」、「完新世海進」、「後氷期海進」、Holocene glacial retreat)とは、縄文時代に日本で発生した海水面の上昇のことである。海面が今より2~3メートル高かったと言われ、縄文時代前期の約6,000年前にピークを迎えたとされている。日本列島の海に面した平野部は深くまで海が入り込んでおり、香取海奥東京湾を形成した。気候は現在より温暖・湿潤で年平均で1~2℃気温が高かった。
 
 この海水面の上昇は約19000年前から始まった。 世界的には海面は年間1-2cmの速度で上昇し、場所によっては上昇は100mに達した。しかしこの現象が見られるのは氷床から遠い地域だけであり、氷床のあった北欧などでは見られない。厚さ数千㍍に及んだ氷床が解けた重みがなくなって海面上昇速度以上に陸地が隆起したからである。その典型がノルウェーのフィヨルド地形である。
 
 縄文海進は、貝塚の存在から提唱されたものである。海岸線付近に多数あるはずの貝塚が、内陸部でのみ発見されたことから海進説が唱えられた。当初は、日本で活発に起きている火山噴火地震による沈降説も唱えられたが、その後、海水面の上昇が世界的に発生していたことが確認され裏付けられた。
 
 
縄文海進の原因
 この時期は最終氷期終了の後に起きた世界的に温暖化の時期に相当する(完新世の気候最温暖期)。また、北半球の氷床が完新世では最も多く融けていたため、世界的に海水準が高くなった時期に当たる。この温暖化の原因は地球軌道要素の変化による日射量の増大とされている。
 しかし、日射量のピークは9000年前であり、7000年前の海進と異なる。近年の地球温暖化の議論では、過去の温暖化の例としてしばしば取り上げられている。

海退

その後、解けた氷河で増えた海水はゆっくりと海底を沈降させ、見かけ上で海が後退した。

縄文海進に関する誤解

 2005年に出版され話題となった中沢新一「アースダイバー」は,東京における縄文海進による水没範囲を実際よりも過大に示しているが,この本をフィクションと考えない人も多く,誤解を生む原因になっている(関連する学会発表。
 その元となった地球科学・考古学の研究者を中心とする議論は,下記の「東京地形ブームと縄文海進」「アースダイバーをどう受け止めるか」に収録)。
 
 

海水準変動

地質学的に安定な23の潮位観測点で計測された海水準。年約2mmずつ上昇している。
最終氷期以降の海水準の変化
 
 海水準変動(かいすいじゅんへんどう)という言葉は、主に地質時代の世界的な海水準(陸地に対する海面の相対的な高さ)の変化に対して用いられる。
 現在および未来の海水準変化の予測の際に、過去の海水準の変化を明らかにすることの重要性が認識されるようになった。古気候の研究者は現在を氷河期とみなし、地質時代の中でも海水準は比較的低く、海水準の上昇と低下が頻繁に起こる時代と認識している。
 過去の記録から、およそ1万8千年前の最終氷期最盛期から6千年前までの間にかけて、海水準が120m以上上昇したことがわかっている。3千年前以降19世紀までの海水準の変動率はほぼ一定で0.1-0.2 mm/年程度であったが、1900年以降は1-3 mm/年と上昇している。
 
 
 
海水準変動の原因
 全地球規模の平均海水準は、固体である地殻表面の形状と液体である全海水の体積により定まる。例えば近年の地球温暖化問題で考慮すべき数千年から数万年の時間スケールでは地殻形状変化は小さいと考えられるので、海水準の変動のほとんどは全海水の体積変化によると見なせる。
 そして全海水の体積変化は、全海水量の変化と、温度による体積変化すなわち熱膨張の効果の2つからなる。全海水量の変化は主に陸上の氷との相互変換による。流氷や北極海の氷山のように海面に完全に浮いている氷は、融解しても全海水の体積を変えないので、正確には全海水量とは液体である海水と完全に浮いている氷との合計量というべきである。
 
 長い時間軸では海洋の形の変化と陸海分布も海水準を決める要因になる。また地球内部から地表への水の出入りによる、地表水の全質量の変化が要因となることもある。
過去5億年の海水準の復元(2つの研究結果)。黒い棒線で示しているのが最後の氷期間氷期の変動。ほとんどの地質時代で、長い時間の平均の海水準は現在よりも高いことに注目。縦軸は現在と比較した相対的海水準。横軸は単位百万年および地質区分。
 
 地球の長い歴史の間では、大陸移動により陸の配置が現在とはかなり違った形状であった。またプレートテクトニクスの観点からは、海洋プレートの生産が活発になると海洋底が拡大するため(現在のインド亜大陸ユーラシア大陸のように大陸同士の衝突も起きた場合)海洋の面積が増え、相対的に海水準が低くなるという説もある。
大陸地殻が極付近に大量に集まった時代は、堆積物の記録から氷期の間著しく海水準が低かったことがわかる。
 これは極域の陸上には雪や氷が集積できるからである。陸塊赤道付近に密集している時期には、氷期(寒冷期)が海水準に与える影響は小さい。しかしほとんどの地質時代、長期間の平均的な海水準は現在より高い(グラフ参照)。現在よりも平均的な海水準が低かったのは、2億5千万年前のP-T境界ペルム紀三畳紀境界)付近の間のみである。
 
 
 過去数百万年の新生代氷河期における氷期-間氷期サイクルでは、海水準は100m以上の変動を示している。主に海から蒸発した水が(ほとんどは北半球で)氷床として固定され成長する時に海水準が低下、後退するときに融解水が海洋に供給されることによって海水準が上昇するからである。現在のグリーンランド南極の氷床が溶けると、海水準はおよそ80m上昇すると予測されている。
 
 
堆積物の記録
 地質学者は長い間、堆積物に明らかな周期性を見出しその原因を説明しようとしてきた。この周期性は、主に海水準の上昇と低下のプロセスを堆積過程で反映しているという説が有力である。その記録から、海水準が驚くほど低い時期と現在よりかなり高かった時期の繰り返しがあり、この様な現象はしばしば世界規模で起こったことがわかってきた。
 たとえば、1万8千年前の最終氷期最盛期には地球全体の気温が低下しており、数十万立方kmの氷が、北欧や北米を中心とした大陸に氷河・氷床として積み重なった。海水を構成していた水分が陸上の氷となったため、海水量が減少、海面は約120m低下、サンゴ礁は地上に取り残され、海岸線は現在よりも沖へ遠くなった。この海水準がもっとも低下した時代、陸で繋がったアジアとアラスカの間(ベーリング陸橋)を通って北アメリカに人類が移住したと信じられている。
 
 
海水準変動と気温変化。横軸は千年、縦軸は現在と比較した相対的な海水準。上は過去90万年、下は過去14万年。
 
 
 およそ12万年前のひとつ前の間氷期、短い間だが海水準が今日よりも約6m高かった時期があった。その証拠はバハマの崖に沿って波に刻まれたノッチ(隆起サンゴ礁の海岸の根元が、波の力や海中生物により長い年月をかけて削られた地形)の存在である。また、イギリス領西インド諸島にある西カイコス島沿岸の南西部には、更新世のサンゴ礁が現在の海水準より3m高い位置に残されているという事実もある。
 これらの海水面に沈んでいたはずのサンゴ礁や古サンゴ海岸堆積物は、そのサンゴ礁が成長できる十分な時間海水準が高かったことを示す(この上昇した分の海水が、融解水した南極氷床由来なのかグリーンランド由来なのかはまだわかっていない)。このように過去の海水準の位置を示す似たような証拠は、世界で豊富に見つかっている。
 
  
 
日本で知られている海水準の上昇期
 第四紀後期と完新世に起きた大規模な海水準の上昇(海進現象)が、日本列島でも知られている。一つ前の間氷期(エーミアン間氷期)の時に起こったのが下末吉海進、現在の間氷期になってから起きた6000年前のものが縄文海進8世紀から12世紀にかけてのものが平安海進(ロットネスト海進)と呼ばれている。
 
 ローズ・フェアブリッジ教授(en)の海水準曲線によると、
 
8世紀初頭の海水面は、現在の海水面より約1メートル低かった。
 
10世紀初頭には現在の海水面まで上昇した。
 
11世紀前半には現在の海水面より約50センチメートル低くなった。
 
12世紀初頭に現在の海水面より約50センチメートル高くなった。『更級日記』で真野の長者の家(現千葉県市川市)が水没した原因はこの海進であるとされる。またこの頃、ヨーロッパ中世の温暖期であった。
 
 その後、海水面は14世紀後半のパリア海退により、現在の海水面から1メートル以上低くなった。
 
16世紀中頃の中世海進により上昇したが、それでも現在の海水面よりは低かった。
 
 
Table of contents Summary Foreword Preface Summary for Policymakers Technical Summary Chapter 1. The Climate System: an Overview Chapter 2. Observed Climate Variability and Change Chapter 3. The Carbon Cycle and Atmospheric Carbon Dioxide Chapter 4. Atmospheric Chemistry and Greenhouse Gases Chapter 5. Aerosols, their Direct and Indirect Effects Chapter 6. Radiative Forcing of Climate Change Chapter 7. Physical Climate Processes and Feedbacks Chapter 8. Model Evaluation Chapter 9. Projections of Future Climate Change Chapter 10. Regional Climate Information – Evaluation and Projections Chapter 11. Changes in Sea Level Chapter 12. Detection of Climate Change and Attribution of Causes Chapter 13. Climate Scenario Development Chapter 14. Advancing Our Understanding Appendix I Glossary Appendix II SRES Tables Appendix III Contributors to the IPCC WGI Third Assessment Report Appendix IV Reviewers of the IPCC WGI Third Assessment Report Appendix V Acronyms and Abbreviations Appendix VI Units Appendix VII Some Chemical Symbols used in this Report Appendix VIII Figures and Tables in this Report
Other reports in this collection

転載元: 日本の海が安全で美しくあれ(尖閣・竹島・対馬・水俣・徳山・福島)

[転載]平安海進&海水準変動

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平安海進

 平安海進(へいあんかいしん)とは、8世紀から12世紀にかけて発生した大規模な海水準の上昇(海進現象)のこと。ロットネスト海進とも呼ばれているが、日本における当該時期が平安時代と重なるためにこの名称が用いられている。
 
 ローズ・フェアブリッジ教授(en)の海水準曲線によると、8世紀初頭(日本の奈良時代初期)の海水面は、現在の海水面より約1メートル低かった。10世紀初頭には現在の海水面まで上昇した。11世紀前半には現在の海水面より約50センチメートル低くなった。12世紀初頭に現在の海水面より約50センチメートル高くなった。
 
 日本においても平安海進の影響は大きく、特に縄文海進の時にも大規模な海進が生じた関東地方ではそれが顕著であった。
 例えば、戸籍の一部が残されていることで知られている下総国葛飾郡大嶋郷は現在の東京都葛飾区及び江戸川区の太日川(江戸川)の自然堤防及びその周辺にあったと推定され、現地では大嶋郷の集落の一部とみられる遺跡(葛飾区の新宿町遺跡など)が発見されているが、8世紀まで順調に発展してきた集落が9世紀に入ると突然姿を消している。
 それを裏付けるかのように承平年間に著された『和名類聚抄』の郷名の一覧からは大嶋郷の名前は姿を消している。こうした変化は海進によって現在の東京低地(東京都の下町地域の低地)への大規模な海水の浸水・荒廃化をもたらしたことが原因と考えられ、また周辺地域の陸路・水路の交通路や交易圏の動向にも大きな影響を与えたと考えられている。
 
 
 9世紀から11世紀にかけて、比較的温暖な時期が続いた。この時期の海面上昇を「平安海進」という。ロットネスト海進とも呼ばれる。『更科日記』に、下総国にあった豪農の屋敷跡の門柱が川の中に立っていたという。現在より50cmほど海水面が上昇したようだ。しかし、現在より2~3mも高かった「縄文海進」に比べると規模が小さい。
 
 
 

海水準変動

地質学的に安定な23の潮位観測点で計測された海水準。年約2mmずつ上昇している。
最終氷期以降の海水準の変化
 
 
 海水準変動(かいすいじゅんへんどう)という言葉は、主に地質時代の世界的な海水準(陸地に対する海面の相対的な高さ)の変化に対して用いられる。
 
 現在および未来の海水準変化の予測の際に、過去の海水準の変化を明らかにすることの重要性が認識されるようになった。古気候の研究者は現在を氷河期とみなし、地質時代の中でも海水準は比較的低く、海水準の上昇と低下が頻繁に起こる時代と認識している。
 過去の記録から、およそ1万8千年前の最終氷期最盛期から6千年前までの間にかけて、海水準が120m以上上昇したことがわかっている。3千年前以降19世紀までの海水準の変動率はほぼ一定で0.1-0.2 mm/年程度であったが、1900年以降は1-3 mm/年と上昇している[1](右図)。
 
 
堆積物の記録
 地質学者は長い間、堆積物に明らかな周期性を見出しその原因を説明しようとしてきた。この周期性は、主に海水準の上昇と低下のプロセスを堆積過程で反映しているという説が有力である。その記録から、海水準が驚くほど低い時期と現在よりかなり高かった時期の繰り返しがあり、この様な現象はしばしば世界規模で起こったことがわかってきた。
 たとえば、1万8千年前の最終氷期最盛期には地球全体の気温が低下しており、数十万立方kmの氷が、北欧や北米を中心とした大陸に氷河・氷床として積み重なった。海水を構成していた水分が陸上の氷となったため、海水量が減少、海面は約120m低下、サンゴ礁は地上に取り残され、海岸線は現在よりも沖へ遠くなった。
 この海水準がもっとも低下した時代、陸で繋がったアジアとアラスカの間(ベーリング陸橋)を通って北アメリカに人類が移住したと信じられている。
海水準変動と気温変化。横軸は千年、縦軸は現在と比較した相対的な海水準。上は過去90万年、下は過去14万年。
 
 およそ12万年前のひとつ前の間氷期、短い間だが海水準が今日よりも約6m高かった時期があった。その証拠はバハマの崖に沿って波に刻まれたノッチ(隆起サンゴ礁の海岸の根元が、波の力や海中生物により長い年月をかけて削られた地形)の存在である。
 
 また、イギリス領西インド諸島にある西カイコス島沿岸の南西部には、更新世のサンゴ礁が現在の海水準より3m高い位置に残されているという事実もある。これらの海水面に沈んでいたはずのサンゴ礁や古サンゴ海岸堆積物は、そのサンゴ礁が成長できる十分な時間海水準が高かったことを示す(この上昇した分の海水が、融解水した南極氷床由来なのかグリーンランド由来なのかはまだわかっていない)。このように過去の海水準の位置を示す似たような証拠は、世界で豊富に見つかっている。
 
 また、水分の蒸発に際しては、大気・海洋の酸素同位体比(δ18O/δ16O)も変化する。海水が蒸発する時、より軽い酸素(16O )で構成される水分子の割合が水蒸気中に多くなり、蒸発した水蒸気が降雪して氷床に固定されると海水中には重い酸素(18O)を持つ水分子の割合が高くなる。
 
 つまり、酸素同位体比の変動は、気温の変動および大陸氷床の量を示すものとなる。氷床や堆積物のコア、珊瑚礁化石などに含まれている酸素の同位対比を解析することによって「氷床規模の変化=地球規模の海水準の変化」として連続的に明らかにすることが可能となっている。

海水準変動の原因

 全地球規模の平均海水準は、固体である地殻表面の形状と液体である全海水の体積により定まる。例えば近年の地球温暖化問題で考慮すべき数千年から数万年の時間スケールでは地殻形状変化は小さいと考えられるので、海水準の変動のほとんどは全海水の体積変化によると見なせる。
 そして全海水の体積変化は、全海水量の変化と、温度による体積変化すなわち熱膨張の効果の2つからなる。全海水量の変化は主に陸上の氷との相互変換による。流氷や北極海の氷山のように海面に完全に浮いている氷は、融解しても全海水の体積を変えないので、正確には全海水量とは液体である海水と完全に浮いている氷との合計量というべきである。
 
 長い時間軸では海洋の形の変化と陸海分布も海水準を決める要因になる。また地球内部から地表への水の出入りによる、地表水の全質量の変化が要因となることもある。
過去5億年の海水準の復元(2つの研究結果)。黒い棒線で示しているのが最後の氷期間氷期の変動。ほとんどの地質時代で、長い時間の平均の海水準は現在よりも高いことに注目。縦軸は現在と比較した相対的海水準。横軸は単位百万年および地質区分。
 
 地球の長い歴史の間では、大陸移動により陸の配置が現在とはかなり違った形状であった。またプレートテクトニクスの観点からは、海洋プレートの生産が活発になると海洋底が拡大するため(現在のインド亜大陸ユーラシア大陸のように大陸同士の衝突も起きた場合)海洋の面積が増え、相対的に海水準が低くなるという説もある。
 大陸地殻が極付近に大量に集まった時代は、堆積物の記録から氷期の間著しく海水準が低かったことがわかる。これは極域の陸上には雪や氷が集積できるからである。陸塊赤道付近に密集している時期には、氷期(寒冷期)が海水準に与える影響は小さい。しかしほとんどの地質時代、長期間の平均的な海水準は現在より高い(グラフ参照)。現在よりも平均的な海水準が低かったのは、2億5千万年前のP-T境界ペルム紀三畳紀境界)付近の間のみである。
 
 過去数百万年の新生代氷河期における氷期-間氷期サイクルでは、海水準は100m以上の変動を示している。主に海から蒸発した水が(ほとんどは北半球で)氷床として固定され成長する時に海水準が低下、後退するときに融解水が海洋に供給されることによって海水準が上昇するからである。現在のグリーンランド南極の氷床が溶けると、海水準はおよそ80m上昇すると予測されている。

日本で知られている海水準の上昇期

 第四紀後期と完新世に起きた大規模な海水準の上昇(海進現象)が、日本列島でも知られている。一つ前の間氷期(エーミアン間氷期)の時に起こったのが下末吉海進、現在の間氷期になってから起きた6000年前のものが縄文海進8世紀から12世紀にかけてのものが平安海進(ロットネスト海進)と呼ばれている。
 
 
 ローズ・フェアブリッジ教授(en)の海水準曲線によると、8世紀初頭の海水面は、現在の海水面より約1メートル低かった。10世紀初頭には現在の海水面まで上昇した。11世紀前半には現在の海水面より約50センチメートル低くなった。12世紀初頭に現在の海水面より約50センチメートル高くなった。『更級日記』で真野の長者の家(現千葉県市川市)が水没した原因はこの海進であるとされる。またこの頃、ヨーロッパ中世の温暖期であった。
 その後、海水面は14世紀後半のパリア海退により、現在の海水面から1メートル以上低くなった。16世紀中頃の中世海進により上昇したが、それでも現在の海水面よりは低かった。

最終氷期以降の海水準変動

 
過去12万年の海水準変動のグラフ IPCC TAR, figure 11.4 を見ると
  • およそ2万年前の最終氷期以降、海水準は大規模氷床の融解の結果120m以上上昇した(年平均6mm)。
  • 急激な海水準の上昇が1万5千年前から6千年前までの間に起こり90m(上昇率は平均10mm/年)上昇した。現在から過去2万年を平均すると3mm/年である(急激な変化を除く)。
  • 約1万4千200年前の前後500年間ほどで、融解水のパルス(Meltwater Pulse 1A、mwp-1A), という重要な出来事が起こった。この時海水準はおよそ20m上昇し、上昇率はおよそ40mm/年である。
    近年の研究では北半球のヤンガードリアス期よりも早く南半球に寒冷化の影響が現れており(Huelmo/Mascardi Cold Reversal)、寒冷化は南極の融解水を主な原因として南から北へ伝わったということを示している。
  • 地質学的データから、世界的な海水面は過去6千年間(人類が文書記録を残すようになるずっと前)、徐々に現在のレベルまで上昇。平均でおよそ0.5mm/年、過去3千年間は平均して0.1-0.2mm/年のペースで上昇した。
  • なお、ローマ時代の文献からは、イタリアでは紀元後数百年は海水準は安定していたということがわかっている。
英語版Sea level rise 12:18, 29 Mar 2005 より、地質時代の部分を抜粋・翻訳・再編集・加筆した。

転載元: 災害復興 急げ! 環境・歴史でニューディールと社会資本整備


[転載]4 人類の移動―その原動力は何か 1章4

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4 人類の移動―その原動力は何か 1章4

★ 南極の氷が溶けたら
 氷河期・間氷期で海進・海退が140メートルもあったというのは本当か。こうなるには、南北極に生じる大陸氷河の量を計算せねばならない。

 現在、最大の氷河は、南極とグリーンランド。この氷が溶けたら、どれだけ海水面が上がるか。まず手始めに、それから計算してみよう。なお、北極海には、雪原があるが、その下は海で、この氷が溶けても海水面に変化はない。コップの上の縁すれすれに氷を浮かせた場合、その氷が溶けても、水は溢れない。周知の事実だ。

 まず、南極の紹介。南極の底の岩石である岩盤は、意外に低く千m以下の所が多い。そしてその上に厚さ3千mもの氷床が乗っかっている。全て同じ高さではなく、海岸から数キロから百キロ進むと急激勾配がきつくなる。日本が海岸から急に山になるのと同じだ。それから、南極の中央部に向かうに従い徐々に高度を増し、最高高度は4000mほどだ。そして、その付近に積もった雪が年間5mの速度で流落ちる。なぬ、それじゃ、チベット高原から、水でなく氷がずり落ちる姿か。そんな感じだが、ちょっと違う。氷の流れは遅く、海岸付近まで高地が続く。言わば、氷の台地・まんじゅうみたいな感じの陸があるのだ。海岸から急に高くなるとはこの感じだ。海岸付近では、200mにも達する棚氷が沖合遠くまで伸びている。水は冷たくなかなか溶けない。ロス海は、極点付近まで入込んでいるので、ここでは、その棚氷は何百キロも続いている。大陸と少しも変わらない。

 もう少し続けよう。この大陸の降水量は、年間30ミリ。非常に少ない。アフリカの砂漠並だ。いや、雪嵐(ブリザード)があるだろう。そう、だが、一旦降った雪が舞上がって、また別の所に降るので、赤道付近から運ばれる水分は、この程度なのだそうだ。また、驚き。氷床の厚いところは、地圧で氷が溶け、地底に大きな湖があるという。琵琶湖が入る大きさだという。この水は、かなりの速度で流れる。だから、その上の氷も、年間1000mもずり落ちているという。鍾乳洞の中の地底湖みたいな感じだ。全体として、氷が、南極の中心から海岸まで流れ着くのは数万年かかるという。尤も、山頂付近に流れはないから、ここには100万年前からの氷が残っている。
 
 南極の面積は、1400万平方キロ。いや、棚氷が沖合何キロも伸びているから、来ているものを脱げば1200万平方キロだとも言える。米国、中国の1.5倍、欧州の1.3倍程度だ。地図で見ると小さいが意外に大きい。いや、初めて知った。氷の厚さは、1500mから2000mだ。資料により、かなりばらついていて確定できない。

 さて、本論に戻ろう。地球の総面積は、5.1億平方キロ。これは、地球の半径から簡単に計算できる。そう、πr(2乗)で、3.14×6400キロ(2乗)だ。そして、陸と海の割合は、3対7だから、陸1.5億平方キロ、海3.6億平方キロ。これだけ分かれば、南極の氷が溶けた時の海水面の上昇が計算できる。

 南極の氷の総量、それを知る必要はないが、一応計算しておこう。
 南極の氷の量=1400万平方キロ×1.7キロ=2400万立方キロ(=キロの3乗)

 1辺が1000mのさいころが2400万個ある勘定だ。

 海面が何メートル上がるかは、南極の氷を、南極面積の何倍の世界海洋に広げるかを考えればよい。

 世界海洋面積/南極面積 = 3.6億平方キロ/1400万平方キロ
             = 25.7(→26倍)
従って、
 上昇海面 = 1700/26 = 65m

意外に簡単な計算で出てくる。他の資料を見ると、60m前後の値のものが多い。

 いや、何と凄い。60mも上昇したら、東京も大阪も海面下じゃないか。そればかりじゃない、世界に主要都市は全て海面下だ。温暖化の心配なのがよく分かる。




★ 氷河期の北半球の氷床
 氷河期には、北極海周辺には、氷河が広がった。ウイキ百科事典には、総量で南極の氷の2倍くらいだとあった。これは、どの範囲の氷床を表すものか。
 まず、その前提をなす諸元を見てみよう。

 北極海の面積は、どこまでを北極海と認定するかで問題があるが、南極と同じかやや小さめだ。1000~1400万平方キロ。それと、この海の特徴は、水深が1300mほどととても浅いことだ。大西洋、太平洋の3分の1しかない。これは、熱容量が小さく、長期の寒暖海流によって、沿岸地方の気候に影響しやすいことを意味する。よく、グリーンランド沖に冷水の沈込み帯があるが、大西洋の水温と大陸からの溶解水との温度差が問題となる。

 北極海が夏でも全面氷結するようだと、アルベド(太陽光反射率)に大きな変化が起きる。冷夏部分が広がりやすい。尤も、浮氷は、海水面の上下には影響しない。

 大陸氷河は、どこまで広がったか。通説によると、イギリス北部からヨーロッパ・バルト海沿岸から、ロシア北部一帯、さらに、アラスカ、カナダ北部からグリーンランドにまで広がったことになっている。グリーンランドは、現在でも海岸線が夏に溶けるだけで、内陸は厚さ1500mを超える氷床の陸地だ。

 こういう事実かあら、まず、北極圏内の面積を計算してみよう。

北極圏側面積(S)=∫ (下底x,上底1)(2Rcosθ)dx
      (R:地球半径,x=1-sinθ,θ:その地点の緯度 
         ここで R→1とする)
         =π∫(cosθ)(2乗)dθ

この計算は難しい。この計算の意味は、伏せたお椀型の面積を求めることで、この面積は、θが高緯度の時(60度くらい以上)の場合は、これを平面に投影した面積よりいくらか大きい程度だ。北極圏をその程度に近似して、その面積を求めてみる。

 S=π(cosθ)(2乗) ‥‥ ‐紊亮阿隼討い襦

この式に、θ=70, 66.5, 60,50 と入れて面積を求めてみる。
 S(70) =π(0.34)2 → 0.11π → 0.12π(=0.38)
      ←半径1の球に対する割合。なお、球全体は、4π=12.6
 S(66.5)=π(0.4)2 → 0.16π → 0.18π(=0.57)
 S(60) =π(0.5)2 → 0.25π → 0.28π(=0.88)
 S(50) =π(0.64)2 → 0.41π → 0.45π(=1.41)

この時の北極海を除いた面積は:
 S(70) =0.12π/4π×51000ー1200 = 1530ー1200 → 330(→300万平方キロ) 
   ‥‥北緯70度以北の面積1500万平米は、南極より少し大きめで、
     それを除いた面積は、南極の約4分1の面積
 S(66.5)=0.18π/4π×51000ー1200 = 2295ー1200 → 1100(→1100万平方キロ)
   ‥‥南極よりやや狭い面積
 S(60) =0.28π/4π×51000 = 3570ー1500 → 2070(→2100万平方キロ)
   ‥‥南極の1.5倍程度の面積。北緯60度まで南下すれば、
      北極海の面積は広くなる。大雑把だが、1500万平方キロとする。
 S(50) =0.45π/4π×51000 = 5740ー2000 → 2740(→2700万平方キロ)
   ‥‥北緯50度まで南下すると、太平洋北部の海まで入るので
      大雑把にその海に広さは、2000万平方キロとする。
      いや、実は、海の広さは、人工衛星写真により目算で確認した。

 これから、何が言えるか。また、氷河の痕跡、あるいは氷河期の氷河山麓線と整合するか。
 北緯70度以北の土地に大陸氷河ができたとすれば、勿論、これだけの氷河があれば、小氷河期なら起きるだろう。氷床は、まんじゅう型の山が、広がりまた高く発達していくのだから、面積が狭いということは、高さも低い。これが南極氷河の4分の1の面積ならば、氷床の高さは南極の半分以上にはならないだろう。そうすると、最高で900mだ。

 いや、現在、グリーンランドの氷床は、南極と同じくらい厚い所がある。なら、1200mくらいまでなら発達するだろう。それと、氷河の成長速度が年3センチとかいう速度を考えてみると、1000mに達するまで成長するには、10万年かかる。降雪が激しく2倍だとしても5万年はかかる。そうすると、基本的にそれ以前に万年氷床がなければ、1000mを超えるのは無理だ。

 そうすると、氷の量は、1/4 × 1/2で、8分の1くらいだ。多くても、6分の程度だ。なら、海退効果は、それに比例して8~10mだ。縄文時代には、逆だが、数mの海進があったというから、常識的な値だろう。なお、これだけの海退では、インドネシアのスンダランドはできない。

 次は、北極圏が氷河に包まれた状態を考えてみよう。この時代は、北極海が完全に棚氷で覆われ、それに続いて、北緯66.5度まで大陸氷河が広がるのだ。注意すべきは、北極海の棚氷は沖合10~20キロまでは大陸氷河の延長としてもいいが、それより沖合では浮いている状態で、海退効果とは無関係だ。

 氷河がここまで広がるには、間氷期にも、北緯70度近辺にまで氷床があったとせねばならない。そうすると、高さは、南極とほぼ同じとなる。
 氷量=1100/1400 = 0.78(→0.8)倍

 この氷量から起きる、海退は、52m(←65×0.8)だ。北極海の沿岸の棚氷も考えると、55mくらいまで進んだかも知れない。かなりの氷河期だったと言える。

 第3は、北緯60度までの氷床だ。北緯60度という線は、イギリスの北端よりいくらか北、南ノルウェイの位置だ。この辺りは、北極圏大気の循環から多雨地帯になる。世界地図から自明だ。大陸氷河の発達は、非常に速かったと考えられる。反対も言える。雨が降り始めたら、非常に速く溶けた。

 ここでの氷床は、最盛期には、南極よりも厚かったかも知れない。そうすると、こうなる。
 氷量=2100/1400 = 1.5倍

 いや、これは凄い。北緯60度まで氷床が広がれば、南極の1.5倍だ。海退効果は、大雑把に百m。いよいよ、これは、大氷河期だ。ノルウェイのフィヨルド(氷食峡谷)は勿論、イギリス北部にもいくらか氷食の跡がある。段々現実味が帯びてきた。納得。

 第4は、北緯50度まで氷河が押寄せた場合だ。ここでは、現在気象では、少し雨が少なくなる。だが、北極圏が異常に冷やされる事を考えると、この辺りも冷やされ、多雨地域が南下している筈だ。もうここまで南下すれば、雨は考慮不要だ。

 氷量=2700/1400 = 1.9倍(→2倍)

 北緯50度まで氷床化すれば、この時は、浅い北極海は凄い棚氷になるから、この効果を入れると、氷量は2倍になろう。その時の海退は、130m(←65×2)だ。なるほど、この海退は、我々が習った大氷河期だ。証拠はあるか。ある。5大湖が氷食湖。これだけ大きな氷食が起きたのだ。北緯45度付近にある。なら、北緯45度くらいまで氷床は広がっていたのじゃないか。考えられる。だが、大陸の東側は、西よりかなり気温が低い。だから、世界中の北緯45度以上に氷床ができたとは言えない。アジアでは、バイカル湖(北緯52度以北)があるが、それ以上南には、取立てた氷食地形はない。やはり、北緯50度というのが南限だろう。それで、地質学的事実と矛盾しない。
 言うのを忘れていた。その時、南極はどうなっていたのか。通説は、同時に寒くなったという。次回にする。

転載元: 日本の再生と国際化を考える

[転載]▽産廃撤去訴訟、福岡県に措置義務付け 福岡高裁

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▽産廃撤去訴訟、福岡県に措置義務付け 福岡高裁

2011/2/7 21:50日経新聞
 
 福岡県飯塚市の産業廃棄物処分場から有害物質が流出しているとして、周辺住民が県に廃棄物の撤去などを求めた行政訴訟の控訴審判決が7日、福岡高裁であった。古賀寛裁判長は「住民の生命、健康に損害を発生させる可能性がある」として、請求を却下した一審・福岡地裁判決を取り消し、生活環境保全のために必要な措置を産廃業者に実施させるよう、県に命じた。
 今後住民側は、撤去を含めた措置の具体的内容を協議するよう県側に申し入れる。住民側弁護団によると、産廃処理を巡る訴訟で自治体に業者へ処分を出すよう義務付けたのは初めて。
 一審判決は処分場の排水による河川の汚染は認定したが「住民の生命などへの著しい被害」が起きる可能性を認めず、請求を却下。住民に重大な損害が生じるかが、控訴審の主な争点だった。
 判決理由で古賀裁判長は、住民側請求で行った処分場内の水質検査で、廃棄物処理法の基準値の2.7倍の鉛が検出されたことを指摘。地下水が汚染され、井戸で生活水を確保する住民に「重大な損害を発生させるおそれがある」と判断した。
 県が業者に代わり撤去などを行う「行政代執行」の請求は棄却したが、事実上倒産した業者が対策を実施できない場合は、「代執行で損害を回避できる」とも指摘した。
 判決によると、県は2001年、産廃処分場から黒い汚水が川に排出されていたことを確認。許可されていない廃棄物が処分されていたことも判明し、0203年に改善命令や厳重注意を業者に出している。
 福岡県は「業者には適正に指導や処分を行ってきた。主張が認められず遺憾」としている。
 
 

転載元: 自治体労働者部会

[転載]お昼は350円

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 おはようございます・・今日もスッキリしないお天気です・・今日で9連休最後の日です・・・明日から会社に行っても、私の座る机あるのかな~?と考えているケンです・・
 熊野古道編の最後かな・食事を紹介しますね・・19日に雨の熊野古道を歩いたって記事にしましたが、山の中を歩いて、やっと熊野本宮大社に到着したんですね・土砂降りの中、本宮をお参りして、丁度お昼時間に・・・

               http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/7e/c9/wolfboy110jp/folder/978144/img_978144_37272941_15?2006-07-23
 
 午後1時過ぎには、勝浦行きのバスに乗らなきゃいけないので、だいたい神社の門前には、そば屋なんかあるから、そこに行って下着までビショビショになったから着替えてお昼でも食べてと考えながら神社の前まで行ったんです・・そうしたら門前には小さな土産物屋と食堂が2~3軒しかない・・えっと思いながらも降りしきる雨には勝てず、「定食」なんてのぼりがある店に飛び込んでしまった・・

 お店には、20代の男の店員らしき人が一人・・なんか商売気がない雰囲気・・「何か食べるものあります」って聞いたら「ええっ」と生返事・・テーブルにあったメニューを見るとうどんなんて書いてあるから頼んだら「今日はないんです」って・仕方ないから、壁に「めはり寿司せっと」なんて書いてあったから注文すると「ええっ」とまたもや生返事・その時、一人の女性が入ってきて、お店の人だと分かったのですが、「出来るかな~」と不安な言葉を発して店の奥に・・出てきたのが↓

              http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/7e/c9/wolfboy110jp/folder/978144/img_978144_37272941_16?2006-07-23

 おにぎりを青菜で包んだものが二個と炒り卵のようなものが皿にのっていました・・和歌山の名物なんだって・・お値段は350円・・安いお昼でしかも素朴・・シンプルイズベストですかね・・昔、瀬戸内の島の食堂で食べた「出前一丁」の即席ラーメン以来でしたね・・旅行のお昼で350円は・・(食べた後に聞いたけれど、普段の日は地元のおばちゃん連中がやっている店で雨でお客が来ないと思って何も用意していなかったんだって)

  旅館の夕食は、いっぺんに持ってこないから、その中のひとつだけアップしておきます・・↓


                    http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/7e/c9/wolfboy110jp/folder/978144/img_978144_37272941_14?2006-07-23

転載元: ケンの日々男の修行

[転載]雨のお昼

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雨の南紀白浜に行って来ました。お昼は飛び込みで入ったお店で熊野路丼頂きました!海鮮丼にとろろをかけて食べる丼美味しかったよ~明日は那智の滝観て帰ります!明日も雨・・

転載元: ケンの日々男の修行

[転載]祈りの旅

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旅立ちの日、朝から雨でどうなるかと思ったけど、和歌山の新宮は曇りでまずまずのお天気です・今日は熊野詣での初日、熊野速玉神社に行って来ました。熊野権現の本宮です。お昼は、名古屋から乗った南紀三号の車内で松阪牛弁当を食べて美味しく頂きましたが写真がいまひとつ美味しそうじゃなかったのでアップしませんでした・これから山のなかの川湯温泉に向かっています

転載元: ケンの日々男の修行

[転載]許せぬ捕鯨妨害活動

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日本政府は舐められるな!

捕鯨船に侵入、危険行為の活動家を引き渡しへ 


 南極海で調査捕鯨をしている日本の「第2勇新丸」に米環境保護団体シー・シェパードの男性活動家2人が侵入、船室に拘束された問題で、オーストラリアのスミス外相は16日、地元ラジオのインタビューで、日本側が2人の引き渡しに合意したことを明らかにした。

 2人は英国人(35)とオーストラリア人(28)。調査捕鯨を行っている日本鯨類研究所(東京、森本稔理事長)によると、2人は15日、同船のスクリューにロープを巻き付けたりデッキに薬品をまくなどの危険行為を行い、同船に違法に乗り込んだとされる。

 スミス外相は、オーストラリア外務貿易省や東京のオーストラリア大使館が日本政府に働き掛けた結果、日本側が引き渡しに応じたと説明した。

 一方、鯨類研究所の報道担当者はオーストラリアのスカイニューズ・テレビに対し、日本側は2人をすぐにでも引き渡したいのに、シー・シェパード側が連絡を絶っているため実現していないと説明。シー・シェパードが意図的に騒動を引き延ばしていると非難した。(共同)

テレビのこの妨害行為を見て腹が立った。
「海に叩き落してしまえ!」と叫んでしまった。
心の内は「射殺してしまえ!」と思った。
日本側はどうしてそんなに簡単に犯人を引き渡してしまうのか。
外務省は英国とオーストラリアに対して厳重に抗議し、相手国の謝罪とそれなりの落とし前をつけてもらうべきである。
このような優柔不断な日本政府の対応が外国に舐められるのだ。
今後、日本の調査捕鯨船には自衛官を乗せて邦人の安全を守るべきである。

よくグリーンピースとか称する偽善者の団体が捕鯨船やその他の行動に対して抗議行動を起こすが、いくら羽目をはずしても自分達は安全だという思いあがりのなかで破壊活動をしている。
この点がほんとうに許せないと思う。
生活のために漁をしている日本の漁船はロシアに拿捕されたり射殺されたりしているではないか。
グリンピースなどの団体の危険行為に対しては断固として実力阻止する、場合によっては射殺するくらい方針を出せないものなのか。
それでも命を賭して反対するというのなら、行為の善悪はともかくその意気だけ買ってやろう。
さもなくば、これらの妨害行為はヒロイズムどころか甘たれ小僧のイタズラに過ぎない。
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転載元: 反日勢力を斬る(2)

[転載]オーストラリアの反捕鯨論は自国における人種差別と動物虐待から内外の批判を逸らすためにする日本への責任転嫁である

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http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/e0/0b/kabu2kaiba/folder/1495550/img_1495550_51186279_0?20120808201409

【Racist Australia and Japanese whaling】

【白豪主義 オーストラリアと反捕鯨】


何もいいません。この動画を見てください。オーストラリアの反捕鯨の欺瞞が炸裂しています。それは、人種差別であり、最も残虐な動物虐待そのものでしょう。彼等は「多文化国家」を標榜する一方、その実、その社会を貫く「人種差別の心性」を覆い隠すために日本の捕鯨に責任転嫁しているだけではないかとさえ思えてきます。

実際、「オーストラリア人」がカンガルーやディンゴだけでなく、先住民のアボリニジを(余興のために)虐殺していたのが終焉したのはわずか半世紀前のこと。現在でも「先住民族保護政策」という美名の下に、子供や孫をその親や諸父母から強制的に引き離し、彼等アボリニジの文化をオーストラリア政府とその社会はズタズタに分断し続けている。

ならば、忘れもしない、シドニーオリンピックの開会式で演じられた、コケージアンの少女とアボリジニの男性との心の交流など、オーストラリアの現実から見て荒唐無稽な茶番劇とまでは断言できないかもしれませんが、少なくとも、その劇が強調しようとした「多文化国家オーストラリア」なる理念とは別に、いまだにこの地が人種差別と動物虐待が横行する大陸であることは間違いないと思います。グリーンピースやシーシェパードなどのテロリスト集団の反捕鯨の行動は、人種差別を助長し、彼等が選択した動物(=鯨)以外の動物の虐待から世界の目を逸らせる姑息で狡猾な行いであることも間違いないでしょう。

いずれにせよ、こんな国から「鯨を殺す日本人は野蛮である。恥を知れ」などと言われる筋合など全くない。而して、私は彼等に言いたい「日本が鯨を殺す行為は「捕鯨」であり、鯨からその肉や様々の部位をいただくためにその命をいただく、そんな罪深さを自覚した上でなされる行為である。しかるに、君たちが行なっているのは、単なる「殺戮」ではないのか」、と。オーストラリアが今後も理不尽な反捕鯨論を振りかざすのなら、日本はそのような不正義な国との国交断絶さえ遠慮する必要はない。私はそう考えます。






【海馬之玄関所収☆関連記事】


・オーストラリア政府が日本の調査捕鯨阻止に軍を派遣
 ☆これは最早、文化帝国主義ではなく<人種差別>である!
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/51036405.html


・海外報道紹介☆日本はなぜ捕鯨を継続しなければならないのか?
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-308.html

・菜食主義と反捕鯨論と戦後民主主義は優雅で傲慢な欺瞞である
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-310.html

・海外報道紹介☆捕鯨反対論は文化帝国主義である
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-311.html

・海外報道紹介☆文化帝国主義としての捕鯨反対論
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-312.html

・書評☆星川淳『日本人はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』
 http://kabu2kaiba.blog119.fc2.com/blog-entry-318.html

・グリーンピースの人権侵害救済申立書は
 「グリーンピース=テロリスト集団」の<自白証拠>
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転載元: 松尾光太郎 de 海馬之玄関BLOG


[転載]今度はグリーンピースが日本捕鯨船に妨害行為・環境保護団体は真っ赤な嘘で正体は「テロリスト」・日本政府はテロと戦え!・オーストラリアの国営放送、「日本人を研究のために殺していいですか?」

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今度はグリーンピース


また日本捕鯨船に妨害行為 今度はグリーンピース
1月22日17時20分配信 産経新聞

 水産庁に入った連絡によると、22日午前9時半ごろ、南極海で日本の調査捕鯨母船「日新丸」が補給船から給油を受けようとしたところ、オランダの反捕鯨団体「グリーンピース」が両船の間に大型ゴムボートを割り込ませる妨害行為を行った。
 日新丸はグリーンピースに対し、警告を行ったが、妨害を強行。ゴムボートが一時、補給船の緩衝用ブイのワイヤに絡まる危険な状態になった。ワイヤはまもなく補給船側の乗組員らがゴムボートから取り外し、両船ともけが人はなかった。この後、給油は継続された。
 グリーンピースは大型ゴムボートのほかに、妨害行為を撮影するため、メンバーが乗り込んだ別のボートの計2隻約8人で、日新丸と補給船に近づいてきたという。
 日本の調査捕鯨をめぐっては、反捕鯨を掲げるアメリカの環境保護団体「シーシェパード」が今月15日、「第2勇新丸」にワイヤをからませ、不法に乗船してきたメンバー2人を、日本側が一時拘束。18日には「第3勇新丸」に対し、酪酸の入ったビンを投げつける妨害行為を行った。
 日本の調査捕鯨に対する一連の妨害行為の様子は、日本鯨類研究所のホームページで動画で公開されている。
―――――





greenpeace terrorist or terrorism?

greenpeace terrorist or terrorism?
greenpeace say "Non Violence",
But is it "Violence"!



これが「環境保護団体」(緑豆)のすることだろうか?!


日本政府は、テロとの戦いで海上自衛隊をインド洋に送り込む前に、南極海に送り込んでテロリストたちを退治させる方が良いのではないか。

いくら何でも舐められ過ぎだろう。

こんなことを放置していたら、連中のテロ活動はエスカレートする一方だ。

テロを許すな!戦え!





オーストラリアの反日活動もどんどん悪化している。

俺は昔、観光でオーストラリアに行って、結構気に入っていたのだが、もう完全に見限った。

オーストラリアの国営放送、「日本人を研究のために殺していいですか?」











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           人;;;;;;;::::;:|        |:::::::::::::/::::::::/
          /γ  `:::::|       |::::::::::::/::::::::/
          / (  ヽ   :::|       |:::::::::/::::::::/   ふーん、なんだか
         {  }  }  ::|       |::::::::{::::::::/    生きてる価値なさそうだね、ぱぱ
          | /   }   ::|       .ヽ::::|:::::::/
          } {  /   ::|       .ヽノ ::::/
          } |  (    :λ         :::|
         ( ヽ、 )    ノヽ        ::::|
          ヽ,   ~    〈  ト、_  |    ::::::ヽ、
          (     ,' ノ  |   |~7  ::::::::::::::`ヽ、
           ヽ,、,、,γ' ノ, -‐W~フ {  ト、:::::::::::::::::::ヽ、
          ∠____ト-┘z__,―' ̄Σ Z  ̄ヽ―-、_ノ
                    '―z_,┴'~

転載元: 正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現

[転載]人種差別国家オージーを非難せよ!

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http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/4c/c1/xx_leon_xx77/folder/1489505/img_1489505_52931742_0?20120808202019


オーストラリアのバカげた反捕鯨運動に捧ぐ日本人有志が作成した豪州批判の力作ビデオ「白豪主義オーストラリアと反捕鯨 」ぐっじょぶ!我が同士!ヤッター!└( ̄(エ) ̄└)) ((┘ ̄(エ) ̄)┘ヤッター!



(注)オーストラリア人の残虐映像があります。心優しい、日本人は留意して視聴して下さい。



  豪デイリー・テレグラフ
           ↑
豪メディアでも紹介され、オージーは怒り狂ってる模様。(≧∇≦) YouTube動画のコメント欄で「日豪戦争勃発」ちう。

日本人なら鯨を食べよう!
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/4c/c1/xx_leon_xx77/folder/1489505/img_1489505_52931742_1?20120808202019
↑我が家の鯨ベーコン、美味しいぞっ!生姜醤油をチョコっとつけて。



オージーよ・・・人の食い物にゴチャゴチャ抜かすな!アホ!凸(▼ω▼怒)内政干渉ぢゃ!もうマッズイ、オージービーフは食わん!
            ってか、もうずっと食べてませんが


「鯨は知能が高い動物だから」食べちゃダメだというなら、
オーストラリア人を食うのは問題ないと思われた方は↓をクリックお願いします。
    (マズイに決まってるので、食いませんが)
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転載元: My favorite ~Osaka, Japan~

[転載]大阪湾における海底土の放射能測定調査結果 (エクセルデータ)

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イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

大阪湾における海底土の放射能測定調査結果 (エクセルデータ)
 
 

核種名

 
 
Ac-228
Am-241
Bi-212
Bi-214
Ce-144
Cs-137
Cs-Unit
K-40
Pb-212 Pb-214
Pu-239+240
 
 Sr-Unit
全ベータ
 
大阪湾における海底土の放射能測定調査結果
試料採取
開始日
試料採取
地点
核種名
放射能
濃度
放射能
濃度単位
1992/8/5大阪湾Ac-22844Bq/kg
1993/8/13大阪湾Ac-22840Bq/kg
1994/8/2大阪湾Ac-22843Bq/kg
1995/7/19大阪湾Ac-22849Bq/kg
1996/7/24大阪湾Ac-22841.9Bq/kg
1997/7/16大阪湾Ac-22840.4Bq/kg
1998/7/14大阪湾Ac-22853.4Bq/kg
1999/7/22大阪湾Ac-22848Bq/kg
2000/8/23大阪湾Ac-22843.1Bq/kg
2001/7/17大阪湾Ac-22849.8Bq/kg
2002/7/19大阪湾Ac-22848.7Bq/kg
2003/7/23大阪湾Ac-22849.1Bq/kg
2004/7/13大阪湾Ac-22844.2Bq/kg
2005/7/13大阪湾Ac-22837.5Bq/kg
2006/9/12大阪湾Ac-22837.4Bq/kg
2007/8/7大阪湾Ac-22849.8Bq/kg
2008/7/9大阪湾Ac-22843.2Bq/kg
2009/8/5大阪湾Ac-22842.1Bq/kg
2003/9/24兵庫県Am-2410.091Bq/kg
2004/6/29兵庫県Am-2410.071Bq/kg
2005/6/23兵庫県Am-2410.091Bq/kg
2006/6/12兵庫県Am-2410.064Bq/kg
2007/6/15兵庫県Am-2410.094Bq/kg
1992/8/5大阪湾Bi-21259Bq/kg
1993/8/13大阪湾Bi-21259Bq/kg
1994/8/2大阪湾Bi-21269.0 Bq/kg
1992/8/5大阪湾Bi-21423.0 Bq/kg
1993/8/13大阪湾Bi-21421.0 Bq/kg
1994/8/2大阪湾Bi-21419.0 Bq/kg
1995/7/19大阪湾Bi-21419.0 Bq/kg
1996/7/24大阪湾Bi-21425.0 Bq/kg
1997/7/16大阪湾Bi-21419.7 Bq/kg
1998/7/14大阪湾Bi-21422.8 Bq/kg
1999/7/22大阪湾Bi-21418.6 Bq/kg
2000/8/23大阪湾Bi-21424.5 Bq/kg
 
 
 
 中略
 
 
 
 

1975/3/14大阪湾全ベータ0.093 Bq/g
1975/3/14大阪湾全ベータ0.100 Bq/g
1975/7/17大阪湾全ベータ0.106 Bq/g
1976/8/26大阪湾全ベータ0.086 Bq/g
1977/8/12大阪湾全ベータ0.807 Bq/g
1977/8/12大阪湾全ベータ0.089 Bq/g
1978/8/25大阪湾全ベータ0.821 Bq/g
1978/8/25

 
 
 
 
 

 
 

 
 

転載元: 3.11 ATC放射性物質汚染対処シンポジウムは動画配信中

[転載]大阪港河口底質ダイオキシン類汚染データ大正内港・木津川運河・木津川・住吉川・三十間川

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大正内港平面
大正内港深度

木津川運河平面
木津川運河深度
木津川運河深度

木津川
住吉川
尻無川
三十間堀川

大阪港湾区域における底質ダイオキシン類浄化対策方針

平成18 年3 月
大阪市港湾局

1 はじめに

 大阪港湾区域においては、過去、有機汚泥やPCB 含有底質の問題が発生し、昭和49 年度以降、「大阪地域公害防止計画」基づき、生物の生息条件の向上ならびに大阪湾内の水質改善等を図るため、有機汚泥やPCB 含有底質の浚渫除去等を実施してきたところである。
 また、平成11 年7 月にはダイオキシン類対策特別措置法が公布され、平成14 年9 月からダイオキシン類による水底の底質の汚染に係る環境基準(150 ピコグラム-TEQ/g 以下)が適用されたことから、「第7 次大阪地域公害防止計画」(平成15 年2 月策定)にダイオキシン類に係る水質汚濁対策が位置付けられ、本市では、既存の環境調査等により底質ダイオキシン類の環境基準を超過した地点が存在する区域における底質の浄化対策を前提として、平成15 年度から17年度にかけて、正蓮寺川、大正内港(福町堀)、木津川運河及びその河口付近、木津川、旧住吉川、尻無川、三十間堀川の河川・港湾重複7 区域において汚染の状況等を精査してきたところである。

 このたび、本市では、環境面での「負の遺産」ともいうべき底質ダイオキシン類問題の解消により、市民に「安全で豊かな環境」をできる限り早期に提供し、さらに将来の市民にこれを継承できることを念頭に、底質ダイオキシン類の適切な浄化対策を推進するため、学識経験者で構成される「大阪市底質対策技術検討会」での検討・審議を踏まえて、新たに「大阪港湾区域における底質ダイオキシン類浄化対策方針」を策定したものである。

2 底質ダイオキシン類浄化対策

(1)基本的考え方
 浄化対策にあたっては、ダイオキシン類により汚染された底質の適正な処理、港湾機能の維持、港湾整備との整合および浄化対策に伴う周辺環境への影響防止を基本目標に据え、環境リスクの回避・低減にむけ、応急または恒久対策を検討し、経済的かつ確実な効果が発揮できる工法等を選択する。
 また、浄化対策については、大阪湾ベイエリア内での循環・完結を目指し、大阪湾再生に寄与すべく遂行するとともに、コンプライアンスの徹底を図る。
 なお、対策全般については、「港湾における底質ダイオキシン類対策技術指針」(国土交通省港湾局:平成15 年12 月改訂)、「河川、湖沼等における底質ダイオキシン類対策マニュアル(案)」(国土交通省河川局:平成17 年3 月改訂)および「河川・港湾工事に係る環境対策マニュアル(案)」(大阪府・市「河川及び港湾の底質ダイオキシン類対策検討委員会」:平成16 年2月)に準拠して実施する。
(2)浄化対策期間
 可能な限り戦略的に遂行することとし、可及的速やかに浄化対策を完了させる。
(3)浄化対策のプライオリティ
 平成15 年度から17 年度にかけて実施した調査における底質ダイオキシン類の濃度ランク、処分場の確保、無害化処理技術の動向ならびに港湾機能の維持のための浚渫計画等を勘案し、次のとおり浄化対策のプライオリティを設定する。

【優先度1】
 大正内港(福町堀)、木津川運河及びその河口付近、旧住吉川
【優先度2】
 木津川、尻無川
【優先度3】
 正蓮寺川、三十間堀川

(4)各区域での浄化対策工法等
 各区域での浄化対策工法について、河川幅・水深等の地域特性などを考慮して検討した結果、原位置においては浚渫を基本とし、護岸の安定上、浚渫不可能な箇所にあっては覆砂等の原位置対策を実施する。
 また、浚渫除去した底質については、濃度ランクにより区分し、150 超~※11000 ピコグラム-TEQ/g 以下のものについては夢洲での処分(埋立用材として利用)、1000 超~3000 ピコグラム-TEQ/g 以下のものについては脱水処理等を行ったのち近傍の管理型処分場で処分、また、3000 ピコグラム-TEQ/g 超のものについては溶融処理等の※2無害化動向を見極めながら民間処分も視野に入れて適切に対処する。
※ 1 土壌に係るダイオキシン類の環境基準値(1000 ピコグラム-TEQ/g 以下)
※ 2 無害化とは分解等によりダイオキシン類の含有量を相当程度低減することをいう

3 底質ダイオキシン類対策に係る環境対策

 各区域での底質浚渫工事の実施にあたっては、周辺水域への濁りの拡散(ダイオキシン類による二次汚染)を防止・低減するため、原則として汚濁防止枠等による汚濁防止対策を講じる。
 また、「河川・港湾工事に係る環境対策マニュアル(案)」等に基づき、周辺水域への影響防止に万全を期し、工事施工へのフィードバックなどを行うため、工事周辺水域等において、ダイオキシン類をはじめとする事前の水質調査や日常的な水質環境監視を実施する。
 なお、水質環境監視結果については、港湾局ホームページに登載するなど、広く情報公開に努める。

転載元: 日本の海が安全で美しくあれ(尖閣・竹島・対馬・水俣・徳山・福島)

[転載]これが1000記事目 小説邪馬台国は誰の国家か?

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1世紀頃、はるか中国華南長江から九州北岸にたどりついた越人は、「倭人」と中国人が呼んだ集団を形成し、対馬から玄界灘沿岸、有明海から鹿児島湾までに渡る国家を形成していた。

三世紀、今度は華北から押し出された集団が逃げ込み、これが倭人を押し込んだ。
ピストンのように押された倭人は、有明海沿岸筑後方面へ南下し鹿児島から太平洋へ出て日向沿岸を陸伝いに豊後水道へ、そこから瀬戸内に入って大阪湾方面へ退避する(神武東征コース)。

華北集団は一時的に北部九州を占拠するが、やがて決然と瀬戸内へ侵入。先の倭人集団を瀬戸内から追いかけ、数年かけて吉備から大阪湾へたどりつく(倭五王・応神・神功皇后コース)。

住之江沿岸にいた倭人は、やむなく大和盆地へ逃げ込んだ。
こうして五世紀までに河内は華北人によって占拠された。
倭人は対抗して旧勢力と連合国家を築いたが、とうとう華北人たちは生駒山地を越えて大和に侵入。
両者勢力拮抗し、やむなく大同合体。ここに南北中国人による同舟国家が始まった・・・。

近畿と筑前の中国系イントネーションがこうして形成される。
筑後は華南イントネーションと発音になった。遠賀川の東から豊後までだけに縄文イントネーション(ノーアクセント)が残った。

関西と博多には小麦粉文化が定着した。

「しかし、かなんなあ」
は、手練手管でなかなか意見が合わない華南倭人に対する華北人のあきらめを表現することとなった。
あっはっは。

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