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元寇の対馬侵攻   毎年11月に行われる小茂田浜神社大祭には、宗氏と家臣の子孫たちが甲冑に身を固めて参加し、海に向かって弓を鳴らす鳴弦の儀式が行われます

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対馬侵攻
 
鎌倉時代の日本は、2度にわたるモンゴル帝国)とその属国高麗による侵略(元寇)を受けた。対馬はその最初の攻撃目標となり、史上最大の受難を迎えることとなった。
 1274年(文永11年)、蒙古兵25,000人、高麗兵8,000人および水夫等6,700人は、高麗が建造した艦船900隻に分乗し、10月5日佐須浦に殺到した。
 この大軍に対し宗助国は一族郎党80余騎を率い果敢に迎撃したが、圧倒的な兵力差により勇戦及ばず全員玉砕した。『日蓮聖人註画讃』によると、上陸した蒙古・高麗軍は、男を殺戮あるいは捕らえ、女は一ヶ所に集め、手に穴を開け、紐で連結し、船に結わえつけたという。これが文永の役である。
 
 
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対馬守護代宗資国[87]は80余騎で応戦するが戦死し[18]、元軍は対馬全土を制圧して島人を多く殺害したという[88]
同日、対馬守護代・宗資国は蒙古勢の襲来を伝達するため、対馬佐須浦から小太郎・兵衛次郎を博多へ出航させた。
この時の対馬の状況について、現在伝世されている日蓮の書簡のうち、建治元年五月八日付のいわゆる「一谷入道御書」に、日蓮が接した当時の伝聞を伝えている[89]
 
(前略)去文永十一年(太歳甲戊)十月ニ、蒙古国ヨリ筑紫ニ寄セテ有シニ、対馬ノ者カタメテ有シ、総馬尉(そうまじょう)等逃ケレハ、百姓等ハ男ヲハ或八殺シ、或ハ生取(いけどり)ニシ、女ヲハ或ハ取集(とりあつめ)テ、手ヲトヲシテ船ニ結付(むすびつけ)或ハ生取ニス、一人モ助カル者ナシ、壱岐ニヨセテモ又如是(またかくのごとし):「一谷入道御書」
 
 この「一谷入道御書」は日蓮が佐渡配流中に世話になっていた一谷入道の女房に宛てて文永の役の翌々年に書かれたもので、その後段部分に文永の役における対馬の被害について触れたものである。これによると蒙古軍は上陸後、宗資国(総馬尉)以下の守護勢を破って、島内の民衆を殺戮、あるいは生捕りにしたりしたうえ、さらには捕虜としたこれらの住民の「手ヲトヲシテ」つまり手の平に穴を穿ち、紐か縄などによってか不明だがこれを貫き通して船壁に並べ立てた、という話しを伝えている。ただし、後段にもあるように、日蓮のこの書簡にのみ現れ、「手ヲトヲシテ」云々が実際に行われたことかどうかは詳らかではない。
 
 
 この時代、戦争捕虜は概して各種の労働力として期待されていたため、モンゴル軍による戦闘があった地域では現地の住民を捕虜とし獲得し、奴婢身分となったこれらの捕虜は、戦利品として遠征軍に参加した将兵の私有財として獲得したり、戦果としてモンゴル王侯や将兵のあいだで下賜や贈答、献上したりされていた[90]
 高麗軍の主将・金方慶は文永の役から帰還後、捕虜とした子供男女200人を高麗国王・忠烈王と妃のクビライ公主クトゥルクケルミシュに献上した、という記録が高麗側に残っている[91]
 この時の戦闘では日蓮書簡以外でも対馬や壱岐等の住民の一部が捕囚され連行されたことが日本側の資料でも伝えられており、金方慶が高麗国王・王妃に献上したこれらの捕虜もその一部と考えられる。
 
 
 
 
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 <文永の役>文永11年(1274)10月

  10月3日午後4時ごろ、元軍「蒙古(モンゴル)人・女真人・中国人など2万人に、高麗軍8千人、舵とり・水手6千 7百人を加えて総勢約3万5千人」を乗せた船が朝鮮の月浦(現在の馬山)を出発した。船は大船三百艘、快速船三百艘、小舟3百艘、合計9百艘。10月5日の午後4時ごろ、対馬の西海岸の小茂田の海岸にあらわれた。
 守護少弐氏の代官である宗資国は80余騎でかけつけ、翌早朝、通訳をとおして来意を問うが、敵軍は船上から矢を放ち、7、8艘から千人ばかりが対馬に上陸した。資国らは、たちまち、討ち死。小茂田の家屋は焼き払われ、焦土と化した。
 この激戦の中を、小太郎と兵衛次郎が抜け出して博多に渡り、元軍の対馬襲撃を報告している。
 
 
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元の属国である高麗の兵士は、文永の役で対馬に上陸すると、島の男たちを虐殺した。そして、子供と女たちは掌に穴を開けられ、そこに革紐や縄を通されて連行された。この連行方法は、朝鮮に古くからあった朝鮮人特有のものである。
連行された多くの女は、船の上で立ったまま高麗の兵に犯された。死んだ者は船から海に投げ捨てられた。
島の子供200人は元の将軍に捕らえられ、奴隷として高麗の王に引き渡された。

対馬の島民は、高麗軍の兵士に強姦、虐殺され、一部は奴隷にされたのである。日本人は、そのことを忘れてはならない。
 
 
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小茂田浜神社 ~元寇の古戦場~
 1274年の文永の役では、元寇軍3万3000(蒙古2万5000・高麗8000)のうち約千騎が小茂田浜(こもだはま)に上陸、それを迎え撃った資国以下80余騎が激戦の果てに全滅しました。68歳であった資国はのちに軍神として祀られ、毎年11月に行われる小茂田浜神社大祭には、宗氏と家臣の子孫たちが甲冑に身を固めて参加し、海に向かって弓を鳴らす鳴弦の儀式が行われます。
 
 
 
 
 文永11年(1274)、弘安4年(1281)の二度にわたる元軍による日本侵攻、いわゆる元寇は良く知られています。

この時も国境の島の対馬は、最初に元軍の蹂躙を受けました。元軍は島内各地に上陸したのですが、中でも

島内防衛の主力で島主の宗助国が散った小茂田浜での戦闘が良く知られています。宗助国は手勢わずか80

余騎で上陸した3,000余の元軍相手に奮戦、壮烈な死を遂げたとされます。戦死した宗助国は、お首塚、お胴

塚とに分かれて別々のところに祀られているなど、今に当時の激戦のなごりを伝えています。

元寇古戦場の小茂田浜 
 
なお、このとき島民は元軍の蹂躙を逃れて山野に隠れ潜みましたが、我が子があげる泣き声で捜索する元軍に気づかれるのを恐れ、その子を殺める悲劇が言い伝えられています。
「我が子は可愛い、けれどそれにもまして我が身が可愛い」
…元寇を記録した方が慨嘆とともにその著の余白に書き込んだ一文です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

漂着ごみ、市民自主回収したのに行政引き取らず 長崎

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「このごみの行き場がなくて困っています」と話す長瀬勉さん。ストックヤードには漂着ごみが詰まった袋の山が築かれていた=長崎県対馬市厳原町
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長崎・対馬で、地元のNPOが海岸で集めた漂着ごみ約1200トンが行き場を失っている。産業廃棄物に該当すれば県が担当し、一般廃棄物ならば市が処分するが、県は「市民が自主回収した漂着ごみは一般廃棄物に当たる」との立場で、環境省も2009年に同様の見解を示した。だが市は「財政が厳しく、処理能力もない」と依然、引き取れずにいる。
 ハングルが書かれたガス缶、韓国でのりの消毒に使われる強酸性溶液のプラスチック容器、漁網……。対馬市厳原町阿連の海岸には、大小様々なごみが途切れることなく散乱していた。注射器や冷蔵庫、洗濯機もある。
 「この浜に散らばっているだけで、1トン入りごみ袋で400袋分はあります」。NPO法人「対馬の底力」代表の長瀬勉さん(38)は話す。
 長瀬さんによると、漂着ごみは10年ほど前から目立ち始めた。07年にNPOを立ち上げ、これまで約20回、海岸清掃ボランティアを続けた。県や市にごみの引き取りを求めてきたが、どちらにも断られたという。
 ごみは現在、長瀬さんが県の助言を受け、私費を投じて対馬市厳原町小浦に造った約4300平方メートルのストックヤードに保管中。1立方メートルのごみ袋が高さ3メートルほどに積み重なっている。「生まれ育った島の海をきれいにしたいだけなのに、なぜこんなに悩まされるのか」と長瀬さん。
 海岸漂着ごみの収集や処分については、昨年7月に都道府県が計画をつくり、国が財政支援をすると定めた「海岸漂着物処理推進法」が施行されたが、それ以前は処分方法などの規定がなかった。
 県廃棄物対策課は「漂着ごみは廃棄物処理法に規定されている産廃に当たらず、一般廃棄物と考えた。市には、NPOのごみを引き取るよう助言した」と説明。環境省も09年末に「漂着ごみは自治体が事業として業者やNPOに委託して回収したうち、廃棄物処理法で規定するプラスチック類など20種類に該当すれば産廃に、市民がボランティアで拾えば一般廃棄物になる」との見解を示した。
 対馬市環境衛生課は「漂着ごみを市のごみ焼却場で処分すれば、塩害などで施設が使えなくなる可能性がある」という。08年度に市が国や県の補助を受けて主催した海岸清掃事業では、集めたごみを引き取ったが、北九州市の業者に処理を委託したため、運搬費もかさみ、費用は市内で処理した場合の数十倍になった。「NPOのごみを引き受けても、市単独では負担しきれない」という。

[転載]文永の役・蒙古に依る對馬來寇

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 本日十一月十四日は、舊暦では十月五日に當る。日本人なら決して忘れてはいけない、蒙古に依る對馬來寇の日である。

 『十月五日、蒙古が寄せ來て、對馬嶋に着く。同二十四日、大宰少弐入道覺惠代藤馬允、大宰府に於て合戰し、異賊敗北』 (『鎌倉年代記裏書』)


 文永十一年(元の至元11年、西暦1274年)十月、忻都、金方慶らに率ゐられ、蒙古人・漢人・女真人・高麗人など非戰闘員を含めると約三萬人を乘せた船が、朝鮮・月浦(現:馬山)を進發した。

 十月五日(舊暦)に先づ、對馬を襲撃した。對馬の守護代・宗助國は、一族八十餘騎を率ゐて奮戰するも、遂に及ばず戰死する、其の直前、家臣の小太郎及び兵衛次郎に命じて急を太宰府に報告せしめた。
 二人は、玄海の荒波を乘り切り博多に上陸し、其の使命を果したが、元軍は壹岐を占領し、更に鷹島を襲い、博多灣に侵入した。小太郎も博多防衛に加はつた。
 弘安四年(1281)元軍が再び来襲。鷹島襲撃の報せに、小弐景資の配下として奮戰中重傷を負ひ、自刃。遺言に「我が屍を埋めるに對馬を望むべき丘陵に於いてせよ」と残した。對馬小太郎の墓は、鷹島里免郷、清水川の南方丘上に在る。

 更に元軍は、同十月十四日には壹岐を襲撃し、次いで平戸・鷹島の松浦黨の本據を全滅せしめ、壹岐守護代・平景隆を自害に追ひ込んだ。

 鷹島東濱に上陸した元軍は、日本軍が博多灣に重點を置き、鷹島を手薄にしてゐたことから、島民の殆ど全てを虐殺した。船唐津免の開田と謂ふ處の一軒家は、人目に付き難い山中に在つたが、飼つてゐた鶏が鳴いたため、「鶏が居るのなら人も住んでゐる筈」と元軍は山中を捜索し、一軒家を發見。八人家族のうち七人が殺され、灰だめに隠れてゐた老婆一人のみが助かつたと云ふ。以來、開田では鶏を飼わぬと傳へられる。(其處に築かれた塚は「開田の悲墳塚」とも謂ふ)

 また、『新元史』に依ると、此の時民衆を殺戮し、生き殘つた者の手の平には穴を開け、其處に革紐を通して船壁に吊し、見せしめにしたと傳へられる。又、元の將軍が、此時に捕虜とした子供男女二百人を、高麗王と王妃に献上したと云ふ記録が高麗側に殘つてゐる。

転載元: 久左衞門の居館

[転載]まったけ日記354―中国の『不都合な真実』―

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http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/6f/ed/f4_ttm/folder/1552130/img_1552130_37485716_0?20090125091200

兵馬俑に抗議のマスク

英国人男性「中国、環境対策を」

 ロンドンの大英博物館で展示中の古代中国・秦時代の兵馬俑(へいばよう)2体に14日、環境活動家を名乗るマーティン・ワイネス氏(49)が「中国は地球温暖化の対策を取っていない」と抗議してマスクをかぶせた、ワイネス氏提供。警備員に取り押さえられ、博物館から「一生出入り禁止」を言い渡された。兵馬俑は無傷だった。
 ワイネス氏は長女(14)と博物館を訪れ、さくを乗り越えて「中国は世界最大の二酸化炭素排出国」などと書いたマスクを兵馬俑に取り付けた。朝日新聞の取材に、「兵馬俑を傷つけるつもりはない。娘2人の未来を考え、地球温暖化対策を取るよう圧力をかけたかった」と語った。【『朝日新聞』,2007年10月17日】】

中国の『不都合な真実』

 現在、中国が世界で最も経済拡大を続けている国の一つであり、来る2008年に開催される「北京オリンピック」によって拍車がかかっていることは御承知であると思う。また、その経済成長で深刻な環境破壊が起きており、周辺諸国のみならず地球上に影響を与えていることも知られている。

その(1)廃棄物処理市場

 最近、金属類の盗難が相次いでいるが、これは『金属くず』のマーケットが「廃棄物』から「有価物」へと変化したことが理由であることは、まったけ日記236で説明したとおりである。この変化には中国の建築ラッシュが大きく影響している。
 この変化は『金属くず』だけではない。『紙くず』のマーケットも変化して『金属くず』と同様に「廃棄物」から「有価物」へと変化した。朝日新聞(2007年9月29日)によると中国の紙の需要が拡大して『紙くず』が古紙として輸出量が急増していることを理由にあげている。
 しかし、『金属くず』、『紙くず』ともに「有価物」に転じて価格が高騰することはリサイクルされることになり、むしろ好都合である。(参照:まったけ日記143

その(2)森林破壊

 中国の消費生活が豊かになったことが思わぬところで森林破壊に繋がっている。
 年々、中国で墓が豪華になっていく傾向にあり、中国の風習では「土葬」であり、墓地を求めて森林が伐採されているという深刻な環境破壊である。まったけ日記278で紹介したことがあるが、豊かさがもたらした『不都合な真実』である。

その(3)黄砂

 今春の関西では、今までに見たことのない異常な量の黄砂が飛んできた。たまたま、自動車に乗っていたので、始めはフロント・ガラスが曇っているのかと思ったが、空がオレンジ色をしていたことが印象に残った。真実は、夕方の関西ローカル・ニュースの天気予報で知ることになった。
 まったけ日記203で既に紹介しているが、この黄砂の大量発生の原因は生活や工業、農業の用途として過度の取水で黄河の水の流量が激減しており、干上がった河川の砂が飛ばされたことによる。

その(4)大気汚染

 最も『不都合な真実』は大気汚染である。テレビ等で中国の映像を見ると光化学スモッグを確認できる。
 中国国家環境保護総局や世界銀行等の公表したデータをもとに、

中国では年間に400千人から750千人ほどの人々が大気汚染を原因として死亡

 しているとフィナンシャル・タイムズ等の各国メディアが報じている。

残された年は「僅か8年!』

 僕が環境問題に関心を持つようになったのは環境庁官僚出身の佛教大学教授が試算したデータである。中国国民の平均個人消費量が米国並になると地球は僅か8年で限界を迎えるというものである。
 僕が環境問題の仕事をしていたとき、中国の技術吏員が研修に来ていた。僕は環境技師ではないので、彼らが学んだ技術の詳細は解らない。しかし、世界が彼らの活躍を待っているのは間違いない。
お時間がありましたら…。
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転載元: まったけ館長の『京都亀岡発―甦らせよう藍と蒼い地球―』

[転載]まったけ日記292―韓国の大学生が日本海岸清掃―

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http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/6f/ed/f4_ttm/folder/1552131/img_1552131_34052659_1?20121020201514

日本海岸の漂流・漂着ゴミ

 僕は、京都府の日本海岸のうちの丹後半島漂流・漂着ゴミの清掃に関わったことがある。
 一つは、日中にボランティアとして丹後半島の鳴き砂で知られる琴引浜で漂着ゴミの清掃をしてもらい、その拾ったゴミと交換してコンサートのチケットが貰えるというイベントである。杉山貴貴や憂歌団の内田勘太郎、白井貴子、大島保克、ブレッド&バターそしてかまやつひろしといった錚々たるアーティストの方々が趣旨に賛同してくださって参加していただいた。
 いま一つは、ナホトカ号重油流出事故で漂着した重油回収に参加したことである。この作業中に日本海対岸諸国からのポイ捨てによるもと思われる多数の漂着ゴミが見受けられた。そこで、日本海対岸諸国からの漂着ゴミの調査をすることになり、たまたまロシア語と韓国語の学習経験があるということで参加した。調査の結果、海外からの漂着ゴミの殆どが韓国からの漂着ゴミであった。
 日本海岸では年間で約00tもの漂着ゴミがあり、うち20%が韓国からのものと言われている。韓国からの漂着ゴミが多い理由は、夏は対馬海流、冬は偏西風の影響と言われている。が、その処理は地元市町村で行われている。
 実は、韓国の西海(黄海)岸等では同じく対馬海流や偏西風の影響で中国からの漂着ゴミに悩まされているが、韓国の漂流ゴミが日本の東海(日本海)岸に漂着していることは韓国内では殆ど知られていない。同じく、日本国内でポイ捨てされた漂流ゴミがハワイやアメリカ西海岸で漂着していることも日本国内では知られていない。
 去る6月24日から28日にかけて、南ソウル大学校の学生が自転車で移動しながら、京都府宮津市の天橋立から鳥取砂丘まで日本海岸の清掃を行った。

立ち上がった韓国の大学生

韓国の学生が海岸を清掃~歴史や生態系も学ぶ

 自転車で天橋立(京都府宮津市)-鳥取砂丘(鳥取県)を移動し、海岸での清掃を計画している韓国の大学生約15人が24日、雨が降りしきる天橋立で活動を始めた。
 昨年に続き2回目。同行している南ソウル大日本語科の安秉杰(あんぴょんこる)副教授が「ハングル表記のあるごみが日本などに多数流れている」と知って学生に呼びかけ、鳥取大と連携して実現した。事前に府丹後土木事務所のセミナーで、天橋立の歴史や生態系なども学んだ。
 学生らは地元住民、関係者約10人と一緒に午前6時から天橋立北側から文殊に向かって清掃。ペットボトルやトレーなど約10袋分を集めた。安副教授は「環境問題は人類共通のもの。今後も定期的に行いたい」と話していた。一行は28日に鳥取砂丘到着の予定。京丹後市網野町の浜詰海岸を含む3、4カ所で清掃する。
 なお、宮津市の丹後由良海水浴場や近くのKTR(北近畿タンゴ鉄道)丹後由良駅周辺でも地域住民ら約300人が生活ごみや漂着物などを取り除き、海水浴シーズンに備えた。【京都新聞電子版,2007年6月24日(日)】
参考サイト
日本海新聞
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転載元: まったけ館長の『京都亀岡発―甦らせよう藍と蒼い地球―』

リトアニア、原発に逆風 14日に総選挙 日立製を推進の与党下野か

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リトアニア、原発に逆風 14日に総選挙 日立製を推進の与党下野か

2012.10.13 23:33 (1/2ページ)選挙
 【モスクワ=佐々木正明】東京電力福島第1原発の事故後、初めて日本のメーカーが関わる原発建設の是非を問う国民投票が14日、バルト三国のリトアニアで行われる。リトアニアは電力の6割以上をロシアの天然ガスに頼っており、現政権はロシアへの依存状態から脱却するため、原発新設の必要性を訴えている。国民投票の結果に拘束力はないが、同日行われる議会選挙では原発新設に慎重な野党が躍進する見通しで、計画に一定の影響を与える可能性がある。
 建設予定地は北東部ビサギナス。リトアニアでは旧ソ連時代、1986年に事故を起こしたチェルノブイリ原発と同型の原発が稼働していたが、2004年の欧州連合(EU)加盟と同時に閉鎖が決まった。
 
 しかし原発による「自国での電力確保」を目指す政府は今年3月、日立製作所と改良型沸騰水型軽水炉(ABWR)の契約を結び、6月には議会の承認を得た。
 だが、与党第一党の「祖国同盟・キリスト教民主党」所属のクビリウス首相率いる連立内閣は08年のリーマン・ショック後の緊縮財政で国民の支持を減らしており、議会選をめぐる直近の世論調査で同党は野党・社会民主党に大きく引き離されている。
 原発建設をめぐる世論調査でも費用対効果や安全性から反対派が多数を占めるとの結果が出ている。
 一方、ロシアはリトアニアと隣接するロシア・カリーニングラード州とベラルーシで原発建設を進めている。クビリウス首相は、「これらの原発は国際的な安全基準を満たしていない。ロシアとベラルーシは欧州基準のストレステストも実施していない」と反発。リトニアの治安当局は、ロシアなどを念頭に「外国勢力の資金援助」で反原発キャンペーンが行われていると主張している。

関連ニュース

 
 
十四日のリトアニア議会選で得票率第一党となった野党、労働党のウスパスキフ党首は十六日付のロシア紙イズベスチヤとのインタビューで、議会選と同時に行われた国民投票で反対が約63%に達したビサギナス原発の建設計画を現時点では中止しない考えを示した。
 労働党は次期組閣の中心となる見通し。日立製作所が事実上受注した同原発計画は当面、推進される可能性が高まった。
 原発計画についてはグリバウスカイテ大統領も十五日、推進するよう促している。日本政府や日立の関係者は新政府に対し二〇二一年ごろ稼働予定の原発計画を予定通り進めるよう、ロビー活動などを強化する構えだ。
 党首は「国民投票は国民の助言であって、命令ではない」と指摘。原発建設についての具体的情報がもっと明らかになれば「新原発が国にとって経済的にどれほどプラスになるかが分かるはずだ」と述べた。その上で、全ての情報を公開した後に、あらためて国民投票を実施し、建設の是非を最終的に決めるべきだとの考えを示した。労働党は過去に与党だった際、新原発計画を推進してきた経緯がある。
 リトアニアは〇九年に旧ソ連型原発を閉鎖し、隣国ロシアへのエネルギー依存が急増。クビリウス首相の与党側はビサギナス原発の建設計画を進めてきたが議会選で低迷、政権が交代する見込み。

八幡神社は焼き畑を伝えた民ではないか?教えてください

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八幡神社は焼き畑を伝えた民ではないか?教えてください
 
 
 
【八幡神、八幡大菩薩】/八幡神社、八幡宮、若宮神社

2.応神(八幡系)
25,000社
分布は
兵庫450、
岐阜445、
愛知400、
新潟390、
静岡364、
石川334、
福井327、
富山305、
岡山296、
千葉276、
広島266、
徳島257、
福岡245、
福島238、
滋賀193・・・

特別な例外を除き、ほぼ全国に勧請されている。

※平安中期以降、荘園制が発達し、石清水八幡宮・東大寺領などで盛んに勧請された。中世には武士が台頭し、清和源氏・その御家人などが各地に勧請した。農村においても災害・厄病守護として多く勧請された。

明治維新前の八幡社の実態は、八幡宮をいわば本堂とし、八幡神(八幡大菩薩)を本尊とする寺院であった。
寺院である故に当然八幡社の経営は僧侶が 行い、護摩が焚かれ、神前では読経が行われ、多くの祭礼も仏式であった。

そして大規模な八幡社に於いては、八幡宮の周囲に本地堂(薬師堂)、護摩堂、鐘楼、経蔵などの多くの仏堂及び仏塔が造営され、多くの社僧は奉仕するため、多くの坊舎が営まれた。
要するに大規模な八幡社は一山多院制を とる寺院というのが実態
 
 
 
 
日本における焼畑農業
 日本列島においては縄文時代中期・後晩期段階での粗放的な縄文農耕が存在したと考えられており、遺跡からは蕎麦、麦、緑豆などの栽培種が発見され、かつては縄文後期に雑穀・根菜型の照葉樹林文化が渡来したという研究者もいる[9]が、近年の成果から縄文前期に遡ると指摘する研究者もいる。
 
 焼畑は縄文農耕以来の粗放的農業を引き継ぐ形態の農法であったと考えられており、古代の段階では畿内周辺においても行われている。焼畑は生産量も少なく非課税であったため、課税対象である米の生産を行うためにしばしば禁止令が出されている。
 中世近世においても焼畑は山間部を中心に行われ、近世においては江戸時代中後期の徴税強化や山火事等の保安上の理由、山林資源への影響から禁止・制限が行われた。
 日本ではヒエアワソバダイズアズキを中心にムギサトイモダイコンなども加えた雑穀栽培型の焼畑農業が一般的で、中部地方信濃国甲斐国関東地方上野国の山間部で盛んであるほか、西国四国山間部(宮崎県の椎葉地域や、熊本県の五木地域が有名である)でも行われている。耕作期間は3- 5年で、その後、15- 20年間放置し、地力を回復させる。
 また、東北地方では火野(かの)カブと呼ばれる焼畑によるカブの栽培が行われており、山形県鶴岡市温海かぶでは、林業における伐採と植栽のサイクルに沿った持続可能性を有する栽培方法が江戸時代から続けられている。

[転載]前進せよ、日本。―日立がリトアニア原発を海外初受注

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 何度も繰り返す通り、私は福島原発事故を経て尚原発推進論者であり、「脱原発なぞ愚挙にして暴挙」と再三繰り返している(*1)。
 
 そんな私にとって「日立がリトアニアの原発を受注した」と言うニュースは、朗報である。それも二重の意味で。
 
 先ずはその朗報、篤とごろうじよ。
 

<注釈>

(*1) その理由は、本ブログの数多の記事にもなっている。 
 
転載開始========================================= 

日立、原発を海外初受注 リトアニア議会が承認  

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120622/biz12062207020006-n1.htm
2012.6.22 07:01
 バルト三国の一角、リトアニアの議会は21日、同国が計画しているビサギナス原発の建設事業権について、日立製作所と契約することを賛成多数で承認した。同原発に出資する周辺関係国のラトビア、エストニアからの合意を得た後、正式に契約する。日立として初の海外受注案件となり、福島第1原発の事故後では初の日本メーカーの原発輸出となる。
 日立はリトアニアに対し130万キロワット級の改良型沸騰水型軽水炉(ABWR)を提案、入札を経て昨年12月に仮合意を結んだ。今年3月には、リトアニアが計画しているビサギナス原発の建設事業権に関する契約を結ぶことで同国政府と合意していた。
 今回のリトアニア国会での承認を受け、新設する原発の建設などに必要な事業権が日立に付与される。事業規模は4千億円程度。建設するビサギナスは同国北東部に位置する。2021年の運転開始を目指す。
 リトアニアは、大事故を起こした旧ソ連チェルノブイリ原発と同型だったイグナリナ原発を09年末に閉鎖していた。
 国内原発メーカーは、福島原発の事故後も、新興国を中心に受注活動を強化している。日立は、リトアニアに続き、フィンランドでも受注を狙うほか、東芝はブラジルでの受注活動に加え、子会社の米原子力大手ウェスチングハウス(WH)が米国で4基を受注している。三菱重工業もヨルダンで初の海外受注を狙っている。
【用語解説】リトアニアの新原発計画
 リトアニアはソ連時代にイグナリナ原発が稼働し、独立後も国内電力の7割以上をまかなっていたが、欧州連合(EU)の要求を受け2009年末に完全閉鎖。代替措置として、同原発の隣接地に新たにビサギナス原発を建設する計画を進めていた。(共同)
=================================転載完了

二重の朗報

 さて、如何であろうか。
 
 章題にもしたし、先述もしたが、このニュースは二重の意味で朗報である。
 
 一つには、報じられている通りリトアニアが老朽化し稼動停止したロシア製原発(*1)の代替原発建設計画を今尚推進中であること。世上では福島原発事故のあと「脱原発」を宣言したドイツ(*2)や、「脱原発方針を転換しようとしたがやっぱり転換しない事にした」イタリアばかりが持て囃されるが、先行記事にもしている通り、34年ぶりに新規原発建築を決定したアメリカ(*3)、原発で脱ロシア産エネルギー(天然ガス)を目指すチェコ(*4)、今後ドンドン原発を建設しようと言う大陸や半島が示すとおり、喩え「日本の世論の7割が脱原発!」であろうとも、世界的には「脱原発」を標榜するのは先述のドイツ、イタリアぐらい。「今ある原発を無くそう」と言う酔狂なのはドイツぐらいだ(*5)、と私は認識している。その認識を、リトアニアの代替原発建設は裏書してくれた。だから、朗報だ。
 
 もう一つには、そのリトアニアの代替原発建設会社として、我が日本の日立が選定されたこと。これ即ち福島原発事故後も我が国の原子力技術が相応の信頼を得ている、と言う事であり、巷間かますびしい原発安全神話の崩壊」も、我が国の原子力技術に対する信頼を崩壊させては居ない証左である。だから、朗報だ。
 
 こう書くというと東京新聞あたりなら「安全神話を復活させるのか」とか「時計の針を戻すな」とか訳のわからない抗議が来そうだが、私に言わせれば「安全神話」なんて「崩壊する」のが当たり前だ。「神話」なのだから。
 これまた何度か書いているところだが、「絶対安全」なんて物は、無い。「より安全」の積み重ねがあるだけだ。「絶対安全」なんて言う奴は、嘘吐きと疑ってかかるべきだし、そんな「絶対安全」を信じた時点で「安全神話」は成立する。「安全神話」は神話として成立するが、当然ながら「絶対安全」ではないので何かの拍子で「絶対安全ではない」事が露見する。M9.0の大地震と大津波、それに伴う全電源喪失と管直人の頓珍漢な「陣頭指揮」が加われば、「何かの拍子」には十分だろう。

 我が国には新幹線と言う、最初の高速鉄道にして究極の高速鉄道、開業以来40年以上にわたり乗客に唯の一人も事故死者を出して居ない、常勝不敗の「安全神話」が現存してしまうものだから(*6)、「絶対安全」が軽々しく信じられ、「電力会社も国も、原発は絶対安全といったじゃないか!」などと公言できてしまうのだが、私に言わせれば、殆どの高速鉄道は新幹線ではない(*7)し、物事に「新幹線並みの安全」を求めるのはそもそも誤りで、「電力会社や国の絶対安全に騙された!」と言うのは「私は馬鹿ですと言う自白に等しい。
 
 そんな自らの愚かさを自白して悲憤慷慨している心算の輩は放って置いて、世界に目を向ければ、ヴェトナムにはロシア製の後と言うのが業腹だが日本製原発が導入される契約が進んでいるし(*8)、上掲記事の通りリトアニアへの原発輸出も本決まり。同記事に拠ればフィンランド、ブラジル、ヨルダンにも日本製原発輸出の可能性があるようだ。
 
 無論、フィンランド以下は未だ「可能性」でしかないし、我が国がドイツと同様に「脱原発」方針を掲げれば、その「可能性」は勿論、既に契約なっているベトナムやリトアニアへの原発輸出も吹き飛ぶ可能性は十分にあろう。それは、今回報じられた二重の朗報の内、少なくとも後者を吹き飛ばす物でもあろう。
 
 「それこそ吹き飛ばすべきだ!」と言うのが脱原発論者の意見であろう。が、ベトナムもリトアニアも、日本から原発が輸入できなければ、他国から買うばかり。ロシア、フランス、韓国と、日本以外にこれらの国に原発を輸出しようと言う国は、幾つもある。
 
 それ即ち、仮に、日本が「脱原発」と言う私に言わせれば愚挙にして暴挙である方針を固めたとしても、今回もたらされた二重の朗報の内の前者は否定されないだろう、と言う事だ。
 
 とは言え、そんな「我が国の愚挙にして暴挙」の前には、リトアニアからの朗報なんぞでは、喜べないがね。
 

<注釈>

(*1) 報じられるとおり、チェルノブイリ原発と同型原発を、2009年まで動かして国内電力需要の7割以上を賄っていたそうである。 
 
(*2) ドイツ降伏-独シーメンス社 原子力事業から撤退   http://www.afpbb.com/article/economy/2828751/7793213  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36006950.html
 
(*3) アメリカ前進―アメリカで34年ぶりに原発着工へ http://www.blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36685754.html
 
(*4) 元衛星国の意地 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36226766.html 原発に未来を託すチェコ、「他に道はない」 http://www.afpbb.com/article/economy/2838390/8015106
 
(*5) イタリアはもう、原発を「なくして」しまった。 
 
(*6) ま、そればかりじゃないのだろうが。「湯水の如く使う」と言う言葉が「とんでもなく浪費する」の意味であり、「水と安全はタダ」などと揶揄される事が、世界的にも歴史的にも如何に稀有な幸運であるか。 
 
(*7) 「新幹線ではない」どころか、足元にも及ばない高速鉄道が掃いて捨てるほどある。 
 
(*8) 四大紙マイナス1プラス3紙.社説比較-ベトナム原発輸出  http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/36278737.html  

転載元: 日出づる処の御国を護り、外国までも率いん心

[転載]リトアニア首相 日立製の原発「最高の品質」と強調 ロシアの原発と比較してネ!

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リトアニア首相 日立製の原発「最高の品質」と強調 ロシアからのエネルギー依存脱却目指す
2012.9.21 22:53 産経イメージ 1
 
インタビューに応じるアンドリュス・クビリウス首相= 9月19日、リトアニア・ビリニュスの政府庁舎( 佐々木正明撮影)
 
 
 
 
 
 
 
 東京電力福島第1原発事故後、 初の日本メーカーによる原発新設計画が進むリトアニアのクビリウ ス首相が、 首都ビリニュスの政府庁舎で産経新聞のインタビューに応じ、 発注する日立製作所の改良型沸騰水型軽水炉(ABWR) について「最高の品質が保証されている唯一の原発だ」 と安全性を強調、 今後も原発計画を推進していく強い意欲を示した。 リトアニアでは同計画の是非を問う国民投票が10月14日に実施 される。
 リトアニアは、電力の60% 以上をロシアからの天然ガスによる火力発電に頼る。 ロシアへのエネルギー依存体質を脱却するため、 2006年から原発を建設する計画を立ち上げ、 今年6月に国会が、日立と契約することを承認した。
 クビリウス首相は、 福島の事故後もフィンランドやポーランドなどで原発計画が進行中 であることを例に挙げ、「どの国も、 自国の経済を発展させるためにどんな電力供給源がよいかは自ら選 ぶことができる」と指摘。 エネルギー資源を有しないリトアニアは、「脱原発」 を進める状況にはないことを強調した。
 首相はまた、 30年代までの原発稼働ゼロを模索する日本の議論を注視している としつつ、ゼロ政策はあくまでも長期展望にすぎず、 日立との契約や自国の原発計画には影響を及ぼさない考えも示した 。
その一方で首相は、 リトアニア国境と数十キロ以内の場所に建設される予定の露カリー ニングラード州とベラルーシでの原発計画について、「これらの( ロシア企業が建設する) 原発は安全性について国際基準を満たしていない上、 ロシアとベラルーシ政府は欧州基準のストレステストも実施してい ない」として深い懸念を表明した。
 
【リトアニアの原発計画】 リトアニアでは独立直後の1990年代、 ソ連が建てたチェルノブイリ原発と同型のイグナリナ原発が稼働し ていた。しかし2004年、欧州連合(EU) への加盟条件として、同原発を閉鎖。それ以降、 ロシアからの天然ガス輸入に依存し電力料金が値上がりしたため、 政府は新原発の建設計画を推進、 11年7月に日立が優先交渉権を獲得した。ただ、 リトアニアでは原発計画への慎重意見も多く、 10月14日に国会選挙とともに、 原発計画の是非を問う国民投票を行う。 賛否は相半ばしているとみられる。
                     (報道記事は以上)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
エネルギーをロシアに依存するということは、
天然ガス価格はロシアの言い値でしかも、ロシアは何かにつけ、干渉してきます。
国家の弱点を握られたままで良いのかどうか・・
その点がリトアニアの議論です。
 
日本の原発ゼロの推進者にはこういう視点はありません。
ロシアの液化天然ガスを大々的に輸入しようなどと、震災後には本気で言ってた評論家なども多いです。
 
シベリアにパイプラインを建設する構想の1つはなくなりました。
ロシアが自分で構想を引っ込めたのです。
その訳は??
新潟沖にメタンハイドレートと油田があることが報じられたからです。
将来ずっと日本のエネルーを支配できる見通しがなくなったからです。
これほどまでにエネルギーは国家の存亡にかかわるのす。
 
ロシアからのエネルギーの輸入には反対です。
仮に輸入したとしても、「来月からはもう要らないよ」といつでも言える
ような設備等の供給システムでないと足元を見られます。

転載元: くにしおもほゆ


どうして日本は奈良の大仏や日本刀を作れたのに、硬貨を作らなかったのですか?教えてください

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どうして日本は奈良の大仏や日本刀を作れたのに江戸時代まで、硬貨を作らなかったのですか?
 
 
歴史
 日本(倭国)産の銭貨として最初に鋳造されたのは、無文銀銭または富本銭とされるが、実際に流通したかどうかは定かではなく、厭勝銭(まじない銭)や試作品の可能性もあり、よく分かっていない。
 最初に正式な貨幣として発行されたのは708年和銅元)の和同開珎である。これは律令国家の建設と軌を一にするものであり、中国王朝にならい貨幣発行権を国家のもとにおいたのである。
 律令政府は、蓄銭叙位法や献銭叙位法を施行するとともに、雑徭調の銭納を認めるなど、銭貨の普及を強く推進した。以後、10世紀頃まで国産の銭貨である万年通宝神功開宝隆平永宝富寿神宝承和昌宝長年大宝饒益神宝貞観永宝寛平大宝延喜通宝乾元大宝の12種類が鋳造された。
 これらを皇朝十二銭と呼ぶ。しかし、銭貨の原料となる銅が十分に確保されないために、消費需要に見合うだけの銭貨を供給することができず、銭貨は次第に布や米などの物品貨幣へ代替されるようになり、11世紀初めごろまでに流通しなくなった。
 
 平安時代後期に荘園公領制が成立すると、地域間の決済が増加していき、貨幣への需要が高まった。日宋貿易によりもたらされた宋銭唐銭が次第に流通し始め、『百練抄』には、平安最末期の1179年治承3)に「銭の病」が流行した記事が残っている。この「銭の病」を急激な宋銭普及に伴うインフレーションとする説もある。
 
 本格的に銭貨流通が盛んになったのは鎌倉時代からである。13世紀中葉ごろからの社会変動に伴い、銭貨流通は社会に広く普及した。室町時代から永楽通宝が大量に輸入されたが、永楽通宝は明が対日本向け専用に鋳造した銭貨である。
 
 ながらく中国から輸入した渡来銭が流通していたが、江戸時代に入ってようやく安定的な貨幣供給体制が整えられ、慶長通宝寛永通宝宝永通宝天保通宝文久永宝などが流通した。寛永通宝1953年昭和28年)12月の「小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律施行まで、銅貨4銭を2厘、銅貨1文銭を1厘硬貨として、法的に通用していた。

[転載]長崎の中国貿易は信牌によって行なわれた

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長崎の中国貿易は信牌によって行なわれた


朱印状がオランダ貿易のために発行された一方、中国貿易には信牌が発行された。
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そのしくみ、および割り印のある台帳。
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江戸時代は乍浦(嘉興)が唯一の長崎航路であった。だから阿片戦争で英国はここを攻撃したのである。
1840年代の東アジア9 長崎貿易の拠点乍浦と運河の要衝鎮江
http://blogs.yahoo.co.jp/nakamushyh/28527149.html

今回、長崎歴史文化博物館で分かったのは、長崎から作甫への交易は、口船のレベルだったようだ。大型船は福州、潮州に行っていた。
イメージ 1
日本人は、マカオや台湾に滞在しているようだ。
 
なお、日本の輸入品の中で、砂糖の占める割合が高いことは驚いた。沖縄で砂糖を国内生産できるようにしたのは、明治政府の貢献だろう。

ところで、長崎の通詞は絶大な権力を持っていたと分かった。そこにも階層があった。

出島に限定されていたオランダ人も、徐々に町の中に出ていくようになった。シーベルトの鳴滝塾は週一回だったが、町の中にいろいろな塾ができていった。医学、英語。各地から長崎に勉学に訪れたのである。
イメージ 5
 
 
日本が明治維新を決行できた理由が分かった。それは、300年間、長崎で西洋の学問を統制しつつも取り入れてきたためである。そして、オランダの助言を幕府が良く聞いたこともあろう。開港を決行したのは、オランダの助言によったのである。
 

転載元: 飛耳長目 国際紛争の心理

大分に国内最大メガソーラー 丸紅が11月から建設

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大分に国内最大メガソーラー 丸紅が11月から建設

朝日新聞デジタル 10月21日(日)16時14分配信
 国内最大規模の太陽光発電所(メガソーラー)を、大手商社の丸紅が11月から大分市で建設する。発電能力は8万1500キロワットで、一般家庭約2.5万世帯が使う電力を生み出せる。7月から始まった再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度で、企業の投資が拡大している。

 丸紅が建設するのは大分市の沿岸部の工業用地。東京ドーム23個分にあたる105ヘクタールの敷地に約35万枚の太陽光パネルを置く。投資額は約240億円。2013年度末の完成をめざす。生み出した電気は地元の九州電力へ20年間売電する。

 隣接地では、三井造船や日揮もメガソーラーの建設計画を進めており、これらをすべて合わせると計12万5千キロワットの巨大な太陽光発電の拠点が生まれる。
朝日新聞社
最終更新:10月21日(日)16時14分

[転載]反日デモで半身まひの日本車オーナー、地元公安を「不作為の罪」で訴える―陝西省西安市

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↑反日デモで半身まひの日本車オーナー、地元公安を「不作為の罪」で訴える―陝西省西安市
http://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20121011/Recordchina_20121011025.html

11日、陝西省西安市で先月15日に起きた反日デモで、日本車を運転していて暴徒化した参加者に襲われ、頭がい骨骨折の重傷を負った男性が、デモの最中に違法行為が発生したのは西安市公安局の「不作為」だとして、同市蓮湖区法院に起訴状を提出した。写真はその反日デモ。(Record China)

家族は「庶民がお役所を訴えるなんて本当はしたくなかったが、勇気を出すしかなかった。被害が大きすぎて、どうにもならない。法律を武器に権利を主張するしかなかった」と語っている。

……

★水から感染し「脳を食べる」アメーバ、パキスタンで10人死亡
http://topics.jp.msn.com/life/lifestyle/article.aspx?articleid=1455817

…… ……

★ネパール内戦、死者1万7000人=処刑や拷問9000件―国連報告

【ジュネーブ時事】国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は8日、ネパールで1996年から10年間続いた内戦での人権侵害に関する報告書を公表、犠牲者は計1万7000人に達したとの見方を示した。非合法な処刑や拷問など「人権や人道面で国際法違反と思われる事例が最大9000件に上る」とし、政府に実態調査を求めた。
報告は、政府軍と旧反政府武装勢力・ネパール共産党毛沢東主義派(毛派)の双方による非合法な殺人、拷問、性的暴行といった人権侵害行為を調査。政府軍が2003年に毛派17人と市民2人を一列に並べ処刑した事件や、毛派が拘束した教師3人を殺害した例を挙げた。内戦の死者はこれまで約1万3000人とされていた。
政府と毛派は06年に包括的和平合意に署名、王制が廃止され新憲法制定に向けた取り組みが始まっている。しかし犯罪行為の調査は行われず、ピレイ弁務官は声明で「深刻な人権侵害に関わった人物は責任を問われていない上、恩赦を与えられようとしている」と厳しく批判した。時事通信 10月9日

……

★アラカン山脈の向こうにあった親日の国~バングラデシュと日本人(その1)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36199

……

★「どうも、中国の政治・経済の様子がおかしい」~専門家にもわからない“変調”が暗示する大国の明日

どうも、中国の政治・経済の様子がおかしい――。欧米のエコノミストをはじめ、足もとで中国経済の変調を危ぶむ専門家が増えている。10年ぶりにトップが代わる中国国内で、今何が起きているのか。筆者なりに変調の背景を考察したい。
http://sys.diamond.jp/r/c.do?fFN_1waI_58_vow

……

★【シリア避難民支援・速報】「故郷を離れ、トルコに逃れる人々」

↓「難民を助ける会・メールマガジン」より
http://archive.mag2.com/0000133129/index.html

AAR Japan[難民を助ける会]の職員2名は、9月26日からトルコに入り、各地のシリア避難民キャンプおよび市内や近郊の村々を訪問して調査を進めています。
シリア国軍と自由シリア軍の戦闘が激しさを増すシリアでは、国外に避難する人々が相次いでいます。
トルコ国内の避難民キャンプは現在14ヵ所設置され、10万人近い避難民がトルコ政府から支援を受けていることがわかりました。
しかし、キャンプに入らず、国境付近の街や村で暮らすシリア避難民には、公的な支援はありません。
AARは、トルコ南部に位置するハタイ県で、キャンプ外で暮らすシリア避難民を対象に、生活必需品と食料品を配付する予定で準備を進めています。
現地で調査を行っているAAR事務局次長・大西清人からの報告です。

+キャンプ外にいるシリア避難民が支援を必要としています
http://www.aarjapan.gr.jp/activity/report/2012/1010_1025.html?utm_source=mlmg&utm_medium=referral&utm_campaign=195

……

▼香港発
当地の週末の風景といえば、外国人メードグループの存在が大きい。当地に着いた頃は道にあふれかえる彼女たちの姿に困惑したものの、今はその楽しそうな姿を観察しながら散歩をするのが週末のお決まりコースになっている。
セントラルの国際金融中心(IFC)モールにつながる歩行者用通路では、週末の昼下がり、多くの女性が数グループに分かれて段ボールを敷き、思い思いに過ごしている。中には大量の手作り料理を運んでくる人や、友人の髪を切る人も。フェリー乗り場の近くでは、音楽に合わせ踊る楽しげなグループをよく見かける。
外国人メードは口コミでの仕事の紹介が多く、仲間のつながりがとても強いそうだ。そのため仲間内で金銭の貸し借りが頻繁に行われ、借金するメードも多いと聞いた。仲間と一緒に陽気に踊る姿を見ながら、少しほろ苦い気分になった。(NNA)

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★カナダ政府も中国華為技術を排除か、安全保障上の懸念で
http://topics.jp.msn.com/digital/general/article.aspx?articleid=1454996

……

▼ローマ市、歴史地区の「食べ歩き観光」禁止条例を施行
http://topics.jp.msn.com/life/lifestyle/article.aspx?articleid=1455625

……

★不幸な展開を迎えたBRICsの物語(10月9日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

この3年間、一般的な概念は世界の主要経済国を2つの基本的なグループに大別していた。「BRICs」と「病人(sicks)」である。
米国と欧州連合(EU)は病んでおり、高失業率と低成長、恐ろしいほどの債務に苦しんでいた。一方で、BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国の4カ国、そして一部の見方では南アフリカも加わる)は欧米よりはるかに活力に満ちていた。投資家や実業家、欧米の政治家は、未来をじっくり見つめるために定期的にBRICs諸国を巡礼した。
ところが今、おかしなことが起きている。BRICsが苦境に陥っているのだ。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36273

転載元: 寝ぼけ記者のネタ帖『アジアNow』~情報を知れば世の中がわかる

[転載]ノロ奄美や琉球の女司祭。御嶽を管理する。ヌタとは異なる。

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ノロ

昭和初期のノロ
 
 ノロ(祝女)は沖縄県鹿児島県奄美群島琉球の信仰における女司祭。神官。(かんなぎ)。地域の祭祀を取りしきり、御嶽を管理する。ヌール・ヌルとも発音される。
 
 民間の巫女である「ユタ」とは異なる。
 
 

御嶽 (沖縄)

斎場御嶽、三庫理(さんぐぅい)
 
 御嶽(うたき)は、琉球の信仰における祭祀などを行う施設である。「腰当森(くさてむい)」、「拝み山」などともいう。
 
概要
 琉球王国(第二尚氏王朝)が制定した琉球の信仰における聖域の総称で、それ以前はさまざまな呼び名が各地方にあった。この呼称は主に沖縄本島とその周辺の島々で発声されるが、宮古地方では「すく」、八重山地方では「おん」と発声する。

信仰上の位置

 御嶽は琉球の神話の神が存在、あるいは来訪する場所であり、また祖先神を祀る場でもある。地域の祭祀においては中心となる施設であり、地域を守護する聖域として現在も多くの信仰を集めている。琉球の信仰では神に仕えるのは女性とされるため、王国時代は完全に男子禁制だった。現在でもその多くが一定区域までしか男性の進入を認めていない。

形態

 
 御嶽の多くは森の空間や泉や川などで、島そのものであることもある。御嶽によっては空間の中心にイビ石という石碑があるが、これは本来は神が降臨する標識であり、厳密な意味でのご神体ではない(ご神体として扱われているところも多い)。宮古や八重山地方では、過去に実在したノロの墓を御嶽とし、そのノロを地域の守護神として祭っていることが多く見られる。
 
 大きな御嶽では、「神あしゃぎ(神あしゃげ、神あさぎ)」と呼ばれる前庭や建物といった空間が設けられていることがある。これは信仰上、御嶽の神を歓待して歌ったり踊ったりするための空間である。語源は「神あしあげ(神が足をあげる場=腰を下ろす場)」と考えられている。
 
 鳥居が設置されている御嶽が散見されるが、これは明治維新から琉球処分以降の「皇民化政策」による神道施設化の結果であり、本来のものではない。
 とりわけ戦時中は、ノロの存在を「邪教を流布する者」として禁止し、祈祷行為が見つかれば摘発されノロは検挙された。沖縄本島では戦後、鳥居が撤去された御嶽も多いが、宮古島では戦後もそのまま鳥居が残されている御嶽も多い。

起源

斎場御嶽の大庫理(ウフグーイ)
 
 御嶽はもともと古代社会において集落があった場所と考える説が有力である。その証左として、御嶽の近くから遺骨が見つかる例が少なくない。これは、祖先崇拝であることに強く関係していると考えられる。
 また、多くの川や泉が御嶽もしくはそれと同格の扱いをされているが、これは保水力の乏しい琉球石灰岩からなる沖縄県周辺の土地性などから、古代社会では水源が神聖視されたためと考えられる。
 
 グスクには拝所が存在するものも多いが、このことから、グスクは元々は御嶽を中心にした集落であったものが発展し、城砦化したと指摘する説がある。また、首里城玉城城など、城そのものが御嶽とみなされていた城もある。
 
 
概略・宗教上の概念
 琉球王国の第二尚氏王朝の第三代国王、尚真王時代に制定された神職。琉球の信仰はアニミズム祖霊信仰を基本とするもので、海の彼方のニライカナイと天空のオボツカグラの他界概念を想定する。
 これらの他界に太陽神(ティダと呼ばれる)をはじめとする多数の神がおり、また生者の魂も死後にニライカナイに渡って肉親の守護神になるとされる。
 こうした神々は、時を定めて現世を訪れて豊穣をもたらし、人々を災難から守護すると考えられている。宗教概念上、ノロはこれら琉球の神々と交信することのできる存在であり、また祭祀の間はその身に神を憑依し、神そのものになる存在とされている。そのため、ノロは神人(かみんちゅ)とも呼ばれる。
 
 ノロは、しばしば「巫女」と訳されることがあるが、ノロは現在、本土でみられる神道の巫女にイメージされる神主の補佐役や雑務役ではなく、司祭そのものである(本土の巫女も元々はノロと同様の存在であったと考えられている)。
 
 なお神と交信し、神を憑依させることができるのは女性に限定されているため、神官であるノロはすべて女性である。
 現在、ノロのほとんどすべてが年配の女性もしくは老女であるが、王国時代にはノロの婚礼といった記録もある。

任命と成巫儀礼

 ノロは原則として世襲制で、ノロ殿地(どぅんち)と呼ばれる家系から出る。これらの多くは、琉球王国時代に王府より任命されたもので、元々は各地域の有力按司(あじ)の肉親(姉、妹、妻など)と考えられている。
 これは、琉球の信仰の背景にある、おなり神信仰に由来すると考えられる。新たなノロの就任に当たっては、久高島イザイホーに代表されるように、それぞれの地域で認証儀礼が設けられているケースが確認できる。
 また、ユタのように、カンダーリィ(神垂れ)と呼ばれる原因不明の体調不良といった巫病、夢の啓示などにより、ノロに選ばれる例もみられる。
 
 王国時代には、ノロの任命継承が不予などにより順当に行われなかった場合に、そうした形で近親者から後継者が選ばれた例がある。
 また、現在の久高島では、こうした霊感の強い人物(サーダカ、サーダカウマリ)を断絶したノロの後継者として選ぶということが行われている。
 
 

ユタ

祈祷活動をするユタ(1955年頃)
 
 ユタは、沖縄県鹿児島県奄美群島の民間霊媒師(シャーマン)であり、霊的問題のアドバイス、解決を生業とする。
 
 
概念
 琉球の信仰において、琉球王国が制定したシャーマンであるノロ(祝女)やツカサ(司)が公的な神事、祭事を司るのに対し、ユタは市井で生活し、一般人を相手に霊的アドバイスを行うことを生業とする、在野のシャーマン・かんなぎ)である。
 
 ユタはいわゆる霊能力者であるが、迷信と考える者も多い。だが、一般にユタの力は古くから広く信じられており、凶事に当たった場合や原因不明の病気、運勢を占いたいとき、冠婚葬祭の相談など、人が人知を超えると考える問題を解決したいときに利用される。
 
 こうした行為は「ユタ買い」といわれ、通常、ユタは相談料をもらって問題解決にあたる。たとえ霊的な効果はなかったとしても、信じる事で精神的な癒しを得られる事がある。そのため精神的に不安定な患者に対し、医者がユタを勧める例もあり、沖縄県には「医者半分、ユタ半分」ということわざが古くからある。
 
 ユタは単なる霊能力者ではなく、信仰上、自らを神と人間の介在者と位置づけており、広義にはノロやツカサなどと同じく「神人(かみんちゅ)」と呼ばれる。神に仕えるのは一般に女性と考えられており、ユタもノロやツカサと同じく、大多数が女性である。しかし、男性のユタも存在する。
 
 後述するように、ユタは弾圧の歴史を持つことから、隠語として、ユタのことを三人相(サンジンゾー:易者)やムヌシリ(物知り)などと呼ぶこともある。
 
 
 ユタが利用されている事例
  • 宮古島では現在でも、海開きやトライアスロンの時はユタが集団で神に祈り、踊りをし、行事の無事を祈っている。

科学的な検証

 本物のユタが能力を発揮するとき、右脳が通常では考えられない異常な状態になることがわかっている。具体的には、論理的な言葉を話すときに活性化すると言われている左脳がほとんど活動を止め、逆に右脳が活性化して論理的な言葉を発している状態になる。この原因は解明されていない。

転載元: 日本の海が安全で美しくあれ(尖閣・竹島・対馬・水俣・徳山・福島)

[転載]心は香 体は花

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 心を洗って香となし 体を恭しんで花となす 
 
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 心を洗って香(こう)と生し、体を恭(つつし)んで花と成す 
弘法大師 空海全集 第六巻 性霊集 巻第八 530頁
 
 この世界を生かし続ける、大自然の実相に育まれた植物の花とは、私たちの肉体そのものであり、花から放つ香りとは、まさに私たちの心である。そのように喩えられた「弘法大師 空海」のことばです。
 
≪和尚、皇帝を祈りたてまつらんが奉為(おんため)に)『大般若経』を転読する願文より≫   わが皇帝陛下は安定した心と深い智慧を身につけられ、智慧と慈悲の心が、その胸中にあふれておられる。自らの足を、この汚れた世に踏み入れられ、その手を、あらゆる生ある者のためにさしのべられ、この世の万民の父とし、あらゆる国の母となっておられる。 
 
 
弘法大師は、香が匂いを発するように浄められた皇帝ご自身の心から、慈悲の心により社会を浄化して行き、美しい花が私たちの気持ちを和ませてくれるように、皇帝のつつしんだ行動から慈愛の心を育み、平和な社会を築かれるお姿を、心を洗って香となし、体を恭しんで花となす と喩えられたそうです。
しかし弘法大師のこの言葉は、皇帝のためだけのものではなく、現代に生きる私達も含め、全ての人々へのプレゼントであったような気がします・・・ぜひ、皇帝の部分を自分に置き換え、空海さんからのプレゼントを、受け取ってみて下さい。私たち一人ひとりが、自分自身の心の神(良心)であり、心の皇帝(王)なのですから・・・
 
 
   全ての人々が心浄め 世界に安らぎや癒しを与え
                      儚く消えてゆく お香のようになり
   一切の見返りを求めず ひたすら無心に咲いて
                    慈愛で人々を包み 和ませる花となる
 

この壁紙は、アルプスの風景です。百花繚乱に咲き誇る花々の、ひたむきさ、純粋さが大変美しいです。しかし私が一番気に入っているのは、煌めくが流れる美しいと、大自然々しい々、いのちあふれる大地一体となったその中で、々がき乱れているところです
この壁紙から、すべての命が一つであり、お互いに生かし活かされている、真の生命世界の基本 を感じます。人間が気づかないだけで、この地球の上には、すでにたくさんの天国が、あるのかもしれませんね (*^-^*)
 
 
   生命大宇宙天地一体 森羅万象すべての命を 
              ともにいかしていただいて ありがとうございます
 
 

転載元: MYUのブログ

[転載]日本の家族の危機(中)

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戦前の子供たち



拙稿、日本の家族の危機(上)では、占領下での家族に関する問題点を述べさせていただきました。
今回は民法について述べさせていただきます。
憲法と同時に、占領政策によって民法の改正が強行されました。これによって、わが国の伝統が深層まで破壊されました。その結果、利己主義的な風潮が助長され、道徳の低下や社会の混乱が促進され、今日に至っているのです。
戦前のわが国には、「家(イエ)制度」というものがありました。明治31年制定の明治民法は、家制度を法律的に定め、家によって家族を最大限に尊重するものでした。明治民法が法的に制度化した「家(イエ)」は「複合家族」といわれ、家族・親族が一つの家に住んでいるものだった。また、この家族は「直系家族」といわれ、両親・祖父母・孫が一緒に住み、世代間の縦のつながりが一番重んじられていました。また、戸主(家長)、家督相続、分家、廃家、親族会などが定められていたのです。
戦後は、この家をもって、封建的で、個人を束縛するものと決め付けています。しかし、明治民法の目的は家を強化することによって、個人を抑圧するというような一面的なものではありませんでした。この民法は、幕末以来のわが国の重大課題である不平等条約改正をめざすという政治的要請によって創られました。明治日本は不平等条約改正に国力を費やしたと言っても過言ではありません。人権先進国といわれるフランスの民法、つまりナポレオン法典等が参考にされたのです。明治民法の制定には、伝統を重んじながら、国際社会で伍していくために日本を近代化しようとする明治の日本人の工夫があったのです。
こうした民法に対し、法学者であり、東京帝国大学法科大学長、貴族院議員、法典調査会査定委員、日本法律学校(現在の日本大学)の設立に参画した穂積八束は、「民法出デテ忠孝亡ブ」として批判しました。民法は個人主義的社会原理を、忠孝は家族国家的原理を象徴する。穂積にとって、民法は日本に西洋式の個人主義を移入することによって、国家原理を根本から崩す危険性のあるものと映ったのです。
こういう批判も出たくらいに、明治民法には、西洋近代的な面があったのです。例えば、この民法は、家族における妻の不安定な地位を厚く保護することを目的の一つとしていました。労農派マルクス主義の指導的理論家であった山川 均(やまかわ ひとし)の妻で、女性解放運動家の山川菊枝は、旧民法に対し、「女性にとっても社会にとってもまことに喜ばしき進歩」「日本の女性のため、かつ国民全体のために祝福されなければなりません」と賞賛したほどででした。
そして、「わが国の離婚率は新しい戸籍法の実施された明治16年当時から、年と共に低下し、殊に明治31年民法の制定によって、妻の地位が在来よりはるかに安定し、みだりに離婚できなくなってから、急に低くなっております」と述べています。実際この間に、離婚件数は5分の1に減少したのです。こうした肯定的評価があったことを見逃すべきではありません。
日本の被占領時代、昭和22年にGHQによって民法改正が強行されました。戦後は戦勝国の占領政策によって、家という伝統的な大家族が解体され、夫婦と子供だけの「単婚家族」、いわゆる核家族が増え、都市化、若年人口の都市への流入、住宅事情等がこれに拍車をかけた。結果、夫婦とその両親、祖父母とその孫という縦のつながり、また夫婦とその兄弟姉妹・おじ・おば等という横のつながりとが、ともに弱くなったいったのです。
民法改正の焦点の一つは、親族相続編でした。これが全面改正されたのです。改正は、わが国の家族制度に重大な変革となるものでした。戸主(家長)、家督相続、分家、廃家、親族会などがことごとく廃止されたのです。
中でも第一に、家督相続の廃止と均分相続の導入は、日本の家族に甚大な影響を及ぼし、それにより、親子・兄弟姉妹の遺産争いが顕在化し、家族の結びつきが利害中心のものに変じたのです。家族における個人主義が、遺産の相続問題をめぐって、家族間の対立・抗争を激化し、今日の訴訟社会へと繋がっているのです。第二に、多額の相続税が課されることにより、家族の経済的基盤が切り崩されました。かつては、親が子供に土地・財産を相続し、子供が祖先伝来の土地・財産を守り維持するところに、家族の継続がありました。また子孫の祖先への感謝と尊敬が保たれていたのです。こうした経済的基盤が崩されたことにより、親子・祖孫の結びつきは弱くされたのです。それは、同時に文化の継承のための物質的基礎を崩すものとなりました。第三に、姦淫罪の廃止は、男女の愛と信頼による結婚制度を根底から弱めるものとなった。
しかし実際は、GHQは当初、これほど過激な改正を行おうとは考えていませんでした。GHQは憲法第24条をもって明治民法の改正を命じはした。しかし、家制度を根こそぎ破壊せよ、とまで指示してはいなかったのです。民法改正における戸主(家長)、家督相続、分家、廃家、親族会などの廃止は、すべて日本の民法学者らが、この機会に乗じて強行したものなのです。その学者とは、中川善之助、我妻栄、川島武宣らです。彼らはマルクス主義の影響を受けていた。この点が重要なのです。
中川善之助は、次のように述べている。「汝の夫婦関係、汝の親子関係、汝の兄弟関係を民主化せよ、そうすれば国の民主化はたちどころになるであろう」(『新憲法と家族制度』)
川島武宣は、次のように述べている。「民主主義は、個人の主体性を否定するような意味での共同体的な……家族を解体し、家族を主体的な個人と個人の関係とすることを要求する」と。(『日本社会の家族構成』)
中川は、「国の民主化」を行うために家族関係を民主化せよ、というわけだが、そもそも民主主義(デモクラシー)とは、民衆が権力に参加する政治制度のことである。国家や社会の制度ではありえても、家族の制度ではありえない。また、川島は「家族を解体し」「個人と個人の関係とする」ことを主張するが、これは個人主義の徹底です。まさに、共産主義やフェミニズムがめざしていることそのものにほかならないのです。中川や川島のいう「民主主義」とは、欧米における自由主義的なデモクラシーのことではないのである。旧ソ連が掲げていた社会主義的な意味での「民主主義」なのです。
彼らのいう「家族関係の民主化」や「家族の解体」とは、マルクス=エンゲルスの共産主義革命の戦略であり、その実行は、スターリンが日本革命のテーゼとして指令した二段階革命の道です。すなわち、共産主義革命のための第一段階としてブルジョワ民主主義革命を行う。そのために、アメリカの占領政策に便乗して、日本の民主化を行い、その戦術の一つが、家族関係の民主化だったのです。それは、共産主義革命の準備としての社会主義的民主化なのです。
 中川や川島やその弟子たちの教育を受けた世代から、共産主義的フェミニズムが台頭するのは、必然の流れであり。昭和22年の民法改正は、共産主義の革命戦略に基づく、日本の社会主義化・共産化への第一歩だったのです。幸い、戦後のわが国は、共産革命の危機を乗り越えてきました。しかし、現在、急進的なフェミニズムという形を変えた共産主義が、「家族の解体」を狙っている。その攻撃から、日本の家族を守るためには、憲法に家族条項を入れ、家族の価値を称揚するとともに、民法から共産化に悪用されるような規定を除いていく必要があるのです。
現在の政府民主党の理念は、その危険性を孕んでいるのです。

 弁護士、法学者でもあり、秀明大学教授を勤められ、平成20年に亡くなった佐藤欣子氏は、次のように述べています。「戦後のわが国の家族の基本原則は個人の尊厳と両性の平等だけである(憲法第24条)。しかし、それは結局のところ、エゴイズムや相手を自分の欲望充足の手段視する孤独で殺伐たる人間関係をもたらした。日本の家族は一家の中心を失い、共通の信仰や理想を失い、祖先と子孫に対する責任も日本文化の伝承の役割も放棄したのである。そしてこれは日本人の人を愛する能力を大幅に破壊した。結婚を避け、子どもを生まず高齢者を嫌悪するなどはその結果に過ぎない」と酷評されています
 憲法と民法が、今日の家族の危機の根本原因となっており、そして、この憲法と民法が、家族を解体しようとする共産主義やフェミニズムの温床となっている事実を知らねばなりません。



投稿文字数に制限がありますので続きは次回に述べさせていただきます。


転載元: 美し国(うましくに)


[転載]<古事記・日本書紀原風景>85.<転載> 「倭人章中、最大の謎」

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http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/26/95/kairouwait08/folder/1046401/img_1046401_31147668_0?20121015195721

「図:ただ一つのコース」(加治木原図)
対馬→壱岐→唐津というコースは、はっきり、ただ一つのコースを目ざして直進している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


出典:加治木義博:言語復原史学会
    邪馬臺国の言葉
    コスモ出版社
    143~146頁

以上を見ると、朝鮮の人々は<大国主>に悪感情をもっていず、上代語とパーリ系の人々が朝鮮語をわざわざ曲解したということになる。
 どれが語源であったかほハッキリしているから、それからどう変化したか、時間帯を考えてみて戴くのも興味があろう。

 では<伊都国>は、当時いったいどこにあったのであろう?
原文は「末盧国から東南へ五百里で<伊都国>に到る」とある。
 真相を知るには、
 )差颪琉銘屐
◆々颪判颪れたものは国境線か中心政庁の所在地か。
 東南という方角は果して正しいか。
ぁ仝淺肝い寮騎里km換算。
ァ^謀垤颪琉銘屐が明確にならねばならない。
 幸い私たちはい砲弔い討脇阿ぬ知識をもっている。

五百里は27.82km、約28kmだ。と確信をもって答えられる。
△發修ζ颪しくない。倭人伝の国と国の距離が百里という記事は、僅か5.5kmだが国境線のことでないことを明示している。国境線が当時あったとしても、それは隣国との問では一本しかなく、百里もの幅をもっていたとは考えられない。
 これはまた当時の中国文献がすべて現代と同じく政庁所在地を基点とする習慣で統一されていることと一致する。

 次にを考えてみょう。
御存知の通り、これまでの邪馬臺論は、すべて伊都を糸島に、奴を博多に決めている。
 本書冒頭で見て戴いた図の通り倭人章の原文の方角に合うものは一つもない。
 この<奴>や<不弥>から南は陸行でとても水行できないし、またこの辺りから船に乗るのなら、一体なぜ海流にさからって末盧へ上陸し、前を進む者さえ見えないような悪路を重い旅行道具を担いで、30km近くもあるいはそれ以上も歩き続ける必要があるのか?
 それより、
海流に乗りながら楽に壱岐から博多へなぜ直行しないのか?
 実に理解しょうもない、常識はずれのことが行なわれたことになり、これは倭人章中でも最大の謎だというほかない。
 果して当時の<倭人>たちはそんなにも野蛮で、現代の邪馬臺論者たちのように、そんな不合理なことが平気だったのであろうか?
 当時の倭人の手で壱岐~対馬間の距離が誤差なく測定されていたことを知る私たちには、彼等がそんな愚かな事をしたとは信じられない。
 その測量は三角または天測法を高度に使いこなせないと不可能である。

 天測儀やトランシットはもちろん、望遠鏡もない時代なのである。それは現代よりも更に難かしい仕事だったはずである。

 では愚かだったのは魏人の方か?  中国には周代のはじめ、すでに周公が天文台を作ったり前漢までの紀元前に精密な暦が天測をもとにして作られ次々に改良されて行った事実を知る私たちには、3世紀の魏人が天測を知っていたからといって、別に驚ろく程の事でもないのである。

 <倭人>、<魏人>ともに高度の知性をそなえた人々であったことは間違いない。
 とすれば、末盧で一たん上陸々行して、また船に乗って旅を続ける、というのは、どうしてもそうするほかない合理的な理由があったと考えるほかない。

 それは何故か?
と想像に走るようでは駄目である。なぜなら、この問題には答えに直結する条件が、ハッキリと明示されているからである。

 それはどうにでも読めるようなものではなく、動かしようのない限定条件なのである。
 )困ら、
◆‥貽遒悄
 五百里で、
ぁ^謀圓忙蠅襦

ァ,修海、または<不弥>が港で、
Α‘遒悄
А/綛圓任る場所。
 と指定してあるからである。

 対馬→壱岐→唐津というコースは、はっきり、ただ一つのコースを目ざして直進している。
 博多や宇佐や大和へ行くのなら、わざわざ唐津へ上陸する必要はない。
ことに対馬と壱岐の間は魔の潮流が渦巻いている。
 大和へ行くのならそれを避けて、逆に潮流を利用しながら倍以上の速度で航海できるのである。

 倭人章のコース記事は宇佐、大和両説の無茶なことを立証しているのである。
 対馬海流(分流)日本海流(黒潮) 
これだけ、はっきり書いてくれてあるのであるから、その位置を見つけるのは、ごく簡単なことである。

 壱岐から船が着いた所は間違いなく九州北岸で、それも壱岐から55kmの範囲内である。
 そこから東南28kmの所に、南へ船出できる水路がある所は、たった一か所しかないからである。
 間違いたくても間違いようのないその場所は、もうお気づきのように、有明海の北部である。
 佐賀と長崎の二県が有明海をかかえこむようにして回廊を形づくっている。
そこだけが二つの海を結ぶ最短距離であることは、地図をチラツと見ただけでわかる。
 そしてその距離がおよそ30kmぐらいということもわかる。

ぐ奮阿裡蕎魴錣魎袷瓦頬燭靴討い襦
 この事実がわかると、巨大な謎に見えたものが、吹きとんでしまう。そればかりかさらに新らしい真相を話してくれる。
 自的は有明海を南下することであり、そこへは壱岐から西まわりに船で進むことができなかったという事実である。
 何故か。
それは西南方からすさまじい勢いで北上している黒潮のためである。
 それにまともに向っては非常に難航し、あるいは続行不能な船であったという事実である。
 半島から、島伝いに九州北岸へは来れても、西海岸沿いには南下できない、という二つの条件の間に、当時の船を復原するための貴重な証拠が詰っているのである。
 あわや倭人章最大の謎と見えたものは一瞬にして泡沫のように消え去ってしまった。
 しかし、それよりも大きい謎を残した。
何故、多くの学者と自任した人々が、こんな簡単な事実さえわからなかったのか。
 という……。

転載元: 親魄(にきたま)に逢う蔵書

[転載]古事記

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古事記

 古事記(こじき、ふることふみ)は、その序によれば712年(和銅5年)太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ、太安万侶(おおのやすまろ))によって献上された、現代確認できる日本最古[1]歴史書である。上・中・下の全3巻に分かれる。原本は存在していないが、後世の写本の古事記の序文に書かれた和銅年及び月日によって、年代が確認されている。
 『古事記』に登場する神々は多くの神社で祭神としてまつられ、今日に至るまで日本の宗教文化と精神文化に多大な影響を与えている。
 
概要
 成立の経緯を記している序によれば、天武天皇の命で稗田阿礼が「誦習」していた『帝皇日継』(天皇の系譜)と『先代旧辞』(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編纂したもの。一般的に「誦習」は「暗誦」することと考えられているが、荻原浅男(小学館日本古典文学全集)は、「古記録を見ながら古語で節をつけ、繰り返し朗読する意に解すべきであろう」という。
 『古事記』の書名は、もともと、固有名詞ではなく、古い書物を示す一般名であり、正式名ではないといわれている。書名は安万侶が付けたのか、後人が付けたのかは明らかでない。読みは「フルコトブミ」との説もあったが、今日では一般に音読みで「コジキ」と呼ばれている。
 
 
日本書紀』のような勅撰の正史ではないが、序文で天武天皇が
帝紀を撰録せんろくし、旧辞を討覈とうかくして、偽りを削り実を定めて、後葉につたへむとおもふ。
 
と詔したと書かれていることから、勅撰と考えることも出来る。
 
 天皇と祭神を結びつける事により、天皇の権力の正統性を確立することを目的としていたと見ることも出来る。史料の上では序文に書かれた成立過程や皇室の関与に不明点や矛盾点が多いとする見解もあり、また日本書紀における続日本紀のような古事記の存在を直接証明する物証も存在しないため、後述する古事記偽書説の論拠となっている。
 
構成
 『古事記』は帝紀的部分と旧辞的部分とから成り、天皇系譜が『帝紀』的部分の中心をなし、初代天皇から第33代天皇までの名、天皇の后妃・皇子・皇女の名、及びその子孫の氏族など、このほか皇居の名・治世年数・崩年干支・寿命・陵墓所在地、及びその治世の大事な出来事などについて記している。これらは朝廷の語部(かたりべ)などが暗誦して天皇の大葬の(もがり)の祭儀などで誦み上げるならいであった。
 それが6世紀半ばになると文字によって書き表された。『旧辞』は、宮廷内の物語、皇室や国家の起源に関する話をまとめたもので、同じ頃書かれたものである。
 
 『帝紀』や『旧辞』は、6世紀前半ないし中葉頃までに、天皇が日本を支配するに至った経緯を説明するために、朝廷の貴族によって述作されたものであり、それらを基にして作成されたものであり、民族に伝わった歴史の伝承ではないと主張する人もいる。一方、広く民衆に受け入れられる必要もあったはずで、特に、上巻部分はそれらを反映したものが『古事記』ではなかったかとの主張もある。
 
 内容は神代における天地(アメツチと読まれる)の始まりから推古天皇の時代に至るまでの様々な出来事(神話伝説などを含む)を収録している。また、数多くの歌謡を含んでいる。
なお、日本神話での「高天原」という用語が多用される文書は、「祝詞」以外では『古事記』のみである。

転載元: 日本の海が安全で美しくあれ(尖閣・竹島・対馬・水俣・徳山・福島)

h 24年12月6日COP11の最新情報、企業における生物多様性セミナーのご案内

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126日木曜に開催予定の生物多様性セミナーのご案内を差し上げます。
インド南部ハイデラバードで行われていた国連の「生物多様性条約第11回締約国会議」(COP11)は20日、生物多様性の保全目標「愛知ターゲット」を実現するため、日本をはじめとする先進国が途上国への資金援助を2015年までに倍増させることなどを決めて閉幕しました。
このCOP11の最新情報をはじめ、企業の生物多様性の取り組みを格付けし、優れた企業に金利を優遇する金融機関や生物多様性の恵みである木材を享受することによって企業活動を行う企業の事例紹介などによりさまざまな角度から企業における生物多様性について考察します。
生物多様性の最新動向
~企業の生物多様性への対応~
 
企業の情報開示に、森林や水など自然資本への影響を定量的に評価して盛り込む動きが始まりつつあります。
6月のリオ+20では自然資本の見える化を含むグリーン経済が大きな話題になりました。10月に開催されるCOP11後の生物多様性経営でも、この点が重要になってきます。

今、企業の生物多様性の取り組みを格付けし、優れた企業に金利を優遇する金融機関が増加しています。
また、生物多様性の恵みである木材を享受することによって企業活動を行う企業では森林保護がますます重要になります。

COP11の最新情報を含め、さまざまな角度から企業における生物多様性について考察します。
日 時2012年12月6日(木) 14:00~17:15 (13:30より受付開始)
会 場ビオトープ・プラザ
(ATCビルITM棟11F おおさかATCグリーンエコプラザ内)
定 員60名 (先着順)
受講料無料
申 込お名前、会社名、部署・役職、ご連絡先を明記の上、メール(121206@e-being.jp)又はFAX(06-6614-1801)にて
主 催おおさかATCグリーンエコプラザ実行委員会
(大阪市、ATC、日本経済新聞社)
PDFのちらしはこちら → PDF
プログラム
講演1
「リオ+20からCOP11へ:企業に求められる生物多様性経営」
(55分)
日経BP社 環境経営フォーラム 生物多様性プロデューサー
藤田 香 氏
ブース見学会
日経BP社、日本政策投資銀行、三井ホーム株式会社の出展ブース見学
事例紹介1
「「DBJ環境格付」から見る生物多様性」(40分)
日本政策投資銀行 環境・CSR部 課長大井 孝光 氏
事例紹介2
「三井ホームグループの植林活動を中心とした取り組みについて」(40分)
三井ホーム株式会社 環境推進室  田中 亜紀 氏
総合質疑応答・意見交換(30分)
エコプラザ
お申込みお待ちしています。

[転載]企業による生物多様性の取組

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企業による取組

 自然環境・生物多様性の保全に着目した経済団体の取組として、日本経済団体連合会では、平成4年に自然保護基金運営協議会(平成12 年に自然保護協議会に改称)を設立し、主としてアジア太平洋地域における自然保護プロジェクトの支援を行ってきました。
 また、平成21 年3月には、「日本経団連生物多様性宣言」を制定し、平成15 年に制定した「日本経団連自然保護宣言」をさらに発展させ、生物多様性が将来の持続可能な社会にとって重要な基盤であることをより深く認識し、国際社会の一員として、すべての人々との間で役割と責任を分かち合い、連携・協力して生物多様性に資する行動を推進する決意を示しています。

 滋賀経済同友会では、平成21 年4月、企業活動を通じた生物多様性保全のモデル構築を目指し、「最低1種類もしくは1か所の生息地の保全に責任を持ちます」などの10 項目の宣言文からなる「琵琶湖いきものイニシアティブ」を公表しました。
 また、平成20 年4月に、生物多様性の保全と持続可能な利用に関する学習などを目的とした日本企業による「企業と生物多様性イニシアティブ(JBIB)」が設立されるなど、さまざまな取組が始まっています。

 個別企業による取組でも、481 社の環境報告書(平成17 年度版)のうち、自然環境・生物多様性保全に係る取組の記載が8割近い365 社にありました。その取組は、清掃・美化活動が突出して多くなっていますが、そのほかでは、緑化・ビオトープ、国内での里山・森林の整備及び保全・再生、環境意識の喚起、他主体の活動に寄付・協賛などに関する活動が比較的多くなっています。
 
 平成19 年6月に改訂された環境報告ガイドライン(2007年(平成19 年)版)には、環境報告に記載すべき情報として、「生物多様性の保全と生物資源の持続可能な利用の状況」が追加されました。その中では、原材料調達における生態系や野生生物への主要な影響とその評価などを記載すべき情報の例として挙げ、生物多様性に影響を与える方法で生産された原料の利用など生物多様性に影響を与えている主要な原因を取り除くことについて、原材料調達から製造段階、さらには流通や販売までの一連の流れ(サプライチェーン)を含めたより広い範囲で配慮すべきことを指摘しています。
 そのほかにもさまざまな情報・指標について記載することが求められており、今後こうした報告が行われる中で活動が増加していくことが期待されます。
また、広大な森林や都市部の土地などを所有している企業も少なくありません。企業活動に直接利用されてこなかった結果、生物多様性の保全上良好な状態が維持されている土地などについては、野生生物の保全活動や自然教育活動の場としての活用が考えられますし、都市部の低未利用地については地域在来の植物を用いた緑化などを進めることで都市の中の身近な生きものの生息・生育地としての活用が考えられるなど、企業の社会的貢献の一環としての取組が期待されます。
 生物多様性条約でも生物多様性の保全のため企業の取組が進むことが期待されており、2006 年(平成18 年)3月にブラジルのクリチバで開催されたCOP8 では、「民間部門に条約への参画を促す決議」が採択され、生物多様性の保全における企業の役割の重要性が広く示されています。その決議では、企業に求められることとして、
①企業の経営方針や企業行動を条約の3つの目標(生物多様性の保全、その持続可能な利用、遺伝資源から得られる利益の公正かつ衡平な配分)に適合させること、
②2010 年目標達成に貢献するような自主的な取組について条約の締約国会議に報告すること、
③締約国会議や科学上及び技術上の助言に関する補助機関会合(SBSTTA:Subsidiary Body on Scientific, Technicaland Technological Advice)、専門家会合などへの参加を奨励しています。

 2008 年(平成20 年)5月のCOP9の閣僚級会合では、ドイツ政府による「ビジネスと生物多様性イニシアティブ」の「リーダーシップ宣言」が行われました。この宣言は、経営目標に生物多様性への配慮を組み込み、企業活動に反映させるというもので、日本企業9社を含む全34 社が参加、署名しました。

 平成21 年8月には、企業をはじめとする幅広い分野の事業者が生物多様性に配慮した取組を自主的に行う際の指針となる「生物多様性民間参画ガイドライン」を環境省が公表しました。このガイドラインや生物多様性基本法に基づき、安定した事業活動の継続と密接な関わりがある生物多様性の保全と持続可能な利用の確保に事業者が積極的に取り組んでいくことが期待されています。
 
 
COP10ロゴマークおよびスローガン
COP10logo.jpg
 (英 語)Life in harmony,into the future
 (日本語)いのちの共生を、未来へ

転載元: 日本の国土を護りましょう! 前時代的な反日デモはアジアの恥だ!

[転載]三井住友海上、企業の生物多様性保全に関するシンポジウムを開催

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http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1f/11/khyousyou/folder/1290855/img_1290855_34578077_0?20110103130145

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1f/11/khyousyou/folder/1290855/img_1290855_34578077_1?20110103130145

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1f/11/khyousyou/folder/1290855/img_1290855_34578077_2?20110103130145

三井住友海上、企業の生物多様性保全に関するシンポジウムを開催
【経済ニュース】 V 2009/10/22(木) 12:55

  三井住友海上は、2010年に名古屋市で開催される「COP10(生物多様性条約第10回締約国会議)」に向けて、企業が行う生物多様性保全活動への理解を深めてもらうことを目的に「企業が語るいきものがたりPart3~COP10に向け、企業がとるべき行動について考える~」と題する環境シンポジウムを、11月25日に東京都千代田区の中央大学駿河台記念館で開催する。COP10に関する最新情報や先進企業の取り組み事例の紹介、パネルディスカッションが実施される。

  日本における生物多様性保全活動に関しては、日本経団連から「生物多様性宣言」(2009年4月)、環境省から「生物多様性民間参画ガイドライン」(2009年8月)が出されるなど、その気運が高まっており、同社は「企業と生物多様性イニシアティブ(JBIB)」に参加するなど生物多様性保全を進めているが、この取り組みの一環としてこのシンポジウムを開催。

転載元: まず震災復興!放射能対策!それから生物多様性・森林ビジネス

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